――はて?
 あんたのせいで、とはどういうことか。
 間抜けにも開きかけた口のまま、佐助は独眼竜の言葉を反芻する。
 謎が解ける前に、竜は風来坊と馬を見比べ、
「しかし、なんでまたこの場所と分かった。小十郎に聞いたか?」
「いや。幸村の見舞いに行ったらさ、佐助は大事な用で出かけてるって言うから――この前の仕切りなおしだろうと思って」
「Ah,そうか…」
 やっぱり寝込んでるのか、真田幸村は。
 そう何でもないことのように言うものだから、佐助は「ちょっと待って」とグルグル廻る思考の尾をつかんだ。
「政宗さん?」
「ああ?」
「その、先日の件は――
 困惑した声を潜めれば、竜姫もかすれた声をさらに低くした。
「悪いな、あれがサスケだったってことにしといてもよかったんだが……」
 嘘を見抜かれたのは佐助のほうだというのに、竜の方がバツの悪そうな顔をしている。
「気づいちまったんだ」
「…どうして、」
「どうしてだろうな、確かに変化は完璧だった。でも多分――お前、嘘をつくのに、優しい顔をしすぎるんだ」
 だから、なんとなく。
 と、竜姫は口を一瞬つぐみ、ふわりと柔らかく笑んで、
「…真田幸村は、忠義の忍びを持って幸せだな」
(うわあ)
 佐助は思わず、手で顔を覆った。
(忍び失格じゃねーの、俺様)
 そして、自己嫌悪で自分を消してしまいたい、と言った竜姫の真意に、自分が消えたくなった。
「なんだいなんだい、今度は内緒話?」
 慶次はすでに腰を下ろして、悠々と脚を組んでいる。緋毛氈の似合う男だ。
 竜姫が肩をすくめる。
「あんたが連れてたせいで、いらん誤解して真田を投げちまった話」
――なるほど。
 単に自分が変化していくと言っただけでなく、慶次と連れ立っていたのが見えていたからこそ、竜は幸村を茶会の出席者と勘違いしたのだろう。
 佐助は逆に肩を落とす。
「そうだね、あんたがいらんこと吹き込んだせいで、真田の旦那がぶん投げられた話」
「どうも分が悪いなあ」
 流石に弱った風で、前田慶次が頬をかく。



「お邪魔虫は速めに退散するから安心してくれよ。あ、これ、まつ姉ちゃんの特製あんころもち」
 茶菓子にどうぞ、と風呂敷に包んだ重箱が緋毛氈に置かれた。
「Oh,悪いな。まつ殿によろしく伝えてくれ。もちろん利家殿にも――ご健在だったか?」
「もっちろん!」
「そいつは重畳」
 元気な返事に、独眼竜はニイと笑う。
――加賀の人間に確認をとる必要がある、と竜姫は言っていたが。
 前田の細君手製の菓子は、この風来坊が前田家に帰っていた証拠だ。
「…で?風来坊、あんたの目から見て、どうなんだい?」
「そいつは話せないね、と言いたいトコだけど……まあ、もう分かってんだろ?独眼竜の勘がどんぴしゃ、当たりだよ」
 それが問題の茶碗だろ?
 と、会話から置いてけぼりの佐助と、黒白の茶碗を見比べる。
「Exactry.……あんたは前田家の人間だ。それ以上は言わなくていい」
――どういうことなんです」
 佐助が膝をつめれば、竜姫は武田の忍びをじっと見つめ――何から話そうかと、考える風情だ。
 上方から、京から加賀に向かうと言っていた商人。佐助が助けた男。この茶碗を焼いたと言っていた――
「まさか、あれが間者だと?」
「No,違う」
 静かに、さらりと否定して、独眼竜は茶道具の箱から緑の唐茶碗をふたつ、取り出す。
「こんな茶碗が、武将の間でStatusになったりするだろ?」
「はあ」
「あんたは変な話だと言うだろうがな。変な話が今は事実だ」
 言う間に、その茶碗を緋毛氈にすえ、袱紗を手にする。
「その、茶器の価値を決めることのできる男は、京で第六天魔王の茶頭に任じられている」
「……」
「そいつの弟子、京の茶坊主の一人に、古田重然って男がいるんだ」
 重然殿、と呼ぶ声を思い出した。
「これがなかなかの数寄者で、近頃は美濃の窯で新しい茶碗を焼くのに熱心だとか聞く。海の向こうのもんじゃない、日ノ本の器を――
 コン。と、いつの間にか抹茶を落とし終え、茶杓は唐茶碗の縁に粉を払う。
「じゃあ、これは」
 佐助が旅人から受け取った茶碗は、日の下で、際立つような白と黒。
「近々、その男の名がついた焼き物になるだろうよ」
「…それってひょっとして、すごいの?」
「Well,どうだろうな」
 キキ、と小猿の声が太平楽に響く。
「ああ、駄目だろ夢吉。そいつは独眼竜と忍びの兄さんへの土産もんだ」
 紅白がよじれた首輪の辺りをつまみあげ、慶次は竜姫の言葉どおりに――口を挟もうとはしない。
 佐助は竜姫に向き直り、
「つまり、あの商人がその――古田何某ってわけですか」
「それで済めば、よかったんだが」
 正解を口にしたつもりが、思わせぶりに否定される。
「古田重然は茶坊主なんぞやってるがその実――山城国の武将でもあるんだ」
「…は」
「商人でも町民でもねえんだよ」



 沈黙に、茶を点てる音が流れる。
 茶筅が置かれ、慶次の前に、緑の釉薬がかかった唐茶碗が差し出される。
「お先に」
「どうぞ、」
 考え込む時間を与えられたようだ。
「…商人のふりをしてたってこと?でも」
 そこだ、と独眼竜は空を指差す。
「もしその“重然殿”を助けたのがそこいらの旅の人間で、この器が廻りめぐって信玄公や、北条の爺さん――家康なんかに、献上されたとする」
 報告する者はこう言うだろう。
――誰某が山の中で出会った商人にもらったもので、その商人は重然殿と呼ばれていた。
「この器の価値に気づいた人間は、こう思うのが自然だよな?」
 なるほど、それは商人のふりをした、かの武将なのだ――と。
「そして、加賀を調べさせれば確かに、古田重然がそこにいる」
 佐助は風来坊の方に視線を走らせる。
 前田慶次は肯定するように、ニカッと笑った。
「それ以上はそう疑わないだろ。そもそもこの器が誰の手にも渡らず、誰にも気づかれなくったって、あちらさんには何の支障もないって寸法だ。たぶん、ほんのひと月かふた月、“重然殿”と呼ばれたその男が、加賀にいるとばれなければ――京にいないとばれなければ、それでいい」
「ちょっと待って、姫さん」
 咄嗟の言葉に竜姫がム、と唇とがらせた意味を察して、「政宗さん、」と言い直す。
「あんたの言うとおりだとするとつまりあれは」
 商人に変装した武将、に変装した商人。
「Ah,正確には、最後のは“商人”にはならないかもしれねえけどな。似たような辺りだ」
「なんだってそんな、ややこしい」
「ああ、ややこしい。普通なら簡単な解釈に騙されるか、気づきもしないか、その二択だったはずだろう。…そいつが出くわしたのが――サスケ、お前じゃなければ」
 竜のするどい眼にじぃっと見つめられ、佐助は問い返すようにパチパチとまばたきをくりかえした。すると竜姫はじれったいとばかりに、
「お前、こう言ったろ?」
『旅商って雰囲気じゃなかったし、大店の御隠居のお忍びでしょうかね』
「そこいらの人間ならまだしも、武田軍真田忍隊隊長、猿飛佐助がそう言うんだ」
 そいつは侍じゃない。ただの旅商でもない。本当の身分を、名を、忍んでいる。
 サァ、と風が吹きぬけた。
 佐助は姫君の、左だけのまっすぐな視線を受け止めて、ついつい上田の上司の顔を思い出してしまう。
――信頼は嬉しい、が、身に余るような気がすることもしばしばだ。
「俺様が黙ってるだけで、間者かも、とは思わなかったわけですか」
「お前、サスケ、いくらなんでも間者にもらったもんをおれに見せやしねえだろうが」
 竜姫はふたつめの茶碗を引き寄せる。
――なるほど、根拠がそちらだと言うなら。
「そりゃ、まあ。買いかぶり――とは言わないけど」
 間者ではない。侍ではない。身のこなしと体格。ただの商人だと言われればその方が佐助には納得のいく話だ。
――その、茶坊主の茶碗さえなければ。
 記憶をなぞりながら、商人の連れの顔まで思い出し、佐助は腕を組んだ。
「だとしたらあの人は、何の目的で、そんなややこしいことしてまで加賀に入りたかったんです?」
 目的か、と竜はつぶやく。
「そりゃあ――避難、だろうな」
「避難?」
「京から離れたかった――いや、離したかったんだろう。おそらく、本人の意思じゃない。誰かが忠告して、こんな形でそいつを京から遠ざけた」
 京で何かが起きるのだと、再三甦る竜姫の声。
「そんな風に逃がしてもらえる――町民が、どうして」
「言ったろ?この茶碗」
 武将の誉れともなる茶碗、その価値を決めることのできる男。
「武将じゃない、貴人でもない、だけど他の誰にも真似できない要職。古田重然じゃない、そいつは」
 京で第六天魔王の茶頭に任じられた。
「千宗易だろうさ」



「宗易殿は和泉国の商家の生まれだそうでな。サスケから話を聞いたときはまさかと思ったが――京が根城の風来坊も言うんだ、疑い得ない」
 忍びはのん気に茶をすする男をそっとうかがい、口元を拳で押さえた。
「ちょ…っと待ってください」
 急いで考えをめぐらせる。
「でも、まさか――
 京で何かが起こる、そんな予兆は忍隊の報せにもない。
 すぐには信じられず眉間にしわを寄せる佐助を見つめて、竜姫は静かに言う。
「なあ、サスケ。真田幸村はどうして――おれをどこぞの間者と取り違えた?」
「、それは…」
「おれの言葉もまあ、あるだろうがな」
 佐助の若い主は、ただの小姓のような竜姫を見て、
『どうも、変装していたようなのだ』
『男の姿などした娘がひとりでいるのも不審と思い、――
「人が、違う身分を装っているとすれば、必ず、理由がある。そう考えるのが自然だろう。むしろ今回のことを仕組んだやつの狙いもそこだ」
 嘘には、必ず理由がある。
 佐助が真田幸村に化けたのが、何のためだったのか、すぐに分かってしまったように――この竜姫には、佐助から聞いただけの旅人の、嘘の理由が、分かったのだろう。
「サスケに助けられたのが、本当に古田重然だったなら、たとえ商人のふりをしていても小さな理由で済んだかもな。だが、茶人のTopが秘密裏に動くってのはきな臭い」
「……なるほど、ね」
 佐助は空を見上げ、橙色の髪を掻きながら竜姫の手元の茶碗に目を移した。
――誰の目にも分かる予兆があったとしたら、その男はもっと公然と京から避難していたのだろう。
 この独眼竜の発想は――逆なのだ。
 京にいるはずの要人が、人目を忍んで加賀に移ったからこそ、京で何かが起きる。
 その“何か”は確かに、天を嘗め尽くす火の手を予感させた。
「この話は、」
 佐助の言葉を先回りして、Yes,と簡潔に竜姫はうなずく。
「信玄公にも伝えてかまわない。まあ、ほとんどおれの勘だけだがな」
 それから左眼だけの猫めいた視線を、ちらり、と佐助の隣にうつして、
「あとは、千宗易に京から抜け出すよう指示し手はずを整えたのが、誰かってことだが――
 加賀の風来坊は、いつの間にか佐助と竜姫に背を向けて、遠くの山の稜線なぞ眺めていた。
 肩の小猿に馬の尾のような髪を引っ張られ、「分かってる」と返す声。
「黙ってろって独眼竜は言ってくれたけど、結局のところこの件は織田軍の機密じゃない。そこまで予想できてるならかえって相談に乗ってもらいたいくらいだよ」
 京から避難する話を宗易に持ってきたのは。
 重たげに独眼竜の方へ向きなおり、息を吐き。
――竹中半兵衛って男だ」
 低めた声からはのん気な調子も消えている。
――竹中、と言えば。
 佐助も声をひそめた。
「最近織田軍と組んだって言う、豊臣軍の参謀かい?」
「ああ。豊臣の――
 秀吉の右腕さ。











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