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きつねのゆかた ※ 『きつねのてぶくろ 』 より 1 柱時計がボーン…と鳴って、夕刻を知らせる。 政宗は椅子に座ったまま、気づけばとろとろと眠っていたようだ。顔を上げると店の大きな窓から、まだ明るい空が見える。 日は山に沈みかかっているのだろう。立並ぶ家の面も、政宗の店の中も、薄蒼い影に染まっていた。 政宗の店はこの小さな町の、商店街を少し外れた場所にある、小間物屋である。 看板にはただ『手袋と帽子』と書いて、ついでに日傘やらハンカチやらこまごました物を売っている。 この二十歳を越えたか越えないかという若さの、鋭い左目だけを覗かせた店主の売る小間物は、町の人々には存外、評判がいい。 今は棚に並んだ帽子も、端のほうに寄せられた夏物の手袋も、影になっている。 灯りを入れようと政宗は立ち上がった。 木で出来た椅子の脚と床がすれて、きしんだ音を立てる。堅い背もたれに預けていた体も、わずかにきしんだ。 提灯のほの黄色い色が照らす、露店の金魚、浴衣の袖の藍色、川辺の柳葉。 右目を押さえると、いつも薬屋で買う眼帯の、柔らかい感触があった。 「…祭りか」 思い出したように、政宗はつぶやく。 ひとつき前には、商店街に一軒だけある服屋が、木綿の反物を仕入れてきた。町の女はそれを買って、裁って、縫って、浴衣を作るのである。 白の藍の、薄紅の。桔梗、撫子、朝顔と、縞に、格子に、麻の葉模様。政宗の店でも縮緬のはぎれを分けてもらって、簪に飾る綿入り紐や、花の形の簡単な髪飾りを作った。 「Sold out…今日は店仕舞いだな」 あくびを噛んで、つぶやく。 開けたままの戸から吹き込む風に、いつもはない不思議な匂いや、御囃子の笛太鼓の音が、かすかに混じっていた。 政宗は、誘われるように店先へ出た。 政宗の店が並ぶ道が、少し先で商店街と交叉する。そこだけ光がふわりと集まって、提灯の、街灯の、露店の灯りの中を、川を泳ぐ魚のように人が行きかっている。 風に、うっすらとにじんだ汗が冷やされる気がして、政宗は心地よく左目を閉じた。 閉じて開くと、赤毛の子どもが、そこにいた。 政宗は左目を瞬かせた。 年のころは三つか四つ、ひとりでいるのが不思議なほど、小さな子どもである。 それが、いつの間にか足元に立って、じっと政宗を見上げているのだった。 「Ah…お前、どこの子だ?」 「……」 髪は、奇妙なほど、紅い。 紅葉の染まりきったような色で、子どもの目元を覆っている。政宗も茶色がかった黒髪の、前髪を右目にかけているが、この子どもはほとんど顔半分しか見えていない。 前髪の下に小さな鼻があって、口が静かに結ばれている。 「父さん母さんはどうした」 「……」 しゃがみこんで訊ねると、ふるふると首が振られた。 浴衣は藍色。白い縦縞が抜かれている。 政宗は首を傾げた。 藍色の川を流れる、水面のすじのようである。 宵闇に降る、雨の線のようでもある。 見つめると、青がにじみ出てくるようで、ちらちらと線が動き 小さな手の、中指が長い。 政宗は、にやり、と笑った。 「…兄ちゃんと姉ちゃんは、どこだ?」 吊り上った口に牙のような犬歯がのぞく、狼のような、曲者めいた笑みである。 「……」 子どもは臆した様子もなく、政宗の後ろを指さした。 振り向いても、誰もいない。 ただ、屋根が並ぶ道の向こうには、山の陰があった。 南の山には狐がすんでいる。 顔なじみだと、政宗は思っている。相手はどうだか分からない。 狐は赤みがかったオレンジ色の髪の、十二か三かという歳の少年の姿で、時おり政宗の店にやってくる。 けれど名前は教えてくれた。 「お前、佐助の弟の、小太郎だな?」 「……」 子どもはこっくりと、うなずいた。 遠い提灯の灯りを背負い、影と紅赤毛に隠れた目は瞳の色も分からない。 けれど、兄狐と自分の名を呼ばれてか、口元は少し嬉しそうに見える。 「今日はひとりか」 冬の日に、この弟狐を抱えて手袋を買いに来たのは、金の髪の少女だった。人の姿は七つか八つほどの、あれは佐助の妹であり、小太郎には姉になるのだと聞き知っている。 「……」 再び、こっくり。 政宗よりひと回り小さな頭が、人形のように揺れた。 耳も尾も見当たらない。 赤毛の紅色だけ残して、きちんとヒトの子どもの形をしている。 「Well,ちゃんと佐助たちみたいに、できるようになったってわけだ」 毛色のほかに狐の証は、少し風変わりで涼しげな、藍の浴衣だけである。 ふと政宗は、紅赤毛の向こうの提灯の明かりと、流れていく人々に目を向けた。 明るく見えた空も夕日の色をにじませ、陰る道に灯りと祭囃子がふたりを誘うようだ。 「お前さんひょっとして、祭りに行くつもりか」 「……」 小さな手が、政宗の長袖シャツの袖口を、きゅっとにぎった。 「Oh,」 連れて行って欲しいのか、着いて来て欲しいのか。 幼い姿はいずれ狐であろうとあるまいと、放っておける風ではない。 温い風が吹いた。 空はどんどん、日暮れの蒼に染まっていく。遠くの提灯は優しい卵色だ。 政宗は昔、兄代わりの男にせがんで連れて行ってもらった祭りを思い出して、気がつけばうなずいていた。 「All right,いっしょに行ってやるよ」 「……!」 小さな口がほころんで、こくこくとうなずく。 政宗は橙頭の少年の、愛想のない顔を思い浮かべ、知らず顔を笑みに染めた。 すると、その背の方から 振り向いて、政宗はぎょっとした。 「……」 「……」 「……」 紅赤毛の小さな頭が、もうふたつ、並んでいる。 2 あわせて三人。 少なくともひとりは小太郎なのだから、他は小次郎と小三郎だったりするのだろうか。あと頭数が七つそろえば、最後は小十郎になる。 そこまで考えて、政宗はクツクツと笑った。 人の姿をした子狐は、政宗の手をきゅっとにぎって、コロコロと草履を鳴らしていた。 他のふたりは、人の流れの中を泳ぐように歩き回っている。 最初は見失わないように気を張っていた政宗だったが、やがて諦めた。放っておいてもあちらが政宗を見つけて、入れかわり立ちかわり、順番に手をつなぎに来るのである。 紅い頭と、藍に縞のゆらめく浴衣。 幼いころから人の多いところは苦手だったが、小太郎と手をつなぐと、政宗も川を泳ぐ魚のようで、不思議と涼しい心地がした。 温い空気に材木の匂い、醤油やら油やらの焦げる煙が混ざっている。 「何か食うか?」 露店を指さすが、小太郎はふるふると首を振る。 カラン、コロン、とあちらこちらから草履や下駄の音がする。 人の流れは西の山の、暮れ空がまだ少し朱を残す方へと向かっていた。 西の山には神社がある。町の東、鈍行列車の止まる駅から通りが伸びて、石段をのぼって境内に着くのである。 通りではいつもの肉屋が串揚げを売ったり、酒屋が青い壜を氷水に浮かべていたり、よく見れば政宗にも見知った顔が多い。その店の裏を子狐の紅い頭がのぞきこんだり、小さな手が氷にさわろうとするのは、慌てて呼び戻さなければならなかった。 半分はよそから来た人間のようで、年季の入った看板を掲げている。そのどれもが提灯の卵色に照らされて、同じように神社の方へと肩を並べていた。 「おい、」 不意に、政宗の耳に声が飛びこんだ。 小太郎の紅い頭に気を払っていた政宗は、立ち止まり、左右を見た。 「おい、政宗」 また、明らかにこちらに向けられた嗄れ声。 くいくいと小太郎が手を引くのに目を向ければ、ななめ後ろを指さしている。 通りすぎたイカ焼きの店の中から、銀色の頭に鉢巻を締めた男が腕を振っていた。海の男、というには日焼けが足りない顔の、左目には江戸紫の布眼帯。 カラン、とどこかで草履の音が響く。 「 瞬きをして、名を呼んだ。 政宗には昔馴染みの顔だった。 「よお、意外なところで会うじゃねえか」 「Yes,元気そうだな」 政宗がにい、と笑うと、元親は気のいい顔でくしゃり、と笑った。 年は五つと違わないはずだが、政宗より頭ひとつも背が高い。腕や胴もひと回り違うだろう。白地に大きく紫のカタバミと鯉とを染めた浴衣、たすき掛けの布も濃い紫だ。 「何だ何だ、祭りにそんな格好でよ」 カラカラと笑われた政宗の方は、仕立ては良いが着古した、いつもの白いシャツである。 ほれ、とイカの串を差し出しながら政宗の手のほうに視線を向けて、元親は目をむいた。 「しかも子連れか!」 「俺の子じゃねえけどな」 ポケットの銅貨を探しながら政宗は答える。 「……」 小太郎は赤毛に隠れた目で、じいっと元親を見上げている。 「こんな町に住んでるとはなあ…悪くねえとこには見えるけどよ」 「いいとこだぜ?実際」 「そっか。まあ馴染んだみてえだし、よかったよかった」 「ああ」 「…たまには帰れよ。右目の兄さんが心配してたぜ?」 責める風でもない言葉に、政宗はしばし口を結び 「小十郎と会ってんのか」 「う」 「何が『意外なとこで』、だ」 チャリン、と銅貨を置いて、イカ焼きの串をつかむ。美味そうな焼き色に目を細めた。 「いや、祭りに来ると思わなかったんで、後で訪ねるつもりでな」 ガシガシと銀髪を掻く男の言葉に、嘘はなさそうだ 「まだ一年も経ってねえんだ。しばらく店の面倒をみたい」 小十郎、というのは、幼いころから政宗の兄代わりだった男である。 この町に越してきてからも、しばしば手紙のやり取りをしているので、それほど離れている気もしなかった。 「まあいいさ、時間があったら俺の店にも寄ってくれよ?」 じゃあな、と小太郎の手を引いて歩き出した政宗に、「おい、」と声が追いすがる。 「おい、政宗!」 「…何だ」 珍しく食い下がる、と僅かにいぶかしく思って振り返ると。 「こいつら、つれてけ」 紅い頭ふたつ、生イカをくわえたその首根っこを両手につかんで、元親は途方にくれた顔をしていた。 3 紅い丸い、りんご飴も買ってやった。 小太郎は変わらずひとりだけ政宗と手をつないで、ふたりは政宗の見える辺りに紅い頭をのぞかせている。 ひとつずつ持たせたりんご飴を、手をつないだ小太郎が政宗に差し出した。 ひとくちだけ、と分けてもらう。 和紙を貼って作った、ひょっとこの、天狗の、お面が並ぶ前を通り過ぎた。 白地に紅い隈取の、すました狐の面。手をつないだ子狐の紅赤毛でなく、兄狐の柿色頭を思い出して、クスリと笑みがこぼれた。 カランコロン、と草履の音。 ざわめきが流れるような中、小太郎の足音もコロコロと鳴る。 ふと前を見ると、りんご飴に似てつやつや紅い頭がふたつ、店の前に並んでしゃがみこんでいた。 政宗の手をにぎるひとりも、そちらへそちらへと向かっている。 「Hey,お目当てはなんだ?」 欲しいものがあったら教えるように、と言い聞かせてあった。 「……」 「……」 「……」 ゆらり、と水に提灯の明かりが揺れる。 その下を、朱と黒が泳いでいる。 「金魚か」 こっくり。 と、みっつの頭がそろってうなずいた。 店の親仁に銅貨を払うと、待っていたように右腕が三本、水を覗き込んで持ち上げられる。 昔本の挿絵で見た、鮭を捕る熊を思い出して、政宗はあわてた。 「Wait,Wait 待て、の声に、きょとんと傾げられる小さな頭。 「捕ってやるよ。どれがいい?」 半紙を貼った金魚すくいをかまえると、ひとりは大きな朱色をゆびさし、ひとりは朱に斑の入ったのをゆびさし、ひとりは黒をゆびさした。 「Okay-Dokay,まかせとけ」 政宗は笑って金魚を三尾、おまけに小さいのを二尾と、椀にすくいあげる。 ふたつの袋に分けてもらって、持たせてやると、目元の隠れた小太郎の顔がパッと輝いて見えた。 金魚はゆるり、と透明な水を泳ぐ。 食べるなら、山に帰ってからにしろよ パン、と何かが弾けるような音。 隣の露店の前で、どこかの子どもが歓声を上げる。 火薬を叩いて音と匂いを出す、弾もないピストル。 「 だから大丈夫だ。 と、政宗はしがみつく紅赤毛をみっつ、それぞれ撫でてやった。 カラン、と草履の足音がまた、響く。 その妹の金毛のかすがは、政宗に最初、ひどくおびえた顔を見せた。 狐のきょうだいの親はいないらしい。 「神輿だけ見たら、帰ろうな」 「……」 小太郎は政宗の手を少しだけ強くにぎって、小さくうなずいた。 境内に近づくにつれ、人の流れが混みあってくるようだ。少し汗ばんで、政宗は息をつく。 苔むした石段を小太郎に合わせてのぼりながら、すっかり暮れた空を見上げた。 提灯が並んでいなければもう少し星が見えただろう。 石段を囲む山の木々も、灯りの後ろで闇に沈んでいた。 御囃子の笛の音や、かつぎ手の掛声が近づく。 上りきると人々の頭の向こう、神輿が飾りを揺らし狭い境内を周っているのが見えた。町の大通りを一周してきたところだろう。 「ほれ、見えるか?」 小太郎を肩車してやって、ふと、他のふたりが見当たらないことに気づいた。 「…Excuse,失礼、」 縄の張られたところまで出て、ぐるりと見回すが、小さな赤毛は見当たらない。 また人を押しのけ、押しのけ、政宗は人垣の周りを歩いた。 開いたままの左目に、汗が入りそうになって、袖でぬぐう。 シャツの背がじわり、と冷えた。 「小太郎、…小太郎、」 政宗はくりかえしくりかえし、名前を呼びながら歩いた。 どちらが迷子か、と声の情けなさに目頭を押さえる。 やがて、肩に乗せたままだったひとりが、ぺたぺたと政宗の頭を叩いて、人垣を外れた暗がりをゆびさした。 紅い頭がふたつ。 山の狐らしくそっと、あじさいの葉の影からのぞいている。 「Oh my,…」 政宗は深く深く、息をついた。 「そこにいたか」 「……」 「……」 肩のひとりを下ろして、切り株に腰を下ろす。 「悪かったな、目離しちまって」 ふるふると頭がそろって横に振られるのに、政宗はホウ…と笑った。 人混みは久しぶりだった。 小太郎の浴衣の藍の、静かな水のように揺れる縞模様が、目に涼しい。 「……」 「……」 「……」 小太郎たちは互いに顔を見合わせて、政宗の手をくい、と引いた。 両手を引かれて政宗は腰を浮かせる。 「ああ、神輿だったな」 ふるふるとまた首を振る、紅赤毛が提灯の灯りで橙に光った。 「 「……」 こっくり。 うなずく頭に政宗もうなずき返して、立ち上がる。 「そうだな、木立を通っていけばはぐれないだろ」 紅い頭がみちびくほうに歩き出した。 靴の下で、草がサリサリと鳴る。 4 提灯の灯りを右手に、すぐに石畳につくはずだった。 政宗は肌に慣れた眼帯の、柔らかい闇を指で押す。 紅い頭はみっつ、あちらへ向いたりこちらへ向いたり、道を探しているようだ。小さな体の藍色の浴衣が、縞だけ残して闇に溶けこんでいる。 子狐は山のもの 「Hey,はぐれるなよ」 それだけが心配で、政宗は声をかけた。 立ち止まって、ぐるりと周りを見回し、目をこらす。 と、木々の影がひときわ集まったような闇に、ちらり、と灯りが見えた。 「…あれじゃねえか?」 小太郎を手まねいて、光をゆびさす。紅赤毛はそろって首をかしげた。 政宗はニ、三歩踏み出して、見間違いでないと確かめた。心なしか卵色より、橙がかった光だ。 ほっとして、小太郎の手をつなぎなおす。 「来いよ、…そろそろ佐助たちも心配するだろうな」 声をかけ、後の言葉は半ばひとりごちるように言って、歩き出した。 ガサガサ、と草を踏む。 少し、腕が重い。 重いのは小太郎の足どりだ。 どうしたのか、と政宗は首をかしげる。と。 シャン、 やはり、人がいる。 小太郎の足が止まった。 「どうした?」 「……」 政宗の手をにぎったまま、小太郎は首をふる。 「小便ならその辺で、」 首を振る。 政宗は灯りのほうを振り向き、紅い頭を見て、少し考えた。 「…分かった。怖い人間がいないか俺が見てきてやるから、お前らここで待ってな」 笑って言うと、紅赤毛を順にかき回す。小太郎たちは顔を見あわせた。 シャン、シャン、と、鈴の音はまだ響いていた。 ガサガサと草を分けて進む。 木々の向こうに、火を入れた石灯篭が見えた。 神社の裏手だろうか。御囃子の音も聞こえない。 灯籠は小太郎ほどに小さくも、政宗より大きくも見えた。古びているが苔はきれいに払われて、ふたすじの列を作っている。 道があるのだろう。そう考えながら、政宗は左目を細めた。 「Ah?」 脚をつかまれた。 「……」 「……」 「……」 りんご飴のような、紅い頭がみっつ。 政宗の両足にしがみついている。 「おいおい、 しがみついたまま首を振る。 「…行くなってことか」 こくこく、といっせいにうなずかれた。 政宗はちらり、と灯篭のほうに目をやる。 カラン ひらり、と何かがひるがえった。 白い手も見えた。女だろう。 「ほら、人もいるじゃねえか どこか懐かしい気がして一歩踏みだすと、片足が軽くなった。 小太郎の小さな体が、光を背負って政宗の前に立ちはだかっていた。 「……」 その肩にふたりが乗って、三人重なってぐらりと前のめる 政宗は目を見開いた。 自分より上背の高い、紅赤毛の、藍に不思議な縞の流れる浴衣を着た 飴のような紅い目が、一瞬見えた気がした。 「こ、」 小太郎 「……」 男は沈黙で答えて、あるいは答えもせずに、政宗を肩にかつぎ上げ。 「ちょ、お前!」 止める間もなく山道を駆け出す。 「どっちに向かってんだ!」 「……!」 風のように駆ける男の足元で、草がざざざ、と鳴る。 政宗をかつぐのと反対の手に、りんご飴と金魚の袋が揺れている。 男はめくらめっぽうに、光から離れようとしているようだった。 闇のほうへ、闇のほうへ。 熱く汗ばんでいたはずの政宗の背を、ひやりと寒気が走った。 草と風以外、何の音も聞こえない。 カラン、と、草履の鳴る音がした。 「おい、あそこっ」 藍の背中を強く叩く。 右手にせまる竹林が、暗いばかりの木立に青く光って見えた。 そこに、小さな影がふたつ。 白い狐の面を、少し上に押しあげて。 「小太郎、こっち 柔らかくて冷たい、少年の声が、弟狐を呼んだ。 5 竹林に駆け込んで、小太郎は政宗をすとん、と肩から下ろす。 ぜいぜいと痩せた背で息をして、堪えきれなくなったように、ぽん、と小さなみっつに分かれた。 「…Wow,」 ぐったりと、枯れつもった竹の葉の上に折り重なる、紅葉色の赤毛。藍色の浴衣。 座りこんだ政宗を見下ろす少年は 「まったく、もう」 赤みの強いオレンジ色の髪に、柳の葉の重なる緑の浴衣。うしろには金色の髪と白い浴衣、月明かりに輝くような少女が隠れている。妹狐のかすがだ。 「だいじょうぶか、小太郎」 心配そうに弟狐に駆け寄って、頭をみっつ、順になでる。 佐助はみっつの紅赤毛からひとつを選んで、むんずと両手でつかむと、小さく何事かつぶやいた。 「……」 紅い頭のふたつが音もなく消えて、ひとりだけが残る。 「…どうなってるんだ」 佐助は自分のより濃く紅い赤毛を、少しだけなでた。 「力が強いの、こいつ」 末っ子な上に、三匹分で生まれてきたから。 と、政宗には分かるような分からぬような説明だ。 「自分じゃ手綱とれないんだけどね。あんたとふたりじゃ鴨が葱しょってって言うか、狸が鍋しょってって言うか」 狐が狸のことを言えるのか、あの灯篭はなんだったんだ、と喉まで出かかった言葉の数々を、政宗は飲みこんだ。 鳶茶色の目がちらり、冷たい光をのせる。 「 ざわり、と風が吹いて、竹林の天蓋のような梢が鳴った。 「…そうか」 政宗はその目をじっと見て、頭を下げた。 「Forgive me.知らないで、弟を危ない目にあわせた。悪かったよ」 「……、」 すると佐助は、戸惑ったように政宗を見て、唇をかんで。 「…心配かけさせないでよね」 と、うつむいてぼそぼそと言う。 「ああ。助けてくれてありがとう」 「だ、だいたい、かすががりんご飴りんご飴うるさいから小太郎が 「言ってない!そんなに言ってないぞ!」 顔の赤みが妹狐に飛び火する。 ぽて、と座りなおした小太郎が、未だ手に持っていたりんご飴をふたつ、確かめるように月明かりにかざして。 「……」 両手に持って、差しだした。 「おい、お二人さん?」 政宗の声に、キイキイ言っていた子狐二匹がふりむいて、同じ動きで瞬いた。 「あ 拍子抜けしたように、それぞれ受けとる。 「そうか、みやげだったのか」 「……」 妹狐はとろりとつやのあるりんご飴の紅と、弟狐の紅い頭を見くらべた。 「ありがとう…」 「……」 りんご飴の頭が、こっくりとうなずく。 そうして差し出されたかすがの手をにぎって、小太郎は立ち上がった。 「かえろう。佐助」 「…ああ、そうだな」 うなずく兄狐に、政宗も腰を上げて草をはらう。 「お前らはいいのか?祭り」 首を傾げれば、呆れたように鳶茶色の目が細められた。 「こりないね、あんた。…おれは興味ないよ」 「 知らず、政宗の声は残念そうな、寂しげな色になる。 「…、うん」 少年の声が少し、とまどった。 「仕方がないな。じゃあ、行くか」 小太郎とはさんざん手をつないだから、と思って政宗はかすがに手をさし出した。 妹狐は少しだけ唇を固く結んで、首をふる。 金の髪はきらきらと揺れて、青竹を照らすように見えた。 「みんなで手なんかつないだら、歩けない」 「…そりゃそうだ」 「わたしたちがさきに行くから、お前は佐助につかまってろ」 似たもの兄妹だな、と政宗は思った。 月明かりのような金の髪が風になびく。 水の影のような淡い灰色が円を描いて重なるばかりで、帯は竹の青だ。竹林がざわざわとこずえを揺らすたびに、さわさわと小さく揺らめいている。 ふと、その袖を小さな手がひいた。 「どうした?小太郎」 お姉さんらしくこたえて、かすがは小さな頭をかしげる。 小太郎は金魚の袋の口を開け、ひらひらした尾をつまんで、かすがの浴衣に放した。 朱色の、斑入りの、黒の。 金魚は順に円に飛びこむと、染めた柄のようにじわり、横顔を見せて浮かび上がった。 見る間にかすがの浴衣は、華やかな金魚の柄になる。 金毛の狐は袖を広げて、笑顔ではない、けれど何とも言えず嬉しそうな照れたような顔をした。 「…、きれいだな」 「……」 紅赤毛は満足そうにうなずいた。 政宗も、ぽかんと開けていた口で笑って、ひとつふたつ、うなずく。 「うちに寄ってけよ、似合いの髪飾りつくってやるから 袖をひかれてふりかえると、橙毛が苦い顔を見せていた。 「あのさ。あんまり、甘やかさないで」 「…Well,お前もなんかほしいか?」 そういう問題じゃないのっ、と小さく叫ぶ兄狐をよそに、かすがと小太郎は歩き出している。 政宗は、ほれ、と佐助に手をさし出した。 「 「お前につかまって歩け、とさ」 すると、佐助は政宗を見て、金魚のように口をパクパクさせて、何かを言おうとしたらしい。唇を噛んで、開いて。 「…危ないから」 「ああ」 「暗いから!」 「そうだな」 突き出された手をにぎると、ひんやりとして、そのくせ狐はとても熱そうな顔をしていた。 竹林の青みがかった緑を風が渡る。 橙頭が着た浴衣の、柳の葉がさやさやと涼しげに鳴る。 政宗は夜の空気を吸いこんだ。 ぽちゃん。 と、すぐそこで、金魚の跳ねる音がした。
続≫きつねのわたぼうし
10/07/27 改稿・掲載
初出:memo(2010/07/10〜14) |