猿の佐助と河童ちゃんC






 そんなこんなで、さらに三日経ちました。
 佐助の怪我はすっかりととは言いがたいけれど、動けるほどには治ってきています。
 河童ちゃんも少しくらいは川から離れても大丈夫そうなので、一緒に木に登ったり、春の山菜を探しに 行ったりもしました。
「河童ちゃんって頭のお皿どこに隠してんだい?」
「Ah-n?…川の底。なら、乾かねえだろ」
「ははあ、道理だねえ」
 立って歩けば小さな頭が、佐助の腰の辺りでぴょこぴょこと跳ねています。
 幸村がこれくらいの時は自分も大差の無い身の丈でしたから、子どもに縁のない忍には見下ろすつむじも中々 新鮮でした。
 そうして取ってきたぜんまい等は、佐助が干し茸を提供して河童ちゃんが何処からか味噌など持って来て、 鍋に一緒くたにして食べたものです。
 しかし動けるようになったその日からもう、佐助が『帰らなきゃなあ』と思っていることには、河童ちゃんも 気づいているようでした。
 夜、「おやすみ」と佐助が言って、河童ちゃんが着物を脱いで。
 なんとなく振り向く幼い顔に、「寝てる間にいなくなったりしないよ」と指切りすること三回。
「…明日、河童ちゃんが見送ってくれる時にするね」
 指切りした後で、ついに佐助がそう言い出したとき、河童ちゃんはただこっくりと頷いて、いつもより何処か ゆっくりと川の水に身を滑り込ませたのでした。
 名残惜しいのは佐助も同じで、河童ちゃんの消えた暗い水面をじいっと見つめてしまいます。
 けれど、甲斐の国には佐助を必要としてくれる人たちがいて、しかもやたらに手のかかる上司が大小二人。 こうしている間も心配ですし、幸い奥州が他国に攻め込む気配はありませんでしたが、黒脛巾の腕は 見過ごせるものではありません。
 さっさと猿から忍に戻らなければ。と目をつぶります。
 とは、思うものの。
 明けてまだ日の光も差さない薄明かりの中で、目を覚ました佐助が真っ先に見たものは、水干姿で隣に寝転び うとうとしている、河童ちゃんだったのでした。
(何て言うか、もう、これ、さあ)
――抱きしめても良いですか。
 久しく忘れていた心の、水が低きに駆け下りるような動きに、ただそうすると後で辛いのは自分でなく この小さな子どもの方なのではないかと、そんな考えもまた浮かびます。そうなるとただ、いつものように 髪を撫でることしか出来ません。
 朝靄か、川の水滴が、光によっては茶色にも透きとおる髪を、しっとりと黒く湿らせています。
 どこかで、明けを告げる鳥が鳴きました。
(ああ、そうか)
 良いことを思いついた。

   *

 ばさっ、と、風をつかむ大きな翼を震わせて、その鳥は舞い降りてきました。
「……!」
 河童ちゃんは左の目を大きく見開き、紅い唇も閉じることを忘れたようです。
 佐助の木の葉がくれの着物をぎゅっとつかんで、脚の後ろに隠れるようにして、輝いた瞳だけが逃げずに 鳥の姿を追っていました。
 河童ちゃんを左脚で庇ったまま佐助が右腕を上げれば、烏はそれが当然のように、差し出された枝にとまります。
「…凄いな…!」
 河童ちゃんが感嘆の声を上げれば、佐助はへらりと笑いながら右の指で頬をかきました。
「こんなでかい烏見たこと無い…!それに、猿に懐いてる」
 凄い凄いと頬を上気させて佐助を見上げる河童ちゃんに、チラリと悪戯っぽい笑みを向けます。
 佐助が腰元から出した餌を右手にのせると、口笛一つで呼ばれてきたこの烏は大きなくちばしでそれをついばんで、 またバサリと翼を広げました。
 黒い羽が舞い落ちて、見上げれば鳥はもう木のてっぺんよりも高い空で、ゆっくりと旋回しています。
「行っちまうのか?」
 それは鳥のことでもあり、猿のことでもあるようでした。
 河童ちゃんは佐助の着物からそっと手を離して、表情も無く見上げてきます。
――うん。でも、その前に」
 言うが早いか、猿の長い腕が河童ちゃんを抱き上げました。
「わっ!?」
「はい、しーっかりしがみ付いててね!」
 左腕で子どもを抱きこみ、地面を蹴ります。
 佐助は駆けるようにして木を登り、最後の枝から跳んで、烏の脚をつかみました。
 ヒオ、と慣れた風が佐助の耳元を流れていきます。
 見渡す限りの緑の木々、青い山脈に視線を走らせて腕の中を見れば、河童ちゃんはぎゅっと左目をつぶっていました。
「目、開けてごらん?」
 囁けば、恐る恐る開かれるまぶたが、遠くの雲を認めた瞬間に、パアッ――と見開かれます。
「…空?」
「空だよ」
 自分を抱いて微笑んでいる猿を不思議そうに見上げて、その右腕の先の大きな鳥に目を細めて。
 それからまた、風の来る方へと子どもは顔を向けました。
 その左目は空を映して青く染まり、風が髪を煽って鬣のように翻らせています。
――河童ちゃん?」
 腕の中の子どもが、そのまま透明になり、風になって手からすり抜けていくのではないかと――奇妙な想像に、 知らず、腕に力を込めて、佐助はその顔を覗き込みました。
 鳥は二人を支えたまま、ぐうるりと森の上を滑っています。
「Magician じゃねえか、猿」
 ポツリ、とそう言って見上げた顔はいつもの悪戯っぽい笑顔で、佐助は何故だかホッとして微笑を返しました。
「お気に召しました?」
「Yes, 気に入った!」
「…良かった」
 河童ちゃんは満面の笑みで、佐助の首に細い腕を回して抱きついてきます。
 その小さな体をぎゅっと抱きしめて、じゃれる様にその髪に口元を埋めて。
 あまり素直ではない方法で、河童ちゃんを抱きしめることに成功した、猿の佐助でありました。












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