「秀吉とは昔よくつるんで無茶してたんだ。今じゃ会う機会もなくて……魔王さんと組んだってのも、利から聞いて初めて知った。正直今の俺には、あいつらが何を考えてるのか分からない」
 フ、と日がかげった。
 涼やかな風を冷たく感じたか、小猿が慶次の懐に潜りこむ。
 なるほど、と佐助は忍びの頭で、豊臣の情報を素早く整理した。
「…確かに豊臣は得体の知れない新興勢力だ。魔王と張り合えるだけの軍事力をも擁している。と言っても力比べのこの御時世、天下をとる可能性のある国は他にもいる、が」
 織田の魔王がおさえている駒は軍備や当代一の茶人だけではない。京の守護――なによりそれが帝の勅旨ときている。
 竜姫もまた、眉をきゅっと寄せて考えるように唇をなぞった。
「豊臣にしてみりゃあすぐ隣の席だ。明け渡させて自分がその座につこうって魂胆か――?」
 慶次は佐助と独眼竜を見て、膝を進める。
「でも宗易の話じゃ、逃げ込む先を加賀にしたのも半兵衛だ。もしあいつらが京で魔王を討ち取ろうってんなら、それが利に知れるようなことはしないだろう?」
 昔の友達を疑いたくない、という本音が見える声だったが、そう的外れな指摘でもない。佐助は崩した膝で胡坐をかいた。
「念のため聞くけど、前田利家も一枚噛んでるってことは――
「ない」
「Okay,信じてやるよ」
 竜がほっそりとした肩をすくめる。
「本当のところ当の宗易も、利もまつ姉ちゃんも、半兵衛の真意が分からないってんで困ってる。客人を安全に匿うのはいいとして、秀吉や魔王さんにも書状で確認を求めてるところさ。俺は――第六天魔王が狙われるより、秀吉と組んで京を焼こうとしてるんじゃないか、それが心配だ」
「Han,なるほど…前田利家は魔王の残虐な行いに従わないこともあると聞くな。それなら加賀が蚊帳の外でもおかしくない、が」
 長いまつげを伏せて、竜姫はそのあでやかな顔とはちぐはぐな唸り声をあげた。
「Ah,no,いくら魔王でも、京を焼いたところでadvantageはねえなあ…」
「そっか」
 慶次はホッとしたように顔を上げて、いつもの笑顔を見せる。
 雲が通り過ぎ、日の光が緋毛氈をまぶしく染めた。
「独眼竜がそう言ってくれるなら少しは安心だ。魔王さんは黙って殺されるお人じゃないし」
「あんたが心配なのは家族と京の友人だけか」
「まさか」
 笑って手を振る慶次の懐から小猿が頭を出し、膝に飛び乗って同じように手を振ってみせる。
「京のみんなも、加賀のみんなも、独眼竜も無事でいてほしいよ」
「そいつは随分Happyな口説き文句だな、色男」
 立膝に頬杖をつく竜姫は、ハン、と斜に笑った。
 それもどこか気品を感じさせる愛らしいような姿から、佐助の方に目を移して、風来坊は、
「もちろん、佐助や幸村や謙信――友達みんな、さ」
 だからそう怖い顔をするなよ、と笑う。
――睨んだ覚えなどない。
 竜姫は佐助を見て一瞬きょとんと猫めいた目を見開いたが、慶次が立ち上がるのに視線を戻した。
「行くのか」
「ああ。話せるのも知ってるのもここまでだ。いつまでもいちゃ馬に蹴られるよ、俺」
「おれの馬なら心配いらねえけど――まあいい。無茶はするなよ、前田慶次」
 風来坊の名を呼ぶ竜の声は低くて優しい。この男が無事でいてほしい、と願う友人たちの中には、昔の友人も含まれているのだろう。それは佐助にも分かる。
――分かる、が。
 どうにも一々ひっかかる物言いをする男だ、と佐助はため息をついた。
「…ここでのこと、尾ひれつけて言いふらさないでくれよ?前田の旦那」
「尾ひれつけなくても見たまんまじゃないか」
 火のあるところに煙はたつってもんだ。
――この野郎。
 けろりと答える前田慶次につい立ち上がって、けれど拳は握るだけで我慢した佐助に。
 竜姫は座ったまま小首をかしげ。
 風来坊はにまっと笑う。
「邪魔したお詫びに、いいこと教えるよ」



 甲斐の信玄に配下を向け、佐助が帰り着いたころには上田城は夜も更けていた。
「…なるほど、京に異変の恐れあり、か」
 油皿のわずかな灯りで、周囲はとろりと墨を溶いたような暗闇に沈んでいる。
 幸村は床に横たわったまま顎をなでた。
「ややこしいことを考える御仁だな、その竹中という男は」
「本当にね」
「しかし、それを見抜きすでに対策を練り始めている独眼竜殿もまた見事」
 見事にややこしい。
 本当にね。
 奥州筆頭と話した内容は、幸村を投げ飛ばしたのがその姫君であるという事実は伏せた上で、報告し終えている。
「茶碗ひとつでそこまで分かるものなのだな」
「まあ、武芸一筋の旦那には無理かもね」
――抹茶は苦い」
 世の理を説くように、幸村は重々しくうなずいた。
「別に、茶の道の人は苦いの好きでやってるわけじゃないと思うけど」
 あの竜姫に関して言えば色んな方面に通じているので、何が好ましくて数寄の道に通じているのか佐助には分からない。
――まだ評価もされていない茶碗のことまで。
 ただ、風来坊はこう言っていた。
 宗易とともに加賀に入った付人は、奥州に招かれた弟子の供をも務めたそうだ。
 独眼竜は、少し話に上っただけの古田重然に突然たいそう興味を持って、根掘り葉掘り聞かれたという。美濃で焼かれる茶碗の話もそこで出たのだろう。
『古田重然はね、茶人の間で通称を――左介』
 サスケ、と呼ばれてるんだってさ。
「佐助」
「はい」
 幸村がじっと黒い眼で見上げてくる。
「機嫌がいいな」
「気のせいじゃない?」
 ではこのあんころもちは何だというのだ、と幸村は枕もとの小皿と忍びの顔を交互に目で示した。
「前田の奥方からだよ。風来坊の手土産」
「それは知っている。今朝方、慶次殿が来て置いていかれたのだ」
「あ、俺様の行き先情報それで売られたんだ」
「俺はお前の行き先が奥州だなどとは言わなかったぞ」
「まあ何でもいいよ。毒見すんでるし食べたら?」
 小姓が用意していった茶をそそいでやれば、「やはり上機嫌ではないか…」と幸村は胡乱なものに向ける目で佐助を見る。
「それより、お館様にそのことは?」
「もちろん。直接行ってまいりましたよ」
 竜姫と風来坊と三人で推察したことを含めた報告に、お館様からの返答はまたしても、「幸村にありのままを告げること」であった。
――武田の大将なりに、この若虎に期待しているのだろう。
「京で変異があった際は、魔王が火をつける方でもつけられる方でもこちらには好機だ。かねてからの約定どおり、奥州と甲斐とで一気に織田を叩く。まずは川中島への援軍と称して、伊達軍が武田の大将と合流する手はずになるだろうね」
「うむ!一刻も早く、それがしも傷を癒さねば…!」
 仰向けに寝転んだまま拳を強く握る、幸村の目の炎に、佐助は水をそそぐように頭をかく。
「いや、ゆっくりで大丈夫よ?」
「何を言うか!」
 ぐりんと勢いよく顔を向けるのに、どうどうと馬をいさめるように両手を掲げた。
「いや、それがさ、肝心の豊臣軍がしばらく京にいないんだわ」
「なに?」
「織田との協定でね、豊臣は安芸の毛利と四国の長曾我部を攻めることになってる。当然参謀の竹中半兵衛も同行して――もう全軍、備前に着いてるんだ、これが」
 元より忍隊の調査でわかっていたことで、竜姫の方でもこの情報はつかんでいたらしい。
 まずは毛利と長曾我部を平定し、織田には味方と見せ領土を広げた上で追い落とす。早くてそのあたりであろう、と佐助は予想した。
「だから真田の旦那は、焦らずまずしっかり養生して腰を治すこと!まあ若いし大丈夫だろうけど――
「しかし」
「癖になると怖いからね」
「しかしな、佐助、」
 食い下がる幸村の声に、油皿の炎がボウ、と一瞬大きくなる。
「魔王を討ち取るのが豊臣とは限らぬのではないか?」



「…は?」
「織田軍はその非道な戦で各地の恨みをかっているだろう。軍を与えてそそのかせば豊臣の意のままに動くやもしれぬ。何より――豊臣が直々に、織田を討ちとってしまったら、その千宗易とかいう茶人を言いくるめた意味がない」
 直々に、という言葉に幸村は重い響きを持たせた。
「どういうことだい、旦那」
 姿勢を正してのぞきこむ佐助ではなく、庭の夜闇の方に目を向けたまま、黒い眼は考えを織っているようだ。
「単純に織田を討てば、豊臣は仮にも同盟を結んだ相手を騙まし討ちにしただけ――忠義の武士ではないと言え、いや武力を持たぬからこそ、そんな相手にその茶人は憂いなく仕えるだろうか?加賀に避難する旅路さえそれだけ念のいった工作をした、独眼竜殿の推測が真であるとするなら、魔王を排除するにももう少しややこしい手を使いそうなものだ」
 例えば、織田を別の武将に討ち取らせ、織田の盟友としてその武将を討ち果たす。
 炎が夜風に揺れた。
「正当に仇をとったとなれば、織田の後釜として京の守護にもつきやすかろう。魔王の妹御が嫁いだ浅井、残った配下の明智、前田、同盟相手の松永、徳川の軍をも併合し得るやもしれん」
 そう結び仰向けのまま腕を組む。
 佐助は、声もなかった。
――真田の旦那の言葉には、一理ある。
 織り上げられた絵は確かに、複雑な隠れ蓑を茶人に着せた、あの竹中半兵衛という男の描きそうな図ではあった。
「だとすればむしろ――豊臣とはさも関わりのない形で、京に火の手があがるのが望ましいってわけか」
「と、それがしは思う」
 豊臣が遠征中だからと言って、事が起こらないとは限らない。
(いや、でも、待て待て)
「ひとつ反論しても?」
「うむ」
「まず、魔王に恨みを持つ武将ってのが、ない」
 佐助を見上げるまっすぐな目の、眉が疑問に跳ね上がった。
「織田軍が非道なやり方をしてるってのは旦那の言うとおり。ただあれは、敵を根絶やしにして焼き尽くすって戦法だ。――魔王を仇と恨んでる武将はあの世にしかいない。義憤を持つ武将は数多いるだろうけどね」
「…ふむ」
「魔王許すまじ、の大義名分で立ち上がった武将を豊臣が敵としたら、また話が変わってきちゃうだろ?」
「ううむ」
 組んだ腕から右手をあげ、顎をなでながら幸村は唸った。
「大義でなく魔王を討つ者がいなければ、ならぬわけか」
「そういうこと」
 素直にうなずく幸村を見下ろし、佐助は心の中で息をつく。
――ため息ではない、感心したのだ。
「まあ、油断してちゃいけないってのは分かったよ。豊臣は得体が知れない。お館様にも旦那の言葉は伝えなくちゃね」
「む。それがしの考えなど伝えずとも、お館様なら――!」
 信玄公のことを言っただけでカッと見開かれた目に、手のひらを見せて「うんうん」と適当になだめる。
「そこまでお見通し、かもしれないけど、一応さ」
――幸村がこれだけ考えていると知れば、大将もさぞ喜ぶだろう。
「まったく旦那も一端の智将みたいなこと言っちゃって」
 うっかりぽろりと出た言葉は、ほとんど母鳥のそれだ。
 だが幸村は気に留めた風もなく、生真面目にうなずく。
「独眼竜殿には負けておれぬからな」
「は」
 思わぬところで姫君の名前が出た。
「お館様が高く評価しておられる伊達殿だ、川中島以外の戦となればいよいよあい見えることもあろう――今から楽しみでならぬ」
――こちらは会わせるのが怖くてならない。
 佐助は笑顔をはりつけたまま、心中こめかみを押さえた。
――戦になれば顔をあわせずにいるのは無理な話。だとしても、できればあの時の青い袴姿が竜姫だとは、気づかずに済んでほしいものだ。
 しかし幸村の硬く握った拳は「楽しみ」が「腕試し」であることをありありと示していた。
(いずれ分かること、か)
 大騒ぎになるだろうと思えば頭が痛い。隠していたのがばれるに違いないのには胃が痛い。珍しくも美しい宝物を、あの茶碗のように隠し持ってはいられない、当たり前の事実に、息を吐く辺りがわずかに痛い。
 けれど、名品だからこそ。
『風にさらしてやってくれ』
 そう茶人は言ったのだろうと、竜姫は笑った。
――その笑みも。秘密を暴露した風来坊に鉄拳を食らわせた、あの赤い顔も。屏風に隠れていたさえ姿も。
 頑丈な箱に入っているようで、どこまでも型に囚われず風の中にいるような独眼竜だから。
――…だから、と思ってしまうのは自分なのだから仕方ない。
「まあ、旦那とお姫さんが会う日も近いだろうけど」
 頼むからいきなりつかみかかったりしないでね。
「何を言う佐助!この真田幸村、同盟相手にそのような非礼を働いたりはせぬ」
「…その言葉覚えといてくれよ」
「無論だ。お館様の顔に泥を塗るような真似などした日には、この腹斬って――
「その言葉は忘れて!」





 数日後、幸村と同じ懸念を抱いてか、独眼竜率いる奥州伊達軍は早々と甲斐に合流した。
 上田城の幸村が打ち身を完治させたのもその日のこと。
――その夜起きた事件が京の配下から知らされるのは、翌朝のこととなる。
 第六天魔王・織田信長の逗留する寺にて変あり。
 首級は上げられぬまま――魔王は炎の中に焼失した。

 京、本能寺。

 臣下の明智光秀による謀反であったという。











   了

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