猿の佐助と河童ちゃんL






 大きな烏が幸村を導くように、森の木から木へと飛んで行きます。
 それを追って山を駆け下りながら、幸村は時折木々の間から見える天を仰ぎました。
 風の勢いは大地を抉るほど、天は今にも割れて落ちそうなほど、雨は全てを打ち砕くほど――
「この季節に――これは、…尋常の嵐ではない」
 撤退命令を出した真田軍の兵達は、無事に甲斐へと帰り着いたのでしょうか。
 ピシャアアァ…!!
 また新しい稲妻が、蒼く輝きながら何処かへと駆けていきます。
 と、幸村の背負う忍が、呻き声を上げました。
「佐助!目覚めたか!?」
「…あー…はい、まあ…」
 小さな声が切れ切れに落ち、今にも消えてしまいそうです。
「痛むところは無いか?」
 返事をさせたくてそう訊きますと、肩に乗せられた顎から乾いた笑いが伝わりました。
「どこもかしこも、痛いに、決まってんでしょーが…」
「そ、そうか…水神殿に薬をいただいたのだが、」
「薬ィ?……あ、口ん中が苦いと思ったら、あれ……あ、れ?」
 幸村の背で佐助が身じろぎをしました。
「動くな。落ちる」
「旦那……あの子に、会った?」
 顔の横から視線を感じて、ちらりと目をやります。佐助は目をゆるく見開いて幸村を見ていました。
「うむ。お会いした」
 幸村は頷きます。
「そう…」
 また消え入りそうな声で囁き、橙毛の頭が幸村の肩に落ちました。
「とても、……心の、強い方のようだった。憤懣や涙を堪えて動ける方だ。子どもの様でありながら最後には義を通された。武士であれば ――将来が楽しみだ、と言うところだが」
 あの修験者の言うとおり、我らは触れるべきでない方なのであろうな。
 忍は返事をしません。幸村の肩で、息をしているのかも定かではありません。
「……佐助?」
 幸村は立ち止まりました。
 轟々と風が鳴り天が呻き、樹々は今にももぎ取られるかと見えるほどに身を震わせていますが、それでも森の中は ――その樹々の力か川の力にか守られているようです。
「忍であることを後悔したか」
 その中で、幸村の声ははっきりと響きました。
「まさか」
 佐助の声も幸村の骨に響くかのようです。
「…なに、言ってんですか、旦那……だいたい、ね、惚れた女のことじゃ、あるまいし……………」

 ただ、話したいと思っただけです。笑って欲しいと思っただけです。会いたいと思ってただけなんですよ。
 それもたったの一月と少し、一緒にいたのは数日だけで。
 約束なんて一つもしてないし、あの子だって期待しないって言ってたし。
 期待しないで、…『待っててやる』って。

「後悔、するとしたら、……嘘なんて、吐かなきゃ良かったって、それだけ」
 烏がまた羽ばたいて、幸村は歩き始めました。
 儚いような佐助の声がぽつりぽつりと落ちる間も、嵐は地上を攻め立て天と大地の理を食い千切ろうとするかのようです。
 森の中で嵐が去るのを待つべきだろうか。そう幸村が考えた、その時。
 轟、と木々の笠の下を、二人の横を、一陣の風が通り過ぎました。
 絡み合う嵐風と違い、まっすぐ駆け抜けるかのような白い風。
「…今のは…!?」
 茂みが揺れて濡れた葉を落としました。
「佐助、下ろすぞ」
 忍を木の幹の影に置き、二槍を構えます。
 白い風が向かったその先から、ひたりと軽い足音がして、再び茂みが揺れました。
「…来たか」
 狼と、山伏姿の青年が現われ、幸村は眉間の皺を深めます。
 青年は笠の下で静かに目を細め――幸村が驚いたことに、すっと頭を下げました。
「先刻の非礼をお詫びいたします」
「何と…?」
 槍は下ろさず見開いた目を、青年はまっすぐに見返します。
「甲斐に敵意なしと――我が主君が」
「しかし佐助は、」
 山伏姿のそぐわない端整な顔が、その時初めて柔和な、けれど何処か困ったような笑顔を浮かべました。
「知らずに入った馬鹿に咎は無いそうですよ」
「ふむ…そうでござるか」
 幸村は小さな水神の口調を思い出し、やっと両手の槍を下ろします。
 すると青年は真面目な顔つきになりました。
「私の非礼を許してくださるならば――手を貸してはいただけませんか」
 また一つ、大気が割れるような音が響きます。
 風が荒れ狂い雨粒も惑う中で、雷の光だけが確かに天地を繋いでいました。












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