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きつねのてぶくろ 店の戸を開くと途端に光が差し込んで、政宗は左目をギュウとつぶった。 温かいようで冷たい光は白くて眩しい。 太陽の光を雪が吸い込んで、ぱっと放ったような強い光だ。 政宗の一つきりの左目は、小さな氷の欠片を投げ込まれたように痛んだ。 強くつぶった目蓋は冷たく、その裏は熱い。 やがてゆるゆると目を開くと、政宗は店の戸に『開店』の看板を出した。 政宗は、この若者は、この店の店主である。 まだ二十歳を越えたかどうかというほどの年に見えて、背は高からず低からず、少々痩せている。 左目は眦の吊り上がった切れ長で、右目は茶色がかった色の前髪と、薬屋で買う白い眼帯に覆われていた。 少し前にこの小さな町に越して来て、店を開いて腰を落ち着けた青年を、町の人は変わり者だと思っている。 と、思っている。 政宗の店は、手袋と帽子の店である。 靴下やマフラーや布のポーチやらも細々と置いている。 町に一軒しかない服屋より、洒落た品が多い。 「Fashionableなだけじゃねえよ、温かくて長持ちするんだ」 と、この店主は異国語混じりの口調で客に言う。 破れたり解れたりしたものは、持ってくれば繕って直してくれる。 そんな店である。 店の外には雪が厚く積もっていた。 昨日も日暮れまで、しんしんと降り続けていたのだから無理もない。 ガラスのショーウィンドウを閉ざしていた雨戸も全て開け放つと、政宗はハッと短く熱い息を吐いた。 ぶるり、身を震わせて衿元を掻き集める。 もう一度目を閉じて、開く。 すると、いつの間にか、雪の道に小さな影が立っていた。 濃い緑色の帽子を目深に被った、十三かそれにも満たないほどの、少年だ。 「…Good morning」 椿の葉のような緑色の下から、明るい鳶色が二つ、じっと政宗を見ている。 帽子から零れる赤味の強いオレンジ色は、一度見たら忘れないだろう。 寒いのかひょろりと痩せた腕の先を、ズボンのポケットに押し込んでいる。 政宗も思い出したように、自分の手をこすり合わせた。 酷く冷たい。 「こんにちは」 冷たい声だった。 冷たいけれど、周りの温度に溶け込んで、冷たくも感じさせない声だった。 政宗が向き直ると、少年は眩しいものを見るように、目を細めて小首を傾げた。 「 「キツネ」 ハスキーな声で、政宗は繰り返した。 「さあ、どうだろうな」 そうしてゆるり、と首を傾げながら店の中へ入ろうとする。 サクリ、雪を踏む音が近くに聞こえた。 振り返れば、見上げる鳶色の目があった。 「見なかったんだね?」 政宗はニイと笑った。 「見たかもしれねえなぁ」 笑うと薄い唇が吊りあがって、牙に似た八重歯が覗く。 獲物を狙う狼のような顔だっただろう、少年は分かりやすく顔を強張らせた。 政宗は可笑しくなって、クツクツと笑った。 「お前さん、客か?」 「…そうだよ」 少年はしばらく迷って、けれど頷いた。 「Okey,じゃあ入りな」 政宗も頷いて、店の戸を開く。 少年はまたしばらく迷っていたようだったが、政宗が道を開けたまま動かないのを見て、サクリと雪を踏んだ。 店の中には、朝の光が差し込んでいる。 政宗は木の椅子をストーブに寄せて、少年を座らせた。 「ねえ、狐を」 見なかったのかと強情に聞く少年の手首を取る。 「Ah,キツネな。ペットでも逃げたか?」 「…別に」 「そうかい」 細い指の長さを測るように、政宗は親指の先と人差し指の先を、少年の手に当てていった。 「この当たりは多いからな、キツネ」 昨日も見た。 と言えば、計られる手が僅かに固まる。 「それに」 顔を上げるとニイと笑ってみせた。 「今日も見た」 少年の口がほんの少し、震える。 しんしんと、指が痺れるような寒い夜だった。 小さな町を囲む、山の一つ。 その峰の洞穴の中で、小さな狐が尾を揺らす。 「佐助、おい、佐助」 淡い金色の毛並みの、幼い狐は佐助を呼んだ。 「何だよ?」 佐助は答えた。洞穴に声が響いた。 金毛の狐は、佐助の橙色の毛並みよりいっそう濃い赤茶の毛並みの、自分より小さな狐の首をくわえてつれてきた。 「これを見ろ」 赤茶の毛並みの子狐の、前足の先は、酷く皸ていた。 「ありゃりゃ」 佐助は橙色の前足で、子狐の手をすり合わせた。 「小太郎にも手袋がいるんだ」 金毛の狐は鼻先を上げて、そう言った。 「……」 赤茶の毛並みの、小太郎は、何も言わずに佐助と自分の両手に、息をあてている。 「でもさあ、かすが、町は危ないよ」 佐助は前足の片方で鼻先を掻いた。 佐助とかすがと小太郎の、三匹の狐の兄弟のお母さんが生きていた頃、町に行く時は十分注意なさいと言っていたのを佐助は思い出したのだった。 佐助も昔、毛色が珍しいと人間に酷く追い回されたことがある。 すると金毛のかすがは、ポンッと地面を蹴って一回転。 また地面に足を着いた時には、人間の女の子の姿になっていた。 「これでどうだ」 「どうだって…」 佐助は困ったように首を傾げた。 確かに人間の姿には違いないが、髪は金色の毛並みそのままの色。 年の頃は七つか八つか、とにかく幼いままで、こんな女の子が一人で歩いていたら自分なら雪でもぶつけてからかっていただろうと、佐助は小さい頃の悪戯を思い出して心配になった。 「私たちには母さんが人間のふりして、手袋を買ってくれただろ。私が行く」 「お前がねえ…」 人間に姿を変えた面差しも、母によく似ていて、佐助は溜め息をつくしかない。 橙の狐が後ろ足を蹴って一回転。 「一人じゃ駄目だ。俺も行くよ」 髪色はやはり橙のまま、かすがよりは一回り大きい少年の姿で、腕の中の小さな子狐がペチペチと拍手のつもりか手を叩く。 そうして三匹は、二人と一匹は、連れ立って山を下りた。 日はもうすっかり暮れて、今日も朝から雪を降らせていた、雲も姿を消している。 月のない、星明りが雪を青く照らす夜だった。 途中で佐助が椿の葉っぱを毟って、かすがの金色の頭に乗せて術をかけてやった。 人の町では目立ちすぎる毛色を、緑の帽子で隠したのだ。 「スースーするな」 「我慢しろ」 葉っぱの帽子では温かい筈もなかった。 「別に寒くはない」 けれどかすがはそう言って、ありがと、と早口で付け加えた。 町に着くと、佐助は小太郎の前足の片方に術をかけて、人間の手のようにしてやった。 「良いか?あの店のドアを叩いたら、少しだけ開いて、こっちの手を店の人間に見せて、『この子の手に合う手袋をください』って言うんだ」 佐助の言葉に、小太郎を抱えたかすがは真面目な顔で頷いている。 「かすがも、手にこのお金を乗せて、手だけドアの中に入れて。分かった?」 白っぽい硬貨を三枚その手に乗せてやりながら、かすがの金の髪を緑の帽子に押し込んでやった。 「俺はここに隠れて見てるから、何かあったらすぐ飛んでくから」 「分かった」 「何かあったら逃げて来いよ」 「分かった」 かすがは二回、こっくりと頷いた。 佐助は、かすがの向かった店の向かい側の店の陰に隠れて、人通りの無い道をかすがが渡っていくのを、じっと見ていた。 昔佐助が母狐のおつかいで行った服屋は明かりが消えていたので、奥のほうに明かりの灯っていた、商店街の端っこの店を選んだ。 看板には、『手袋と帽子』と書かれている。 ペンキで、手袋と帽子の絵が描かれている。 佐助がさっき覗き込んだ時には、帽子と手袋が並んで、マフラーや傘も奥のほうに見えた。 静かな夜だった。 かすがが木のドアを叩く音が、小さく響いて、雪に消えた。 風も吹かない。 星明りだけが、何だかキラキラしていて、けれど佐助は瞬きもせずに耳をそばだてていた。 佐助の目が乾いて、冷たい涙が滲んでも、人が来る様子は無かった。 やがて小太郎を抱えたかすがが足早に道を戻り始めると、佐助は半ばくらいで飛び出した。 「買えた?」 かすがはカタカタと震えながら、頷いた。 小太郎の両手には鼠紺色の小さな手袋があった。 「帰るよ」 言葉短く、佐助は言って、かすがの手を取って山へと急ぐ。 山に入ると狐に姿を変えて、小太郎は佐助が背負って一目散に洞穴まで駆けて行った。 人間のように火を焚く家ではないが、洞穴でやっと佐助は息をついた。 背に乗っていた小太郎が落ちて、ぺそ、と地面に腹をつける。 前足には、指の分かれていない手袋。 むくりと起き上がって、両手を合わせてもふもふと感触を確かめている。 かすがはまだ息を切らしていた。 走って温まったろうに、心なしか、震えは納まっていない。 「小、太郎が…」 やがて上がった顔の、目には興奮したためか涙が滲んでいた。 「小太郎が?」 かすがが言うには、店の前まで行った時には、小太郎の右前足は確かに人間の手の形をしていたのだと言う。 木のドアをノックすると、男の声の返事があった。 かすがはドアをほんの少し、開けて、小太郎に手を入れるように言った。 奥からランタンを持った背の高い影が近づいて、すかさずかすがは硬貨を乗せた手を差し込んだ。 「、この子の手に合う手袋を、くださいっ」 ランタンを持った影がぴたりと止まる。 このままドアを大きく開けられたらどうしようと、かすがはふと思って背筋を震わせた。 けれど、隙間の向こうに見えた人間は、かがみこんでまず小太郎の手を掴んだようだった。 「こっちの手だな?」 小太郎は手を引かれたからか、身を乗り出すようにして店の中に右足を入れたままにしている。今にも落ちそうな子狐の体を、かすがは抱えなおして、そう、と、蚊の鳴くような声で答えた。 「All right,ちょっと待ってな」 かすがの手から硬貨を摘み上げると、店の人間は灯りを持ったまま引き出しのたくさんある棚の方へと行ってしまった。 かすがは両腕で小太郎を抱えなおした。 風も無いのに、寒くなって、ぶるりと背筋を震わせる。 と、灯りが戻ってきた。 「これで合うと思うんだが 灯りの下に、小太郎の手が照らされて、かすがは息を呑んだ。 術をかけて人間の手にしてもらった、右手が狐の前足に戻ってしまっている。 逃げなければ、と思うのに足が動かなくて、声さえ上げられない。 店の人間が小太郎の前足に手を伸ばすのが見えて、かすがはぎゅっと腕に力を込めて目をつぶった。 つぶった目の裏で、光が動いた。 「…よし、ぴったりだ」 声が聞こえた。 少し掠れた、低い優しい声だった。 目を開けると細く開いた扉の向こうに、かがみこんだ男が、小太郎の手袋をはめた両足を照らして笑っていた。 「どうだい?お客さん」 「あ、」 見下ろすと、小太郎が頷いた。 「大丈夫、ありがとう」 「You're welcome」 そう言って、男が立ち上がるのが見えて、かすがは慌てて踵を返した 話を聞いているうちに、佐助は眉間にしわを寄せていた。 かすがが話し終わってから、それに気づいて、ぐりぐりと前足でさする。 「…悪い、俺様の術が切れるとはねえ」 溜め息をつく。かすがと小太郎が無事だったから良かったようなものの、危ない橋を渡らせてしまった。 「暗いうちだったからかな、とにかく相手が気づかなかったなら良かった と、小太郎がふるふると首を振る。 「は?店の奴は気づいてたって?」 こっくり、と今度は頷く。 「私もそう思う」 ぽつり、と言ったのはかすがだ。 「気づいてたけど、手袋をはめてくれたんだ。小太郎の両手に」 悪い人間じゃなかった。 「…かすが、」 咎めるように佐助が呼ぶのに、小太郎がパタパタと赤味の強い尻尾を振って冷たい地面を叩く。 そう言っているようだ。 佐助は何だか面白くない気分で、溜め息をつく。 「へーえ…人間が、ねえ」 そして。 そして、今、佐助の前にはその人間がいる。 獣に似た目をして、薄い唇で、曲者染みた笑いを浮かべる男。 ガラス窓の外から、雪に反射する日の光が白く、店内を 右目のあたりは髪で隠して、左目は緩く伏せて、佐助の手を見ている。 佐助はその伏せられた睫の先を睨むように見つめていた。 男は、この店主は一しきり佐助の手の大きさを測っていたかと思うと、屈めていた身を起こして踵を返した。 「…なんで」 真直ぐな背中に言葉がほろり、と落ちる。 「Ah?」 棚に近づいた店主が首だけで振り返るので、佐助はぷいと目をそらした。 問いかけを何と思ったのか、店主は棚の下の引き出しに身をかがめながら。 「 そう答えた。 「ゆうべの狐」 カタン、と木の引き出しの閉じる音。 「抱えてたお嬢ちゃんも狐の前足出した奴も最初、そうだったからな」 妹と弟かい? 振り返る店主を睨みつけるようにしながら、佐助は頷きかける顎を押さえた。 椅子を立って、逃げようかと迷った一瞬。 「そうか」 ふ、と目を伏せて笑う男の顔に目を奪われて、体が固まった。 その手を軽く捕まえられぱちぱちと鳶色を瞬かせた時には、佐助の手には深緑の手袋がはめられていた。 「何、」 「ぴったりだな」 佐助の手を取ったまま、店主が満足げに笑う。 「だがやっぱり中指か。Wait a minute.直してやるから 「なんで」 遮るような佐助の声が、他に人のない店の天井に、響いた。 ぱちりと瞬く男の左目が、心なしか近い。 「先に直しとかないとキツイし、中指だけ磨り減るだろ」 「そうじゃなくて」 なんで狐に手袋なんて、売るのさ。 搾り出すような声に、店主は訝しげに眉を顰めて。 「客だって言ったじゃねえか」 「…そうだけど」 俯く佐助に、困ったような顔になる。 「Well,硬貨は本物だったしなあ。しかもお嬢ちゃんが釣り銭受けとらねえで帰っちまったから、お代はそれで十分なんだが」 それとも手袋はいらねえか? 聞かれて俯いた佐助も、困ったような混乱したような気持ちになって、顔を上げた。 「手袋はいらない」 「そうかい」 「…妹に、帽子が欲しい」 選んでよ。と言うと、お前が選べばいいじゃねえか。と笑われた。 佐助はその顔を見て、 そう、思った。 |