風が声   序











 伝説の、と呼ばれた忍びがいる。
 目に見えず骨身を切り裂き命を奪う、その姿は風に似ているのだと師は言った。
――そんな体がこの世にあるものか。
 鼻で笑った少年に、姿かたちの事ではないと言葉は続く。
 誰もその止まるところを見たことがない。里の忍びが昔僅かに眼にした姿は、黒と白の、それこそ鎌風のようだった、と。
 火の中の薪がパチリとはぜて、そのくせ闇にさらされた背の方はうそ寒くなったように覚えている。
 忍びの師が少年に話すものの中に、お伽話は存在しない。
 全ては明確な情報であり忠告だった。

 伝説の忍び。
 風魔小太郎を敵に回して、生き残った者はない。

「……笑わせらぁ」
――では今こうして生きている自分は何だ?
 一度目は山崎。確かに死の縁へ落とされかけた。
――それとも今度こそ、これが最後だとでも?
 忍びは、武田軍の忍びの長にさえ登りつめた、猿飛佐助は、笑むように唇を吊り上げる。
 目はその姿から動かさない。
 否。目ではなく、五感の全てをこの敵に集中させて、逃すまいとする。
 逃せば死だ。それは疑いなかった。
 風の悪魔は動かない。
 自分と同じように――それ以上に濃く血塗れたように赤い髪だけが、砂埃の混じる風に靡いている。
 悪魔は口さえ開かない。
――忍びは人ではないと言われている、それは自分にも当てはまるはずだが。
(こいつはまるで、違う)
――違う?
 ふと、疑問が佐助の押し殺したような心の端にかかった。
 以前ただ一度、他国のくの一とともに戦った時の風魔小太郎は、まるで『死』が人の形をとったような気配でそこにいた。
 こちらがいくら抵抗しても、そこにいるだけで周りの全てを虚無に引きずり込むような存在に見えた。
 だが、今目の前にいる男は。その殺気は。
――そうだ、こいつは殺気をもっている。
 まるで、佐助に怒りを覚えているように。
(怒りだって?)
――馬鹿な。それではまるで。
(……まるで、)
 その時、遠くの丘の向こうから、馬の駆けてくる気配がした。
 佐助も風魔も目を向けはしない。
 だが、馬に乗った人影が丘の上に差し掛かって二人の忍びの戦いを――刃を合わせる直前の、張り詰めた空気に、その目を見開いたのは分かっていた。
――見向きもしない風魔も、それを感じ取っただろう。
 風が吹いた。
 色もない透明な殺気が、濃く鋭くなった。

 瞬き一つ。
 佐助は理解した。

 風の悪魔が自分を消そうとしていることを。
――おそらくは、その由も。

















≫壱