窓の一つもない、けれど奇妙に明るい狭い通路を毛利元就は歩いていた。
 つるりとした床に足音が硬く響き、淀みない足の速さに白衣が翻る。
 BASARAタワー地下部第五層の端。
 舗装と照明は規定並みだが天井にはダクトの走る、通常は使われない場所だ。
 いくつ目かのわき道の、引っかき傷のついた角を曲がる。
 目印につけられた――と言うより、抱えた荷物をぶつけながらそこを通る粗忽物がいるという痕跡。
 奥の暗がりの、突き当りの左の壁に扉がある。上層の研究室のそれのようなドアではない。地下五層は廃棄物が行き着く階である。
 金属がむき出しになった重たげな扉の、後から無理やり取り付けられたようなナンバーキーと静脈照合のボードを無視して、元就は横の壁の下部を蹴った。
 無遠慮な音が三度響く。
 錠がガチャン、と重たい音を落として、扉は内側へと隙間を開けた。
 押し開けた向こうは暗い洞窟、そこに鉄屑の積み上げられた壁がある。
 内側から積み上げたのだろう、見回しても入る隙間すらない。複雑に組み合った金属材を透かして届くのは黄色い明かりと、カチャカチャと器具を弄る音と――能天気な鼻歌。
 それが神を讃える賛美歌の一説であることをこのバリケードの主は知っているのか、という疑問は疑問の形をとった反語である。
 元就の、人形師が筆で引いたような眉の間に深く皺が寄った。
「元親」
 扉を閉め、張り上げた声は高いドーム状の天井にこだまする。
 返答はない。
 元就は廃材の壁に歩み寄り、片目をつぶって顔を寄せ中を覗き見ると、その一角を蹴とばした。
 金属の筒や箱や棒の類が崩れ散らばる騒音に耳をふさぐ。
 ビーバーは、水辺に枝を組んでダムを作るそうだ。
――見たことはないが、あのげっ歯類も巣を壊されればこんな顔をするだろうか。
 元就は穴の開いた鉄屑の巣の奥の床に胡坐をかいたまま、ぽかんと間抜けな顔でこちらを振り返る銀髪頭を睥睨した。
「お…おお、珍しいな元就!」
 ずかずかと内側に踏み込みながら、このBASARAタワー屈指の技術者を間抜けな姿たらしめている原因を数え上げる。
 一つ、鉄屑で作られたよく分からないガラクタとそれに貼られた謎の折り紙飾り。
 一つ、行儀悪く床に置かれた皿の、フォークが刺さったホールケーキ。
――一つ、奴が長曾我部元親であるというこの事実。
「何だよお前、ここには来たがらねえくせに」
 にかーっと嬉しそうに笑って、元親はどこからか持ち込んだらしい埃っぽいソファを指した。
「まあ座れや」
「断る」
「ケーキ食うか?」
「いらぬ」
「遠慮するなよ、正月はお前のところで餅もらうんだし」
「ダテ博士が新たなヒューマノイドの制作に取りかかるそうだ」
 元親は小さなおもちゃのような何かの仕掛けから、顔を上げた。
 左目を覆う紫色の視力補助帯が薄らと光って見える。
「政宗が?5A式の再構築何ちゃらってあれか?」
「いや。タワー外の仕事になる。政宗からメールが届いたのは昨夜だ」
 銀色のまつげが瞬く。
「見てねえ」
「見ろ」
「おう」
 膝に手をついて立ち上がる、白衣の裾からカラカラと細かな部品が転がり落ちた。
 元就はその一つを拾い上げて、見比べるように獅子のたてがみに似た頭に目を向ける。
 壁際に設置されたCPUのモニターに向かう大きな背中、キーボードを叩く手の無骨さ。
「もう一月近く上の研究室に戻っていないと聞いたが」
「あー、そうだったかもなあ」
――何よりこの大雑把な性質の男が、これを組み立てたというのは信じがたいことだ。
「何を作っている?」
「まだ内緒だ」
 政宗には言うなよ、とその言葉だけで想像がついて、元就は冷たく目を細める。
 十三の頃タワーの学舎に同期で登録されて以来、腐れ縁としか言いようのない関係で此処まで来た。
 高等部ですでに専門を別ったはずの、この元就と正反対の男と未だ行き来があるのが。
(あの時泣いていた子どものためとは…)
――否、そうではない。ただ。
「…ほお、こいつぁたまげた」
「読んだな」
「おう」
 振り返って、にかっと笑む。
「川中島が動きやがったか」
 俺もこうしちゃいらんねぇが、な。
 元親は思案気にぐるりと周りの、ごしゃごしゃと書き込まれたメモや何かの試験機を見回した。
「年末まではこちらにかかりきり、というところか」
 元就の声に頭を荒っぽく掻いて、「おう」とまた短く応える。
「しっかしよぉ、安心したな」
 黄色灯の下、元就が眉を寄せたのが見えたかどうか、元親は金砂を閉じ込めたフィルムの星を一つ、つまみ上げた。
「政宗のやつもう何も作る気ねえのかと思ったぜ。5A式の調整と動作研究ばっかで……あいつがそれで良いなら、俺が口出すことでもねえが」
 5A式と呼ばれる政宗の作った少年は、元就や元親にとっても関わったプロジェクトの一つではある。ダテ博士本人にとっては己の作品以上の存在だ。
――あるいは、あのヒューマノイド自身がすでに、人の作ったもの以上の何かにすら見える。
「ん?ああ、これな。サスケがこの前よこしやがったんだ」
 折り紙の星をひらひらさせる元親のその口調に、元就はほんのわずか、慣れぬ者の目には分からないほどの苦笑を浮かべた。
 サスケが、と。
――この男もそう呼ぶようになったか。
「ほれ、お前にも」
 押し付けられる不恰好な綺羅星。
「…いらぬ」
 大人げねえなあ、と声が明るく響いた。
「いいからとっとけ。『チカベ博士にクリスマスおすそ分けーっ』…だとよ」
――穴倉の銀毛ビーバーにも、聖夜は訪れるものらしい。



 政宗がロウソクに火を灯して、サスケがリモコンで部屋の明かりを消す。
 炎がゆれるたびにフィルムの星々がちらちらと光った。
 誕生日でもないのに灯りは消すのだと言い張ったのはサスケだ。
――否、一応は聖人の生まれた日という触れ込みの祭りである。
(謙信公に聞いたんだったか)
『むかしむかし。
 西の方の大きな国が新しい宗教を持って、人々の住まう地を飲み込んでいきました。
 けれど昔からのかみを信じていた人々は、自分たちの冬の日の祭りをやめようとしなかったのです。
 新しい宗教で領土のすべてを治めようとしたその国は、人々の祭りを止めることが出来ず、代わりに。
 その日を聖人の誕生を祝う日と定めました』
――史実か御伽噺か判じづらい言葉で、微笑を美しく浮かべて、そう語る声を覚えているような気もした。
 そうしてその日は、聖人の年を数えるのをやめてからも百五十年以上、こうして祭りの日とされている。
 人という生き物は祭りがなくては生きていけないのだと。
 慶次から聞いたとサスケが言うその言葉は、あるいはただあの男の信条であるのかも分からない。
 それを5A式がどう受け取ったのかと言えば。
――何となく、額面どおりに『クリスマスやっとかないとまさむねが大変』などと思っていそうだ。
 ぱたぱたと戻ってきたサスケが部屋の真中で立ち止まる。
「まさむねー、こっちこっち」
 大真面目な顔で手招きされて、肩をすくめた。
「今度は何だ」
「ここ座って」
 今から大事なおまじないをします。
「…ほお」
 クリスマスに呪いをするとは初耳だ。
 何をする気か興味が湧いて、政宗は毛足の長い絨毯の上、素直に胡坐をかいてみせる。
 その前にサスケが膝を突いて、「目つぶって?」と言うのに従った。
――闇。
 かすかに、炎の灯りだけがちらつく。
――嗚呼、そうか。
 夢に見るあの世界には、夜を照らす灯りは夜空の月と、星と、光を吸い込んで輝く雪ばかり。
 それから、人の焚く炎。
 懐かしい気さえした。
「…も、来年も、ずっと…」
 少年の声がする。
 低めた囁きが闇に混じって溶けて、あの声によく似た響きで政宗の耳に届いた。
「政宗がいつもいつも、しあわせでありますように」
 唇に何かが触れる。
――ずっと昔、そうして触れた誰かの唇が。
 ちゅ、と、わずかに吸って、離れる。
 目を開けば闇の中、自分の視界を占めるのは冷たい鳶色。
 その中に映った顔が――泣きそうに歪んで見えた。
 ぎゅっと目をつぶって闇をつかんで政宗は、その名を呼ぼうとする。
 つかんだそれは柔らかく、思ったよりもあっけなく、小さく声を上げて政宗の肩に手をついた。
「どうしたの?」
 抱きしめれば小さく細い。
 突然、穴に突き落とされたように政宗は混乱した。
――お前は誰だ。
 名を呼び、幸せを願い、優しく唇を重ねる。

……あいつがそんな事をしただろうか……

(あいつって、誰なんだよ?)
 夢の中の誰か。昔政宗を竜と呼んだ誰か。
――分からない。悔しい。もどかしい。
 抱きしめる腕に力を込めた。
(畜生、教えやがれ、思い出せ)
 目が熱くにじむ。
 頭を抱えるように細い腕が回された。匂いのない、ひんやりと冷たい布の下にトクントクンと鳴る鼓動を、政宗は確かに知っている。

……確かに、知っている……

 唇が震える。
「さすけ」
 舌は滑るように動く。
「…あのな、」
 のどが渇いて引き攣れる。
「お前がずっとそばにいてくれて、だから俺はいつもいつも、しあわせだ」
 確かめるように、間違えないように、ゆっくりと言葉にすれば、ホッと肩から力が抜けた。
 腕の中にいる彼は返事をしない。
 ただ、頬を政宗の髪に擦り付けたような感触があった。
 いつもいつも、夢の中に真意の知れないあの男の記憶があって、夢から覚めればサスケがいて、夢現の間の継ぎ目も見えないところで政宗を抱きしめるのがどちらなのか分からなくさせる。
――だって、こいつは。
(ん?)
 フウと明るくなって、見上げればサスケが照明のリモコンを手にしている。
「…おい、サスケ」
「はい」
「お前今、kissした…よな?」
 サスケはぽかんと口を開けて、「したよ?」と頷いた。
 政宗は5A式に体を作ってやって、初めて目を覚ました日から今日までの記憶を――探ろうとしたが、考えるまでもない。
 親愛の印として挨拶として頬だの額だのに口付けたことはあっても、唇にしたことはないし、させたことはなかったはずだ。
「え」
「ねえだろ。っつーか駄目だろ」
「で、でも!」
 途端にあせった顔でサスケがあたふたと上を指差す。
「クリスマスにヤドリギの下でキスしたら幸せになれるんだって」
 部屋に貼られた紐に引っ掛けられた、もしょもしょした緑の植物。
「…ヤドリギってあんなだったのか」
「正真正銘、上杉さんの温室お墨付きです」
 クリスマスにヤドリギの下でキスをした恋人同士は幸せになれるとか、ヤドリギの下に立っている娘にはキスをしてもよいのだとか、言われてみれば政宗にも聞き覚えがある。
 上杉教授から聞いた話ではなく、もちろん研究馬鹿の博士連中からではない。情報源はただ一人だ。
――慶次、あいつ出入り禁止にしよう。
 政宗は沈痛な面持ちで右目を覆った。
 それにっとサスケが言い募る。
「おれ、まさむねとキスな…ら…」
 勢いづいた言葉は急速にしりすぼんだ。
 本人も怪訝そうな表情でオレンジ色の頭を傾げる。
「…まさむねが寝てるときに…あれ?」
「あれ?じゃねえよ」
――寝てる時に。だとしたら夢現に感じたあれは?
「でもっ」
 政宗は胡坐をかいたまま頭痛に似た感覚に背を丸め、サスケは膝を着いたままでその顔を覗き込んだ。
「まさむね、…いや?」
「そういう問題じゃねえよ」
 どちらかと言うと十歳児に対する性教育の問題だとダテ博士は思うのだが、サスケの顔には『いやって言ったら泣いちゃうから』と書いてある。
(いや、こいついっぺん泣いといた方がいいんじゃねえかな)
 考えあぐねていると、サスケは真面目な顔になってきゅっと正座した。
「まさむね、おれ以外にキスしたい人いる?」
 政宗はグッと息を呑む。
 恋人というものはいない、が、女性とそういう経験がないわけでもない。タワーでは関係が出来ても研究で忙しい間に無かったことになっている、ということが数回あった。
――今目の前に座って自分を見上げる子ども以上に大切なものはない。
 けれど、政宗の中で一番古く唇を交わした記憶は。
『竜の旦那』
 鉄に包まれた指先も、ざらついた舌も酷くリアルな夢の中。
「まさむね」
「……」
「すっごく顔赤いけど」
「……」
「え、ちょ、なになに?いるの?まさか誰かいるの?」
「…いや、いねぇんだけどな…」
「なんで目そらすのー!」
 わめきながら肩を揺さぶるサスケの、オレンジがかった赤毛をとりなすように撫ぜる。
「なあ、ケーキ食おうぜ」
「ごまかさないでー…」
――誤魔化されろ。
 さっさと立ち上がって「食わねえの?」と首を傾げると、「たべるよ!」と腰にしがみつかれた。
(しかし、俺の寝てる間にこいつが…ってことは)
 自分の夢の中の情景が記憶そのものなのか、現実に影響された妄想なのか。
―― 一気に自信がなくなった。



 外では第三緑地居住区“奥”の冬に相応しく、雪が柔らかい光と音を吸い込みながら降り積もって厚みを増している。
 統合暦一五九年、十二月二十四日。
 政宗とサスケが目を覚まして、枕元に予定以上のプレゼントが積まれていることにお互い驚愕するのは、翌朝のことである。



















 十二月二十五日。
 第五緑地居住区“信”。
 雪の積もった山の上の大きな門構えの奥、広い平屋造りの屋敷の中で、ユキムラ・G・サナダ博士は自分を呼ぶ声に目を覚ました。
「源二郎」
 引き戸が開いて、サナダ博士によく似た――というのもこちらも“サナダ博士”には違いない、兄の真田源三郎信幸が顔を覗かせる。
 幸村は眠りながらも身を起こすだけは起こしていた、という姿勢で、うっすらと目を開いた。
「おはようございまする兄上」
「うん、悪い知らせだがお前に客だ」
「客…?」
 サナダ博士が年末の手伝いのため、上田エリアの研究室から真田の屋敷に戻っていることを知る者は少ない。
――よほどの急用か、悪い知らせと兄が言うからにはそのものずばり悪い知らせを抱えてきた誰かか。
 信幸は幸村にも通じる精悍な眉を、沈痛な面持ちで寄せる。
「BASARAタワーから、松永殿が」
「某は留守でござる」
 幸村は布団をかぶって寝なおす体勢に入った。
「こら、源二郎」
「お腹が痛いのでござる」
「お前二十八にもなって何を言う」
「ううう…」
 実のところ昨夜は第三緑地居住区の伊達研究所まで慣れない無人タクシーを使って行き、5A式が警備システムに指定しておいたパスと静脈照合で庭に入ろうとしたところ、不審者を発見したと思ったらそれが武田のお館さまに仕える顔見知りで頼み込まれて共に庭に入り、伊達屋敷のSKKとかいう伊型AIに聞き覚えのあるヤクザ口調で文句を言われながら爆発物検査を受け、寝室の窓を開けてプレゼントを積んで、帰ろうとしたところを上杉謙信の使いであるという前田慶次につかまり、またSKKに入れてもらい、無人タクシーで帰ってきてろくに寝ていない幸村であった。
「つまり例のヒューマノイドに頼まれてサンタを演じてきたと」
「子どもの夢を壊さぬため政宗殿には内緒にしてくだされ」
「ダテ博士がサンタを信じているかはさておくが、客人は客人だ。お相手をしてから寝なおしなさい」
――つまり寝たければさっさと済ませろと。
 穏やかな声で言われ、幸村は重い頭を叱咤しながら起き上がった。
 松永久秀はBASARAタワー所属の科学者であると同時に、上層部に繋がりのある役員だ。
 寝巻き代わりの和服に申し訳程度に白衣を引っ掛けて玄関に向かう。
 上り口には、黒白の男が立っていた。
 二色の布地を使った仕立ての良いスーツは一点物であろう。メッシュのように白髪の入った黒髪を撫でつけ、後ろに部下を三人控えさせている。
「やあ、長らく」
 松永の言葉だけは気さくな形の笑みを含んだ声に、幸村は軽く目礼する。
「お待たせいたした。タワーからの使いでござろうか、まずは上がってくだされ」
「いや、ここで構わんよ。今日は卿に直接渡したいものがあってね」
 皮手袋をはめた手をすっと上げると、部下の一人が松永に封筒を渡した。
 中央に上層部の印がある。
 書類かと思いきや、松永が取り出したのはさらに小さな封筒である。
 古風な切手に消印が押された、不透明のフィルムの包みはすでに開封されていた。
 受け取って、幸村は(なるほど)と心中頷いた。
 宛先は真田幸村。
 差出人の名はただ小太郎、と書かれている。
――風魔小太郎、か。
 十数年前に情報保護法を破ったとして上層部の肝を冷やした甲斐原理式AI、風魔型が搭載されたアンドロイドである。
「検閲でござるか」
「そういうことだ。まあ問題もなかったのでね、こうして指定日に卿に届けられる運びとなった」
 5A式ヒューマノイドの方もポストに届いているはずだ。
 楽しげに言う松永に、幸村は眠たげな目のまま一礼した。
「これはかたじけない。確かに受け取った」
 しかし男は帰ろうという仕草も見せず、幸村を見ている。
「中身を見ないのかね?」
「後で確認いたそう」
 そう言わずに、と松永は唇を歪めて笑った。
「実は上層部では大して問題視されていないが、私はそこに書いてあることに興味があるのだよ」
 幸村は封筒の中を探った。
 何の文書かと思えば、厚めのフィルムで作られたカードである。
 雪が積もったような白に銀箔が浮いて、直角に開けば夜空のような紺色の、星を散らしたモミの木が立ち上がった。
――クリスマス・カードというやつか。
 達筆、と言うより印刷したような楷書体で、“メリークリスマス”と書かれている。
 発案は5A式の方だろう、二人ともクリスマスの何たるかを分かっているのかいないのか、さらにその下には“よいお年を”と並んでいる。
 もう一行。
 幸村は眠たげな目のまま、それを読み下した。
「それは、誰のことかね?」
 普通の顔をしようと思ったのに、欠伸が出た。
「これは失敬、…中々休みが取れず困ったものでござる」
 松永は気を悪くした風もなく「もっともだ」と頷いた。
「卿だけでなく5A式に関わった人間は軒並み、川中島のプロジェクトに参加するそうじゃないか」
「はて、そのような企画がござったか。…あるのなら松永殿も上層部の使い走りなぞに時間を割かず参加されるといい」
「生憎この使い走りも面白くてね。情報がよく入ってくる」
「子どもの手紙を情報と呼ぶのでござるか」
「子ども?」
 これはこれは、と男は片眉を上げて笑う。
――随分と風魔に興味があるらしい。
 幸村は眠い目をこすった。
「ここに書かれているのは某が飼っていた犬のことにござる。研究所に遊びに来たときに昔の日記を見られてしまったのでござろう」
「ほう?」
「5A式が悪戯好きなもので」
 いやはや、と肩を落として見せれば松永も鼻白んだように肩をすくめた。
「ご用件はそれだけにござろうか?」
 欠伸をかみ殺して言うと、黒と白が翻る。
「隠し事は楽しいな、サナダ博士」
「くりすますの方が楽しいものでござるよ。一般論で恐縮だが」
 幸村は笑ってそれを見送った。
 部屋に戻る前に居間に寄れば、信幸が掘り炬燵に入っている。
「兄上。塩をまいてくだされ」
「ん?塩か」
 信幸は蜜柑をむく手を止めて食卓塩をとると、正座した幸村の肩辺りにパッパと振った。
「兄上。玄関にでござる」
「自分でやりなさい」
「ううむ」
 幸村は唸って、炬燵に脚を入れる。
 改めて小太郎からのカードを開いてみた。
 既製品かも分からないがありふれた素材で、手作りだろうと想像する。
 ハロウィンと、その後も伊達屋敷で5A式と遊んでいるところを二、三度見たものだ。
 目元を隠した暗色のゴーグルと深い紅の髪。
 一言も口をきいたことがないという、その奥で風魔型AIがどんな働きをしているのか、推し測るのは5A式に比べると難しい。
 “メリークリスマス”と“よいお年を”は慣用句だ。
――つまりこの最後の一行は、風魔の弾き出した文章ということになる。
「…それ、お前が昔飼ってた犬の名じゃなかったか」
「手紙を覗き込まないで下され」
「何を言う。クリスマス・カードは家族で楽しむものだぞ」
――そう言われてはグウの音もでない。
 しかし信幸はそのまま手水に立ったようだった。
 ふと見れば炬燵の端に郵便物が積まれている。その中に、見覚えのある字のものが一通。
 腕を伸ばして引っ張り出した。
 下手な――もとい、個性的な字で“サスケ”と書かれた差出人。
 これはこれで、と幸村は笑った。
――サスケ、とあの人は呼ぶ。
 甲斐原理統合5A式。

 5A Style-Unified Kai's Elements

――5ASUKE.と走り書きされた文字を“SASUKE”と読み間違えたのは自分だ。
 今でも幸村は覚えている。政宗の達筆な走り書きが、雪の上に書かれたようにキラキラと光って見えた。
『さすけ、と名づけるのでござるか』
 問うた幸村に、政宗はきょとんと瞬きして『それもいいな』と思案気に答えた。それから、幸村の読み間違いに気づいて腹を抱えて笑っていた。
――それでも、結局それと名を定めたらしい。
 奇跡のようであり、運命のようであり、偶然のようであり、必然のようでもある。
(多分、そのどれでもない)
 幸村は風魔小太郎の文字を眺めた。
――なるほどサナダ博士の機密ファイルと言う名の日記は、十五年前のあの時に見られていたようだ。
 “質問”から始まってドットを挟む。
 文法すら心得ているか怪しい、唐突な問いかけ。



 質問: 誰? → 猿 飛 佐 助



「…昔、そんな名の男がいたのだ」
 呟いた声は誰にも届かない。
――届かなくていい。忘れたままでいい。
 けれど、思い出して欲しいと願う幸村は、小太郎の文字をなぞって笑った。
――忘れたことなどない。決して、忘れはしない。
 闇そのものの冷たさで、そこに確かにあった影。

『もしも真田の旦那だけじゃなくて、あの人が望んでくれたら』

 そして生まれて来いと望まれて、生まれてきた。
(意外に律儀な奴だったのだな)
 封を開く。
 緑のカードを取り出す。
“サナダのだんなへ。サンタさんありがとう”
 炬燵に脚を突っ込んだまま仰向けに寝転がれば、心地よい眠気に襲われた。
「いやいや、幸村は布団に戻るまで眠りませんぞ…お館さま…」
 もはや寝言に近い言葉を呟きながら辛うじて身を起こす。と、今度はひんやりとしたテーブルの板に頬をすり寄せたくなった。
 睡魔に二槍で立ち向かうも劣勢だ。



 そして今日も合戦場の夢を見る。
 空から切り取ったような青と、三日月と、金色の独眼。



 流れた血も、奪われた命も、つかなかった決着も。

――あなたは忘れたままでいい。






















     了















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