夜の遊び







 空の、日の落ちたすぐ後の、その薄明りに似た鮮やかな青。
 雪の影のような柔らか気に澄んだ淡い藍。
 闇濡れた黒。
 流れ落ちる水紋に重ねて舞う白い、白い細かな花びらのあどけなさ。水底に沈んだ大輪の白のあでやかさ。
 ごくごく正直に言えばそれはもう彼の好むような柄で色で、その美しい光沢を放つ絹地に触ってしまえば、羽織りたくうずうずとするそ の肩を諌めなくてはならない。
 僅かな灯火の照らす中、白い指でその内掛けをつ、となぞり――これが舞の衣装であれば持ってきた奴を抱きしめてやるのに、と目の 前の男を睨む。
 抱きしめられる代わりに睨みつけられた男はそれでもへらりとやに下がった笑みを浮かべ、
「良いでしょコレ」
 などとのたまった。
 尚も広げた包みからは、金糸銀糸を織り込んだ帯、螺鈿細工の簪、白絹の重ねに――深紅の襦袢。
 眩暈がしたかのようにその左目を抑え、伊達政宗はShit, と口の中で呟いた。
 そういうのも似合うだろうね、と言われた事は確かに覚えている。

 華やかで艶やかで、影の濃いのが、さあ。
 Ah?…派手なのは嫌いじゃねえがな。んな格好してどうなる。
 俺が楽しい。気分が変わる?
 心配しねェでも毎回十分thrillingだ。
 まあね。国も違う忍びとおひいさま以上に面白い状況なんてそうそうないか。
 Ha, よく分かってんじゃねェか。

 そう言って流された話と思っていた。
 それから幾度か逢瀬を重ねても、何も言ってこなかったくせに、何故今になって。
「いやあ、これ手に入れるの結構苦労したんだ〜」
 嬉々として広げられる衣装や小物は、薄紙に油紙にと包まれていて、よほど傷や汚れを嫌ったのだろうと――そしてその重さを増した 包みをさらに葛籠に入れて背負って来たのだと思えば、その気遣いは健気でさえあるのだが。
「全部京の都で揃えて、打掛なんか前田の風来坊の名前借りて作ってもらってね」
 コレ着てる政宗が見たいって言ってたから、今度舞にでも使ってよ。
「あ、でも、全部身につけたところは他のに見せたらただじゃおかないから」
「……これ着たらその時点でただですんでねえよ」
 やっと絞り出した声に、橙色の髪の男がふわりと目を細め。
「そんな事言わないで、ねえ、――俺だけの遊女さんになって?」
 微笑んだ顔は混じり気なしの期待で満ちていて、この男のそんな表情が本当に珍しいものだと知っていたから。政宗は舌打ち一つで、た だではすまない覚悟を決めた。





――久しぶりに逢えたというのに、この男は。





 京の遊女など政宗だって絵姿にしか見たことがない。
 それでも襟を抜いて短い髪を何とかそれらしく結って、白粉を肌に塗り重ねる。

 化粧はしなくて良いよ、あんた素顔が綺麗なんだから。
 やるからには完璧にだ。You see?

 びっと指を突きつければ、あいしー、と笑って答える男を「てめえも忍び装束着替えて来い」と追い出したのが半刻前。
 眉を描いて紅を引き、豪奢な帯を腹の上で形作り、美しい布を幾重にも重ねる。
 鏡を覗きその出来栄えに、青から覗く白い細い首が頷いた。
 完璧に揃えられた衣装と小物とで整え上げて作り上げて――そうして出来上がった遊び女を、抱くつもりだろうか。あの忍びは。
 あれだけ苦労したものをあっさり脱がせるというのも甲斐の無い話である。
 他人事のように考えて白い首を傾げた。
 疑問を感じたのは男の行動にではなく、思い浮かんだ情景に。





 いつだったか、あれは満ちた月の明るさに眠れなかった、冷たくは無い藍色の夜更け。
 南蛮人が置いていった遊び札を手にして、縁側の板の上に座った。
 薄く四角い硬いそれを、二枚。互いに立て掛けさせるようにすれば、軽い紙の身ですっくと立ってみせる。屋根のような形である。
 触れ合う隣にもう一組。さらに一組と同じ屋根を作っていって、峰筋を繋ぐように一枚乗せた。
 途端、パタリ。音も立てずに札が崩れる。
 落胆もせずにもう一度。満月の白い光に白い札、刀胼胝の目立つ白い指が小さな紙の屋根を作る。
 暇つぶしである。
 すべきことはそうしようと思えば山ほど捻出できるが、今は心身を休める時間だと割り切っていた。
 それともそれは言い訳だろうか。
 小さな屋根を四組。その上に橋を架けて、さらに上に屋根を作る。
 フッと微かな風が吹き、札が倒れて舞った。
 札には葉に似た模様が描かれている。本当はその柄を合わせて遊ぶものだと聞いたのだが、一人では他に使いようも無い。
 一人では。
「…何やってんの?」
 指が震えた。
 札が崩れた。
 三段目が積み上がろうとしていた大屋根がパタパタと倒れてゆくのには目もくれず、政宗は背後の闇に振り向いた。
 いつからいたのか、ひるがえった髪の先が触れるほど近くまで忍び寄っていた影は、崩れた札の方を眺めている。
「ごめん、邪魔しちゃった」
「別に…手慰みだ」
 そう?と小首を傾げて、初めて政宗の方を向いた影。
 夕刻の地に落ちる影法師のように、橙色の線を髪にまとって細長い漆黒。
 その中で、鳶色の光が二つ、ニイと細まった。
「もう一回積んでみたら?」
 子どものような笑い方をする。と、この影法師のたちの悪さを知っている政宗はそれを意外に思い、それからWhat?とつぶやいた。
「これ何枚あるのかな」
 尖った烏爪持つ黒い手は、すでに札を集めて揃えている。
「五十三…って、お前」
「じゃあ五段くらい出来るね。風が今こっち向きだからー…」
 影はトンと庭先に下りると政宗の手元の風上にまわり、月明かりを遮らないようにかしゃがみ込んで見せた。
「はいどーぞ」
 そう言って見上げた影の顔が半分だけ、満月に照らし出される。
 その泥化粧を刷いた、表情が。





――やっぱり、楽しそうだったから、ついつい真剣に簪の位置を直してしまう遊女が一人。





 それでなくとも、物事を――蔵の巻物であろうと盤上の動きであろうと、完璧に積み上げる作業は嫌いではない。
 札を並べて間隔を計って、一組一組静かに立てていく。
 時折影が動いて、風の先に回り込む。
 音も立てず、口も開かず、政宗の手元にじっと目を注いでいる。
 やり辛くは感じない。何やら妙な夜になった、という感慨だけ。
 密やかな二つの息遣いの下、指が頂上の二枚を、そっと寄り添わせる。
 完成。
 影の唇がそう動いた。
 吐息一つで壊れてしまうであろう紙の大屋根。
 しかしそんな脆いものとは思えないほどに完璧な三角形の影を、月明かりに黒々と落としている。
「さぁっすが竜の旦那」
 喜色に溢れた影の声は、空気を揺らさずに響いた。
「ったりまえだろ」
 それに満足して政宗は唇を吊り上げる。
 半分だけ月明かりに照らされた影の顔も、にこぉっと笑顔になった。
「じゃあ、」





「支度はすんだ?」
 天井からでなく、襖の向こうから声が聞こえて、政宗はクク、と笑った。
「Yeah, …入っていいぜ」
 答えればスッと滑った襖戸から覗く、薬売りのような旅装姿。
 顔の泥化粧も拭取った何処にでも居そうな青年の、髪だけが明るい。
「染めずにきたか」
「だってあんた、これ好きでしょう」
 柿の実のような、夕焼のような。
「この妙ちくりんな色がな」
 クスクスと笑って手招きすれば、遊女の客は膝を進め、行灯の灯に――照らし出された青い内掛け姿に目を細める。
「綺麗に出来上がったねえ」
「……、」
 素直に褒められると返すはずの言葉も咽に詰まって、手招く形の腕のまま、遊女はプイと顔を背けた。
――満足したかよ」
「んー、」
 その手を客の男の指が絡め取る。
「あと少し」
 指の背に柔らかい感触を覚えて目を向ければ、男は白い指に唇を落としている。
 カアッと指から顔に熱が上った。
「じゃあ、ねえ、政宗さん」





――崩しても良い?」
 その声の甘やかさにか、一瞬、なぜかとても、それが背徳的なことに思われて。
 政宗は左目を軽く見開いた。
 しかしすぐに影の言う事が当然かと気づき、頷いてみせる。
「…ああ、好きにしな」
 札を積み上げた大屋根など、作ってしまえばあとは崩して片付けるしかない。
 影の中、鳶色の光がじっとその骨組みを見つめる。
 やがて黒い右腕が上がり、尖った爪持つ五指の、人差し指が、そうっと一点に触れる。
 完璧な姿の三角形が、瞬く間にその身を溶かし崩した。





(あの時と同じ、)
 じっと見つめる鳶色の瞳に、ざわりと肌が震えた。
 男の右腕が上がり、普段は光に晒されない細く骨ばった指が、近づいてくる。
 その手が帯に行くのか髪に行くのか、身を固くする遊女の目は鳶色に縫い付けられている。
 男の、人差し指の先が、ひやりと。
――唇に、触れた。
「あ…」
 寒けに似てけれど熱い、甘く背筋を溶かす感覚が、幾重にも重ねられた遊び女の衣装の下に走った。
 じわりと目じりが熱く潤む。





(崩される)





 行灯の灯がふっと消えた。
「佐助…ッ、」
 指が退くとともに唇が包み込まれる。
 右手が滑って帯に降りる。
 シュルリと絹が解かれる音に――パタパタと、何かが崩れる軽い音が、重なった気がした。





 黒い闇に全てが崩れ入る、夜の中。

 鳶色の光が二つ、満足げに細まった。


















2007/03/25