「よ、独眼竜のだーんなっ」
 顔をあげると忍びがいた。
 相変わらずの軽々しい呼びかけに、なぜか違和感を覚えて、政宗は一瞬ゆるく眉を寄せる。
 三月。まだ雪の残る庭、雪を明るい白に照らす日射しと青空を背に、影と呼ぶにはあまりに派手な橙赤毛。真昼の戦場にこそふさわしい緑まだらの忍び装束。泥化粧の刷毛が鼻と頬をかすめた顔は、にこにこと笑っていた。
――その笑顔にも、違和感を覚えた。
「Ah…、」
 ぼんやりと見つめたのはわずかな間。政宗は首を振って手元に目を戻す。
 片づけなければならない書簡や目を通すべき調書の束。これでも先に目を通した小十郎が半分にまで整理した後だ。サボると後々面倒なことになる。
 竜の右目とさえ謳われる己の腹心の顔――それも主に色んな緒が切れた顔を思い浮かべ、政宗は、忍びにかかずらっている暇はなしと結論づけた。
「あれ、無視?なんだかんだ言って長いつきあいなんだからさぁ、ちょいとくらい警戒して話相手になってお茶出してくれてもいいんじゃない?」
 ぽんぽんと繰り出される筋の通らぬ言葉は半分ほど聞き流し――ただ、どことなく声の調子に気になるものを覚える。
 その声が訴えるものは――何だ。何だというのだ。くそ、昨日から大して寝てねえのに。
 政宗が顔を上げると、忍びはやっぱりいつもと少し違う顔をしていた。声はいつも通りの軽さ、煙に巻くような皮肉と作り上げた図々しさで、色鮮やかに仕立て上げられていたというのに。
 明るい庭を背に政宗の方を向いた忍びの顔は、薄い影をさして、目は遠くを見るようにぼんやりとしている。
「片づいたら、茶ぐらい出してやるから、」
 勝手にそこでしゃべってろ。
 噛んで含めるようにそう言えば、男の顔はスウ…と笑みを作った。
「片づく頃には酒の時間になっちゃってたりして」
「あんたの主人とは違うんだよ」
 そう口にして、はたと政宗は目を開く。
「真田幸村から伝言でもあるのか?」
 すると忍びは笑みにじわり、と苦いものを混ぜた。
「ないよ」
「そうか」
――だったら、急ぐこともない。
 再び墨の匂いに顔を向け、仮眠の後の寝ぐせがついたままの黒髪をがしがしとかき回せば、小さく。
「だったら出てけ、とか、言わないわけ?」
 影のような声が、耳をなでた。










『つぶやきひろい。』2013/03/17発行