(…かくれんぼ?)
 それにしては、きっかり半分隠れた姿は中途半端だ。
 庭に近い竜姫と、部屋の線を越えずにいる佐助の間、これもちょうど半分ほどの場所で、茶椀と菓子が盆にのっている。
 佐助は――ともあれ、部屋に入る前に、額を床につけた。
 紅い鉢巻が紅い背をすべる。
「御免仕る、伊達政宗殿。先日の非礼の段、まずはお詫び申しあげたい」
 顔を上げれば、竜姫は屏風の端を握りしめて、丸くしたままの目をわずかに潤ませているように見えた。
 城にいるときは対人恐怖症の気さえある独眼竜だ。
――自分が化けた、真田幸村の姿に怯えているのだとすれば、無理もない。
 小刻みに震える竜姫の指が、屏風の枠にビキ、と不穏な音を立てさせる。
 佐助は幸村の顔で、紅い陣羽織の背を伸ばし、
「大変、その、何と言うか――
 紅い防具に包まれた指を額の鉢巻にかけて、ぐい、と頭から剥ぎ取った。
「…悪ふざけが過ぎました」
 鉢巻が床に落ちるわずかな間に、甲斐の若い武将の姿は、柿色の頭の、葉陰色の装束の、猿飛佐助の姿に戻る。
 竜の独眼の、長いまつげが一瞬震えて。
 ぴりぴりと空気中を走っていた電流のような気配が、ふっと四散した。
 わるふざけ、と、竜姫が小さくつぶやく。
「あの日は――ちょっとうちの旦那の雰囲気を知っていただこうと思いまして」
 怒ってますよね?
 半分しか姿を見せていない竜姫を見つめて言えば、姫君は戸惑ったように目を伏せてしまう。
「私、…」
――怒るのが当然だろう、と思う。
 不幸な勘違いが重なったとは言え、この奥州を束ねる姫君が間者まがいの扱いを受け、あわや背からつかみかかられたのだから。
――そして、その怒りはすべて自分がかぶるべきなのだ。
 そう考え、誤解は誤解のままにしようと佐助は腹を決めてきた。事実、佐助の変化した姿は双子もかくやと言われるほどに、武田の若虎そのままだ。非礼を働いたのは、真田幸村に化けた猿飛佐助。その方がまだマシだと。
――けれど、傷つけたのなら、その方が辛い。
 勝手な理屈だ。今もこうして、武田との関係を保つために謀ろうというのだから。
 竜姫は伏せた目を、ふわりと上げた。
 光を乗せているのは、初夏の日差しのせいばかりではない。水の膜が張っているからだ。
「今日は、半分だけお会いしようと思うんです」
「え?」
 罪悪感と、半分は見とれていたせいで、一瞬何を言われたか分からなかった。
「前のような失礼はないように、と誓っていたのにあんなことをしてしまいました。どんなに怖くても半分はお会いしないわけには参りません」
 前の、と言うのは少し前、初めて姫君と外に出たときに――鳩尾を強かに殴られた時のことだろう。あれは死ぬかと思った。どちらかと言えばこちらが怯えてしかるべきだ。
 しかし佐助はパタパタと手を振って見せる。
「あんなのはいいんですよ、痛くも痒くもありません」
 何しろ投げられたのは幸村だ。
「そんなことより、問題は残りの半分のほうです。お姫さまがしたことじゃなくて、されたことのほうです」
 お詫びをさせてください、と佐助は立ち上がる。
 竜姫がびくりと震えたのもかまわずに、縁を越え、茶菓子の乗った盆を素通りし、屏風の前にひざまずく。
 夏の光が姫君を後ろから照らしていた。
 薄墨色の袴に銀の線が浅葉模様を描く小袖、内掛けのきりりと濃い藍色が涼しげに、華奢な肩から流れ落ちる。金色に透けるような黒髪と、白い淡雪のような肌。目元の透けて映したような赤み。猫のような切れ長の左目を、星が瞬くように、可憐に数回、瞬かせて。
――これが見納めかもしれないと思うと、考えてきたより胸に堪えた。




 きゅ、と形のいい唇をかんで、竜姫は小さく首を振る。
「お詫びなんていいんです。私の方こそ……あんまり他人行儀ななさりようだったから、つい、我慢できなくて」
 ひどく恥ずかしげに縮こまって、けれど“半分”の言葉どおり、律儀にそれ以上は隠れようとしない。
「今日、私が殺されたら…」
 ドキリとするようなきれいな目で、ドキリとするようなことを言う。
「犯人は私です。――動機は“自己嫌悪”」
「何を言い出すんです」
 佐助はつい、笑ってしまった。
 すると竜姫もつられたように、くすっと微笑む。自分でも意識していなかったのだろう、目をわずかに見開いて、笑みをもらした口元を両手の指で押さえて、それからもういちど佐助を見ると――ほう、と緊張の糸が解けたように、微笑んだ。
 かしこまっているのがよくなかったのか、いつものように佐助はへらへらしている方が、姫君も安心するようだった。
「どうか、残りの半分も出てきてくれませんか。…まだ、怖い?」
 佐助が差し出す手に、No,と小さくつぶやいて、
「いいえ」
 姫君は首を振る。
 指のとがった無粋な忍びの防具に、たおやかな白い手を乗せて、楚々とした足取りで盆のそばに場所を変えた。
「冷めてしまいましたね」
 三口で消える抹茶は温められた茶碗の中、けれど泡も消えかけている。
 点てなおしましょう、と下げようとするのを奪って、佐助は一息に飲んでしまった。無粋は承知の上、もとより食い物は食い物でしかない忍びの佐助ではあるが、姫君のお手前である。「けっこうな――」と決まり文句で笑えば、竜姫もクスクスと笑って咎めなかった。元より期待もされていないのだろう。そこで提案があった。
「野点の約束の日の前に、お茶の点てかたを聞きかじってきたんですけど、」
「まあ」
「お詫びになれば――
 約束の、もらいものの茶碗も懐から取り出した。
 包み紙を開いて、袱紗で軽く拭う。
「それが、件の椀ですの」
 黒と白の、しとりとした触り心地の茶碗。まずは、竜姫に手渡した。
 姫君は両手で受け取ると、そっと左手に糸口を乗せ、右手で柔らかく受け止めるように茶碗を回す。
「どうです?華南三彩とかいうのに似てますかね?」
「だいぶarrangeされてるみたいです。……これでお茶を点てたら、きっと緑が映えますわ」
 じっと見入って、ほうとため息をつく様子に、そう悪い品ではないらしいと佐助は納得した。
「信玄公も、何かおっしゃっていませんでしたか?」
「武田の大将が?」
 突然出てきた名前に、佐助は首をかしげた。
――茶碗についてはあれ以来触れられていない。だが、これを自分にくれた商人は――
『近頃、加賀に出入りする間者が増えておるそうだ』
「加賀に入った、上方からの商人についてです」
 信玄の声を思い出すと同時に竜姫がそう口にしたものだから、佐助は目を丸くした。
「政宗さん、それって――
「猿飛様が助けたその方が、もし本当に私の思うとおりなら」
 近々、京で、何かが起こるでしょう。
 隻眼の瞳があまりに静かで、それだけその言葉には、背筋をひやりとさせるものがあった。
 ふわり、と庭から風が吹き込んだ。
 猿飛様、と、もう一度呼んで、竜姫はそっと茶碗を置く。
「せっかく点てていただけるなら、――野点に参りませんか」



 てん茶を粉の抹茶にし、茶筅で点てる。それが様式化して武将たちに好まれるようになったのがいつごろからだったか、佐助はあまり詳しくない。
 ただ、目の前で湯を沸かしその場で点ててもてなすというのは、毒殺には向いていない状況だ。互いに信を置いているという証にも思われるかもしれない。
 ひと口に茶碗と言っても、名品であれば武将の名誉ともなるのだから忍びの佐助には不思議な話だ。かの梟勇松永久秀は唐物の名品のため、金を積み部下の命も上乗せした――忍隊の報告によればそんな噂もあながち尾ひればかりではない。侘数寄なる作法があって、京ではその道の人物がかの第六天魔王の元、茶頭に任じられているという。
「Ah,そうだな、おれも魔王もそいつの弟子ってことになるわけだ」
「変な話」
「悪くねェ話だろ」
 緋毛氈の上にどっかと座って、竜姫は――真っ青な陣羽織で城を出た独眼竜は、ニイと笑った。
 ぴたりと防具で覆われた脚を立てているものだから、細い美しい太腿の線が日の光にさらされて、目のやり場にまったく困る。どうしたものかと思いつつ、どうしたもそうしたも佐助は手元の茶碗に目を落とすしかない。
 黒と白とをくるりと回し、正面と思しき方を独眼竜に向けた。
 さすがに兜は置いているものの、青い陣羽織の竜姫に、腕からの防具と鉢金を外しただけの佐助のふたり組み。
 緋毛氈の上で、美しい茶道具を家紋入りの箱から広げて、世にも奇妙なおままごとである。
 竜姫だけなら鄙にも稀な華人とさえ評される数寄者、だがその青い戦装束がそういう場に相応しいかと言われれば、佐助は首を傾げるしかない。
 即席の釜から立ち上る湯気は風下に、緋毛氈を照らす日差しは強いが、青いもみじの木陰には涼やかな風が吹く。
 茶碗の前に脚をそろえて座りなおせば、細い腰から竜の尾のように陣羽織のすそが広がった。
――相応しいかどうかはともかく。
 風にさらした髪を耳にかきあげて笑う、独眼竜の姫は、とにかくきれいだ。
 佐助の茶碗に唇をつけて、ひとくち。
「けっこうなお手前で」
「おそれいります」
「いや、マジうまいぜ?」
 と、美味いのか上手いのか分からぬ斜な口調で、竜姫は懐紙の上の木苺をつまんだ。毎度毎度ご馳走になっているからと、木苺は佐助が採ってきたものだ。
――しかしまさか茶菓子にされるとは思っていなかった。
「政宗さんがやってるのの真似だからね」
 数寄というのはよく分からないが、略式でも形から入るのは忍びの得意どころである。
「なに言ってやがる。これでお前も京の茶坊主に弟子入りだ」
 まさか、と笑って手をふる佐助をよそに、独眼竜はクツクツと楽しげに笑った。
 鄙の華人などと聞けば、今のこの竜姫なら「誰が田舎者だって?」くらいのことは言いそうだ。けれどやはり『華人』の評は伊達ではない――と、どこに目をつけてか信玄公も唸っていたものだ。
 茶に、歌に、踊りに、その道の人間であれば、奥州の城に招かれることは珍しくないと聞く。独眼竜が姫君であるという事実は東方では公然の秘密だが、城の中でのあの姫をして奥州筆頭と信じた者がいただろうか。その辺りをどう切り抜けていたのか、以前聞いたときは「Secret」の異国語と、秘めるように唇に指を当てる仕草、伏せたまつげの下からしとりと流れる視線で、ものの見事に誤魔化された佐助である。



 ともあれ、当世の武人らしく京に惹かれ上洛を目指すのは信玄公ばかりではない。
 すでに勅旨を得て京の守護についた第六天魔王などは、群雄割拠するこの乱世で頭ひとつ抜きん出ていると言えよう。
――その京で、何かが起こると、竜姫は言っていた。
 川の流れを眺めるひとつ目は、城を出る前に口にしたことなど忘れているかのように穏やかだ。
 この時間が続けばいいと、浮かんだ思いはあまりに現実味がなくて、佐助はすぐに打ち消した。
 ただ、深く静かに息を吸って、日の光と風にさらされた竜を見つめた。
「サスケ」
 唇が柔らかく、忍びを呼ぶ。
 外での、この竜姫だから、『猿飛様』ではない。
「詫びたいことがある」
 キッと突然、見据えられて、佐助は「は?」と間抜けな返事をした。
 詫びる。
 佐助の方が詫びを入れさせてもらっているこの場面で、竜姫が詫びるようなことがあるだろうか。
 首をかしげる忍びを睨むように見据えて、竜姫は「その、なんだ、あの日」と口ごもっている。
 あの日というのは当然、先日の約束の日のことだろう。
「あの日は――もちろん、あんたとTea partyに興じるだけのつもりだった。なんだが、事が事だし、加賀の人間に確認をとらなきゃならんと思ってな。だから――
 あいつにあの日、ここでサスケと会うって、おれが言っちまったんだ。
 苦渋を舐める顔で、指差す――その先を見て。
(ぎゃあ)
 と、佐助は内心悲鳴を上げた。
 下流のほうから近づいてくる、馬。
 馬の上の人物は、黄金の陣羽織、梅鍔の大刀、高く結い上げた髪に羽をさして、小猿が乗った肩の反対の腕を、ふたりに向かって大きく振っている。
 加賀の風来坊、前田利家の甥、前田慶次。
 佐助にとってはろくな思い出がない――特に今は、竜姫を抱えて回れ右してでも会いたくない人物だった。
「Hey,サスケ」
 ちょっと落ち着け。
「……ッ、」
 独眼竜の冷静な声に、すでに両腕で彼女を抱えている自分に気づき、佐助はギシリと固まる。
「お!見せつけてくれるねえっ」
 嬉しそうな声と、キキ!と揶揄するような小猿の鳴き声が背後からさらに追い討ちをかけた。
 ここまで来て――と言うより、来られて、今更逃げ出すわけにも行くまい。
 佐助はため息をつき竜姫を緋毛氈に下ろすと、余計なことは言ってくれるなよとばかり、前田慶次をじとりと睨んだ。
 慶次は馬から下り立ち、相も変らず子どもがそのまま大きくなったような笑顔で「邪魔するよ」と片手をあげる。
「自覚があるなら帰ってくれてもいいんだぜ?」
「ご挨拶だなあ」
 佐助の刺々しい物言いに、おっかないものを見たと言わんばかりに慶次は目を丸くした。それから、竜姫に顔を向けて、
「この前は悪かったな」
 さっそく詫びたのは、幸村をけしかけた件だろう。
 佐助が口を挟むより早く、竜姫は、
「ああ。あんたのせいで大恥かいた」











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