猿の佐助と河童ちゃんH






 後に佐助が聞いたところによると、河童ちゃんは峰の険しくなる場所――小さな滝が連なる場所にある祠の中に、 薬や清められた帯布を置いていたようでした。
 下流から神社を通り、幾重も並べられた鳥居を抜け。そこは、常人の登ってこれる最後の地点です。
 薬と布を濡れないように水干の懐に入れ、川は使えぬと河童ちゃんには大きな笠を被り――と、その時。
 ガサガサと下手で灌木の揺れる音がして、河童ちゃんは振り返りました。
「…小十郎?」
 ただ一人、ここを訪れる人間の名を口にします。
 バサ!!
 けれど、葉と小枝に塗れ、雨に濡れた姿で現れたのは、見たことも無い若い男でした。
――!」
「…そなた、は……いや、」
 男も子どもの姿に驚いた様子で口を開きました。

「貴殿がこの川の――水神であられるか」

   *

 子どもは、キュッと唇をかんで、離します
「……だとしたら、どうした」
 そうして男を見据えて答えました。
 ザアア…、と雨の音が響きます。
「この辺りに某の忍が参っておりませぬか?」
「しのび…?」
「橙色の髪に迷彩染めの着物、鉢金をはめて顔にこう…」
 男は頬と鼻にすっと指を滑らせました。
「泥化粧を」
 子どもは得たりと頷きます。
「Ah…, そういう格好の、猿なら知ってんぜ?」
「真にござるか!して、どこに…!?」
 勢い込んで尋ねる男に、子どもは左目のまぶたを伏せました。
「生憎、ここから先は人間は入れねえ」
「そうでござったか。しかし佐助は、」
「……さ、すけ?」
 始めて聞く名を唇にのせ、今度はあどけなくその目を見開きます。
「某の忍の名にござりまする。佐助は其処にいるのでしょう」
「あれは…猿だから良いんだ」
「人間でござる」
 しかし男は間髪いれず答えました。
――人間じゃない」
 子どもは声を低めます。
「人間でござるよ」
「嘘だ」
「嘘ではありませぬ」
 子どもは首を振り、けれど男は頑なに繰り返します。
「あれは、人間ではないと、そう言った!」
「誰がなんと言おうと、某の部下は人間にござります!!」
 雷が天に昇り、その光が濁流と森に挟まれた二つの影を照らしました。
 男は後ろ髪だけが尻尾のように長い、茶色い髪に、濡れて濃い色に染まった赤い上着と、 赤い鉢巻を身につけています。
 その背には二本の長い槍を背負っているようです。
「…声を荒げて、申し訳ありませぬ。しかし猿飛佐助は某が最も信頼する人間であり――帰していただかねば 困るのです。それに何より、某や佐助のような人の命を屠る武人は、大義はどうあれ水神の住まう場所に 毒であると……!?」
 男は言葉を失いました。
 目の前の、十ほどの子ども――白い水干姿の小さな水神は表情を無くしています。
しかしその目からは、ぽろぽろと透明な雫が落ちているのです。
 雨が矢のように降りしきる中で、その露だけが柔らかに丸く、ゆっくりと白い頬を伝っていくのが、 彼の目に美しく映り、酷く、うろたえさせました。
「も、もも、申し訳ござりませぬ…!!某、決して、断じて!水神殿を傷つけるつもりは…!」
 左目をそっと拭い、なおも零れる雫に指を濡らす姿に、先刻までの武人らしい態度は何処へやら、滝の下手で おろおろと手を振ります。
「な、泣き止んでくだされええ!!」
 どうすれば良いのだ!お館様アア!!!
 錯乱してそう叫ぶと、プハッと吹き出すような音が耳に届きました。
「……?」
「ハ、…ははは…!」
 見上げれば、子どもは腹を押さえて笑い声を上げています。
 目にはまだ玉雫を乗せて、けれど確かに。
「水神、殿」
「…Ha, 分かったぜ。案内してやるよ」
 笠をくいと持ち上げて、その頬には涙の軌跡が残っているというのに、なおも清々しい笑みを見せました。
 黒々と濡れた髪に白い肌は輝く満月のようで、左しかあらわにされていない目にも光を浮かべ、そうして ただの子どもの様に見えたその姿が、突然強い存在感を持って男の目に飛び込んできます。

「ついて来な――真田、幸村」

 ふわり、と青い不思議な光が、小さな水神の周りに集いました。












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