確かに、本人だ。
 麗しい顔の作りも体型も、身の内から滲む香りも(これは忍びの習性なの!変態とか言わない!)間違いなく佐助の知る青葉城の姫君で 、ただ、ただ――
「なあ、サスケ」
 この言葉遣いは一体、と視線だけはそらしつつも、“サスケ”は馬上の竜姫に神経という神経を向けている。
「はいなんでしょう」
「猿って、人間の食い物も食うかな」
 そんな佐助を不自然に思ったような様子も無く、政宗公の声は木々の間に響く。
 森の中である。
 木の葉の影のような衣装の忍びが、彼女の馬の手綱を引いている。
 ゆっくりと馬を先導しながら、佐助は先日上田城を荒らした黄色い陣羽織の、肩の小猿を思い出した。
 主人の真似をするように小さな枝を振り回す姿は見ようによっては愛らしかったが、いかんせん主人の方が憎たらしすぎると――姫君 には言わなかったが、出会い頭にその猿が主人に一発食らっていた佐助はため息をつく。
「そーですねー…猿はかなり人間に近いものを食いますし?そう言えば前田の猿なんて、並んで蕎麦食ってましたし」
「What?」
 馬上の気配が跳ね上がった。
「Goddam!そう言う事はもっと早くに言えよ!」
「おっと、…ハア、すみませ、」
 驚いて嘶く馬を宥め視線を向けて佐助は後悔した。
 馬にまたがる細い脚は、ピッタリとした青い丈夫そうな布に包まれていて、膝あての黒い帯が太腿に食い込んでいる。
 それがちょうど見やすい高さにあるのだから、何というか、とてつもなく、目に毒だ。
(この格好は考え直した方が良いんじゃね?)
 しかし確かに、城下では少しも驚かれていなかった。
 街では佐助は離れた物陰に潜んで見ていたのだが、城下街の人々は独眼竜の姿に目を輝かせて集まってきたものだ。
 その一人一人と親しげに言葉を交わす青葉城の“殿”は、中々どうして人気者なのだろう。それは佐助にも良く分かる。
 奥州内は平和で街は栄え、おまけにそれをもたらした当の本人は。
(スンゲー可愛いおひいさま、ときてる)
 あの分では城下の人々は城の中の借りてきた猫のような姿は知らないのだろうが、表で伸びやかに牙を見せる猫も別の魅力で美しく愛ら しいのだ。
 木漏れ日を浴びた姿を見るのは考えてみれば初めてで、佐助は怒鳴られた事も忘れて見惚れた。
 眉根を寄せてきゅっとかむ唇の、赤を透かした桃色も、兜の下の顔の白さも、日の光に輝いて見える。
――O.K」
 やがて唇が放され、青い侍はほうっとため息をついた。
「多少手抜かりがあったがやるこた変わらねえ。猿を探すぞ、サスケ」
「分かりました。…って言いたいところなんですけどね」
 見上げる忍びに、姫君は怪訝そうな顔をした。
「猿ってのは……前田慶次の猿ですよね?」
「Ofcourse」
 当たり前だろ、と言わんばかりの異国語が返る。
「この森にいるんですか?」
「ああ。街で聞いてきた。――最初は街の茶屋とかに変な小猿がいるってな情報でな。時間が立っちまったし森に逃げ込んだんじゃねえ かと思ったら、bingoだ。この辺りの森で見かけた奴がいるとよ」
 ははあ、街で聞いてたのはそれか。とそこまでは納得する。
「うちの連中全員駆り出して森中探してえとこだが、そんな小せえ奴が怯えて隠れこんだら元も子もねえだろ?だから」
 おびき出す。
 そう言って政宗公が腰元の荷袋から取り出したのは小さな包み。
 姫君の手の上で開かれた油紙の中には、緑色の丸鞠が並んで甘い香りを漂わせている。
「ずんだ餅…でしたっけ?」
「Yes, 気休めのつもりだったが使えそうだな。分かってりゃあもっと持って来て、城の食いもんは隠しておいたんだ」
 街から逃げ出してこちらの森に逃げ込んで、そのまま行けば行き着く先は青葉城だ。
 なるほどねえ、と佐助は頷いた。
「で、出てきたら俺が捕まえりゃ良いんですね?」
 チラリと視線だけで見上げれば、竜姫は艶やかに美しく、日の光を透かした水のように清廉な笑みを浮かべた。
「頼むぜ?武田の忍びさんよ」
(ああ、やばい)
 こんな主だったら多分何を命じられても命がけで叶えたくなってしまうだろう。
 今の自分では有り得ないけれど、三回くらい死んで生まれ変わってきたら、その時はこのひとのために命を落とす事を選ぶかもしれない。
 ぎゅうっと馬の手綱を握り締めると、鹿毛の首は忍びに同情するように、ヒヒンと一声嘶いた。


 が、しかし。
「……」
「こら、食いすぎだお前…」
 数刻後、政宗公の手の上には、フカフカの毛並みに紅白の首輪をつけた――前田の風来坊の小猿が、我が物顔で座り込み、緑豆の菓子 に齧り付いていた。
 佐助は指一本動かしていない。
 森の中を政宗公の馬を引いて歩き回っているうちに、この猿は何処からとも無く走り出てきて佐助を踏み台にし、姫君の腕に勝手に収ま ったのである。
 活躍の場をなくして所在無げに立ち尽くした忍びに竜姫は微笑んだ。
「気にするなよ、サスケはこいつが本当に前田の猿か、確認してくれりゃ良かったんだから」
――慰められちまったよ)
 ますます落ち込んだ等という事実は悟られないように、佐助は微笑み返した。
「万が一逃げ出したら、俺が追いかけますよ」
 そして縛り上げてやる。
 固い決意を誰が知ろうか。城への道に向かって森を抜けようと馬を引く佐助の耳に、その時、街の喧騒が届いた。
 一瞬。ほんの一瞬、足を止めてその方角へ目を走らせる。
 忍びの聴覚に微かに届いた、人間の叫び声。風を切る、刀の。
――何があった?」
 途端に、上から声が落ちてきた。
「え?」
 顔を上げれば、驚くほど近くまで覗き込んでくる左の目。
「街の方か。何かあるのか?」
 すい、と離れて正確にその方角を向く。
「いえ…、」
 別に、と答えようとした佐助の目を、独眼が捕らえる。
 透明な光に満ちた竜の目が、有無を言わせぬ強さで――それは多分、奥州のの民の数だけ強まる光で、佐助に問いかけてくる。
 忍びは降参した。
「…街の方角から女の悲鳴と男の怒声に刃物の風切。でも別に――
「行くぞ」
 手綱を奪われた。
「ちょ、政宗さん!?」
 振り向いた時には竜姫の馬は街道へ向け駆け出していた。
「お姫様!まず伊達軍を呼んで――!」
 木々を縫う四本足に忍びの脚で追いすがる。
「チンタラしてる場合かよ!軍隊が街に近づいてるなんて情報はねえ!相手はせいぜい十数人!なら俺一人で十分だろうが!!」
 どんな計算だ。
 つっこむ暇も無く街道に出る。
 まっすぐな白い道を馬は全力で駆けて行く。
「ああ、良いですよ分かりましたよ」
 武田の忍びはため息をつき、チラリと横目で姫君の腕の中の、猿を見やった。
(何だか、)
――嫌な予感が、するんだけど。


 街は、台風一過という体だった。
 戸が壊れ障子が破れ、茶屋の看板が倒れ湯飲みが転がり――しかし、漂う空気は何故か、それこそ台風の後のようにあっけらかんとし ている。
「こりゃあ…」
「ま、政宗様!」
 街道に馬で駆け込んだ竜姫の元に集う街の人々にも、怪我は無い。
「Hey, 何があった?」
「それが…あの、見たことも無い派手な男が、姫様の軍の方々と…」
「What?うちの連中が――、!」
 ド――…!
 一本向こうの通りに地を震わせる重い音が響き、姫君の左目がサッとそちらに走る。
 細い脚が馬の腹を蹴った。
「家の中に隠れてな!」
「政宗さま!!」
 焦った声を置き去りに、馬の蹄は人気のない街道を打ち鳴らした。
 人々が集まっているのは騒ぎの中心だろう。
(血の匂いはないね。恐らくは暴れる男達を取り巻いて――
 そこまでは姫君と陰に隠れる忍びの予想通りだったが、駆けつけた場所に群がる人々の輪はひどく遠巻きに地響きを囲っていた。
――政宗様!?」
「姫様!」
 その人垣が、馬の蹄の音に左右に割れる。
 垣間見えた向こうで、伊達軍の兵と思しき男が一人、吹き飛ばされた。
 大の男を吹き飛ばしたのは大きな一振りの刀。
 街道の中心の、台風。
「Show time…!」
 一陣の蒼い烈風に、金色の台風が振り向いた。
 キイ…ン!!
 振り下ろされた大刀を受ける三本の竜の爪が、冷たく澄んだ音を立てる。
 大刀の主は軽く目を見開いた。
「女…?」
「Yes, 」
 細い青い竜姫の腕が、巨大な刀を難なく弾く。
 スウ、と背筋をただし、兜の下の左目もまた真直ぐに、男を見上げた。
「奥州筆頭、伊達政宗だ。うちの野郎どもが失礼したかい?」
「ああ!あんたが!――や、失礼って程の事は」
 困ったように頭に手をやり、自分が辺りに吹き飛ばした男達を見回し。
「…なかったんだけどさ」
 笑う顔は大きな子どものようだ。
 頭の高くで結った長い髪、黄色い陣羽織。
「あんた、コイツを探してたんだろ?――前田慶次」
 その目の前に、政宗公はひょいと首根っこをつかんで小猿を差し出した。
「!夢吉イィ!!」
 途端にパアッと顔を輝かせ、前田慶次は大きな獣でも抱き竦められそうなその両腕を、相棒のために広げた。


「つまり、弥作の女にこの男が言い寄ったと、それが発端か?Guys,」
「「「「「「Yes, sir!」」」」」」
 道の真中に伊達軍の数人を整列させ、政宗公はビッと親指を立てて慶次を示す。
「いやいや、ちゃんと良い人がいるって言うからさ、俺はすぐ諦めたんだぜ?」
 傾奇者は肩に小猿を乗せて快活に笑った。
「じゃあなんでPartyになったんだい」
「弥作が軍律を破ったからです、筆頭!」
「軍律?」
 兵の言葉に筆頭姿の姫君が首を傾げる。
「そうです!伊達軍の兵たるもの、筆頭以外の女に心奪われるなんざ言語道断!!」
「なんて言うからさ、まあその筆頭に恋するのも悪かないけどね、そんな男ばっかり何十人にに女の子一人なんて訳にもいかねえだろ?良 いじゃねえか、弥作を応援してやれよ、と」
「いいや、許せねえ!俺らのGoddessは筆頭ただ一人!」
「そんなに可愛い娘なら俺も一目見てこようかなあ、ちょうど相棒を探してるとこだしさ」
「ふざッけんじゃネエエ!!誰がお前なんぞを城に入れるか!!」
 なるほど先日の上田城の一件のように青葉城に押し入られれば、この傾奇者の脅威に晒されるのは――開いたばかりの夕顔よりも優しげな姫 君であろう。
(がんばれ伊達軍の兄ちゃん達…!)
 慶次ほどには派手ではないにせよ相当にイカレた形の若者たちに、佐助は初めて心の底から共感と親しみを覚えた。
「Wait!分かった。流れは分かったからよ。再現すんのはそこまでだ」
 おそらくは数刻前と同じように殺気だった兵達の前に、青い腕がすっと伸びる。
「お前らの忠誠心は有難えと思ってるよ」
 フッと微笑む顔は兵達より低めにありながら、どことはなしに男前だ。
「筆頭…」
 きゅん、という胸の音さえ聞こえてきそうな顔で、伊達軍の男達は政宗公に見惚れた。
(って、忠誠心で片付けちゃって良いのそれ)
 微笑ましげに眺める城下町の民と他国の傾奇者。
 疑問を覚えているのは影に潜む忍びだけのようである。
――が、街を荒らしたのはtoo badってもんだ。てめえら、皆に頭下げて修理を手伝ってきな。終わるまで城に戻るんじゃねーぞ」
「「「「「「Yes, sir!」」」」」」
 ザッと敬礼して、男達は町の人々の間に散っていった。
 侮りがたい統率力…とその姿を見送って、また活気をとりもどした通りに、しかし佐助は油断なく視線を走らせる。
「すまなかったな前田慶次さんよ。奥州での旅にケチが付いちまったかい?」
「いーや!なかなか面白かったね」
「Ah〜, そう言われるのも不甲斐ねえな」
 苦笑する青侍に、ふと黄色い陣羽織が屈みこんでその白い顔を覗き込んだ。
「What…?」
 急に目前に近づかれ、細い体は僅かに反り返る。
「へえ、なるほど別嬪さんだなあ!」
 左目が長い睫を瞬かせる様に、男前がふっと目蓋を伏せた。
「…あんたの目が恋に輝くところを――見てみたいもんだね」
 無意識にか、顔を離そうとした青い竜姫の身が、グラリと揺れる。
「あ、」
 転ぶ、と見えた体が、宙で止まった。
――ガラン。
 音を立てて、三日月を添えた兜が道に落ちる。
 その身を支えようと腕を伸ばしかけていた前田慶次は、しかし身を引いていた。
 首元には大きな手裏剣の刃。
 深い葉緑を斑に染めた衣装の腕が、片方は凶器を男に突きつけ、もう片方で姫君の肩を抱きこんで。
 まだ高い日の光に不釣合いな殺気を漲らせて、緑の影は黄色と青色に割り入っていた。











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