首筋の血流に突きつけられた刃物に、けれど怯んだ様子はなく、前田慶次は忍びを見つめた。
「あれ、あんた確か…えーと、」
「武田軍真田忍隊が長、猿飛佐助。――悪いけど今、この人の護衛を仰せつかってる
から」
 堂々と言い切って、佐助はやや上の位置にある男前の目を睨みつける。
 竜姫の右目に『くれぐれもよろしくお願いいたします』と言われたのだから、まあ嘘では
ない。
「はいはい、何にもしやしないよ」
 傾奇者が虎縞入りの両腕を上げてみせる。
 忍びは冷たく目を細めたまま得物を下ろし、子どものように瞬きしながら成り行きを見守っていた姫君が立てるように促した。
「大丈夫ですか?」
「あ?ああ、なんともねえけど…」
 戸惑ったように佐助の手の凶器と温かげな橙色の髪を交互に見やって、姫君はきゅっと眉を寄せる。
「サスケ、お前、意外と――手段を選ばない奴だな」
「相手と場合によりますよ」
 チャッと武器を腰元に収めてなおも竜姫の前に陣取る忍びを、じいっと見つめて。
「…プッくははは!」
 笑い声も高らかに腹を抱えたのは、前田の風来坊である。
 その姿にきょとんとしたのは青い姫君で、怪訝そうに眉をひそめたのは木葉色の忍び。
 その木葉の肩を馴れ馴れしくも叩いて、前田慶次は快活に笑った。
「良いね良いね!恋だねえ!!」
「ちょ、!」
 佐助は慌てて後ろの姫君を伺い、なおも不思議そうな顔をしているのを認めて今度はギッと慶次を睨みつけた。
「……妙な事言わないでもらえるかな」
「何が妙なんだい?良いじゃねえか、身分も国も越えてとかそういうの俺大好き、ィ!?」
 ゴスッと致命傷的な音を立てて、忍びの腕が慶次の口を塞いだ。
「好き勝手抜かしてないで相棒が見つかったんなら奥州からでてったらどうなんですか?前田の新婚さんも心配して上田まで追っかけて来て平謝りする羽目になったんですよ他人の事にちょっかい出してる暇があったらお国に帰ってあんたこそ良い人でも見つけて安心させて上げたら良いじゃないですかって言うかとっとと帰れ」
 一息に捲くし立てる佐助の声がどれほど不穏な響きだったのか、目を白黒させる慶次と常になく怒った様子の佐助の間に、今度は竜姫が割り込んだ。
「まあまあ落ち着けよサスケ。元はと言えば俺の部下がふっかけた喧嘩だったんだし、あいつらあれで結構器用だから壊れたもんもすぐ直してくれるだろうしよ――
 そういう問題じゃないんです。と、言いかけて、しかし姫君が自分が口説かれかけたのもこの恋馬鹿が佐助の気持ちをぶちまけようとしたのにも、とんと気づいていない様子だったので、自分の口を閉ざして慶次の口は開放してやった。
「まあ、政宗さんがそう言うんなら」
「Good」
 にいっと笑えば相変わらず覗いた牙も愛らしい、青い戦人の兜を拾って渡す。
 竜姫は兜の三日月を仔細に検分して、傷がないのににっこりと微笑むと被りなおした。
「なるほど独眼竜ねえ…」
 武将姿に呟いたのは、兜も被りそうにない傾奇姿。
「伊達政宗、だったよな?」
「Yeah」
 その姿に笑いかけて、前田慶次は頭を下げる。
「俺の相棒を見つけてくれてありがとうな!」
 その肩で小猿が同じように頭を下げるのに、姫君はふんわりと城の中での様に、微笑んだ。


 いやーこの夢吉はさ、普段は片時も離れずに肩に乗っててくれるんだけど、こうやって諸国を旅して歩いてると美味い食い物なんかあるだろ?そういう時はささっと匂いのする方にいって良いもん見つけて来てくれるってわけよ。その度に合流するのが大変なんだけど――上田の蕎麦?あーあれも旨かったなあ!城の中だったから見つけるまでに苦労したよ。え?何?これくれるの?気前がいいねえよっ独眼竜!
「…って、結局、単に歩く台風なんですかねあの人は」
 げんなりと呟く佐助の髪が燃えるように赤い色に染まっている。
 夕刻の影の長い中、城への道を竜姫と並んで歩いている。
 つい先刻まで茶屋の壊れた店先に、その元凶である男に引き止められていたのだ。
「当分奥州に居座る気ですよあれ。良いの?政宗さん」
「ああ、…大丈夫だろあれは」
 自ら馬を引きながら道を歩く姫君を、佐助はちらりと伺い見た。
 慶次と別れた後から彼女はずっとぼんやりしている。
「…疲れました?馬に乗った方が良いんじゃ」
 竜姫はゆるく首を振った。
 沈黙が降りた。
 夕焼に相応しく、遠くで烏が鳴いた。
――そう言えば、何で分かったんですか?前田の猿のこと」
 ことさら明るい声で佐助は姫の顔を覗き込んだ。
「何でって?」
「いや、猿の噂が前々からあったのは分かりましたけど。ほら、城で話してた時に、前田慶次が猿連れてたなんて言わなかったのに」
「Ah?」
 すると政宗公は眉を寄せ訝しげな顔をした。
「だってその前に、猿の話してただろ。サスケが」
「え?」
 佐助はきょとんと眉を上げた。
「覚えてないのか?お前が言ったんじゃないか」
 政宗の訝しげな顔がそのまま呆れ顔になる。
「『こんな怪しい猿を寝所に入れて“何か”あったら大変だ』って」
「あー…」
 言ったかもしれない。と、佐助はようやく頷いた。
「それで『そう言えば』って続いたら、猿の話がくると思うだろ」
「うーん、まあ、そうですかね」
 実際その連想は働いていたような気もする。佐助は再度頷いて頬を掻いた。
「続きを聞いてりゃその風来坊は随分と派手ななりの変わりもんだ。肩乗りの猿を連れていてもおかしくない――こっちは城下にそういう猿が出たのを知ってたからな。この辺じゃ見ない人懐こくて派手な首輪の、飼い主の知れない猿だ。結びつきそうじゃないか」
「で、その猿が前田の猿なら」
「当然飼い主が追ってくる」
 そこでふと、姫君は足を止めた。
「…でも、思ってたのとちょっと違ったな」
 橙色に染まる乾いた道に、左目の視線を落とす。
 そよと吹く風が竜姫の兜の下に覗く鬣を揺らすのに、佐助は目を細めた。
「思ってたの?」
「うん。――夢吉の首輪に繋ぎ紐の跡もなかった。よっぽど慣れてんだなとも思ったけど、慶次の話じゃ一度離れると見つけるのも一苦労で――でもいつでも帰ってくるって。自由なんだな、あいつらは」
『帰る場所があるから飛び出していけるんだよ』
 風来坊が笑ってそう言っていたのを、佐助は思い浮かべた。
『利やまつ姉には迷惑かけてるけど、だからって俺がしたいこと押し込めながら生きれば喜んでくれる訳じゃないし。本当に心配してくれてるから、本当にしたいようにしてるって胸張って言いたいんだ。それで本当にあの二人が大変な時は、絶対助けに帰る。そう決めてるから
何処にでも行けるのさ』
 烏の鳴き声が、一つ。
 山の端にかかる太陽は赤く、夕日は金色に。
 武将の影は藍色になって立ち尽くしている。
 細く硬く、真直ぐ――折れそうな。
「生きたいように生きて守りたいものを守ってる」
 腰に帯びた刀の柄に指をかけ、ギュッと握り締めた。
「…でも」
 呟いて、キュッと唇を噛み締める。
 ザア、と風が駆けた。
 その行く方を追って、竜姫が頭をめぐらす。
 天に無い三日月が彼女の兜の上で金色に光った。
 紺色に染まろうとする空を見つめる、政宗の目が透きとおって見えた。
 つられて佐助も天を仰げば――高きにすべる鳥の影。
「あれは、」
 視線を姫君に戻して、忍びは言葉を失った。
 ぽろぽろと、その左目から落ちる透明な雫。
 眉の一筋も動かさず瞬きもせず、静かな白い顔に露が浮かんでは、金色に光って滑り落ちる。
「政宗さん…?」
 それに見惚れたのが、いけなかった。
「まいったなァ、チキショーめ!」
 声が響くと同時に腹に衝撃を感じた。
(…うそ)
 鍛えてはいる。鎖帷子も身につけている。何より自分は武田軍随一の忍びである。
 しかし奥州を束ねた独眼竜の拳は、確かに佐助の鳩尾をえぐっていた。
 崩れ落ちる忍びの視界で青い陣羽織が身を翻す。
 まっすぐ城の方へと駆けて行く姫君の背を、忠実な馬が追いかけていく。
 残された佐助は道の真中で倒れ伏したまま、やっとの思いで一声呻いた。
「ひとごろしー…」
 でなければ、さるごろし。


 照れ隠しにしても行き過ぎではないか。何とか奥州から甲斐に帰り着いた佐助は、茶碗に飯を盛りながらため息をついた。
「武家の姫ならばそれ程にも誇り高かろう、佐助よ不覚を取ったな!」
「しかし油断していたとは言え佐助を一撃とは…!奥州の独眼竜、侮れませんなお館様!!」
「それならお姫様らしく頬に平手打ちとかにして欲しいんですよね。あと旦那は口にものを入れたまま叫ばないの」
 鍛錬場の板の間の上にちゃぶ台をおき、武田軍の首脳三人組で夕餉を囲っている。これはすぐに殴り合いを始める主従と後片付けを楽にしたい忍びの意向である。
 この光景など自由もいいところだ。と、佐助はお付けをよそいながら考えた。
 しかし女の身で六刀を操り供もつけずに馬を乗り回し、部屋には他国の忍びを招きいれる、あの姫君も。
(随分と好き勝手してるように見えるんだけど、ね)
――それでも鳥にはなれない。
(ってか、あの鳥は)
「佐助!」
「は?」
 信玄公の声に考え事を中断され、佐助は顔を上げた。
「痣が痛むか?」
「や、それ程…」
 正直痛いです。とは言い辛い。
「では明日より早急に越後に飛べい!」
 言っときゃよかったかも。
 佐助はシクシクと痛む腹に手を当てた。
「畏まりました。偵察ですか」
「いや。書状を届けてもらう」
 まず越後と、次に奥州にじゃ。
 マジっすか。
「お館様の命、しっかり勤めて参れ!」
 誇らしげな幸村に、いえあの、と言いかけたのを阻んだのは次の言葉だった。
「ちゃんと本物の方に届けて参るのだぞ、佐助!」
「……は?」
 本物って何よ、本物って。
 惚けた顔をした忍びに、有り難いのは主従の絆か幸村もその心の声に気づいたらしい。
――部屋にいたのが影武者で、馬に乗ってきた方が本物ではないのか?」
「え?いや、本物とか偽者とかそういう問題じゃないでしょ、あれ」
 今度は幸村の方が、ぽかん、と口を開けて惚けた顔をした。
「しかし、佐助。城の門を出ただけでそのように人が変わるなどという事が、あるのか?」
「いっやー…あったんだからあるんだと思うけど…」
 間の抜けたやりとりに、フームと信玄公の唸り声が割って入る。
「佐助よ、お主、門を出た後の政宗公から目を離したか?」
「え?えーと、そうですね、門を閉めるときに一瞬くらいは」
「ではその時に、道ですりかわるのは可能でございますな」
 フムフムと幸村が頷いた。
「片方が影武者となれば当然、部屋に丸腰で忍びと顔を合わせていた方でございましょう」
「街と兵を仕切っていたほうが本物じゃな」
「え、ちょ、待ってくださいよ御二方!」
 佐助は大慌てで手を振った。
「あれは同じ人ですよ、絶対!顔も体型も香りも、」
「破廉恥だぞ佐助!」
「旦那は黙って!忍びの目にかけてあれは同じ人でした!」
 叫ぶように言い切った佐助をまじまじと見て、信玄公はウウム、と唸った。
「しかし…例えば、双子であればどうじゃ?」
「は?」
 双子?
「奥州の長子が双子だなんて、聞いたこともありませんよ」
「奥州の長子が姫だとも、以前は聞いたことも無かったであろうが」
「そりゃあ、でも、まさか」
 佐助は口をつぐんだ。
 姫君の姿がぐるぐると頭を回り始める。
 まるで同じ顔、けれどあの兜に眼帯では見えるのはほんの一部だ。香りは、同じ体質の者が同じ香を使えば、あるいは…?
 いやいや、あの姫がそんな事をする必要は。影武者?最初の日に、それは違うと答えてくれた。書状だって返事を書いたのはあの姫君だ。代筆?いやまさか。落ち着け俺。
 俯いて考え込んでいる忍隊の長に、信玄公はにやりと笑った。
「まあそう考え込むでない。世の中にはそういった奇妙な性の者もおろう――ただ、姫に惹かれる余りに冷静な判断力を損なうのは感心できぬな」
 そう言いながらもお館様は、何とも言えぬ笑顔を浮かべ。
「…ひょっとして面白がってません?」
 佐助はげんなりと呟いた。
 信玄公はクククと肩を揺らして笑う。
 破廉恥である!――幸村の叫びが、躑躅ヶ崎にこだました。











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