|
猿の佐助と河童ちゃんK 時宗丸を背負った小十郎が小滝の祠に着く頃には、大雨は雷をともなった嵐と化していました。 どこからか烏の鳴き声が聞こえてきます。しかしそれも不吉なものと言うより、風の強さに戸惑っているかの ようです。 「小十郎、梵の病の調子はどうなんだ?」 しかし背から問いかける時宗丸の声は落ち着いたもので、自然の眷属の力の頼もしさに小十郎は笑みを 浮かべました。 「随分と癒えてきている、とご本人は仰っていますが…」 「穢れにあたったとは何事なんだよ。って言うか…この辺りも何だか、」 小十郎はハッと眉を潜めました。 人間には分からない、人間自身の匂い。 「…時宗丸様、ここでお待ちください。いえ、ここよりも穢れの無い場所に 「必要ねえよ」 落ちてきた声に、青年と子どもは顔を上げました。 「梵天丸様…!」 「梵!」 小滝の上の、白い水干姿。 岩に腰掛けて口元には笑みを浮かべ、ひらりと手を振ります。 「梵、大丈夫なのか!?穢れに触ったって、」 「Ah?別に何ともねえな」 痛くも痒くも、と答える主人に、しかし小十郎は諌めるような視線を向けました。 「…ここに、他国の武人が参りましたね?」 「ああ」 「他国の忍も」 崖の上の水神もすうっと冷たい目を見せます。 「で、お前は、そいつを式に襲わせたな?」 ピリ、と雨粒の間を雷が走りました。 小十郎は森の暗がりに目を向けます。 「…仕留め損なったか」 闇の遠くから声が返りました。 青年は顔を上げます。 「庇われたのですか、あの者を」 「Yes」 水神は立ち上がりました。 「我らはは人間の生き死にを見守るように定められている。それが、咎の無いものを殺めて何とするか」 風も雨も遮れぬ声が、滝の下へと響きます。 「咎がないと仰いますか」 「無論。…知らずに入ったんだよ、」 あの馬鹿。 そう呟く声だけは、風に攫われそうなほど小さく。 小十郎はきりりと食いしばった口元から、ふっと力を抜きます。 彼自身は、かつてこの水神を蝕み、その右目を腐らせた穢れがどれほどのものであったかは話にしか知りません。 しかし寧ろ、それゆえにこの一月あまりの藤乃が流れの不穏さと けれど、長の年月この小滝の場所でたった一人の人間としか言葉を交わさず過ごしてきた、目の前の幼い姿。 その内側に潜むまるで人間のような情を思い、小さな呟きに混じった悲しみに瞑目し、青年は面を上げました。 「……良いでしょう。あの者は見逃します」 小十郎の言葉に水神は微笑みました。 「よし。 やっと名前を呼ばれて、同じ水干姿の雷子は焦った顔で小十郎の背から飛び降りました。 「もう良いか?もう良いな!?」 「ああ。…久しぶりだな」 水神はふっと微笑みます。 この雷の子は藤乃に来る前は同じ場所で育ち、片時も離れることの無かった従弟なのです。 「梵天丸様、時宗丸様は使者としていらっしゃったのですよ」 「使者、か」 水神は崖の上に跳んで登る時宗丸を目を細めて見ました。 「 「こちらに!」 白い書状を小さな手に、パッと広げて視線を走らせます。 そして次の瞬間、左目を見開いて顔を上げました。 「時宗丸!こういう大事なものはさっさと出せ!」 「出そうと思ったんだよ!口が挟めなかったんだよ!!」 「Shit!一刻を争うじゃねえか…!」 頭上で騒ぐ二人の子どもを、小十郎は心配げに見上げていました。 「梵天丸様、…行かれるのですか?」 「ア?ああ、水源に帰ってもお前は連れてくぜ?」 「そういう事ではありません!」 小十郎は崖のすぐ下に詰め寄ります。 「名を継ぐという事は大きな力を受け入れることと聞き及んでおります。しかし、器がそれに足りなければ 力を得る前に…!」 「誰の器が足りねえってんだ、小十郎。…第一、」 水神は人里へと遠く視線を投げました。 「手が遅れたら地の上が流されちまうだろ。 「人間どもの魂の流れ、俺たちの落ち度で掻き乱す訳にはいかねえんだよ」 『人地が水に飲まれてしまう!』 小十郎は瞑目しました。 このいとけない神々が、力を尽くすほどの価値が、果たして自分達にあるのでしょうか。 彼自身は代替わりしてからの十数年しか梵天丸を見ておらず、時宗丸も時折梵天丸への贈り物を持って 麓に尋ねてくるのに会うのみです。 けれどただその名を受け継いだからではなく、 それだけに時折、彼らが守ろうとする人間達の方が、自分も含めて厭わしく見えるのです。 しかし。 「貴方が 青年は崖の下、膝を付きました。 「この片倉小十郎景綱、どこまでもお供いたします」 水神は唇の片端を上げ、ニイッと笑います。 「よし。お前は多木崎の下流へ 「飛べるか?梵、おれ、無理だったら助けてやれって言われて来たんだ!」 自分より僅かに背の低い、多分に幼い時宗丸に、水神は破願して見せました。 「Haha!舐ァめるなよ?」 空の感覚なら、思い出してる。 そう言って灰色の天を仰ぐ、その姿に青色の小さな光が集い、膨らんでいきます。 「梵天丸様!」 従者の声に、首を傾げて視線だけを向け。 「 にいっと笑って見せました。 「Ha, 必要なければな」 その時、小さな水神の体から天に向けて、一筋の青い雷が迸りました。 眩しさに閉ざしたまぶたを開ければ、崖の上には雷の子が一人、楽しげに笑っています。 小十郎はため息をつきました。 「梵天丸様をよろしくお願いいたします」 「もっちろん!」 「貴方も無茶は 言いかけて、ふっと笑いを浮かべました。 雷子も笑って手を振り、雷となって天に昇ります。 風の暴れる音と、雨が森を大地を攻め立てる音だけが、後に残されたのでした。 |