武田道場を訪れた警官は、幸村が先日保護された際の忘れ物だと言って、小さな青いブローチをさしだした。
「幸村は男子。このようなものは持っておらぬ。人違いではないか?」
 信玄がじろりと睨みつけると、警官は「母親のものと聞いています」と答える。相手は先刻の電話で巡査だと名乗った声だ。
――幸村の母親?
 信玄は厳めしい眉間の奥で、少年の養母と実母を思い浮かべた。
――先日の家出の理由が後者なのだから、あの小娘のものでないとも言い切れない、が。
 信玄は顎をなで、まるで見覚えのないそのブローチと、制服姿を見比べた。
「幸村くんに確認してもらいたいのですが」
――電話ではただ幸村の在所を確認し、やってきてそんなことを言い出す。
「幸村は今はおらぬのでな。お引き取り願おう」
 信玄は竹刀をく、と握りしめる。
『…そうは参りません』
 不気味な声が響いた。
 確かに目の前の警官の、帽子の下から、それまでの平坦なものではない声が。
――ぐ、うッ……!」
 突如として肩を貫いた痛みに、信玄は目を見張った。
(これは…!)
 警官は未だ竹刀の届かない距離にいる。
 肩を刺すのは後ろから、――床板を破り生えている、不可思議な銀の枝だ。
 枝はどぶり、と体積を増した。かわって警官の姿はするするとしぼんでいく。
「チィッ!」
 叩きつけた竹刀は中ほどで切り落とされた。
『いるかいないか、彼を呼んでいただきましょう』
 カツン、と警官のいた場所にブローチが落ち、転がって、小さな穴の横で止まる。
 銀色の物体は信玄を貫いたまま、見る間に人の姿をとっていった。
「ぬおぉ!」
 白い髪を揺らし、死神のような長い指で、信玄の首をつかむ。
 薄い唇がつり上がって、人の笑みに似た形をとった。
『さあ…』
 いい声で鳴いてください。



 ガタンガタンとゆれながら、列車は町中に入ったようだった。
「しかしお前は本当に――
 独眼竜が好きなんだなぁ、と、家康はうなずく。
 昔から武田信玄の道場に出入りしていた、赤くて声のでかい少年と、青くて左目しか見せない女性。
 姉弟と言っても通りそうな年齢に見えて、けれど少しも似たところのないふたりが、実の母子なのだと知ったのは――当の幸村でさえ、独眼竜が警察病院に収容された後だったらしい。
 けれどそんな事実を知る前から、知った今でも、幸村は独眼竜を慕い、尊敬し、力及ばずともお守りするのだと大声で公言していた。
「しかしな幸村、大人たちがみな駄目と言うからには、その病院に行っても独眼竜には会えないのではないか?」
 思案気に顎をなでる家康に、幸村はこすったせいで赤いまなじりを向け、膝のリュックサックに視線を戻す。
「裏から入らせていただく」
「どうやって」
「政宗どののひみつへいきが、ありもうす」
「ほう!」
 どれ、ワシにも見せてみろ。
 のぞき込もうとする家康に、幸村はぎゅ、とリュックのふたを押さえた。
「見られてはならんのでござる!のちほど!のちほど!」
「幸村は声がでかいなあ。はははっ」
 笑って顔を離し、家康は車内放送に耳をそばだてる。
「よし、次でのりかえだぞ」



 警察署の電話が鳴る。
 ほぼ同刻に、ふたつの事件。
 ひとつは、先月も行方不明で通報を受けた少年を探す、道場の主の声。
 もうひとつは、盗難。
――紅い髪の奇妙な男に、バイクを強奪されたという。



 武田道場のある郊外から電車を乗り継いで着くターミナル駅で、家康は「しまった!」とつぶやきぺしんと額を叩く。
 何事かと幸村が問い返す前に、
「おいお前、竹千代じゃないか」
 と、目をまん丸にした少年がずんずんと近づいてきた。
 着崩した半袖のシャツに中学校の校章が刺繍されている。小猿のような細い体つき。前髪を明るい紫のゴムでくくり額を出しているせいか、顔も幼く見える。背丈はふたりより少しだけ高い。
 幸村を見下ろして、ふん、とバカにしたように鼻を鳴らす。
 その顔に、幸村も見覚えがあった。
「なんだ、またその赤いちびといっしょか」
「ち――!」
「久しく、蘭丸殿」
 幸村の前に出て、家康が片手を上げる。
「何がひさしぶりだ。しまった、って蘭丸のことだろ」
 誤魔化されないぞ、と少年は――森蘭丸は、家康の額をつついた。
 家康もうわっと目を閉じ、痛そうな顔で笑った。
「すまんな、知り合いに会いたくなかったんだ」
 蘭丸はふーん、と唇をへのじにして。
――また爆弾か」
 などと言うものだから、幸村はぎょっとした。
 だがまわりの大人たちは、子どもの会話など気にとめる風もなく行き交っている。
「懲りないなぁ。お前の姉ちゃん、あの青いの、つかまったんだろ?ま、妄想で織田に噛みついたんだから当然な」
 いい気味だ、と聞こえよがしに言われ、幸村はカッと毛が逆立つのを感じた。
「政宗どのをブジョクするか――!」
「おちつけ、幸村」
 家康が腕を広げ、なお幸村を制する。
「蘭丸も、関係ないと自分で言っていただろう。今はもう――
 織田コーポレーションは、豊臣に牛耳られているのだから。
 チリ、と、蘭丸の目にも、雷に似た光が走った。
「猿に牛耳られたんじゃない。信長様が、あれに興味を無くしただけだ」
 信長様は世界を見てるんだ。
 蘭丸はぎ、と拳をにぎると、また幸村に目を向けて、ハッと笑う。
「爆破でもなんでも勝手にしろよ。猿の会社なんて蘭丸の知ったこっちゃない」
「……む」
「とにかく、ここで会ったことは他言無用で頼む」
 ではまたいずれ、と言って家康は幸村の手をひいた。
 幸村は、言葉に出来ぬ思いを抱えたまま、自分よりは年かさの少年を振り返る。
――一年前、政宗殿が研究所を襲撃した、織田の。
 今はこの国にいない会長の、養い子であるという。
 蘭丸も、幸村の顔を見て、にかりと笑っていた。



(やっぱりなあ)
 と家康は内心得たりとうなずく。
 黙っててくれと言って、はいそうですかと黙っている森蘭丸でなはい。
「止まりなさい、君たち!」
 幸村とふたり駅員から逃げながら、人垣の向こうに見えた蘭丸は、やっぱりにかっと笑って、ひらひらと手を振っていた。
 ため息吐く間もなく走って走って、大したものだと先を行く幸村に苦笑する。
 するすると人の間をすり抜ける茶色い尾と赤い鉢巻きの端をなんとか追いながら、気づけばふたりは大人たちを引き離し、駅ビルの裏手の高架下に入り込んでいた。
「こ、ここまで来れば…」
 ぜいぜいと膝に手をつき息を整えた幸村は、やはり家康より早く頭を上げた。
「もう一本乗り継いで、あとはバスで行けるんだがなあ」
 袖で汗を拭き、家康は道路に座り込む。
「大立ち回りになったから、しばらくは改札もくぐれんぞ」
「……、」
 息を整え、じっと虚空を見つめる幸村の紅い鉢巻きの辺りに、家康はごつんと軽く額を打ち付けた。
「う、」
「蘭丸の言葉など真に受けるな」
 あいつはな、濃姫さまが信長さまと一緒に行ってしまったから、独眼竜がいるお前が羨ましいんだ。
「そうでござったな…」
 額をおさえ、幸村は生真面目にうなずく。
「しかし、事情があれど、政宗どののことを嘲笑われるとそれがし我慢がならぬ」
 無理もない、とふたつもうなずく家康の、座り込んだ地面の辺りを見つめて、幸村は「だが、」と言葉を重ねる。
「妄想、という言葉ばかりは否定できないのでござろうな――
「幸村…」
 幸村や家康が生まれる以前、伊達政宗は、未来から来たアンドロイドに命を狙われたことがあると聞いている。 未来のアンドロイドにとって、彼女から生まれる男の子が――幸村が、邪魔となるために。
 映画や漫画じゃあるまいに、とは家康も考えた。
 それでも、政宗が法に捕らえられた今でも、それが本当の話なのではないかと信じたくなるのは――つまり、あの独眼竜を信じたいと、思っているからだ。
(本当は、お前だって、そうじゃないのか?)
 むしろ幸村こそ、そうあるはずだと、家康は思っていた。
――だからこそ、独眼竜に会いに行くのでは、ないのか。
(いや、例えそうでないとしても)
 茶色いいがぐり頭に、またごつんと額をぶつける。
「元気を出せ。ワシは、お前と独眼竜の友だからな!」



――まったく、つまらないやつっ。
 チャラチャラと手の中にキーを遊ばせながら、蘭丸は駅ビルを出た。
――昔から信長さまが目をかけてやってたってのに。
 竹千代、と呼んで。信長も、濃姫も、そして――
「……え?」
 視界をよぎった顔。
 確かに見たと感じて振り返った蘭丸の目に、雑踏ばかりが映る。



 ギイ、と響いた金属音に、幸村はびくりと肩が跳ねるのをおさえられなかった。
(見つかる……!)
 あるいはそれは、動物の本能に似た直感だったのか。
 駅ビルの裏口から現れたのは、駅員ではなかった。
 帽子のひさしが夏の濃い影を作って、顔が見えない――警官の制服。
「…幸村、」
 わしに任せろ。と耳打ちする家康の言葉を、いつもなら信じるところだ。
 けれど幸村は家康の黄色いジャケットの端を、ぎゅっとつかんだ。
 傾いてきた夏の日の、暑さに揺らめくような光のせいか。
 顔の、目元の見えない、ただ静かに歩いてくる姿に。
――ただの障害物ではない、もっと不吉な予感。
 迷いなく幸村の方へと進む足は、人のものとは思えぬほど無駄がない。
 背に伝う汗が、ひやりと別のものに変わる。
 その時。
 背後、ずっと後ろの大通りに向かう角に、幸村の耳はその音を聞き取った。
――近づいてくるエンジンの、マフラーを震わせる排気音。
「何だ、あの男…」
 つぶやいたのは家康だ。
 いつにない声の様子に、幸村も目の端で後ろをうかがい見る。
 時が止まった。
――そんな錯覚を覚えるほどに、その男の姿は。
 いぶし銀のメット(兜…?)、幅広のゴーグル、紺を白が縦に割る装束、肩当ての下伸びる右腕を鉄で覆って、この暑いのに肌は口元と左腕にしか見えない。
 髪は。
(血の真紅)
 心臓がドクドクと脈を速め耳を叩く。
(政宗どの、)
『未来から、真田幸村の命を狙って、そいつはやってくる』
 人の命を摘むことだけを刷り込まれた、絡繰人形。
(まさか――
 エンジン音が鳴り響いてかき消したか、男が足を地におろす様は、無音の中にあるかに見える。
(これは)
 人間では、ない。
 確信の炎が幸村の目に灯る。
 赤毛はその背を撫でるようにして、次の瞬間、短い刀に似たものを両手に跳躍していた。
「、家康どのっ」
「幸村!」
 幸村と家康が同時に互いを呼ぶ。
 幸村は、家康に撤退を呼びかけようと。
――だが、家康は。
 隣の少年に襟をつかまれ引き倒されて、幸村は目を見開いた。
 夕暮れ近い色の空が、路地に挟まれ細長く伸びるのを背景に、紅いはずの雫が黒く散る。
――家康は、紅赤毛ではなく、警官の帽子を見ていた。
 黄色いフードを引き裂く銀の鎌が、その警官の手元から伸びているように、幸村の目にうつった。
(…これは、いったい――!)
 また、何か幸村に叫ぼうとする家康の、苦しげな表情。
 その喉にせまる銀の刃の動きも、緩慢に――
 ギィン!
 刃が止まった。
 時が動いた。
「逃げろ、幸村!」
 叫んだのは家康。
 だが、銀の鎌を受け止めたのは、二本の刀。
――紅赤毛の、刀だった。














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13/08/23
初出:memo