「旦那」
「なんだ」
「お茶が濃くなっちゃったからいれなおそうか。お煎餅いる?」
 急に甲斐甲斐しくなった佐助を幸村は胡乱なものでも見る目で眺め、
「動いておらぬうちから食う気はせぬ。茶は濃いほうがいい」
「そっかー。でさ、その娘さんなんだけどね」
「うむ」
「変装って、男装だったってこと?」
「む?もう言ったか?確かに男装の娘で、右目も刀のつばで出来た勇ましい眼帯で覆っていた」
 幸村が頷くのを横目で見ながら、佐助は内心こめかみを押さえた。
――男装で、隻眼で、さらに幸村を投げ飛ばせる女子が世の中にそうそういるとは思えない。
 しかもそれが昨日の今日。珍しく竜姫が城の外に出ていた、ちょうどその日だ。約束をすっぽかされて怒る竜の雷が、他の誰かに落とされたという可能性はおおいにある。
「そもそも旦那方、どこまで行ったの?」
 さて…と幸村は顎をひねった。
「慶次殿に散々連れまわされてな。武人としての心得を論じながら歩いたのだが、あの方の考えは斬新過ぎて意見があわなかったのだ。夜のうちは動かなかったが、明けとともにまた動き出し、山から丘に出て」
 考える様子で身を起こし、わずかにうなってから、佐助が渡した茶をすする。
『幸村、あの子に申し込んでみな』
 と、慶次が指したのは、小川の辺りで馬に水を飲ませる若者であった。
 突然勝負を申し込むいわれはない、と幸村は首を振ったのだが慶次は、
『腕試し腕試し!ついでにここがどこか聞いてきてよ』
――全部分かっててやったんじゃないのか、あの風来坊。
 幸村は道に迷ったのだと言っていたが、独眼竜がそのふたつ名にふさわしい腕前の、それも月のごとく美しい姫であるとは先刻承知の前田慶次だ。女にうとい幸村をおもしろがって、わざと奥州境に導いたとしても不思議ではない。
――それにしても、腕試し、とは。
「すっごく、噛み合わなかったでしょう、風来坊との話」
「うむ」
 大方幸村が武人と勝負の話をする一方で、慶次は女と恋の話をしていたに違いない。たやすく想像できる。
『あれは小姓か何かではないか、慶次殿――
『何言ってんだよ、小姓じゃなくてありゃ女の子!』
『女子…っ…であったか…』
 なおさら腕試しの相手になりませぬぞ!と騒ぐ幸村を、慶次は『いいからいいから』と押し出したらしい。――なにがいいものか。
「ともあれ、男の姿などした娘がひとりでいるのも不審と思い、近づいてみたのだ」
「あの格好で?」
 真田幸村と言えばこれ、と知れ渡っている、紅い具足と六文銭を背中に負った紅い陣羽織、真紅の鉢巻である。
「ああ」
――そちらの方がよほど不審だ。
「相手は青い袴に、前髪で目元を隠していたのだがな。片目しか見えず――だが、」
 只者ではない、と幸村は思った。慶次が“腕試し”と言うだけのことはある、と。
「しかも、その女子は某を見ると」
『Ah,…早いじゃないか』
 驚いたように瞬きしてつぶやき、それからニイと笑って、
『真田幸村、だろ?』



――きっと、『よく化けたなぁ』と思ったに違いない。
 佐助が化けたのでなければどうして伊達領の、約束の場所に、ひょっこりと具足完備の真田幸村が現れるのだ。
 事実、現われてしまったわけではあるが。
「腹でも痛いか、佐助」
「何でもない、何でもない」
「そうか」
 幸村はその若者と向き合い、『いかにも』としかめつらしく答えた。答えながら、まるで自分がここに来ることがあらかじめ決まっていたかのようなその反応を、いぶかしく思った。
 若者は――若者の姿をした娘は、うんうんと頷き、手をさしだす。
『とりあえずあれ、見せてみろ』
『あれ、とは…?』
 面食らって首をかしげると、相手は唇を尖らせた。女子だと慶次は言っていたが、その背はちょうど幸村と同じほどだ。
『例の商人にもらったやつだよ、持ってきてんだろ?』
 顔を近づけて声を潜める。近くで見ると、どきりとするほど強い眼差しだ。
『例の商人…』
 幸村は直感した。
 これは先日お館さまの文にあった、怪しげな商人の怪しげな荷のことではあるまいか?
 何やら自分は、いや前田慶次の勘が、その取引現場を押さえたのだ。
「それはどうかなあ…」
「しかも許しがたいことに、本来そこにくるはずだった奴はこの俺の名を騙っていたのだ。間が悪く本物が登場するとは夢にも思わなかったに違いない」
「そうだね、夢にも思わなかったね」
「そこで俺はお館さまの訓辞を思い出し、焦らず騒がず、話を合わせることにした。林のごとく静かに、山のように動かず」
『生憎、あれはここには持ってきていない』
『Why?』
 幸村は相手の怪訝そうな顔色を読み取った。
 視線をそらすと、ちょうどそこに、古城が見える。
『それに、受け渡すのはやはり、もう少し上の者でなければ』
『上って、』
『分かるであろう?』
「旦那のくせに小賢しい」
「そう言っておけば相手が勝手に勘違いしてくれる、と言ったのはお前ではないか。俺とてお館さまに上田を任される身だ。しかし話しながら距離をつめたつもりだったが、あっさりと間合いを外されて――
『お前、おれをからかってるのか』
 ひやりとするほど静かな声に、しまった、と思い幸村は首を振った。
『決してそのようなつもりは』
 あくまでも慎重に答えたつもりだ。
 すると、光で金色めいた片目が細まって、泣き出す寸前の子どものような顔になった。幸村には想定外の反応である。もっとこう、切りかかってくるとか、逃げようとするとか、できれば前者の方がありがたい。
 戸惑ううちに目はそらされた。
『もういい!』
 そして娘はくるりときびすを返し、
「駆け出そうとしたので、後ろから、こうぎゅっと――
「抱きしめたの!?」
 幸村は佐助を睥睨した。
「…羽交い絞めにしたのだ」



「正確には、しようとしたのだがな。とらえたと思った瞬間、薄藍の袖がするりと風のように舞って、フッと上体が沈み――
 サア――と景色が滑り落ち、気づけば青い空が目いっぱいに広がっていたのだそうだ。
 幸村は呆然とした。
 背中をしたたか打った痛みに呻いたのは、逆さまの山に焦点が合ってからだ。
 山と山の間、崖の際にひょろりと生えているのは松だろう。上田の周りでは見慣れない雰囲気で、やけに寒々しく肌が震えた。
 場違いに穏やかな風が吹いて、沢のせせらぎが足元から聞こえる。
 幸村とは正反対の青が、裾を翻して駆けていく――
「あれはただものではなかった…」
 捨て台詞は、
『Goddem,またやっちまった』
 だったそうだ。
「そう、だねえ」
 曖昧に答えながらその情景を思い浮かべる佐助を尻目に、幸村は上体を起こし、じっと両手を見つめている。
「確かに、つかまえたと思ったのだ。温かい細い、何か不思議なものがこの両手に入ったような――そんな感覚が未だ残っているのだが」
 その両手の内側に佐助は手を伸ばして、パタパタとはたくまねをした。
「何だ」
「そんな感覚、残しといたってしょうがないじゃない」
「そうだな、口惜しいだけだからな」
「うん、口惜しい。とんでもないことだ」
 一言もない、と幸村はうなだれる。
 佐助は首筋に手を当て、大きく息をついた。ため息のつもりではなく、思考をまとめようと、息を整える。
――これは、想定以上に厄介なことになった。
「しかし…」
 うなだれていた幸村がすっと顔を上げ、庭のほうを見た。
「後ろ暗いところのある者にしては、恐ろしいほどに――
 きれいな目をした御仁であった。



――冗談じゃないぜ、おい。
 ため息をついたのは奥州の城門の前だ。
 一介の忍びが奥州王を愚弄したとしたらそれは大問題だが、あくまで一介の忍びが切って捨てられるに過ぎない。
――だが、甲斐の国で信玄公が跡目とも目される武将が、奥州王と諍いを起こしたなら。
 ギギ、と、通用門が開いた。
 立っていたのは伝達の兵でなく、茶表藍裏の長い陣羽織、端正な顔に厳しい表情をのせた――奥州が参謀、片倉小十郎景綱だ。
「…お目通りかないますか」
 この場で首に刃が飛んできてもおかしくない、と内心身構えながら問えば片倉は、
「部屋でお待ちだ」
 と答え、佐助の柿のような橙頭からつま先まで、ジロジロと見回した。
 居心地の悪さに佐助はへらりと苦笑する。
「あの、何か」
「いや…政宗様がどういうわけか予定より早く帰っていらっしゃって、何もお話くださらねえもんでな」
 納得いかぬような顔で顎をなで、
「あんたが何かしたんなら、無事でいられるはずはないんだが」
 いや失礼した、と竜姫の守役は軽く頭を下げた。
 いえいえそんな、と佐助も手を振る。
 実際“何かした”方は、未だ上田城の床にくくりつけられているのだった。
「政宗様。甲斐の国より真田隊隊長、猿飛佐助殿がおいでです」
 次の間に通されて、襖を開けず小十郎の声がそう伝える。
 そう。
 と、戸の向こうから声が響いた。
「少し、お待ちいただいて。小十郎は下がってちょうだい」
 涼やかな声に「しかし…」と守役は言いよどむが、ちらりと佐助を見ると、一礼して離れた。
 いつも庭や天井裏から非公式に入ってしまうので、この部屋に座るのは佐助も落ち着かない。明らかに先日何かあったのだと、守役も察していただろう。
 佐助は小さく印を結んだ。
 百ほど数えたころに、咳払いする気配があった。
 どうぞ。と、声はいつもより遠い。
「失礼、」
 佐助は戸を引いた。
 目を瞬かせた。
 縁に近い場所、庭の光を背に、竜姫は――屏風に体の右半分を隠して、ひとつきりの左目をぱちくりと丸くしている。











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