独眼竜は二人いる







 天井裏から下を覗けば、いつものように目が合った。
 見上げてくるのは藍色の内掛けを肩に纏った美しい姫君。
 まあ、と呟き可憐な唇をほころばせて、楚々とした仕草で壁による。
 忍びが天から降り立つ時にはこんなふうに床を空ける必要も無いのだが、そうされれば迎えいれられる様で面映くも 嬉しくなってしまい、佐助は今日もその事実を胸だけに留めた。
「失礼しますよ、お姫さん」
「…お久しゅうございます、猿飛さま」
 へらりと笑えば返る微笑は、咲き初めの花も恥らうほどである。
 しかしその姿は、普通の姫君のそれとは違う。
 茶色がかった黒髪は首筋までを覆うほどの長さしかなく、細身に纏う着物は男物で、そしてその右目には、黒い眼帯。
 名もまた、姫らしいものではない。
 伊達藤次郎、政宗。
 対外的には男で通っている。
――それも、奥州を平定した武人として。


 十六で初陣、十八歳で奥州伊達家を継いだ、伊達政宗。その素顔を猿飛佐助が目にしたのは、この伊達家の新しい当主が 十九で奥州を平定した直後の事だった。
 武田信玄が命で青葉城へ忍び参った、二月前。
 天井板の上を進んでさて城主の部屋、と下を覗いた甲斐の忍び烏は、
(…部屋、間違えたかな)
 と首を傾げた。
 部屋にいたのは男物の着物を着て、しかしその衣地に隠しきれない細身の線を浮かべた―― 間違えようも無く女人だったのである。
 あるいはこれが側室にして影武者を勤めるという噂の猫御前とやらなのだろうか。
 首を捻っていると、ふいに女が顔を上げた。
 人を呼ばれるか、などという正常な思考は一瞬奪われた。
 世にも稀な美貌のその左目が、佐助の目を射止めていたのだ。
「…まあ」
 みずみずしい唇が小さな感嘆を零す。
 壁際にそっとその身を寄せて、さらには「どうぞ」と佐助に呼びかけた。
 佐助は誘われるがままに、天板の一枚を外す。
 さすがに罠かと他の気配を探ったが、部屋を三つも隔てなければ人のいる様子は無い。
 佐助は音も無く畳に降りた。
「どーも。……お姫様?」
「はじめまして――
 すっと畳に指をつき、身を屈めたものだから、その声は消え入るような響きになる。
「伊達…政宗です」


(嘘だろう、おい)
 そう思ったのでそのまま口にした。
「影武者さんですか?」
 頭を上げた『伊達政宗』はきょとんとあどけなく目を見開き、頭を振る。
「いいえ…」
「………ご本人?」
「はい」
 強くは無く、けれどはっきりとした声だ。
「貴方は」

「武田軍の国の忍びの方ですね」

 佐助はまた、射抜かれた様に押し黙った。
 しかし『どうして分かったんですか』などと聞けるはずも無い。聞いたら馬鹿だと自分を押し留め、へらりと笑う。
「…お姫様は甲斐の忍びをご覧になったことが?」
「いえ。ただ――
 じいっと長い睫の左目が注がれるのは、木の葉に隠れる迷彩染めの衣装。
「あー。緑斑の忍びが武田軍にいるってな噂ですか」
 他人事のように言って苦笑して見せるが、頷く細い首は確信に満ちていた。
「ええ…それに、上杉と北条の忍びの方とはもうお会いしましたから」
「は」
「私が城に戻ったと知っていてこんなに早く来られるのは、もう武田軍だけでしょう」
「ははあ…」
 確かに越後と小田原が先に来たと言うのなら、距離的に残るのが武田軍だけなのは自明の理だ。
「でもねえお姫様?奥州の他家の残党の手の者だって可能性もありますよね」
 すると姫君は、口元にだけ微笑を浮かべたまま、切なげに睫を伏せた。
「…奥羽の忍びで、私に影武者かなんて聞く者はいませんもの」
 “奥羽”。
 そう呼ばれる範囲には――佐助が“残党”と呼んだ中には、伊達政宗の血縁もいる筈だ。
 佐助は己が酷い失言を犯したように思って、今度こそ絶句した。


 それから二度目に訪れた時は佐助は武田信玄からの書状を携えていた。
 姫君は目の前で白紙に返事をしたため、その筆跡と花押はまぎれもなく伊達政宗のものだと―― その時には既に姫君を疑ってはいなかったのだが、佐助は確信するしかなかった。
 『伊達政宗』の筆跡は以前より雛には稀なる華人のそれとして知られていたのだ。
 柔らかすぎずけれど凛として美しい墨の黒は、男のものと言われても不自然さは無く、だが知ってしまえば確かにこの姫君の 手から生まれたとしか思えない線である。
 焚き染められた香は彼女の居室に染みこんでいるもので、武田の大将に渡すのは少し惜しい、と忍びらしくも無い未練が 残った。
 三度目には甲斐の菓子を手土産に持っていき、政宗公は手ずから略式に茶をたてて忍びにすすめた。
 そして四度目が今日である。
「相変わらず――護衛の一人も付けてらっしゃらないんですねえ」
「ええ」
「こんな可憐な姫さん一人で」
 伊達政宗が殿様でなく姫様だという事実は、京より東ではすでに公然の秘密である。
 そこを狙ってくる勢力もあるのではと自分のことは棚に上げて心配げに眉を顰めれば、姫君は僅かばかりうろたえた様に 華奢な手を振って見せた。
「もちろん小十郎や成実だって、何かあれば呼ばなくても駆けつけてくれます」
 自分の部下を擁護したいのだろう。それに、と何か続けかけて押し黙る。
 必死な左目を見ていたら、少し意地悪が言いたくなった。
「そうですよね。こんな怪しい猿を寝所に入れて“何か”あったら大変ですからね」
「そういう意味では――…」
 慌てた様子で手の振り方が大きくなる。
 ついクスクスと笑ってから、佐助は「そう言えば」と切り出した。
「この間、前田の風来坊が上田に来ましてね?」
「風来坊…さん?」
 そんな敬称は必要ありません、と忍び烏は爪の尖った五指をひらひらと舞わせる。
「前田慶次とかいう傾奇者ですよ。前田利家はご存知でしょう?」
「はい。ああ、甥御様でしたね、前田慶次殿」
 諸国の武将の情報はその澄んだ左目の奥にいくらでも仕舞ってあるのだろう。
 佐助だとて忘れたわけではないが、この姫君、奥州筆頭伊達政宗公である。
「でも傾奇者…というと?」
 それでも小首を傾げて尋ねる姿は箱入りのあどけなさを醸し出していて、佐助は眩しげに目を細めた。
「奇に傾いでるんですよ。衣服も行動も!中々立派な体躯の若者なんですけどね?髪はこーんな長く伸ばして高いところで 結っちゃって、赤い棒簪に鳥の羽を三枚ずつさして」
 まあ、と零れる感嘆の声が、どこか幼いのに掠れて艶やかだ。
「毛皮をあしらった陣羽織の、裏地は真紅で表は真黄色に金糸の縫い取り!挙句背中に携えた身の丈並の大刀で大立ち回り――
 世間話のつもりで、城下から城の中までを荒らしまわった傾奇者の話をする。
「それで蕎麦かっ食らって消えちゃいましてねえ。もう後片付けは大変だし、結局あの人何しに来たんだか」
 へらっと笑って咽元を過ぎた熱さに肩を竦めて見せる。
「だからさ、部外者にはお気をつけたほうが良いですよ。ほんっとーに」
 姫君は真面目な顔で聞いていたが、佐助が語り終わるとふっと口を開いた。
「その方、……猿を連れてらしたんですね?」
 佐助は一瞬ぽかんと口を開いて、自分の話した内容をざっと頭の中で繰り返した。
「ええと――俺、それ言いましたっけ」
「いえ、ただ…」
 細い指が、紅を差す必要も無い赤い唇を隠す。
「……大変」
 ぽつり、と指の下で姫君は呟いた。
 それから佐助がハッとするほど真摯な目をして顔を上げる。
「猿飛さま、一緒に来て頂けますか?」
「え?来てってどこに…」
「城下の街に――いえ、ひょっとしたら森の中かもしれません」
「はあ、そりゃ、良いですけど」
 佐助が答えると、政宗公はスラリと立ち上がる。
「着替えてまいりますので、門で先にお待ちください。――小十郎!」
 そうして姫君がその右目とすら呼ばれる従者の名を呼ぶので、佐助も慌てて席を立った。
 どうやらここで姫が他国の忍びとお茶をしているのは公認であるらしいのだが、できればあの厳しい顔の人とは顔を 合わせたくない。
 そう思うのは佐助の方にも少しはやましい所があるからで、それは決して血生臭い物ではないのだが、姫君の可憐さの前には 生臭いようで気が咎めるのだ。


 が、そんな忍びの思いを他所に、青葉城の門の前には馬を引く片倉小十郎景綱が立っていた。
「これは、武田の忍び殿」
「どーもー」
 木の枝の上、新緑の影からぺこりと頭を下げて見せれば、竜姫の右目はふっと口端を上げて微笑する。
「腕は確かと聞き及んでおりますが……」
「はい。まあ、間違いの無いように気をつけますんで」
 武田は奥州と良好な関係でいたいんですよー、と控えめに主張してみせるが、馬の首を撫でる武人は少し難しい顔になった。
「政宗様は――何と申しますか、非常に複雑な方ですので、くれぐれもよろしくお願いいたします」
「はあ…」
 確かに武人にしては少々、かなり、とても、しとやかな姫ぶりである。なるほど姫だといわれれば納得するが、 武人というにはあまりにもたおやかだ。
 最近はこの“武人”というのは専ら参謀役なのではと考えていた佐助なのだが――
「お待たせしました」
 姫君の少し掠れた声がしとりと響き、そちらに目を向けて佐助はぱちくりと瞬きをした。
 青い青い、鮮やかな青色の陣羽織に、細い三日月の乗った兜。腰には左右三本ずつの刀を下げた、噂通りの“独眼竜”の 姿である。
「その格好は…」
 この姫が着ていればそれらも無骨なばかりには見えず、常から身につけている黒い眼帯はもちろんその美しさの邪魔には ならない、…が。
 細い女の身を戦装束に包んで、姫君は恥らうように左の視線を地に落とした。
「…この方が、城下では驚かれないんです」
 そう言って、小十郎から馬の手綱を受け取る。
「政宗様、どうかお気をつけて」
 馬の上から姫が頷けば、従者は一礼して城の中に戻って行った。
 見送りは無いのだろうか。
 門番の一人もいないのも、気にかかる。
 佐助が木の上で首をかしげていると、馬上の“独眼竜”が顔を上げた。
「猿飛さま、私が出たら、門を閉めていただけますか」
「それは、…良いですけど」
 やはり門番はいないらしい。
 佐助が戸惑い見つめる先で、姫は一つ深呼吸をする。
 そしてやおら、馬の手綱を握り締め、その腹を蹴った。
 青い竜が風のように城門を駆け抜ける。 
 佐助は慌てて門を閉め、その後を追った。
 馬はしばらく道を駆け、やがて速度を落とし、歩みで息を落ち着かせた。
 その頃になってようやく佐助は追いつき、木の枝を蹴って跳んでいた足を止める。
 ふわりと初夏の風が吹いた。
 穏やかな春風が苛烈な夏の熱を孕む、瞬きの間。
 馬上の青い姿が、三日月の兜をぐるりとめぐらせる。
 見つめる忍びの目と竜姫の左目がかちあった。
 姫の切れ長の左目は、きりりと凛々しくその目じりを上げている。
「……お姫さん?」
 ぽつり、呟けばその綺麗な眉が跳ね上がった。
「よせよ」
「は?」
「よせっつったんだよその呼び方」
 凛とした声が響き渡る。
「あの、えっと、――じゃあ、なんて?」
「政宗でいい」
「はあ、じゃあ、政宗…サン?」
 呼べば姫はその可憐な唇を、にい、と吊り上げた。
「Good!」
 異国語を吐く口元で、普段は目立たない犬歯が猫の牙のように覗いて見える。
(……え。え、え?何なのこれは)
 城の中とのあまりの違いに佐助は放心した。
 そんな忍びを尻目に、竜姫は馬の脚を数歩進めさせ、それから上体を捻って振り返る。
「Hey, 何ぼさっとしてやがる、サスケ!」
「はいい!」
 佐助は木の上で飛び上がった。
「テメエがいなきゃ始まらねえだろうがよ」
「始まるって、あの、何が」
 分からねえのか?と政宗公は方眉を上げてみせる。
「猿探しだよ、猿探し。――You see?」
 その美貌に浮かべられた悪戯気な笑みは愛らしさすら含んで、枝に乗った猿を射落としかけた。











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