猿の佐助と河童ちゃんI



 何度目の雷か、荒れ狂う天に昇っていく光に、山伏姿の青年はその秀麗な眉をひそめました。
 苦しむように。足掻くように。光は折れ曲がり身を裂いています。
「…それでも、あの雷では嵐は治められまい」
 呟く声が誰に届くでしょう。
 彼もまた、山の中――かの赤い武人が禁域に入るのを追って、人の踏み入らぬ暗い樹陰の下にいるのです。
 時折目を走らせ嵐に濁流をうねらせる藤乃川を確認しながら、すべる様な身軽さで峰を登る姿は、野に住む狐にも 似ています。
 ふと、青年は足を止めました。
――ヵカッ!
 稲妻が耳を射るほどの轟きを伴い、山伏の僅かに数歩先に落ちます。
 山伏は驚いた様子も無く僅かに目を細めて、礼を慮るように笠を取りました。

 辺りを白く染めた稲妻の跡に、小さな影。

 むくり、と立ち上がるとその雷の子は、山伏を真直ぐ見据えました。
「…小十郎」
 名を呼ばれた青年は、その童に軽く頭を下げます。
「お久しゅうございます」
 白い水干姿の子どもはその足元に駆け寄ると、勢い込んで口を開きました。
「今日は使者として参った」
「それは…」
「輝宗様からのお達しだ!」
 携えた書状を見せて、子どもは両の目で縋るように山伏姿の青年を見ます。
「小十郎!梵は…梵天丸はどこにいる!?」
「それは…まず、落ち着かれますよう」
 青年はしゃがみ込んで子どもの肩を支えますが、子どもは怒りか焦りか身を震わせて叫びました。
「藤乃はまだ堪えているようだが、多木崎の本流は我らの手綱を食いちぎった!源の決壊と天の騒乱、  人地が水に飲まれてしまう!」
「しかし梵天丸様はまだ身が癒えておりませぬ。それも今は…特に穢れにあたったばかり――
「竺丸では無理だ。梵の力が要るんだ。小十郎!」
 水の源の守である苛烈な姫神、天を宥める殿神。――その二神の御子の名を呼んで、雷の子は山伏に縋りつきます。
 藤乃から水源が神に穢れが伝わった訳ではない、と青年は考えました。
 むしろ近頃の水が神たちの騒乱の中で、藤乃の細い流れがよく保ったものです。
 それだけ藤乃の水神には力があり、本来ならばこんな奥州の端にいるべき方ではないのだと、青年は 片目の水神を思って目をふせました。
――名を継げば、名乗りを上げれば、その力はより強まる。
 神々の掟を胸のうちに噛んで含めます。
 青年は人間の身でありながら、彼らに近く仕えていました。
 代々、父から子へ、子から孫へと名前を受け継ぎ、藤乃に身を寄せた水神の子を守ってきたのです。
 山伏姿の青年は、すっと表情を引き締めて、雷の子を抱え上げました。
「小十…」
「かしこまりました。今より梵天丸様の元へお連れしましょう」
 己の仕える水神に似た雷子を背負い、その細面に笑顔を浮かべて。
「しっかりつかまっていて下さい、時宗丸殿」

   *

 暗い暗い、嵐を背負った森の笠の下。
 人の血と自分の血に着物を染めた男は、それでも霞む目で闇を見通しておりました。
 太古からこの地の水を吸って生きてきた大樹の、朽ち落ちかけた幹の虚ろな闇。
 そこにぼうっと現れたのは、黒い布に身を隠した、幾つもの影です。
 その中身は奥州の草か、狼か――もっと別の何かかもしれません。
(別に、何だってかまいやしねえけど)
「…、ハ、」
 佐助は息を吐き出して、にいと口の端を吊り上げました。
 人の形を取った影が揺らめきます。
――息がある。
――生きざるべきがまだ生きている。
――死すべきが死んでいない。
「あのさア…」
 喉が渇いて引き攣れました。
「殺、す、なら…跡形も、無く。……頼むぜ」
 忍の体が日に晒されぬように。――あの子が自分の死を知ることの無いように。
 声は絶え絶えで、それでも闇にはことによく響きます。
――それから…、甲斐には、祟って…くれるなよ。…関係ねえから」
 影は頷くように、また揺らめきました。
「ハハ、…話が分かるねえ…」
 男はふっと目を閉じ、口元の笑みも消え去ります。
 雨が大樹の屋根を叩く音が遠く響き、幹を伝って流れる川の囁くような声が、空気をざわめかせました。
 影だけが音も無く、命の途切れかけた体に近寄ります。
 黒い腕の先に、銀の爪が光り――その時。

「てめえら、何してやがる!」

 青い光が銀刃と忍の間に舞い込みました。

「退けエエエ!!」

 赤い槍が大気を裂いて影を払いのけます。


 闇にも呑まれぬ蒼紅の光が、旋風となって影の前に立ちはだかりました。












●●J