――忘れたことなどない。決して、忘れはしない。
 闇そのものの冷たさで、そこに確かにあった影。
『…それで、なんて言ったと思う?あいつ』
 その冷たくて柔らかい声は、明るいようで確かに闇のものだった。
 思う?と聞かれても知るはずもない。
 ただ“あいつ”とは、金の髪をしたかの女のことだろう。
 肩を竦めると、こちらは熟れた柿の実に似て赤味がかった橙色の髪が、ゆるりと揺れる。
 喜々としてその女の話をする男の意図は分かっていた。
――分かっていた、そのつもりだった。
『“私は生まれ変わっても謙信様にお仕えする。あの方が望めば必ず生まれてくる”…だって』
 莫迦だよねぇ。
 眉を寄せてへらりと笑う、その顔は、泣きそうにも見える。
『え?俺?…んー、お仕事があるならまあ、ねえ』
 でもこれは、俺様たちの“仕事”がなくなった世でもって話だから。
 そう、男は言って誤魔化すように頬を掻く。
 影の仕事は影のものだ。この戦乱の世の一段と深い闇にある。
 だからその仕事が無いのなら――平和な世であれば、好きな女と添い遂げればいい。
――そういう話に結実するのではないのか。
 と思って聞いていたのだから、次いで男が口にしたのは随分と肩透かしな答えに感じられた。
『だって役目も無いのに、俺たちが生まれてきてもしょうがないじゃない』
 その言葉に。
――なるほど、と納得してしまう自分は冷たいのかもしれない。
 だがそれでは惜しいと思うのも事実で、だから男にこう聞いてみた。
――もしも、上杉の彼らのように主がお前を望んでも、お前は生まれてこないのか。
 男はぱちくりと瞬きをした。
 鳶色の目が満月のように円くなった。
 それから、目蓋をゆるく伏せる。
『…正直、休ませて欲しいなあ、なんてね』
 そのまま目で笑う。
『でも、もしも――
 もしも、と呟く声は、続けたその望みが果敢ないものなのだと言わんばかりの、薄い影のようだった。



「もしも、だよ?」
 と、サスケは小さな声で言った。
「もしもあの子の体が出来た時に外のあのお庭がお花畑だったら、最初にするのは上杉さんと手を繋いでくるくる踊ることだとおれは思うね」
「Oh,奇遇だな俺もそう思うぜ。だがあの庭は花畑じゃねぇ」
 温室の外は春には薔薇園になるんだ。
 政宗が小さな声で返すと、サスケは「わあ」と感嘆の声を棒読みした。
 冬の晴れ間、春日山の上杉邸は青空に恵まれたようだった。
 植物園に振り込む日差しと、外に厚く積もった雪が反射する白い光。
 その中で、金色の光は――かすがと名付けられたAIは、透明な筒の壁を越えようとばかりに身を謙信の方へ寄せている。
『謙信様、今日もお美しい…』
「そなたもいちだんとかがやいてみえますよ」
『謙信様…!』
 恥らうような囁き声と、低く落ち着いた中に情熱を潜ませた静かな響き。
 政宗とサスケは愛を囁きあうような二人より数歩、心もちとしては十数歩下がったブーゲンビリアの葉の影に立って、謙信とかすがの何気ない――おそらくはいつもどおりの挨拶を、眺めていた。
「…あれ思い出さねえか、武田の信玄公とサナダ博士の――
「ああ、『お館さまあああ!』『幸村アアア!!』ってあれね」
 BASARAタワーに二人が揃っていた頃には、志す分野は違うようでもタワーの龍虎と並び称された上杉謙信と武田信玄だが――こんなところでまで張り合うとは。
 だが幸いと言うべきか武田の師弟のように気合の挨拶が繰り返される事はなく、僅かな余韻を置いて上杉謙信はすぐに振り返った。
「きょうはだてはかせが、きゃくじんをつれてきてくれましたよ」
 ふふ、と笑って促されると、赤味がかったオレンジの髪が僅かに跳ねた。
 小さな左手が上がって宙を彷徨うのを、政宗が握った。
「Good morning,かすが。分かるか?こいつがサスケだ」
 金の光は、ぴたりと制止したまま静かに明滅している。
「初めまして、かすがちゃん」
 サスケがへらり、笑って手を振れば慄くように震えた。それから、微笑んで傍にいる謙信の後ろに隠れるように、筒の片側に身を寄せて。
『初めまして。甲斐原理統合5A式』
 酷く硬い声を響かせた。
「サスケでいいよ」
 甲斐原理何とかって長いじゃない?
 少年は逆にホッとしたように、透明な筒に近づいた。
『…何をしに来た』
――随分なご挨拶だ。
 だが数週間前――まだ彼女がパネルに表示される文字だけを言葉としていた頃、ダテ博士が初めてモニター越しに彼女に放しかけた時は、警戒のあまり返事すらもらえなかったのだから、進歩した方ではある。
 サスケはにこにこした――かすがにしてみればヘラヘラした顔を崩さずに、一歩近づいた。
「えーっと、おれはまさむねの助手で、上杉さんのお手伝いに来ました」
 ウエスギさん、と口にしたサスケは一瞬何やら、飴玉と間違えて宝石を舌に乗せたような、微妙な顔をする。
――まあ謙信に会った人間は大体こんな顔をするのがデフォルトだ。
 しかしかすがはその表情に不信感を高めたらしく、ますます謙信の方に身を寄せた。
「ようこそ、かすがのために…れいをもうします」
 謙信はと言えば、両手を優雅に広げて歓迎の意を示している。
 その顔にはどこまでも真白い光を放つような微笑。
 サスケも少しは慣れたのか、今度はたじろがなかった。
 政宗がその手を離して背中を押す。
『ダテ博士の、助手?』
 訝しげな声とともに揺れる光。
「Ah,yes.きっと役に立つ。何しろお前の先輩になるわけだしな」
『先輩…』
 その未だ硬い声に、政宗は何とはなしにサスケを見下ろす。
――仲良くなれるだろうかだなんて、まるで学舎に子どもを入れる親の心境だ。
 そんな政宗の視線に気づいてか、気づかずか。
 サスケはあどけないまぶたを半分伏せるようにして、にやり、と笑った。
「先輩だよね?もうちゃんと身体もらって一年以上たつし、まさむねのために料理だって助手だってできちゃうし」
 殊更に、『こんなこと何でもないけど』とばかりに肩をすくめて見せる。
――5A式が一人で作れるものと言えば形の悪いおにぎりとサンドイッチととりあえず肉じゃが辺りがレパートリーで、研究助手にいたっては今回が初めて、しかもまだ到着したばかりなのだが。
 金色の光はハッとしたように謙信の後ろから飛び出した。
『わ…わたしだって、すぐ出来るようになる!』
「えー?どうかな、そう言えば北条さんなんて小太郎がいないと仕事にならないって言ってるらしいけど」
 ねえまさむね?
 と見上げるサスケに、政宗はとりあえず「そうだな」とそっけなく頷いてみせる。
――北条家の老博士はPCを使うと目が疲れると言って、仕事の合間はアンドロイドの小太郎に肩を叩いてもらっているらしい。
 金の光が身をよじるような動きを見せた。
 謙信が、にこりと笑った。
「このしょうねんとよくはなしてみるのは、そなたのためとなるでしょう」
 かすがはぴたりと動きを止めた。
『…はい』
 渋々とではなく、ただもう謙信の微笑しか目に映っていないのだろう。
――そんな声だ。
 だが自分のマスターしか目に入らない様子のAIとそれを半目で眺めるサスケを見れば、仲良くなれるかなどという発想自体が杞憂に思えた。
――そもそも「ドクター・チカベ、最近メタボじゃない?」と本人の前で言えるサスケの神経の太さを忘れていた。
「謙信、いいか?」
「ええ」
 政宗がそっと輪から外れようとすると、サスケが振り向く。
「どこいくの?」
――目ざとい。
「Tea timeの用意」
 苦笑してそう答え、「お前は此処にいろ」と釘をさした。
 えええ、と不服そうな子どもに手を振って、政宗は踵を返す。
 株立ちの若木や春には花を咲かせる潅木の緑の横を通り、蓮の葉が浮かんだ池に目を細めながら広い植物園を抜けた。
 垣間見える温室の外、春日山に今日も積もっている雪は陽光で殊更に白い。先日政宗と謙信が話した客間の広い窓が、その向こうに見える。客間には古びた暖炉に赤々と火がともっていた。
――誰かが、来ている。



 常春の世界を抜けると落ち着いた照明の長い廊下。
 子どもの頃と最近と、通ううちに政宗には勝手知ったる屋敷の中である。
 お茶の用意という名目は半ば本当で、彼は今日この上杉邸の厨房を借りる約束をしていた。
 だがその前に、政宗の足は客間に向く。
 もしそれが政宗の思い浮かべた人物でなくても、上杉謙信が呼んだ誰かには違いない。
――それが、今自分が会いたいと、望んでいるその人物である気がした。
 扉の重いドアノブを下げれば、木の板は滑るように客間の内側へ開く。
 ソファに座っていた人物が顔を上げた。
 伊達政宗が育てた5A式のAIは、甲斐原理=武田理論の申し子と謳われた真田幸村が作。
 風魔AIは風馬チームの武田勝頼と北条可奈姫が――こちらも、武田理論を熟知しBASARA-eを構成したのは武田勝頼の方だったと論文から分かる。
――この春日山にある甲斐原理式AIを、育てたのが臨床心理学の権威である上杉教授だとすれば。
「よく来おった、伊達の小倅」
「ああ、しばらくぶりだな。武田信玄公」
 六十も過ぎたはずの歳にしてはがっしりとした身体の、背広姿は政宗には見慣れないものだった。剃髪した頭にそぐっている。
 躑躅ヶ崎エリアの屋敷に和服でいるか、BASARAタワーの研究室に白衣でいるか、ここ数年は前者の印象が強い。
 甲斐の名をつけられたエネルギー原理から自身の名を冠する理論を打ち立てた科学者。
「会えると思ってたぜ。――かすがのAIはあんたの作だそうじゃねえか」
 口ひげの下に手を組んで、武田信玄は笑んだ。
「うむ…早くに謙信に譲って任せたせいか、わしには懐かんようだ」
 ダテ博士は向かいのソファに腰掛け、にやりと笑う。
「“理論を実践に移すのは若者の役目”じゃなかったのかい?」
「若い者にはまだ負けん」
――この爺。
 上杉謙信から『会って話したい』と連絡があったのが十一月の初め。
 タワーとは関係なく、と念を押した謙信だったが、実際に会ったのはタワーの中だ。
 まるで偶然のように政宗が毛利研究所に来た日に――学舎で政宗も知るいつきを伴って、驚いたように「おや、だての…」と微笑み喫茶室に誘った。
 それからホットケーキを頬張るいつきを挟んで、学舎の先輩と元教授といった顔で、最後に「ではこんど、わたくしのやしきにあそびにいらっしゃい」ときた時には――なんて回りくどい、と政宗は苦笑したものである。
 そして十一月の末には言葉通り上杉邸に招かれダテ博士は初めて、今はかすがと名づけられた、世界で三体目の甲斐原理式AIの存在を、知った。
「お主が随分驚いていたと謙信に聞いたぞ」
 壮年の博士は悪戯が成功した少年のように、笑っている。
 政宗は「Shit,」と舌打ちともつかない声を吐いた。
「ずっと幸村やタワーからも隠してたんだろ?」
 拗ねたような声になるのは、それが子どもっぽいとさえ言われない年の頃からの付き合いゆえだろう。
 だが信玄は、ふっと苦しげな吐息をもらした。
「そうじゃな…幸村には。だがタワーには最初は報告を送っておった」
 勝頼には教えた。
 と、政宗が触れなかった名前を呟く。
「若者に開発の役目を譲ったというのも嘘ではない。わしは初手で行き詰った。奴は北条の娘とともにそこより先に進んだ。さらに先に」
 そして、『事故』が起きた。
 コンピュータを手足とした風馬のAIは電子情報の蜘蛛の巣にたやすく侵入し――実害は問われずとも引き起こされたのは恐慌だ。
「風馬チームの作とはわしが作ろうとしたAIは原理は同じものだ。破棄したと、タワーに伝えた」
「…だが本当は、上杉教授に託した?」
 タケダ博士は頷く。
「凍結はしておったがな。解いたのは半年前よ――幸村の研究報告を元に、齟齬を修正した箇所もある」
 それも、お主の成功があってこその決断じゃ。
 広い窓から陽光が差し込んで、ソファの足元までを照らした。
 “人間は頭脳と身体とでものを考える。ゆえに、頭脳だけでは人間の知能たり得ない”
――武田理論、BASARA-eの人工知能の可能性について書かれた論文の、その一説にもあっただろうか。
 政宗の記憶の中では、それは信玄の口癖として刷り込まれている。
 絨毯に重々しく下りたタケダ博士の両脚は、巨樹に水を送る太い根のように見えた。
 昔と変わらぬ壮健さ。
「なあ、信玄公。――聞きたいことがある」
「ふむ?」
 ポットから紅茶を注ぐ手は大きく、謙信の用意したであろうティセットがおもちゃのようだ。
「昔から、俺が右の目を失った時から見る夢は、俺はいつかどこかで本当にあったことの記憶だとずっと感じてた。Professorはそれを肯定してくれた。俺が見た夢は俺が知らなかった事実と合致するからってな」
「ほう」
 急須で湯飲みに注ぐのとは勝手が違うようで、蓋を押さえながら首を傾げていたが、やがてそのカップの片方を政宗の方に進めてきた。
 ありがたく、と受け取って口をつける。
「“閃”についてはタワーの調査だ。間違いねえ」
「そうであろうな」
「だがそれが、あの夢の証明になるってのは一足飛びだろ」
「はて」
 信玄も華奢なカップに口をつけて、「慣れぬ味よ」と苦笑した。だがそれも味わい、という顔で器を傾ける。
 政宗は膝に腕をついてテーブルの方へと乗り出した。
「いつもの謙信なら、あの夢を本当にあった世界の示唆と思うより――単に、俺がBASARAに才のある連中を感じ取って夢に見た、とでも言いそうなもんじゃねえか」
「そうとも考えていたようじゃな」
――この狸爺。
 政宗は左目を細める。
「まさかあれ、あんたらの考えた詭弁じゃないだろうな」
 新しくヒューマノイドの体を作ることを、ダテ博士はタワーに対しては拒み続けていた。上層部が他の博士から根回ししたこともあった。
――当然その辺りの事情も知っているのだろう。
 タワーから身を引いたとは言え、眠る虎ではいられない人物であることはたった今証明された。何より信玄公には真田幸村という情報源がある。
 信玄は、ニイ、と楽しそうに笑う。
「一足飛びと言ったがな、伊達の小倅」
 若い者を見て楽しむ目だ。
「お主一人に超人的な観察力があるとするより筋の通った話だとは思わんか」
――手のひらで転がされるようで腹立たしい。
「どうだかな」
 舌打ちしたい気持ちを抑えて紅茶をもう一口、濃く澄んだ味を舌に転がす。
 濃い味ではあるが苦くはない。
「…聞きたかったのは、それだけだ」
 飲み干せば熱く、清々しい。
 信玄がふっと笑みを消し、政宗を見る。
「超人的な観察力というものは無論、存在してもおかしくはない。謙信が見出そうとしている人の心理の能力の一つではある。――だがこれだけは覚えておくがよいぞ、伊達の」
 甲斐の虎と呼ばれた男の双眸に光が宿った。
「お主が見た世界が真であると証明されたならそれは、我らBASARAを覚え“閃”を競う全ての人間の、来し方を示すよすがとなるであろう」
――その熱を、昔どこかで見たような気がした。
「I understand,…科学者だな、あんたは」
――この熱を、昔どこかで感じた覚えがあった。
「仮説は未だ仮説よ、伊達の」
 政宗は挑むように口の端を上げた。
 一つきりの眼が、光る。
 窓からの陽光ではない、雪の照り返しでもない、金色の輝き。



 キラキラと飾り付けられた居間で、サスケは幼い顔に真剣な表情をのせてこう言った。
「慶次さんが言ってたんだけどさ。――人は祭りがなくちゃ生きていけないんだって」
「ほお」
 つられてダテ博士も一つ頷く。
「おれは正直わからないとこあるんだけど、祭りには祭りで決まった食べものと約束ごとがあって、つまりクリスマスには部屋を飾って、モミの木と、おくりものと、ごちそうと、雪とお星さまとリースとキャンディとくつしたと七面鳥とロウソクと」
「Ah-,北風と太陽」
「……」
 鳶色の目がきょろきょろと周りを探した。
「それは外」
――そう真面目な顔をされると、Jokeだとも言いづらい。
「Well,よくそろえたもんだ」
 上杉邸から帰宅して、政宗をキッチンに追いやっておいて二時間。
 よくやった、という感心と、こうなるものか…という感慨が合い混じった気持ちで政宗は改めて居間を見回した。
 雪の積もる玄関の門からやたらとぺたぺた貼られた、フィルムの折り紙の星と雪の結晶。
 切りくずを細かく切ったらしい色とりどりの明滅する紙ふぶきが作る道。
 暖炉が見つからなかったためか調理用のコンロまで置きに来たクリスマスカードは、居間の書棚で我慢してもらった。
 居間に集結したクリスマスの“約束ごと”は、小さなリースがドアノブに一つ。小十郎のモニターに一つ。テーブルのロウソク立てに一つ。なおロウソクは業務用の蝋燭が二本とハロウィンのキャンドルの残りのようで、蝙蝠の羽がついたオレンジ色のものが一本。
 部屋の端から端に張られた紐に、洗濯バサミで吊るされたのは何やらモシャモシャした緑の植物と、サスケの靴下が五足と、どこぞの図鑑から印刷したらしい七面鳥の図と、セロファンに包まれたままのキャンディその他菓子類はもはや食べものなのか飾りなのか。
――何と言うか、一つ一つにつっこむとキリがない気はするのだが。
 全体的にとりとめのない雰囲気を、どうすれば統率が取れるのかは政宗にもよくわからない。タワー育ちの彼もクリスマスが如何なものか詳しくはないのだ。
「スノー・マンは溶けるし、トナカイは肉屋には売ってなかったんだ」
「Indeed.」
 だが少なくとも肉屋の管轄は食肉であってそりの引き手ではない、というくらいのことは見当がついた。
 そもそもトナカイ肉を焼くのか煮るのか飾るのかいずれのつもりだったのか政宗にはいささか疑問である。
「…Santa Clausはいねえのな?」
 トナカイもいないがその乗り手も、魔よけのように飾り付けられたもろもろの中イラストの一つもない。
 枕元にプレゼントを置いていく奇特な存在。いると信じていなければ、明日の朝何が置いてあろうと政宗の仕業と看破されてしまう。
「ああ、サンタさんね。寝てる間に来るんでしょ?」
 サンタがいると思い込むには微妙な年齢かつリアリスト志向なサスケだが、意外にもあっさりとそんなことを言った。
「知ってるのか」
「モフモフした感じの赤づくめで、子どもたちにプレゼントを配るためなら家宅侵入もいとわないご老体――って慶次さんに聞いたよ」
 小児科に務めているだけあって正確な情報だ、とダテ博士は頷いた。
 サスケものほほんと笑って頷いた。
「なぞなぞみたいだけど、ようするにお館さまだよね」
――情報は盛大に横滑ったらしい。
 だがあながち間違いでもないかもしれない。と、『今会うとありがたみが減る』などとサスケを避けてこっそり上杉邸から帰っていった信玄公を思い浮かべて、政宗は首を振った。
 タワー現役時代あまりに公然とつけていたので誰もつっこめなかった、赤染めの毛皮の被り物。
――あれは断じてサンタの姿ではない。
「No,Santaは信玄公じゃなくてだな、もっとこう…世界中の子どもにのべつ幕無しにgiftをばら撒く…」
「一晩で?」
 きょとんと首を傾げる子どもに、政宗は思わず顎に手を当て真面目に考えてしまう。
「一晩っつっても時差があるから二十四時間ともう六時間くらい余裕あるだろ?俺が昔読んだ本じゃ、手伝う小人が何人もいるらしいし」
 サスケは「ふうん」と小さく相槌を打って、にっこりと笑った。
「ま、任せておいてよ」
――何を。
 まだ企みごとがあるのか、聞きたい気持ちをグッとこらえて政宗も「そうか」と笑う。
「ホントは今日まで全部ナイショで、びっくりさせたかったんだけど…」
 真中に設置されたテーブルのガラスの板の上。
 小さな銀色の作り物のモミの木の、天辺には透明な樹脂の星が光っている。
 それだけ洒落た作りをしているのがまたちぐはぐで、何とも言えず、温かい。
「びっくりならしたぜ?」
 ダテ博士が忙しくしているうちに、すべて彼がこっそりと――サスケとしては隠れているつもりで用意したのだ。
「立派なクリスマスになったな」
 かがんでオレンジ色の頭をなぜれば、少年は照れたように笑った。
「まだだよ、まさむねの番」
「Yeah,そうだった」
 キッチンとの間を仕切っているカーテンをひく。
 カウンターに並ぶ料理にサスケの歓声が上がった。
 ローストポーク、具だくさんのスープ、豆だのチーズだのがたっぷり混じったサラダ、魚介類をゼリーで固めたオードブル、籠に入ったパンが三種類。普段のディナーとあまり変わらないのが急ぎで作った政宗には口惜しいが、代わりに品数だけは多くしようとつまみを数種類添えてある。
 サスケと政宗の二人だけなのだから、これでも多いくらいだ。
「サナダの旦那とかけーじさんも呼んであげればよかったね」
 親しくしているアンドロイドの小太郎がものを食べれないことを思ったのか、――珍しく大人たちのほうに心の広い発言だな、と政宗は笑った。
「あいつらも今頃は家族と過ごしてるだろ。運んでくれ」
 サスケも顔を上げ、とろけるように笑う。
「運ぶー!」
 ローストポークの大皿を細い腕に任せて、政宗は今夜のメインを取りに隣の部屋に足を向けた。
 かすがの話が持ち上がって、真田博士も年末から忙しいに違いない。
――幸村のために5A式の写真を撮っておいてやろう。
 暖房を切った部屋のすみはひんやりとしている。
 今の時期の青葉エリアはどこもかしこも雪が積もって冷蔵庫いらずだ。
 銀の覆いもそのままに、ささげ持って居間に戻る。
「サスケ、」
――さて、こいつのご所望にかなったものか。
 鳶色の目が大きく開いて、照明の光をキラキラと映した。
「ケーキ?」
「ああ。Christmas Cakeだ」
 覆いをとればわあ、ともきゃーっともつかない声が響いた。
 ブッシュ・ド・ノエル。
 洋菓子店でもこの時期しか見かけない、サスケいわく『丸太のケーキ』。
 小十郎と口論になった原因である。
――そりゃあ、いきなり木の丸太のケーキと言われては、菓子の知識もない人工知能が勘違いするのも無理はない。
 と、政宗は心の中で小十郎を擁護した。
『ねえ小十郎さん。丸太のケーキって知ってる?』
『ああ?何だそりゃ』
『写真で見たんだけど、クリスマスにぜったい必要なの。茶色いのがいいのにケーキ屋さんに白いのしかなくて、』
 伊型人工知能SKKは、5A式の言葉を額面どおりに整理した。
『…てめえ、政宗様に何食わせる気だこのくそ餓鬼』
『何それ!?』
 かと言ってこのAIの口の悪さも小十郎に対するサスケの無闇なライバル意識も問題で、――と言うより明らかにそもそもの問題はそこなので、小十郎にはすでに喧嘩両成敗を言い渡してある。
 その場で両方の頭をごつんとやってやれば分かりやすかろうと思うのだが、小十郎には頭部も痛覚もない。サスケを殴るのは政宗が不安である。
「すごいすごい、ちゃんと木の色だ!」
 その柔らかそうな目じりがたわんだ。
「バタークリームだから普通のチョコケーキと味が違う。いいな?」
「大丈夫、ぜったいおいしいよ」
 上杉邸のオーブンを借りて作った力作だけに、満面の笑顔には政宗も緩んだ口元を覆って隠した。
 艶のある木肌の線の入ったロールケーキ。切れ端が乗って枝を落とした跡のようになっている横、白いクリームの線で描かれた蔦と粉砂糖の雪の上に、こればかりは既製品のチョコレートの家がちょこんと乗せてある。
「小十郎にも見せてやってくれよ」
 輝くばかりの顔が、政宗の一言でしゅんと陰った。
「…小十郎さん、おれの言うこと信じないんだもん」
 ちゃんとケーキだって言ったのに。
 うつむいて言葉を落とすサスケの尖らせた口の端を、政宗はムニとつまんで、これくらいは良いかと軽く伸ばしてやった。
「丸太の形してるだけの普通のケーキだって、ちゃんと最後まで説明しなかったろ」
「う」
 そうかもしんない。
 サスケは抓まれた口をむにむにと動かして小声で言う。
――面白い。
「小十郎も謝るって言ってたぜ?」
 ううう、と小さな手で目元からおでこを覆ってから、顔を上げたので政宗の指もはがれた。
「じゃあ、まさむね、ここにいてね?」
――他のどこにいろと言うのだ。
 小十郎に話しかけられるモニターは、玄関にキッチン、研究室、寝室、そしてこの居間の書棚の脇の五箇所にある。
 三歩と離れていない書棚にサスケはケーキの大皿を持って、五歩かけて近づいた。
 コンコン、と叩かれて画面が光る。
「小十郎さん、…あの、ばかって言ってごめんなさい…」
 もしょもしょと話すくらいならいっそキッチンの方のモニターを使えば良かろうに、と政宗は他人事のように思いながら小さなオレンジ頭を眺めた。
「これが丸太のかたちのケーキです」
『ああ。政宗様に聞いた』
 沈黙していたAIが、応えるような音声を出す。
『俺も疑って悪かった。だが坊主、お前この前庭の松葉が食えるか試してみようとか言ってなかったか』
「あれは本で読んだのっ」
『怪しいもんを食うなら一人で食え』
「いや食べるなよ?」
 つい言葉を挟んで、政宗は口をつぐんだ。
 サスケはちらり、とまぶたを伏せた目で政宗を見やると、モニターに向き直る。
「あと、ハゲって言ってごめんなさい」
――そんなことも言ったのか。
『気にするな。どうせお前の方が早く禿げる』
「何この人!」
 サスケが叫んで助けを求めるようにふりかえった。
――確かにあのほわほわした柔らかい毛質で、額を出して後ろに流した髪の生え際は人間だったら少し心配になる。
 だがあのオレンジ色が全滅したら、多分泣くのは5A式でなくダテ博士の方だろう。
「Well,俺が全力で阻止するから安心しろ」
 そういう問題?と情けない声に頼もしく頷いてやった。
「もう、おれは仲直りしようとしてんのにさ」
 ぶつぶつとつぶやくサスケの後ろで、モニターの半月がきらきらと光る。
『喧嘩の仲裁をされるとは、政宗様も何と大人になられたことか…』
 感動に震えるような響きさえみせる声に、サスケがまた「何この人」と画面をじと目で睨んでいた。















5A式はブッシュ・ド・ノエルの天使にキスをする≫四





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