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届けよと託された書状は、正式な同盟の申し入れであるという。 要するに、奥州の竜に実力のあるのは良いが越後との戦は邪魔されたくない、ということらしい。 先に赴いた越後からも、武田と伊達に宛てた書状を預かっている(かすがが凄い目で睨んでたなあ。トホホ)。 「まったく、忍び使いの荒い事で…」 それでもこの際、奥州の姫に会えるのは有り難かった。 妙な疑いはさっさと忘れたいし、先日の件に関して恨み言もある。 ちなみに独眼竜双子説を越後の二人に聞かせると、上杉謙信はフフフと笑った。 『たけだけしきりゅう、やさしきりゅう、どちらもうつくしきものですよ』 答になっていないが、謙信様の勿体無いお言葉が武田の忍びにかけられていることに目を三角に吊り上げたつるぎがいたので、問い返す 事ははばかられた。 それでもかすがは、別れ際に『あの姫に外で会った事は無いが、双子だなどという話は奥州の噂にも無い』と、教えてくれた。 そして『謙信様が目をかけている花に汚い目を向けるな汚らわしい』とも言い捨てた。 汚いって。 佐助は思い出して少し落ち込みながら、天井裏の梁の上を進んでいた。 奥州城の中である。 目指す姫の部屋まであと少し。 と、そこで、横から洩れる明かりに気づいた。 「……」 「……。何してんですか、片倉さん」 奥州の参謀役と名高い片倉小十郎景綱、先日門まで馬を引いて来た政宗公の忠臣。 その端整ではあるがどう見ても堅気ではない強面が、天井板を外してぬうっと頭だけを出している。 「話がある。下りて来ていただきたい」 低い声と厳しい顔はいつもの事だが。 (え。何コレ。ヤキ入れられるの?俺) そうは思っても逃げるわけにもいかない。 未だ『政宗様の客』で通っているのならありがたいが、低音の敬語と下からの照明は空恐ろしいものがあった。 仕方なしに、小十郎のいる部屋に下りた。 踏み台が片付けられ、茶が出てくる。 「……」 「……」 「……政宗様は」 「はい」 畳の上に正座して、佐助はピンと背筋を伸ばした。 「たいそう落ち込んでいらっしゃる」 「はあ…」 「先日は帰るなり『はしたない真似をした、もうあの方に合わせる顔がない』と部屋に閉じこもってしまわれましてな」 その口調はお部屋の姫様の方だろう。 ということは、やはりあのお姫様も佐助の鳩尾に一発決めた竜姫も同一人物という事で 佐助はごくさりげなく、茶の水面に映る強面を観察した。 「それにしても、あのお姫さんがああいう気質なんだったら、教えてくれたって良かったじゃありませんか」 「言ったはずですが?」 答える声にも動揺はない。 「『政宗様は非常に複雑な方ですので、くれぐれもよろしくお願いいたします』、と」 ああ、あれはそういう意味だったのか。思い返せば嘘事めいた言葉はなく、本当にあんな主君を持ったなら佐助だってそうとしか言えな いだろう。 佐助は顔を上げて苦笑した。 「で、その複雑な方は、落ち込んじゃったわけですね?」 あれだけ景気よく拳を決めておいて後で落ち込めるなら、それは確かに複雑だ。 小十郎は難しい顔で頷いてみせる。 「なに、たかが男の腹の一つや二つ、気にするこたァありませんと言ったんだが 「いえ、お気になさらず」 そう答えれば、厳しい顔つきのまま熱そうな茶をズズ、とすすった。 「それにしても忍びってのは丈夫なもんだ。…それとも、やはり政宗様も手加減されたんでしょうな」 「そうでしょうか…?」 佐助の疑問にフッと笑う。 「そこが何とも言えない姫らしさで」 その顔に、無性に羨ましいという思いがふつふつと。 湧き上がってきたのを押さえて、佐助はへらりと笑った。 「あのー、それで今日は、政宗さんは?」 名前を呼んだのはちょっとした対抗意識かもしれない。 (対抗してもしょうがないけどさ) 「ああ。話というのはそこですが」 強面は重々しく頷いた。 「政宗様は『今猿飛さまにお会いしたら、恥ずかしくて気を失ってしまう』と」 何だそりゃあ。 佐助の思いがそのまま表情に表れたのか、小十郎は一つ咳払いをして、湯飲みを置いた。 「近々武田からの使者が来るだろうってのは分かってたんで、この小十郎がいかようにも詫びを入れさせてもらおうと天井裏を張ってたん ですよ」 「えーと、つまり、…会っていただけないんでしょうか?」 小十郎の厳しい顔が凶貌に変わり(謝意を表したいらしい、一応)その頭を下げる。 「申し訳ねえ、その書状は俺に預からせていただきたい」 佐助は見ていられずに明後日のほうを向いた。 (ここまで来て会わずに帰るとか、無しでしょそれ) とは思うもののこの仁侠男、小指の一本も切り落としかねない勢いだ。 普通ならば、この奥州筆頭が片腕の片倉小十郎景綱に書状を預けるのは何の不思議も無い。そもそも忍びが城主に直接目見えるなぞ有り 得ない話、ましてやそれが姫君の部屋の中などもってのほかの筈だ。全ては姫君の一存で叶えられてきた事なのだから 佐助は仕方なく、へらりと笑って見せた。 「分かりました。我が主の仕える武田信玄公の書状、確かにお預けいたします」 「…!すまねえな…」 頭を上げた顔は、心苦しいとばかりの表情だ。 (忠臣だねえ…) 渡した書状を検める姿に苦笑を一つ。 この男ばかりではない、軍の兵士達も街の人々も 姫は国の幸せを望んでいる。だが国の民が自分達の幸せだけでなく姫の幸せをも望むとして、姫君が自由を求めたら。 (だから揺れたんだな、お姫さん) 『自由』なんて簡単に言ってくれちゃって。 風来坊の顔を二重三重に苦く思い出し、佐助はぬるまった湯呑みを弄んだ。 城の中ではいつものように男物の着物を纏い、姫君は庭に面した縁に座している。 積み上げられた書物を明るい日の光の下で開き目を滑らせる。 紙を繰る白い指は細く、文字辿る指先はそれを書いた誰かが羨ましくなるほどに丁寧だ。 その指がぴたりと止まる。 「……?」 くるりと頭を廻らせれば、茶色がかった黒髪が肩に揺れた。 足音が近づく。 「 「小十郎、」 名を呼び返されたのを合図のように、奥の襖が開かれた。 政宗公がすらりと立ち上がる。「そちらに参ります」という小十郎の声に「いいえ」。 「脚を崩したいの」と、姫君は答えた。 「甲斐からの書状が」 「書状、」 低い声に答える姫君の声が、いついらしたの、と続く。 「つい先ほど 「…そう…」 使者が誰か、とは告げられていない。けれど答える響きは全てを見通すようだった。 「政宗様、」 「……」 沈黙。カサリ、と紙の音。 「…ありがとう。後で呼びます」 下がりなさい、とその声は優しく告げている。 静かに重い足音に、続いて襖の滑る音。 それから軽く猫の足さばきに似た音が、日向の方へと近づいた。 書物の横に庭に面して座し、はらりと手にした文を開く。 ふわりと伏せられた睫の先には日の光が乗り、その下の瞳は深い色で文字を滑る。 それがフッと止まるのが、一瞬早かっただろうか。 音も無く目の前に落ちてきた緑。 葉影の色と橙に、左目が見開かれる。 「……」 「……、」 その瞳の前に何も言わずに立ち上がり、にっこりと微笑んでみせた。 竜姫の顔にサア、と朱が走る。 「………さ、」 頬よりさらに赤く、桃色に紅を溶かしたような唇が、震えた。 「 小首を傾げて聞き返せば。 「 小さな小さな声が、文で隠されながら、青い膝に落ちた。 書状を預けるとは言った。 (でも、会わずに帰るとは言ってませんからね) 詐欺めいた言い訳を胸のうちに思うものの、予想以上に吃驚した様子の姫君は、書状で口元を覆ったまま僅かに潤ませた左目だけを覗か せている。 これで本当に失神されたら自分はまるっきり曲者だ、と佐助は考え苦笑した。 失神されなくても十分に曲者と見なされるであろうことはさて置いて、いつもどおりに挨拶をと口元を緩ませ。 「先日は」 キャア、と小さな悲鳴が洩れた。 (キャアじゃないでしょ、まったく) いつも淑やかに微笑んでいる人にこうも怯えられ恥ずかしげに頬を染められるのは、正直に言えば癖になりそうなほど愉しいが。 「……」 「……」 「…起きてます?」 まさか目を開いたまま気絶しているのではと問いかければ、幼子のようにこっくりと頷く。 それからようやく書状が胸元まで下ろされて、きゅっと噛み締められた口元と赤く染まった頬が現れた。 泣きそうな色をして見上げる目がゆっくりと瞬かれて、唇が放される。 「 そそっと白い指が縁側の板の上につかれて、深々と頭が下がった。 その茶色く透ける旋毛を見下ろす格好になる。 どうしたものかと尖った指先で頬を掻いた。正直なところ、驚いたのが先行してあまり怒りは感じていなかったりもする。 (うん、まあ、殺されかけたんだけど) 胃の腑から何かが逆流するかとも思ったけれど。 謝られるより顔が見たいのだ、今は。 頭を下げたまま微動だにしない姫君のその短い髪を、風が揺らした。内から赤く染まった、薄い耳が覗いた。 庭土の上にしゃがみこむと、それが目の高さに来る。 「本当に悪いと思ってます?」 「はいっ……あ、」 パッと顔を上げてやっと、佐助の頭が低い位置にあるのに気づいたようだった。 「だったら、恥ずかしいから会いたくないなんて言わないでくださいよ」 見開かれた左目に、自分が映っているのが嬉しいのだと思うのは、忍びに有るまじき事だと佐助には分かっている。 「目の前で気絶される方がよっぽどマシですから。ね?」 へらりといつものように笑うと、桃色に色づいた花がようやくほころんだ。 「…部屋に、上がってくださいませんか?」 穏やかな口調を取り戻し、姫君はそれが当然のように「お茶の用意をいたします」と手さえさしのべみせた。 そのほっそりした指を、黒い手甲に覆われたままの手でそうっと包み、腰を上げる。 「そりゃ嬉しいですね。…けど」 つられるように姫君も立ち上がった。 縁側の板の上に立つと佐助よりほんの少し高い位置に頭が来て、左目はきょとんと問うように、あどけなく見下ろしてくる。 「お見せしたいものがあるんで」 庭の方へ軽くその手を引けば、右手を佐助の掌の上に残したまま、庭の敷石の上に用意されている草履に爪先をかけ下りてきた。 その僅かに風が流れるような優雅な所作が、物馴れていて。 (本当、お姫さまなんだよなあ…こっちは) 心のうちで嘆息してしまう。 けれど先日の戦姫だって、荒っぽいようで決して気品は失われていなかった。時に不遜なほど上に立つことに慣れた様子で馬上から自分 を見下ろし、目の前の姫と同じ(そう、まるで同じ)無邪気さで見上げていたではないか。 (試すような真似になるけど) 「ちょっとだけ、離れててくださいね」 そう言って自ら三歩、後ろへ下がる。 姫君が不思議そうに開いた左目の漆黒に、光が浮かび 黒い大きな翼が風をかすめて茶色に透き通る黒髪をひるがえらせる。 そしてスイと伸ばされた黒い枝、忍び烏の爪持つ腕に揃いの爪を宿らせた。 「…Crow?」 呟かれた異国の言葉には答えず、黒い嘴を撫でてやる。 その鳥の大きさとしてはひどく巨大な、忍びの使役する烏の姿に、姫君は一つ目を見開いた。 「この 一歩二歩、近づいてふと、口元を手で覆う。 「Oh my……!」 白い指の下で密やかに囁いて、サア、と頬を赤らめた。 「この烏は…あの時の暮れ空にいた子ですね」 姫君の言葉に烏の主は満足気に頷いてみせた。 「そ。俺の使ってる奴なんですよ。あの時言おうと思ったんですけど」 まあ、そこは、不慮の人災で。 忍びの言葉に人災の主はますます顔に朱をさしてうつむいてしまう。 黙り込んだ旋毛を見つめて、疑り深い忍びが安堵に けれど好奇心には勝てないものか、黒い枝の上に身動ぎをする黒い鳥におずおずと視線を上げて、大きな黒い目をじい、とそこに留めた 。 「巨きいんですね。…空に見えた時より、ずっと」 烏も首を傾げて姫君を見つめ返す。 「怖くない?」 「いいえ」 ゆるく首を振りふわりとまた一歩近づいて、闇濡れた黒に白い顔を寄せる。 「 籠に在らずに空を舞う、大きな翼持つものに、見えない枷があるその事実。 白い顔が、忍び烏の目を見上げた。 「…いいえ」 嘘もまやかしも欠片も見えない微笑に、佐助は目を細める。 「帰る枝を 竜姫はその視線を、忍びの翼に落とす。 (今は、いるべき場所を此処と自分で定めているのなら、この人も) 決して不幸せな事など無いと分かっていても、けれどその揺れる姿を一度は見てしまった男は、つい口を開いてしまった。 「もしも…自由に飛べるなら、どこかに行きたいの?政宗さんは」 しとりと睫を伏せて翼に注がれていた目が、ぱちりと瞬いて、佐助を見上げる。 「自由に、ですか?」 「そう」 頷けば、姫君は一瞬きゅっと唇を噛んで放し、佐助の届けた書状でその口元を隠した。 「……」 「……」 「…笑いません?」 小さな声で念を押す。もちろんと笑って見せると、姫君はその手にある信玄公の文を胸高に下ろして視線を落とし。 「 「……」 「……」 「…それは、」 言いかけて、佐助は口をつぐんだ。 それは、要するに、具体的に言うと、武田軍と上杉軍とがぶつかる川中島のことではなかろうか。 初夏の風が沈黙の間をあまりにも穏やかに吹き渡り、忍びの汗を冷たく冷やした。 六本の刀を操る女武将。上田城を荒らした風来坊の巨大な刀をも受け止めたその爪。若い兵が集まる軍の一糸乱れぬ統率力。 様々な意味で戦慄が走る。 何と言ったものかと佐助が空いた手で口元を押さえると、戦姫はクスッと笑って戦忍を見上げた。 「そう考えただけです」 「え。あ、はあ…」 「信玄公から同盟の申し入れがあったからには、もう奇襲になりませんし 良くも悪くも目をつけられたのだ。同盟を受け入れようが破棄しようが、武田軍の注意が伊達軍に割かれることは想像に難くない。 (凄ェよさすが武田の大将…!) 武田軍の忍びは自分の上司に拍手を送った。書状を届けるのがあと一歩遅かったら何が起こっていたか分かったものではない。 (あー、それにしたって) もう奇襲のかけようもないと判断したから、否、その必要と効果を計った上で清く諦めたのだろう。それ故に計略の一部をサラリと口に してみせて、奥州筆頭は他国の忍びの烏と戯れている。 その声が、姿かたちが、内に在る (……まいったね、ホント) 「Spread your wings, Crow」 歌うような異国語が風に溶けて、主の命じも無しに黒い翼を羽ばたかせた。 「っと…」 佐助が腕を伸ばすと、そのまま枝を蹴って青空に嘴を向ける。 夏の雲の白さに影そのものの鳥の色は深く食い込んだ。 翼を持ち上げる強い風が、無心に空を仰ぐ竜姫の鬣を視線の方向に導いた。 「 細められた左目の睫に、光が乗る。 「飛べますよ。二人くらいなら」 その光を弾いて瞬いて、姫君は佐助の声へと顔を向けた。 「…二人?」 あどけない表情に、へらり、と笑って見せる。 「政宗さんさえ良けりゃ俺が抱えて飛べるけど 奥州筆頭(もしくは伊達家の深窓の姫君)を攫う曲者になるだろう。どう見ても。 「だから、そのうち機会があったら」 「…良いんですか?」 「川中島には行きませんよ」 政宗公が声をたてて笑う。 日のさす奥州が城の庭、青の着物はいつかは空に溶け込む翼に似て。 淑やかに笑み染まる口元に、竜の牙がひっそりと白く覗いて見えた。 了 独眼竜は二人いるtop≪ |