猿の佐助と河童ちゃんO






 静かに濡れ続ける大地の上。
 足音が二つ、近づいてきます。
 竜の子は腕を解き顔を上げました。
 佐助も見上げれば、鬼男と幸村が並んで立っていて。
 鬼は微笑むと、その場に膝を付きました。
――お初にお目にかかります。竜の君」
 子どもはあどけない顔でそれを見つめ、一つ瞬きをしました。
「私は鬼の名を継ぐ者。祖より貴方に仕える者です。…覚えておいでですか?」
「…鬼庭?」
 小さな声が落ちます。
 鬼男は笑顔を深めました。
「……お迎えだって」
 佐助の声に、はっとその顔を見上げて、鬼に真っ赤な目を向けて。
 竜の子は佐助の膝から動かず、けれど鬼男はそれを見守って微笑んでいました。
「竜神殿」
 佐助の隣に泥まみれの赤い陣羽織が腰を下ろします。
「さなだ、幸村」
 精悍な顔の武者は雨空の中にも輝かせた真直ぐな目で、小さな竜神を見つめました。
「此度の事、いくら感謝してもし足りませぬ」
「Oh…そうかい」
 竜神は赤い目じりを拭って少しだけ微笑みます。
 幸村はそれを見て、ぐっと顔を近づけました。
「戦はいずれ終わりまする」
 金色の一つ目が瞬きます。
 鳶色の二つ目も見開かれて。
 茶色がかった黒い目が、にこりと笑いました。
「いや。――武田軍が終わらせてみせてござる」

 そのために我らは血を浴びるのだから。

 血よりも炎に似た深紅に身を染めた、若い武者は、子どものように笑んでいます。
「全てが終わったら精進潔斎して此処に参りましょう。その時は某とも佐助とも、また会っていただけまするか」
 子どもの目が幸村を見つめて、佐助に向いて。
「…そうだね。もし駄目なら、俺は来世でも良い。戦のない世が来るのを」

 待っててくれる?

 心から笑み崩れた男に、小さな口が開かれた瞬間。
「来世で良いなどと言うな佐助!」
「いや可能性の問題って言うか確率の問題って言うかね…」
 叫ぶ幸村に佐助は疲れた顔でつぶやき、子どもの閉じられた小さな口は――いつの間にか、笑み染まっていました。 
――Okey」
 声に目を向ければ、膝の上の子どもは涙の跡を残したまま、しとりと大人びた微笑を浮かべ。
「待っててやるよ。何年でも何十年でも」

 来なけりゃこっちから探してやるさ。

――遠く山の端に雲が切れて、日が金色の光で地を照らしました。

「朝、か…?」
 幸村が眩しげに目を細め、鬼庭が首を振ります。
「あれは夕日です――長い一日が終わって、これから夜が来る」
 夜が来て全てが眠る間に、世界は元の姿をとりもどすのでしょう。
 ゆっくりと、日は傾き光を優しく弱めていきます。
 遠くに見える人影はもう一人の竜のしもべでしょうか、背に小さな影を背負ってこちらに
向かって来るようです。
 その影を目の端に捉えながら、佐助の視線は目の前の子どもに捕えられていました。

――光さす中で、その衣は生まれたばかりの空の、鮮やかな青い色をしていました。

「猿」
 腕を上げるその袖で、シャラン、と飾りのような薄片が涼やかな音を立て。
「猿、飛…佐助」

――悪戯気な、ひどく懐かしい笑顔で、一つ目の竜の子は小指を差し出しました。

「約束、ね」
 それは誓うためのようで、眠る前の儀式のようで。
 小指を絡めると、途端に佐助の体からは力が抜けて行きました。
 くらり、と前のめりに倒れこむ肩を支えたのは小さな青い身なのでしょうか。
(あ。旦那が何か…叫んでる)
 すぐ側にいるはずなのに、その声も遠く。
 指を絡めたまま痩躯を支えたまま、覗き込んだその子が、促すように佐助の目じりに唇を
寄せたのだけは分かって。
 佐助はヘラリと笑いました。
 一つ目の竜も笑いながら、何事か囁きました。
(…今、何て言ったの?河童ちゃん)
 目蓋が落ちて目の前が暗くなって、聞き返す間もなく、意識が落ちて――

   *

 最後にあの子が。

"See you again."

 そう言ったのだと。

 佐助が知ったのは、随分後になってからのことでした。















●●終