独眼竜のお茶の会








 ずんだ餅を一口に頬張った。
 鮮やかな緑の豆の、素朴な甘みが佐助の口に広がる。
 忍びの身にはあまり縁のない甘さ。
 それがまたえもいわれぬ味に思えるのは、目の前の御人が手ずから豆を砕いたという、代えがたい事実のためである。
「まあ、それでは包みには焼き物が…」
 少しかすれた声が、耳にも甘く響いた。
 庭を背に座しているのは、この城の姫君だ。
 伊達藤次郎政宗。
 奥羽に名高い伊達家の一の姫にして当主、男名に≪独眼竜≫の二つ名まで背負い、なんと自ら戦場に出て奥州を束ねる北の覇者である。
 唇は花びらの薄紅。凛々しい切れ長の目の、理知に輝く瞳は左だけで、右側は眼帯と茶色がかった黒髪が隠す。その御髪は長いところも肩にかかるほどで、さっぱりと短い。
 今日は涼しげな露草色の内掛けを肩から流し、細い腰に男物の帯を締めている。
 この姫の殿としての装いは、ちぐはぐなようで奇妙に美しい。
「そうなんですよ。焼き物と言っても魚の焼いたのならありがたいけど、茶碗ですからね」
 佐助の方は年中変わらぬ、木の葉の影に似た緑まだらの忍び装束。その肩を軽くすくめると、姫君はくすくすと笑う。
 夏にさしかかろうという奥州青葉城の、奥の一部屋である。
 武田軍が真田忍隊を率いる長、猿飛佐助が忍んでくるに、その実力を立派に示せる場所だ。
――けれどそれが屋根裏ならばともかく、香がふくよかに焚かれた書院の畳の上なのだから、話はまるで違ってくる。
「猿飛様は、抹茶と菓子より焼き魚や焼餅の方がお好きでしょうか?」
 何よりその部屋の主にずんだ餅と手ずからたてた抹茶でもてなされてしまっては、忍んできたとはとても言いがたい。
 甲斐と奥州は目下、同盟を結んでいる。
 そして佐助は縁あってこの奥州の覇者に、訪ねるたびにご馳走になったりしているのであった。
「中身が入った茶碗なら嬉しいですよ」
 あるいはこうして食い気ばかり見せているから、餌付けした猿のように侮られているのだろうか。
 そうではない、と佐助は思う。
 ひとつきりの左目はすべて見透かすように透明だ。その目がいつも、佐助の実力と、その後ろにある武田軍の意思を正確に計って見通している。そんな気がした。
 姫君は独眼竜と外で呼ばれる人とは思えないたおやかさで、そっと茶器の細かい文様をなでる。
「上方からの旅人、でしたね」
 佐助は頬をかいた。
 話していたのは先ごろ、山奥で助けた男のことである。薬売りの変装で歩いていた佐助が谷から救い上げ、手当てをしてやった。
「確かに京から来た商人って言ってましたよ。加賀に向かう商いにしちゃ荷物が少ないなと思ったんですが、お連れさんが後で見つかって――重然殿、と呼ばれてました」
「重然殿…ですか」
「ええ。旅商って雰囲気じゃなかったし、大店の御隠居のお忍びでしょうかね」
 姫君は佐助の言葉一つ一つを飲み込むようにうなずいている。
「茶碗は商い物じゃなくて、近頃美濃の釜で試しに焼いたとか…確か、華南…」
「華南三彩?」
「そう、それを元に考えて焼かれた茶碗だそうです。何かこういう繊細な感じじゃなくて、黒白で――良いものなのかは分かりませんでしたけど」
――この姫のことを思い出した。
 何故、と聞かれても困る。茶碗のことなど分からないし、風雅を解する心もないつもりの佐助である。
 ただその大胆に手でぐいと曲げたようなような形、奥深い黒とやわらかい白に塗り分けられた色が、奥州の竜姫を連想させたのだ。
「風にさらして使ってやってくれと言われましたから、そう高価なものではないんでしょうね」
 あなたを思い出しました、とは言わない。言葉にすれば気障なようだし、うまく説明する自信もない。
 姫君は、短い髪を揺らして首をかしげ、考え込んでいる。
「そのお話、信玄公には――
 佐助は頷いた。
「三日前のことです、その日のうちに報告しましたよ。その茶碗で一つたぎるような茶をたててやろう!なんて怖いこと仰るから、逃げました」
「まあ」
 姫君はふわり、と笑う。月並みだが、花がほころぶみたいだ、と佐助は思う。
 夏はすぐそこだが、奥州の風はまだしばらく涼しい。春の花がすっかり終わって、沙羅の花や濃い緑が美しいころになっていた。
 庭を見やりながら、姫君が静かに言った。
「猿飛様。よろしければその茶器、私にも見せていただけないでしょうか?」



 ふたつ返事で佐助はうなずいた。
 元よりそのつもりだったのだから願ったりだ。
 ただ、かの姫君には珍しいことに、
『簡単な野点のしたくをしておきます』
――外で会う、ということである。
 規格外が二重三重になったような姫だが、中でもとびきり珍しいのはその性だろう。
 城の中では羽衣まとう天女のようなたおやかな姫君、城門をくぐると雷まとう独眼竜になってしまうのである。
 先だっては躑躅ヶ崎で武田信玄と同盟の杯を交わしたが、三日月前立ての下の鋭い隻眼は場を圧倒するような迫力に満ちていた。対等に見えたのは信玄ただ一人だ。
 佐助の前では恥ずかしがって、あまり外に出ようとはしない。出る必要もない。
――では、今回は何か考えあってのことか。
 しかし一体どんな格好で来るのだろう。外では青い陣羽織が多いようだが、具足のまま茶筅を持ったりするのだろうか。髪は短くしてしまっていても、身分に相応しい内掛けを着ればさぞ美しいに違いない。
 姫君の装いについて考えるうちに、佐助を運ぶ凧は甲斐の地へ着いていた。
 約束は七日後。
 竜姫は奥州領内でも越後に近い古城に逗留するという。当日は近くの丘を守らせておくそうだ。佐助は旅人に譲りうけた茶碗を小屋の物入れから引っ張り出して、ほこりを払った。
 猿飛佐助も一応は棲家――と呼べるかも分からないが、人目につかない場所で眠れるという程度の役割の、屋根のある小屋を持っている。
『家と外とでは、気持ちは変わるものですか』
 いつか、竜姫がぽつりと佐助に聞いた。
 忍びには何とも答えられない問いだった。佐助にとって自分がいるのはいつだって『外』であり、一人か、敵がいるか、守るべき主君がいるか、それだけの違いのように思える。
 姫君が持つのは臣下のいる城だ。その臣とは家族とは違う、けれど深いつながりがあるのだろう。
 佐助の若い主は今、上田の城を武田信玄に任せられている。そこに入る臣は躑躅ヶ崎の信玄の臣とは違う、彼自身の臣なのだと、信玄は若き真田源二郎幸村に聞かせた。――あるいは、効かせたのは拳であった気もする。
「近頃、加賀に出入りする間者が増えておるそうだ」
 その信玄がそう言ったのは五日目だ。言外に、佐助が助けた商いの一行を含めているのだろう。
 加賀と言えば前田利家の治める土地である。利家は未だ若いが頼もしく、料理上手の賢妻とうたわれる細君とともに、穏やかに民を統べていると評判だった。
 ただひとつ、利家自身がどれだけ善政を行おうとも――尾張の魔王とさえ称される、織田信長の臣下であるという事実が、信玄に厳しい顔をさせているようだ。
「その者……確かに間者ではなかったのだな?」
 佐助は「は、」と答え、面を上げる。
「間者にしては目立つ一行です。旅慣れていないというほどではありませんが、旅商でなく町の者でしょう」
「身分に偽りなし、か…」
 考えるように甲斐の虎は、がっしりとした指で顎をなでた。
「上田の幸村にも報せて参れ。すでに文は届いたはずだが――お前の見たままを伝えるのだ」
 その重々しい声のまま、
「その後は一日、奥州に時間を割くがよい」
「…お仕事ですよね。一応」
 信玄は、にやり、と人の悪い笑みを浮かべる。
 まいったなあ、と一人になってから佐助は頬をかいた。
 同盟の件で竜姫の美貌を見て以来、忍びをからかうネタができたと思っているらしい。一の家臣である幸村は同盟の席にもいなかった。佐助は上田と躑躅ヶ崎を往復しているが――まあ寂しいんでしょうね、と、甲斐の虎をついついどこぞのお父さんのように見てしまう。
 奥州筆頭伊達政宗の一の家臣はと言えば、参謀片倉小十郎景綱だ。
 こちらは城の奥に居る姫と並ぶと、兄のようでもあり爺やのようでもある。戦場では鬼と評判だが、佐助は竜姫への慈しみの眼差ししか見たことがなかった。
――さて、件の約束。
 場所が戸外だ。奥州筆頭、伊達家の姫君が草の者と茶会に興じる――などと見られるのは彼女が気にせずとも佐助には気になる。それなりに変装して行きましょう、と言えば竜姫は顔を輝かせた。
『忍びの変化は四方三里の獣も騙す、だそうですね』
『ご期待通り驚かせてさしあげますよ』
『まあ。茶会の席に突然信玄公がいらっしゃったりするのでしょうか?』
『どうかなあ』
 何に化けるかは当日までナイショ、と子どもっぽい約束をしたのだが。
――青葉城に居るはずの片倉小十郎が現われれば、独眼竜も驚くだろう。
 もちろん竜にもっとも近しい存在だ、すぐに看破されるには違いない。一瞬でも見間違えてくれれば、笑い話にもなる。
 算段を立てながら上田に着いた。
 遠目に見えた城は、奇妙にざわめいていた。
 たどり着く前に忍隊のひとりが現われて、膝をつく。
「幸村様が、」
 風が吹いた。闇の中で木々が揺れた。
「…攫われた?」



――忍びを驚愕させるとはさすが我が主、真田幸村である。
 何しろお館様こそ我が命、武田の恥になるほどならば気合でこの腹斬ってくれる――と豪語する男だ。戦力ではあるが武田の動向に精通するにはまだ若い、若干十七歳。
 戦力を削りたいなら攫うなどとまどろっこしいことはしないはず。情報を引き出したいなら他に攫うべき人員はいくらでもいる。幸村では簀巻きにしても暴れるだろう。両腕縛られていても自ら腹を斬るらしいし、そんな光景を見たら下手人も怯えて手を引くのではなかろうか。
「佐助よ、お前は俺を何だと思っているのだ」
「見たままのお人だなー、と」
 要するに、どこの物好きが真田幸村を拉致しようなどと思うのか、と佐助は考えたのである。
「…ううむ」
 幸村は床に横たわったまま、うなり声を上げた。
 起き上がれないわけではない。朝の光にうずうずとしてもいるが、全身打撲と足首の捻挫、腰も打っているのだ。下手に動けば後に響く。痛みも酷いだろうに、今にも跳ね起きて鍛錬を始めかねない主だ。佐助が見張りで安静にさせている。
「不甲斐ない…お館さまにこの城を任されながら、くっ…!」
 親指を握りつぶしそうなほどにこぶしを握り締め、幸村は低くつぶやいた。
「そうだねー、俺様がいなかったとは言え」
 茶化すように肩をすくめて見せる。
 幸村を攫った物好きは、前田慶次という風来坊だ。
 加賀を治める前田利家の、甥である。
 夜更けから明けて夕方まで散々駆けずり回った佐助を他所に、幸村を上田まで抱えて連れ帰ったのもこの男だった。
 春にも上田城に押しかけて、佐助を殴り倒し勝手どころの蕎麦をかっ食らって逃げた――これだけ聞くと、未だにどこかで手打ちになっていないのが不思議なほどの無法者だ。
 佐助はその後さらに奥州でも、あまり有難くない形で関わったことがあるのだが。
――して、お前は何か用事があるのではなかったか?」
「ああ、うん…」
 竜姫には、烏で文を送り、奥州に行けない旨だけを告げた。
 元より、必ず会えると決まっていたわけではない。佐助は主人しだいで自由がなくなる身だ。
――逆に言えば、だからこそ。必ず行かなければならなかった、という見方もできる。
 伊達軍と武田軍の間には同盟がある。
 それが軽んじられたと伊達の――姫本人でなくとも、伊達軍の人間にそう思われることは避けたかった。
 佐助は忍びだ。
 だから、格下の武士が礼を破るのとは話が違う。
 もしも相手に要求されたとして、気の済む方法で命を奪われるだけだ。
 佐助が伊達政宗との約束を破ったのが、あるじの意思だと思われることだけが、心配だった。
 烏は文を渡せなかったのだ。
 幸村が無事帰ってきて、全てが前田の風来坊の仕業と知れた後、日が暮れる間際に佐助は、約束の場所に行ってみた。
 伊達の一行はすでに古城から退いていたようで、人気もなかった。
 北側の山と山の間、崖の際に松がひょろりと生えているのが遠目にも分かる。そこから寒々しい風が吹いていた。
 清流が流れる丘で、竜姫はひとりどれだけ忍びを待ったのだろう。
 丘の影の、楓が薄い深緑の葉をひさしのようにまとった枝に、烏は所在無げに留まっていた。
「無念だ…」
 幸村がうなるのに、佐助もうなずく。
「本当に」
「あのような者に遅れをとるとは」
「まあ、腐っても前田の人間だしね。あの風来坊は」
 幸村は、む?と眉を寄せた。
「慶次殿ではないぞ?」
「…え」
 背丈は信玄にも近い前田慶次だからこそ、真田幸村を担いで攫って勝負し、ここまでの怪我を負わせることさえできたのではないか。
「担がれたのも確かに屈辱だが、投げ飛ばしたのは他の者だ」
――投げ飛ばされたのか。
「って、どこの誰に」
「どこの誰と分かる相手ならお前に果たし状を預けている。そもそもどこだったのかもよく分からん。慶次殿がすっかり道に迷っておったのでな」
「天下の風来坊と真田幸村がふたりで迷子かよ…」
「だが探せば見つかるかも知れぬな…奇妙な訛りがまじっていた」
 『がでむ』とは、何のことだと思う?
 幸村の言葉に首をかしげる。
「さあ…」
――でも何故だか、最近どこかで、聞いた気がした。
「とにかく旦那を投げ飛ばしたくらいだから、名のある武人なんじゃない?」
「いや、あるいは――
 幸村は、深刻な顔をした。
「間者…忍びの者ではないかと、思ったのだが」
「何だって?」
「お前よりさらに細い身で俺を投げた。それにどうも、変装していたようなのだ」
 偶然とはいえ、間諜の密会の場に入り込んでしまったのではないか――
 まさか。と、佐助は考えた。
「そんな、ただの偶然で変装を見破られた上疑いを招くなんて、忍びとはとても…」
「そうか」
 幸村は自説を押さず素直に頷き、
「素人考えであったか。しかし…」
 珍しく、ため息をつく。
「…恐ろしい目をした女子であった」











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