猿の佐助と河童ちゃんA






 さて、行きずりの河童ちゃんとの約束などさらさら守る気の無い猿の佐助でありましたが、意外にも一月足らずで再び 藤乃川に来てしまう運びとなりました。
 しかも、怪我を負った体を引きずって。
「俺様としたことがー…」
 実際、奥州の黒脛巾の実力を知っている者なら、たった一人で彼らを敵に回し生きて帰れただけ奇跡 と言うところです。
 苦笑しながら、一歩一歩甲斐の国へと近づいて行きます。
 そう、国境には藤乃川があるのです。
(どうかあの子に見つかりませんよーに)
 が、どうやらそれも無駄な願いのようでした。
 ゆらりと青い鬼火が、近づいてきて。
(あれま、地獄のお迎え?そんな酷い怪我じゃあないですよー?)
 その鬼火を追いかけるように、これもポツポツと浮かぶ青焔を従えた子どもが駆けて来ます。
(…まだ川は遠いのに)
 干上がっちゃうよ、河童ちゃん。
 それきり佐助の目の前は、真っ暗になってしまいました。

   *

 真っ暗なまぶたの裏に、赤い鉢巻に赤い陣羽織の若武者の姿が映りました。
 それが、ふっと揺らいで、白い顔の子どもの顔に。きゅっと引き結ばれた赤い唇と泣きそうに潤んだ左の瞳と、 ――その右目には、帆立貝の殻があてられて、眼帯になっています。
(何で海の貝…?)
 って言うか、右目は髪に隠れてたじゃない。貝なんて…?
 佐助はハッとまぶたを開きました。
 けれど目の前は暗く、冷たいもので覆われています。
 佐助は、びくり、と痙攣するように動かした右手を、顔にやりました。
(これ、は、…濡布巾)
 重く、慣れた鎖帷子も、無い。
 途端に四肢も肺も耳も甦ったようで、サラサラという水音が聞こえ、草と水と土(と、血)の匂いが喉まで 流れ込んできます。
 濡れた布を取ると、まぶしい光が佐助の鳶色の目を焼きました。
――朝…」
「起きたか?」
 声にガバリと身を起こし、痛みも忘れて苦内を構えた――その先に、白い水干をまとった 河童ちゃんが立っていました。
「……あ、れ?」
「動けるのか」
 刃物を向けられたのも気に留めず、子どもはホッと息をつきます。
 その右目には確かに、帆立貝の眼帯があてられていました。
「…そっか。河童ちゃんが助けてくれたんだっけ」
 脱がされたらしい鎖帷子と迷彩染めの上着はすぐ側にたたんで置かれ、荷物も武器も欠けることなく綺麗に 並んでいます。
「Ah-,まあ応急処置だけな。…痛くねえの?」
「う…ぐ…ッ」
 言われると思い出したかのように脚も腕もわき腹もと痛みを訴え始め、佐助は脂汗をかいて草地に倒れ伏して しまいました。
「ハハッ!まあ大丈夫だろ。川の水で洗って毒消し塗りこんでやったから」
 にいっと口の端を吊り上げ左目を細めて笑う姿は、子どもながらに曲者のそれです。
(何かこの子、人が痛がってるの面白がってな〜い?)
 でも、まあ。
「ありがとうね…」
「You're welco-me」
 歌う様な答えに、「何それ河童ちゃん語?」と問えば「English」とそっけない返事でした。
(いんぐりしゅって何?)
「あとこれは飲む用の毒消し薬な」
 差し出された茶碗は白いとろりとした釉薬がかかっており、そこに際立つ濃い緑の液体がなみなみと入っています。
 佐助はへらりと笑って見せました。
「いや、毒消しなら自分でも持ってるから…水だけくれない?」
 それはただ、信用できるもの以外口にしない、忍の性分から出た言葉だったのですが。
「…そうか」
 そう言うと河童ちゃんは、すう、と表情を消して、まぶたを伏せてしまいます。
――あれ)
「Okey, 水な」
 そして静々と川べりまで行くと、手にした茶碗を傾け――
「待って!飲む!やっぱりそっち飲む!」
「!」
 一滴の緑が川に落ちる前に、佐助の手が茶碗を取り上げていました。
 そして。
「あ痛ァ!?」
 急に動いたがために当然襲ってくる痛みを、茶碗だけは水平に保ったまま堪える事になります。
――何、やってんだ、猿」
「いや、こっちのが効きそうだから。早く治したいから」
(それに、せっかく作ってくれたんだし)
 毒を盛るなら昨夜も出来たしそもそも見殺しにすれば済む話。それに妙な薬なら、自分の住処に流すはずが 無いのです。
「じゃあ大人しくしてろ」
(ほら、呆れた声して顔は嬉しそう)
 子どもをね、しかも命の恩人をね、無闇に泣かしちゃいけないからね。
 そう思いながら茶碗を煽り――
「…!…ッ、グ」
「吐くなよ」
 想像以上の味と、むせ返りそうになった佐助の顎と鼻をがっちり掴んだ小さな手に、自分の方が涙目になった 猿の佐助でありました。

   *

 俺様も忍として色んなものを食べてきたけど、あれは凄まじかった。
(旦那だったら泣いてたな)
 甘味好きの仕える主人を思い出して苦笑しますが、良薬口に苦しとはよく言ったもので、夕方には佐助の体に 残っていた熱も幾分引いてきました。
 河童ちゃんは佐助の包帯を代えたり薪を組んで草粥を炊いたりと、甲斐甲斐しく動き回っています。
 包帯の巻き方は我流なのか見たことの無い結び目を作っていますが、傷口はしっかり押さえられていました。
「こういうの、何処で覚えるの?」
 また食べたことも無いような、けれど今度は舌と腹に優しい粥を匙で掬いながら、佐助は首を傾げて河童ちゃんを 見ます。
「傷はおさえりゃ良いんだろ?血気の流れは適当に分かるし」
「米とかは?」
「小十郎が持って来てくれる」
「…狸さんですか狐さんですか」
 突然出た人の名前にうろたえて、それを見せまいと茶化せば、河童ちゃんも笑ってくれます。
「人間だ。でもまあ強いて言えば…白狐だな」
「こんなところまで人が来れるんだ」
 さて、人が来れないからこその隠れ道…とついつい猿が忍の目に戻ってしまいますが、河童ちゃんは 気づかないようで、あどけなく首を振って見せました。
「No, あいつだってここまでは登って来れねえよ。下流の、峰が険しくなる前までしか」
 そう言って草粥をゆるりと混ぜます。
「俺はここが住み屋だから、誰もこねえし、大概暇だし。こういうのは趣味だな」
 まだ日は沈みきっていない時間、けれど森の中にある藤乃川のほとりは既に暗く、子どもの白い顔が焚き火の炎に 浮かび上がっていました。
「何か……顔色悪くない?お皿乾いた?」
「皿っ…!…ああ、ちょっと疲れたかもしんねえ。…寝る」
 そう言って河童ちゃんが着物の帯を解き始めたので、正直佐助はギョッとしました。
 炎の灯に黄色く見えた水干をするりと脱げば、さらに白い肌と、薄青い鱗(ああ、――見間違いじゃなかった)、 薄青い膜を張った小さな鰓。腰元はやはり白い布で隠したままです。
「何かあったら声出せよ?」
 川縁に生えている潅木が腕を差し出しているかのような、その低い枝に着物を引っ掛けて。
 河童ちゃんは河童らしく、川の水に飛び込みました。
「……マジで?」
 自分で河童だ河童だと言っておいて、我が目を疑う忍の佐助が後に残されたのでした。












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