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猿の佐助と河童ちゃんM 溢れた濁流に足を取られ終わりの無い雨飛礫に視界は利かず、行こうとする前を狂ったような強風に遮られ。 多木崎川の岸には逃げ遅れた足軽たちや、村を離れて地利を見失った民がまだ何十人と残っていました。 「ここは何処なんだ!?」 「村は…里のある方は…」 「佐竹の幟は!」 「どちらへ逃げればよいのだ!?」 隣で上がる悲鳴が僅かに耳に届くか否かという中、混乱に足をすくわれ川に呑まれる者も絶えません。 「何も 全ては向きすら定めぬ豪風雨に隠されています。 (五、四、三、二、…、) その時突然、一つの声が、嵐を打ち裂きました。 「其処に残っているのは佐竹か!北条の兵か!?」 確かに届いた人の声 「甲斐の境を越えれば容赦せぬと申したはず!この真田源二郎幸村が言葉、しかと覚えてござろう!!」 ごう、と風が雨を割り、人々の目に一瞬、赤い若武者の姿が映りました。 あちらこちらで微かな悲鳴が上がり、誰もがそれを自分だけの錯覚ではないと認めたその刹那。 何かがいっせいに揺らめく気配がして、顔を上げれば夥しい数の赤い幟が 「武田軍……紅蓮の鬼…!」 鬨の声が何処からともなく響き、嵐の轟音とともに逃げ惑う人々を取り巻きます。 「我らは甲斐まで迷い込んで来たのか!?」 「い、命乞いを…」 「待て、今別の音が 絶望的な色を帯びた声に応えたのは、ひと際澄んだ法螺貝の音でした。 「あれは…っ」 白い風が嵐の帳に滑り込み、山伏姿の青年の姿が垣間見えます。 「皆さん、こちらです!こちらへ 朗々と鳴る法螺貝の響きが、嵐の中朗々と鳴り渡りました。 * 天地風水の流れが乱れているのです。 小十郎、と名乗った山伏姿の青年はそう二人に説明しました。 数百年に一度の乱期にあって、風と水が天地の理から外れようともがいている けれど人間の乱期はそれに直接の関係はなく、乱れに流される魂を神々が救うことは出来ません。 『人間は人間の手で、一人でも多く掬い上げるしかない』 だから、どうか、手を貸してください。 そう言って頭を下げる青年は、神に近く野生の獣を従えながら、それでも確かに人間なのでしょう。 (人間だけど…“強いて言えば白狐”、の小十郎さんね) 佐助は子どもの声を思い出して、クスと笑いました。 「佐助!奥州と北条の民は非難したか!?」 若武者が、目のきく忍のもとに駆け寄ります。 「うん、順調」 佐助は川に近い大岩の上に座り、手を目の上のひさしにして一帯を見ていました。 幸村の叫びと佐助が雨風に映した幻影に追い立てられ、小十郎に導かれて、逃げ惑っていた民達は着実に川から離れて行きます。 「や〜れやれ、と。旦那すっかり鬼あつかいだ」 「いたしかたあるまい。これ以上天が災いの死人が出れば 責は無くとも、悲しむのは誰なのか。 佐助は傷が痛むかのように眉を寄せたまま笑みを浮かべて、遠く川の上流を眺めていました。 多木崎川はなるほど小十郎の言うように、頸木を振り切って駆ける灰色の暴れ馬のようです。 (あの子は 思いが他人事のように浮かんでしまうのは、例え自分がこのまま多木崎に呑まれても天地が崩れても、構わないと感じているためなので しょうか。 天地風水の傾れなど結局のところ忍には想像もつかず、それより心配なのは。 「あの方は、間に合われるだろうか」 ちょうど佐助が考えていたのと同じ言葉を、より切実な色を込めて幸村が呟きました。 「だーいじょうぶ!間に合いますよ」 岩の上に陣取った忍は、先刻の己の心に浮かんだ考えなど無かったかのようにへらりと笑います。 みどり児のように無垢で孤独になお誇り高く、強く、人の痛みに涙を浮かべる小さな神さま。 「河童ちゃんを信じなさいって」 そう言ってなおも荒れる天の遠くを見つめる忍を、幸村は 「佐助、 「んー?うーん、小十郎さんのくれた丸薬で何とか動けますけど…痛みが感じられないんで何とも…」 言いながら、腰の手裏剣に手をかけます。 幸村もハッと二槍を握りました。 すぐ後ろの木立、その若い木々のなぎ倒された奥。 「無理はなさらぬ方が良い」 低く落ち着いた 「痛みが無いからと動き続ければ、五体が四散してしまいますよ」 木々の守りの中に立つのは、何の変哲も無い笠に杖の、旅装の男です。 しかし今この嵐の中を、そこに静かに佇んでいることそれ自体が、佐助と幸村の目を鋭くさせました。 「武田軍の方々ですね」 「…あんたはどちら様?」 見下ろす忍に笠を持ち上げて、問われた男は柔和に微笑みます。 「藤乃の御君がしもべ。 多木崎の流れがざわめきました。 「鬼の名を継ぎますが人間です。景綱…小十郎の仲間と思っていただいて構いません」 白髪交じりの髪をして、けれど齢は三十か四十か、読めない顔立ちです。 遠い雷鳴か、何処かで重い音が響きました。 轟、とひと際強い雨風が吹きつけ、忍は流れに従うように岩陰に滑り降りました。 鬼と名乗った男は木陰で流れを受け流します。確かにその立ち姿はあの修験者の青年に似ているようです。 「小十郎の丸薬は血の気を高め痛みを消すだけのものだとは 佐助はハーッとため息とともに肩を落としました。 「そんなとこかなとは思ったんですけど…」 「小十郎殿の策であろうか?」 幸村はずぶ濡れの前髪をかき上げ、怒る様子も無く呟きます。 「やー、いっそいでましたからねえ」 飲んだ本人がそう苦笑し、鬼男は軽く頭を下げました。 「よほど気が急いていたのでしょう、あいつは御君の事となると頭に血が上っていけない。 …私からも御詫びします」 「確かに、我が子をとられた獣の親のようであったな」 真面目に頷く幸村に、男は一瞬瞑目し、古びた杖を握る手にしかと力を込めました。 「僭越ながら、我らが家系は代々藤乃の童神を…我が子以上に見守って参りました。 何より、」 深い色の目を、地に落とします。 「あの方御自身が 重苦しい音が遠く響きます。雷鳴より太く、風鳴より深く。 大地の唸り声に、男は雨雫垂れる笠の下眉間を険しく寄せました。 佐助が目を細め見やった天には厚い雲が渦巻き、崩れ落ちようとする灰色がどす黒く陰っています。 「…もう刻も無いのでござろう」 幸村は雨礫に打たせるがまま両の眼をしかと開きました。 鬼男が飛礫の下に一歩踏み出します。 「あなた方も川岸から離れた方が良い。ここは危険です」 「鬼庭殿は」 若くして鬼と恐れられる青年の目に、男は鬼と呼ぶには穏やか過ぎる微笑を浮かべました。 「私は藤乃の君が御降臨の…迎え役に参りましたので」 「あの子を?」 佐助が男の方に体を向けます。 「来るの?ここに?」 頷く動きに笠が雨水を流しました。 「しかしこの嵐の中を、水神殿はどちらから 幸村が視線を向けたのは、雨幕の向こう土を飲み獣を呑み轟々と暴れる多木崎川です。 その眉間を伝う雨水にじっとその目を注ぎ、鬼男は口を開きました。 「 幸村は目を見開いて男に向けました。 「なんと…?」 「水だけの神ではない、と申すべきでしょうか。父君は天の流れを、母君は水の流れを守ってあらせられる 淡々と鬼の口が紡ぐ言葉に、若武者は助けを求めるように忍を振り返ります。 「つまり、川から来るんじゃないって事ですね」 鬼男は答える代わりに、笠のひさしを上げました。 その目が指し示すのは多木崎の上流。藤乃の流れる森の黒い影。 あの日飛んだ空が嘘のような嵐の天に、佐助も目を向けました。 (水の眷属ってわけじゃ、ない…) (でもそれじゃあ、あれは?) (あの、水みたいに薄青い) 四肢の鱗。腰元の鰭。 ぐらり、と地面が揺れました。 横殴りの雨風の中に惑わされたかと彼らは足を踏みしめ、しかし。 「地震か…!」 「木に体を寄せるんだ!旦那!!」 「佐助 ゴウ、と水弾が打ちつけ、鼓膜を叩く嵐の声に全てが掻き消されます。 その轟音は雨の地を穿つ音か風が大気を食い荒らす悲鳴か、天が落ちる響きか大地が割れる叫びか、そして。 その声を知っている気がして、佐助は顔を上げました。 鉛色の天の一部が、ゆらりと動くのが見えます。 (水の流れに育ち、天の流れに昇る…) それは川のように長く、風のようにうねり、雷のように雲間を伸びてきました。 うっすらと藍を溶かして光り、水鏡のように辺りを映し込む、艶やかな鱗を纏い 流を司るその姿。 「…竜…?」 ほろりと零れ落ちた言葉に、流れの先が頭をもたげ。 一つきりの左目が笑むように細まったのを、人の佐助は、見たように思いました。 |