5A式はパンプキンパイの魔物とダンスする







 あれは悪魔だ。
 と、教えてくれた声の主は闇に沈んだ姿で。
 自分の嘲笑に釣り上がった唇がそいつに見えていたかどうかさえ、知る術はなく。

――俺やお前とどう違う?

 問い返して目を閉じ、開く。
 一つ目に映ったのは――病室の白い天井だったように思う。それしか見えるはずがなかった。
 入院棟の寝台にくくり付けられていた、六つの年。奇妙に連なる夢を見るようになって。
 日毎に、夜毎に、一つ夢を見るたびに。
 それまで当然のように身の内に在った気持が失われていった頃。
 痛いと泣く事を止めた。拗ねて見せる事を止めた。素直に笑う事を止めた。
 一人で静かに横たわったまま、夢での問いを繰り返す。
 悪魔というものがいたとして。
 それが災い招く者だとして。
『…何が違う?』
 家族を失い残された子どもの声に、答える者は誰もいない。




――子どもってなんだろう。
 炊き上がった南瓜を前に、マサムネ・T・ダテ博士は呟いた。
 科学者として『人間とは何か』という命題は頭から離れない。それは日々彼の意識下にあって、上に頭を乗せなければ眠れない枕のようなものだ。
 しかし、『子どもとは何か』――それはまず、幼い者のことだ。
 生まれて十数年に満たない者。
 そう定義付けて良いならば、政宗の側には子どもがいる。
 いっそ政宗の子どもであると言っても過言ではない。
 この青年の肩にも到底届かない背丈に細い腕と脚、高い声と舌足らずな口調。
「まさむね」
――しかし生まれてからの年数で数えるなら、それは体と心が等しく時を重ねた者のことであって。こいつは。
――こいつらは。
「まさむねーっ政宗!」
 呼ぶ声にハッと我に返った。
 振り向けばその“子ども”が、じいっと上目遣いに睨みあげている。
「…パイシート伸ばしたよ」
 小さな声でそう言うと、少年は何処となく潤んだ鳶色の目を細めて、ふい、とうつむいてしまった。
「サスケ、」
 政宗も金色の瞳の左目を細めて、赤みがかった橙毛を隠す白い三角巾を見下ろした。
――目薬は角膜が乾いた時に使えっつった筈だぜ?」
「あれ、ばれた?」
 指摘に声はあっさりと明るさを取り戻した。
 顔を上げてにへらっと笑う子どもの顔に眉を顰めて見せながら、タオルを濡らして固く絞る。
「手で拭うなよ、目ぎゅってつぶれ」
「ぎゅー?」
「Okay,開きな」
 目から滲み出した保湿用の点眼液をおしぼりで拭い、政宗はやれやれと肩を落とした。
「目薬はやたらに点すと人間でも涙腺が詰まることがある。むやみに使うな」
「はーい」
 答える声は気楽なものだ。
「…目の調子がおかしくなったらDr.モウリの検診に連れてかねえとな」
「ごめんなさい以後気をつけます」
 びしり、と背筋が伸びた。
 Dr.モウリはサスケの“目”を作った義眼技師である。
 透明な鳶茶色の目に明るい橙色に透ける髪、それが映えるような淡緑の柄のシャツにエプロンと三角巾をつけた子どもの、その体はほとんど全てが作り物だ。
 この『閃』の中心にある学術都市――巨大な建築構造物それ自体と周辺の施設だけで都市と呼べるまでに発達した組織、BASARAタワー。
 そのタワーの管轄下において“人間”と“作り物”の狭間に立つ“ヒューマノイド”は、今のところこの少年ただ一人、もしくは一体だ。体は機械骨格と医療現場でも使われる代用臓器や人造有機体で構成されているが、その人工知能も身体も、かつて無いほどに人に近い機能を保持している。
 正式名称、甲斐原理統合5A式。
 今は創り主のダテ博士と共にBASARAタワーから身を離しているにも拘らず、5A式の行動の一つ一つが人間としての自発的行動か、はたまた人間を擬態した人工知能の成せる業かとタワーで議論を呼ぶ。
 それはダテ博士とサスケのAIを作ったサナダ博士の主張では、全ては人工知能が人間に近く発達したがゆえの行動なのだが――嘘泣きなどという演技が人間を擬態しただけで出来るなら、それはそれで恐ろしく高度な知能として評価したいものだ。
 ともあれ今この目の前の小さな橙頭の行動が表すものが、『俺拗ねてるんだからね』という主張である事だけは、ダテ博士にも確定的だろうと思われた。
「Ah…まあ悪かったな、考え事してたんだ」
 呼ぶ声に答えが無い辛さは政宗にも、覚えがある。
 サスケは薄い肩をすくめて見せた。
「良いけど。サナダの旦那もまさむねも研究馬鹿って考え出したら人の話聞かないんだから」
「研究馬鹿っ、…こらお前」
「南瓜冷めちゃうよ?せっかくバターと砂糖の量計ってくれたのに――
 にっこりと笑って橙頭は背後の椅子を示す。

「小太郎がっ」

 ダイニングテーブル脇の椅子にはいつのまにやら――紅色の髪の少年。
 身の丈も体格もちょうどサスケと同じほどだが、黒の上下に生成りの工作用エプロンをつけ、気配も無く座っている様子は正反対の大人しさだ。
 目元を暗色のゴーグルで覆ったうえ、口元をぴくりとも動かさない顔からは何の表情も読み取れない。
 ただその頭の角度から、彼がじいっと政宗を見上げていることは確実だった。
「……」
 ずい、と差し出されたのは奇麗に細工がほどこされたカボチャである。
 頼んだ仕事はいつの間にか終わらせて、菓子作りの方まで手伝ってくれていたらしい。
「そりゃあ…Thanks,小太郎」
 政宗は思わず顔をほころばせ、かがんで紅赤毛をなでた。
「……」
 小太郎と呼ばれた少年は口をきく代わりに、こっくりと頷いた。
 彼は生れ落ちた時から話すことをしない。
 生れ落ちる――その体が作られる以前に、そうした能力があったのかも政宗には分からない。
 小太郎もまた“作られた”存在だ。
 ヒューマノイドと呼ばれる存在は甲斐原理統合5A式のみ。『閃』にただ一体、おそらくは世界でただ一体だろう。
 しかし人間を模したドールは数多い。
 北条家が限りなく人に近い五指の仕組みを再現し、BASARAタワーの技術者である長曾我部元親が最後の難関と呼ばれた二足歩行機体を開発して以来、すでに数種類の様式によるドールが世に生み出されていた。
 人に似た動きをする、人と同じ形の――正しく“人形”と呼ぶべき存在である。目はカメラのレンズ、音声はスピーカー、唇は言葉を模して動くのみで物も食さず、眠りもしない。
 小太郎の体の作りはほとんどドールと同じだ。
 人と同じ肌に覆われているのは頭部と四肢のみ。眼球の代わりに幅広のゴーグルの下には視覚センサーが備わっている。
 では彼は人形であるか、と言うと、これは違う。
 半年ほど前、政宗は頼まれて一体の少年型ドールを改造した。
 通常ドールを動かすのはオペレーティングシステムが入力された演算機だ。が、政宗の手によってこの紅赤毛の頭に組み込まれたのは、BASARA-eから成る甲斐原理式AIである。
 体は5A式ヒューマノイドよりも機械に近く、しかしそれを統御しているのは人間の脳とも紛う自己成長を伴った、人工知能。

 タワーの広報課は未だ正式名称の定まらないこの改造ドールに、5A式――“ヒューマノイド”と区別するため。
 “アンドロイド”という呼称を与えた。



 政宗にしてみれば目の前の赤毛は“小太郎”だ。
 タワーにもその名で報告したのだが受け入れられずにいるに過ぎない。
 改造したと言ってもダテ博士は小太郎の顔から首にかけての作りをいじって、既存のAIを繋いだだけで――それでも、無性にその頭を撫でたくなる存在であった。
「帰りに土産持たしてやるからな。ああ爺さんには煮つけとかの方が良いのか?」
「……」
 AIを作った人物も、育ててダテ博士にドールへの移植を依頼した人物も、他にいる。
 北条氏政は政宗が5A式を作る際に助力を乞うた一人だ。
 五指の動きを再現する特許技術、その権利を所有した名門北条家の――元気なご老体である。
「北条さんは茶巾絞りとか好きじゃなかったっけ」
 何故かサスケまで紅赤毛を撫ぜている。何故か。
 故意か偶然か、巧みに話を逸らされたことにダテ博士ははたと気づいた。
 研究馬鹿の一言をきっちり注意する筈が、いつのまにか小太郎の、サスケと同じく小さい形の良い頭を赤毛頭をなでて和んでいる。
――叱り損ねた。
 まだ十九の政宗に、推定十歳(という事にしておこう)の子どもの教育は困難が多いのであった。
「……」
 何とはなしに橙頭を睨む青年を、紅赤毛は大人しく見上げて。
 その小さな手の中のカボチャ頭が作り主を見上げて。
 橙頭はにこにこしながら眼帯をつけたカボチャを覗きこんでいる。
 秋の日の正午、ダテ博士の屋敷は平和そのものであった。



 さて、今日この日ダテ博士が向き合っていた、ホクホクに炊き上がった南瓜と『子どもとは何ぞや』という命題の双方には、密接な関係がある。
 その昔『万聖節』と呼ばれた宗教的祭日の前の晩に人びとは異形に姿を窶し、蕪もしくは南瓜をくり貫いて不気味なランタンを作り、子ども達は大人に“お菓子か悪戯か”とどちらも美味しい要求を突きつけながら練り歩く――そんな風習があった。
 統合暦159年。
 西暦が終わって百数十年経ったこの『閃』でも、ハロウィンは健在なのである。
「って言ってもさあ、タワーにいた時はそんなに聞かなかったよ?確かに何かの日に南瓜のスープは食べたけど」
 赤く火照ったオーブンの中焼かれているパイ皿を見つめながら、サスケは首をかしげた。
 並んでオーブンを覗き込む小太郎も首を傾げる。
「Pumpkin potageを作ったのは冬至だ、冬至」
 365日休み無く研究に没頭している科学者やら技術者やらばかりのBASARAタワーでは、そういったお祭りはやはり無視されがちではあった。
 ただし、子ども達はまた話が別である。
「Cowboyの格好した蘭丸と雪ん子のいつきが菓子ねだりに来た日があっただろ」
 養い親が医療課の高名な技師である少年と、タワー内の学舎寮に特待生として住んでいる少女の名を上げれば、サスケも「ああ」と納得したように頷いた。
「あれはそういう人達なのかなと思ってた」
「それにDr.チカベがPairateの格好で」
「あれはそういう人じゃん」
 南瓜の金色よりさらに赤い橙色のつむじが、オーブンの前でまだかまだかと揺れている。
 人参の朱色よりさらに赤い紅色のつむじは、となりでじっとしている。――ある意味こちらの方が真剣に加熱機の中を凝視しているようにも見えた。
(胃、無えのに)
 焼けていくパイが物珍しいのかとダテ博士は首を捻った。
 パイそのものに興味を引かれているのかパイ皮で作ったカボチャの顔がポイントなのか、喋ることの無いアンドロイドから察することは難しい。
――あるいは行事そのものを珍しく思っているのだろうか。
 小太郎には生まれて初めての十月。数ヶ月前までタワーの研究室で生活していた政宗とサスケの二人には、緑地居住区での初めての十月だ。
 居住区には仕事でタワーに通う人びと、そしてその家族が住んでいる。子どもの数もそれなりで学校もある。
 ハロウィン祭は地域のどの家もが参加する行事なのだった。
――と、いう事実を居住区の端に屋敷を構えたダテ博士が知ったのは、十月いっぱい手を焼いていたタワーへの報告書がやっと手を離れた後のこと。
 別にダテ博士が若くして有名な博士だから、目つきが悪くて地域に馴染まない一匹狼だから、と除け者にされていたわけではない。
 ただちょっと回ってきた回覧メールの『ハロウィン祭のお知らせ』を軽く見ていただけなので。
 そして商店街に買い物に出て南瓜一色の町並みに驚かされたのが、ほんの一週間前のことだったのだ。
「Sorry,サスケ、小太郎にも…もっと早くに分かってたら仮装もなんとかしてやれたんだがな」
 濃紺のエプロンを取って椅子に腰掛ける政宗に、オーブンに釘付けになっていたサスケが振り向く。
「えー?別に良いよ興味ないし」
「……」
 同じように振り向いた小太郎は、仮装の意味を分かっているのかいないのか――先刻自分が彫った南瓜頭がジャック・オ・ランタンだったのだという事実も分かっているか怪しい顔で、ふるふると首を振った。
「そうか?菓子が目一杯もらえたぞ。Ah,小太郎は食えねえけど…」
 忘れていた記憶を掘り返せば、昔政宗も蘭丸やいつきのように、タワーの学舎の行事で確かに数回仮装をしたはずだった。
 引っ越す時にタワーから持ち出しきれなかった物どもの中に残っていただろうか、あればそれが使えるかと、前田慶次に手伝わせてまで探したのだがそれも徒労に終わった。
 しかし今からでもシーツに穴開けて被ったら良いんじゃなかろうか、と捲っていたシャツの袖を下ろしながら考え込む政宗に、サスケはにこにこと笑みを崩さない。
「俺は政宗のパンプキンパイがあれば十分!」
「それは他の家から来る餓鬼ども用だ。食い尽くされるかも分からねェぜ?」
 衝撃が走った。
「え、そんな嘘!嘘でしょ!?」
 見開いた鳶色の目に嘘で無い涙が滲んでいるように見えるのは目の錯覚か。
――そこまで狼狽する必要がどこにある。
「……」
 あまりの剣幕に、隣の表情の無いアンドロイドが困っているようにすら見える。
 別にまた後で焼けば良いとかお前腹減ってないだろとか、言いたいことは色々と思いついたが、芳ばしい空気に飛び交う冷や汗マーク(幻覚)にダテ博士は言うべき言葉を置き換えた。
「分かった分かった、お前の分は確保しておいてやる」
 ダイニングテーブルに頬杖をつき、政宗は落ち着かせるようなハスキーヴォイスで請け負った。
 舌と消化器がきっちりと備わっているとは言えどうしてこんなにも食い気に溢れているのか、創り主にもよく分からないところである。
「良かったー家の周りにトラップ仕掛けようかと思っちゃった」
 菓子を置いてけ悪戯するぞ。
 Trick or Treatの決まり文句はそういう意味ではない筈だ。



 サスケのAIがどのように発達しているか、より細かい分析を進めているのはその基盤を作ったユキムラ・G・サナダ博士である。
 幸村によれば、現在5A式の知能の成長速度は一年で人間の三歳分に等しいという。
「勿論、人間の脳は最初の一年足らずで計り知れない程の知識を吸収するのでござる。5A式の人工知能の場合は人間の基礎情報を覚えこませ、自身でその応用を蓄積できる力を持つまでですでに数年かかってござりますからな。政宗殿に正式にお預けしたのが三年前――その時点で情報だけはあらかじめ多量に組み込んでおきましたゆえ、あとはそれを5A式自身が使えるようになるかならないかという条件の下…人間の脳の発達と比較するのは早計かとは存ずるが――
「Well,それでそのあらかじめinputされてる情報にはTrap関係もあったりするのか」
「とらっぷ…?」
 焼き菓子の香りが漂うリビング。
 幸村は珈琲に砂糖を入れる手を止めてきょとんと目を見開いた。
「いや良い。忘れてくれ」
 仕草だけはどこか子どものようにあどけない男の精悍な顔に、政宗はパタパタと手を振って見せた。
 クッキーやパウンドケーキが盛られた大皿と珈琲カップが並ぶ、脚の短い楕円形のテーブル。三人掛けと一人掛けのソファはLの字型をして楕円を囲み、その一人掛けの方に客人が、臙脂色をした薄手のセーターの背をきりりと伸ばして座っている。
 屋敷の主人は三人掛けのソファの真ん中に腰掛け、寛いだ様子でブラック珈琲の熱い香りを煽った。
「時に政宗殿」
 そちらは何処の者にござろうか?
「ん?」
 幸村は政宗の左隣に座る小さな――5A式ではない見慣れない姿に、視線を注いでいる。
「近隣かタワーの童かと考えておりましたが、もしや北条殿の右腕と噂の」
「Oh yes.会わせた事無かったか」
 サスケと同じ体格、サスケより赤い髪、目元を隠すゴーグル。水の入ったカップのみが目の前に置かれ、けれど口をつけていない。
 興味のないことには何事にも鈍い幸村であっても、この少年こそが、と分かるだろう――否。
 サナダ博士には興味のある対象であるはずだ。
 小太郎の紅赤毛の下にあってこの身体に指示を出すものが、甲斐原理式の人工知能であることは前述した。
――まさにそれは甲斐原理=武田理論の申し子、ユキムラ・G・サナダ博士の専門ど真中だ。
「“風魔”は北条家の手に渡った後、門外不出となったとお館さまよりうかがっておりましたが」
「まあ、な。門外不出っつーか事情がややこしいんだと」
 風魔――とは、小太郎のAIに付けられた異名である。
――人工知能の発達の歴史を語るには、少なくとも政宗が生まれる前まで遡らなくてはならない。
 BASARA-eが発見されてから今日まで、そのエネルギー特性の研究によりあらゆる技術、中でも人工知能は進化し続けている。
 そしてその中でも特に大きな動きと見られているのが、二十年前に武田信玄が提唱した甲斐原理=武田理論の存在だ。
 しかし信玄公は理論を打ち立てたのみで、それが実証されるにはさらに数年の時を要した。
 真田幸村が実際に甲斐原理式人工知能を組み立て始めたのが十年前。
 まだこの男が十七、八のころである。
 政宗は当時九歳だったが、自分の倍ほども年上の少年が真赤なTシャツに形ばかり白衣を羽織り、茶色い髪に何故か赤鉢巻きをして赤・茶・白の三色をはためかせつつ『おやかたさヴぁあああ!!!』と奇声を放ってBASARAタワーの廊下を駆け回っていたことは、記憶にしっかり刻み込まれている。政宗が幸村を呼び捨てにし続ける気持ちは主にその辺りから派生しているのだ。
 ちなみに“武田理論”は幸村に言わせれば“お館さま理論”となる。
――話を戻そう。
 武田理論の申し子と呼ばれ、甲斐原理に基づく人工知能を完成に近づけたとされる幸村であるが、その理論から人工知能を形にした学者には先達がいる。
 “風馬チーム”の名で登録されていた二人の研究者。
 武田信玄の息子であり、武田理論を恐らく誰よりも先に解する立場にいたであろう武田勝頼と、その配偶者であり、北条家の末娘として――何よりその才能をタワーに認められていた北条可奈姫である。
 今は二人ともタワーにいない。
 勝頼は亡くなり、研究を引き継いだ可奈姫はしかし、二年ほどで行方知れずとなった。
 “風魔”と字を変えて名付けられた人工知能は北条家に引き取られ、形ばかり『研究続行』の態で眠りについていたのだ。
 政宗がこの体に移植した、ほんの半年前まで。
「あの風魔が、今では体を得て北条殿の研究助手まで勤めているとは…」
 幸村は生まれた時から逸らしたことなど無いかのような真直ぐな目をして、政宗の右隣を見ている。見れば、小太郎は幸村の方へと顔を向けていた。
 手には細い空色の紐を絡ませて。
――紐を絡ませて?
「お前ら…あやとりしてたのか」
「……」
 こっくり。
「5A式はどうしたのでござろう?」
「……」
 問えば、腕全体を捻って明後日の方を示す。テラスのある方向だ。
 政宗は唸った。
「洗濯物取り込みに行きやがったな」
「……」
 再び、こっくり。
 紅赤毛の頭が揺れる。
「Okay,俺が取ってやる」
 橋の形をした紐の渡りを細い小指ですくって、人差し指と親指で取った。
「……」
 そこから小さな爪を持つ指が、網目をすくってまた別の綾を作る。
 箒。青い星。空色のダイヤモンド。
 幸村が、おお、と感嘆の声を上げた。
「器用なものでござるな」
 世辞を言える男ではないと知っているだけに、政宗の笑みも素直なものになる。
 紐を操る小太郎の指は、もしかしてもしかしなくとも幸村の無骨な指よりよほど滑らかな動きが可能だった。
「干からびても北条の爺さんのメンテナンス付きだからなコイツは。字なんかサスケよりよっぽど上手いぜ?」
 床に並ぶランタンもほとんど小太郎が彫り上げたのだと言えば、男の顔が子どものように純粋な驚きを湛える。
「店に並んでいた売り物かとばかり…ほう、これが」
 歯を見せて笑うカボチャ頭はそれぞれに違う顔つきで、頬の辺りや頭の後ろには模様ま彫り込まれていた。
「この唐草紋様などなんと精巧な」
「俺のdesignだ。まさか全部描いたとおりに彫れるたァ思わなかったんだが」
 言いながら小太郎の指の間の網目を取っていく。
 ヒューマノイドを造形した腕は彫刻家にも匹敵すると言われたダテ博士である。
 幸村は五つ六つと並ぶカボチャ頭に得たりと頷いた。
 そして端の一つを手に取り、ふうむ、と唸る。
 他のカボチャとうって変わってガタガタの線。異様に鋭い目つき。黒い厚紙の眼帯で覆われた右目。
「すると差し詰め…この政宗殿は5A式の作品であろうか」
「Wait,確かにモデルが俺であることは認めるが、そいつをnaturalにそう呼んでくれるな」
 青羽の蝶々を手の中、政宗はランタンより鋭い一瞥を幸村に投げかける。
「佐助に下書きさせたら迷わずそんな顔にしやがった」
「下書きということは、彫ったのは?」
「小太郎」
「……」
 蝶々に指をかけていた赤毛がこくりと頷く。
 描かれた線に忠実に彫ったのだと、風魔はともかく5A式の能力値を熟知しているサナダ博士にはそれで分かったようだった。
「職人技にござるな」
「ある意味な」
「体を手に入れて半年とは…」
「信じられねえだろ?」
 幸村は考えるように固い指の腹で唇を押す。
「5A式とではどちらが年長になるのでござろうな」
「Ah,well…」
 方や人工知能は胎動から十年、知能段階は推定十歳児、身体を得てからで言えば一歳数ヶ月。
 伊達研究所での役割は、掃除・洗濯・料理他(…の、お手伝い)。
 方や人工知能としては十数年前から存在するにもかかわらずそのほとんどの期間は凍結されていた、知能段階は未知数の零歳六ヶ月。
 北条屋敷での役割は、氏政の助手(手が震える博士の代わりにあらゆる作業を務める記録係、そしてお茶汲み係)。
――どことなく後者に分があるような気がする。
「……」
 パタパタと軽い足音が近づいた。
「小太郎お待たせーっ…あれ。なに?何で博士二人で頷きあってるの?」
 畳んだタオルを抱えたまま首を傾げるサスケに、小太郎も首を傾げる。
 この場にいた彼にも博士達の結論は見えなかったようだ。
「へーえそんなアイコンタクトが。やだなあ俺ヤキモチ焼いちゃうよ?焦げるよ?サナダの旦那が」
「某はそう簡単には焦がされぬよ」
 フッと笑って幸村は珈琲に口をつける。
 砂糖を三杯も入れたのだから珈琲味のCandyのような味になっているだろう、と政宗は目を細め、そのまま視線をタオルをしまって戻ってきたサスケへと向けた。
「お前こそ小太郎が首傾げただけでよくそこまで分かるな」
「んー?何となくだけどね、微妙に唇が動くから」
 それはそれで大層な特技を屈託なく口にして、小太郎の手の中の青い綾模様に鳶色の目を瞬かせた。
「俺の知らない形に進化してる…」
 サスケが席を外す前は橋だった青い紐は今、八本脚の蜘蛛に姿を変えている。
「……」
「ああ政宗が相手してくれたんだ。ごめんね、日が暮れる前に洗濯物部屋に入れちゃいたくて」
 頷きながら自分の右隣に腰掛ける橙色のつむじを見下ろして、政宗は腕組みしつつソファの背にもたれかかった。
「言えば俺が行ったんだがな」
 腕の長さと背の高さを考えれば、その方が早くて済んだだろう。
「駄目だよそこはサナダの旦那の相手してなくちゃ。ねえ?」
 橙頭は政宗を挟んだ向こう側の、紅色頭に同意を求める。
「……」
「ほら小太郎もこの通り」
「首を傾げてござるが」
「……」
「あ。…えーとね、俺この形どう取れば良いか分かんないんだよね。最初に戻っても良い?」
「あやとりの話だなそれは」
「……」
 小太郎が今度はこっくりと頷いたので、どうやらサスケの言葉に捏造はないらしい。
「気ィつかってくれてありがとよ。だがDr.サナダはお前の様子を見に来たんだろ」
「えー?そうなの?」
 政宗の左側から小太郎が蜘蛛を差し出し、右側からサスケが乗り出してその青い綾に指を掛ける。サスケの手の間に紐が張られる。
 胸の辺りでひょこひょこと動いている紅赤毛と橙赤毛の小さな頭に肩をすくめれば、微笑する幸村と視線がかち合った。
「Hey Doctor,そんなに微笑ましいかい」
「まことに微笑ましい光景にござる」
 政宗殿もあの頃、そうして遊んでいらしたものだ。
「…ありゃRehabilitationだ」
――しかもおそらくはもっと幼い、六歳頃の話のはず。
 寝台の上に身を起こせるようになって、麻痺していた左腕が少しずつ動くようになって。
 入院棟の白い天井は見飽きていたから与えられた本は貪る様に読んだ。多くの本はカウンセラー――男性か女性かプロフィールの明らかにされない謎の心理学者が選んできたもので、まだBASARAタワー学舎の高等部に通っていた元就(後のDr.モウリ)は読めない単語が満載の本を貸してくれた。彼と同期の元親は四本足で動く玩具(それは後に二本足に進化した)を作っては置いていった。
 学舎と言えば小等部の同級生(今では機械工学の期待の新人)も来てくれたものだが、見舞い客の多くは年上で。
 中等部の幸村は日課のジョギングコースの折り返し地点を政宗の入院部屋と定めていたし、彼の敬愛する武田信玄公も当時はタワーの研究室にいたため、時折現れては自身の昔話に専門から全く畑違いの分野、様々な引き出しから話を出してくれたものだ。
 そんな時に政宗にあやとりを教えたのが、何を隠そう北条家の老博士である。
『うぬ、ワシの知らん技を開発しよってからに…!』
『爺さん手が震えてるぜ?』
 にやりと笑う少年の顔は、既に後のダテ博士のそれだったであろう。微笑ましいと呼ぶ幸村は大物だ。
「しかし楽しそうでござった」
 久々の年下扱いに、つい唇も尖る。
「…あんた本気で今日は遊びに来たのか?」
「今日はハロウインにござれば」
 なるほど、と政宗は苦笑した。
「そこのCookieとCake食っても良いぜ」
「頂戴いたす」
 手を合わせて言うと骨型のクッキーをつまみ、一枚食べ終わってから幸村は顔を上げた。

「ハロウィンにござれば、5A式の仮装姿を見納めに参った」
「Ah?」

――単に遊びに来たわけでもないらしい。

 ぱちくりと瞬くダテ博士の左目に、自分の膝の上で進化していく綾模様が映った。
「いや、遊びに来たようにしか聞こえないよそれ」
 “梯子”を作りながら橙頭が答える。
「……」
 こっくりと紅頭が頷く。

 ニタリと笑うカボチャ頭に灯がともされないうちに、伊達研究所の外では日が暮れようとしていた。















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