あるところに いっぴきのオオカミがいました。
オオカミは 森にすんでいました。
オオカミは もうこどもオオカミではなかったので
おとうさんオオカミや おかあさんオオカミや おとうとオオカミとも
いっしょに くらしては いませんでした。
おくさんオオカミも いませんでした。
そして ほかのオオカミたちとおなじように
けものたちを つかまえて 食べる オオカミに
友だちは いませんでした。
オオカミは ひとりぼっちです。
ある日 オオカミは ケガをしました。
猟師のワナにかかって うしろあしをケガしたオオカミは
トリも イタチも キツネも おいかけることができません。
もちろん。
ウサギも です。
だから きれいないずみのそばに うずくまるオオカミのところに
いっぴきのウサギが やってきたときも
オオカミはおいかけることが できませんでした。
そのウサギは 赤茶けたけなみの のウサギで
オオカミにちかづいて こう いいました。
『オオカミさん オオカミさん ぼくを たべてください』
オオカミは とてもおどろきました。
そして 怒ったこえで ほえました。
『だれが おまえなぞ たべる ものか!』
オオカミは ウサギが 走れないオオカミを わらいにきたと おもったのです。
『でもオオカミさん もうずっと なにも たべていないでしょう』
ウサギはいいました。
『ぼくは あなたを しっています。
青みがかった銀色の すてきなけなみに
はやく はやく 走れる きれいなあしをもっている オオカミさん
なにも たべなければ 死んでしまう』
オオカミは ほえました。
『うるさい うるさい! あっちへ いってしまえ!』
ウサギは しょんぼりとみみをたれて 森のなかにきえていきました。
けれど つぎの日。
ウサギはまたやってきました。
こんどは ケガをしたひな鳥をくわえています。
『オオカミさん オオカミさん このトリを たべてください』
オオカミは ほえたてました。
『だれが たべるものか! そんなものはかえしてこい!』
ウサギは つぎの日も やってきました。
こんどは ちいさなイタチの子を くわえています。
『オオカミさん オオカミさん このイタチをたべてください』
オオカミは 怒って 銀の尾でウサギをおいはらいました。
『だれが たべるものか! おれを ばかにしているのか!』
ウサギは つぎのつぎの日も やってきました。
こんどは うまれたばかりのキツネの赤ちゃんを くわえています。
『オオカミさん オオカミさん』
オオカミは きばをむきました。
『にどと なにも つれて くるな!』
そして つぎのつぎの つぎの日。
ウサギはいっぴきで やってきました。
『あのう オオカミさん』
『なんだ』
『ぼく なにも とってきていません』
『そうか』
『あのう オオカミさん』
『なんだ』
『ぼくは ここに いても いいですか』
オオカミは はなをならして わらいました。
『ケガがなおったら まっさきに おまえを くってやる』
ウサギは うれしそうに わらいました。
その日 森は いちにちじゅう いいお天気でした。
けれど つぎの日の 夜。
オオカミのところに。
トリとイタチとキツネが 赤茶けたけなみの ケガをしたウサギを はこんできました。
『オオカミさん オオカミさん』
『このウサギをたべてください』
『このウサギはたべもしないのに わたしの子をぬすみました』
『このウサギはたべもしないのに わたしの子にケガをさせました』
『このウサギはたべもしないのに わたしの子をすからおとしました』
『わたしたちの子は 死んでしまいました』
『オオカミさん オオカミさん』
『このウサギをたべてください』
オオカミは すっかりやせた からだを おこして
かなしい目で こわいこえで ほえました。
『みんな みんな きえてしまえ!!』
トリとイタチとキツネは 森のおくへと にげていきました。
ウサギは うごけないまま オオカミのそばに いました。
そして。
『オオカミさん オオカミさん』
ちいさなこえで いいました。
『ぼくを たべて くれますか』
ケガがなおった オオカミは 今でも ひとりぼっちです。
「…Nonsense!」
白い指が紙の束を放り投げた。
「え?なに?どうしたの伊達先生――って」
あわててそれを拾い上げ、佐助は橙色と呼んでも過言ではない明るい赤毛の下で眉をひそめた。
これは彼の原稿――では、ない。
「あのー伊達センセ?これ俺の大学時代の課題なんですけど何を勝手に読んでくれちゃって、」
先生と呼ばれた、けれど明らかに佐助より年下の青年が、狭い部屋の布団の上で跳ね起きる。
布団の周りにつまれた紙類が揺れて今にも崩れそうだ。
「うるせェぞ猿飛。なんだこの話!絵本か?絵本のつもりなのか?ああもうテメエは編集になって正解だ!いや不正解だ!
こんな奴に担当されてる俺の文章が心配だなIt's so disagreeable!!」
「ちょっ、騒がないでくださいってば……元気なんだから」
ハア、とため息をついて猿飛佐助は布団に手をつき、もう片手で崩れかけた本の山を押さえた。
何がそんなに気に入らなかったのか、彼が担当する文筆家であるところの伊達政宗先生は、ブツブツと「だってウサギが」
などと佐助の下で不満げに眉を寄せている。
「はいはい、もう人のもの漁ったのは大目に見ますけどね――」
カーテンの隙間から陽射しが入る、佐助の部屋はいつでも紙と、珈琲と、政宗が使う万年筆のインクの匂いがした。
というのも伊達先生が締め切りのたびにこの担当編集の部屋に転がり込んで、青いインクに指を染めているからなのだが。
「目は休まった?」
覗き込むと、佐助の布団に寝転がったまま年下の作家は左目を細めた。
「…寝たから」
「そう」
右目は白い医療用の眼帯で覆われている。
片目しか使えないこの青年は、長時間文章を書きつづけた後は酷く左目が痛むらしい。
「アンタの原稿は無事に輪転機にかかってるから、安心してもうちょっと寝るんだね。布団は使ってて良いけど今度は
人の荷物はいじらないこと」
「お前は?」
伊達先生が『何を馬鹿なことを』とばかりに眉を跳ね上げた。
白い肌に茶色がかった黒髪、整った造作の顔はそんな表情をより鮮烈に訴えかける。
「俺は廊下で寝袋で寝マス」
その彼が上げた原稿を佐助は校正して印刷所に届け、徹夜明けでついさっき帰ってきたのだ。
「Silly!ここで寝ろよ家主だろ」
「狭いでしょ」
「別にかまわねェよ」
「いやもう明らかに俺がかまうよ。かまうよコレ」
「うるせェ!こっちに来い!!」
グイ、と引っ張られて、叫ぶ間もなく佐助の痩躯が青年の細身の上に落ちた。
「ぐえ」
政宗の方がつぶれたような声をあげる。
「あー、…言わんこっちゃない」
佐助はゴロリと横に転がって、とにもかくにも青年のインクに染まった左手と内臓を救出した。
その左手が、佐助のシャツの胸元を掴む。
「ここで寝ろ」
酷く真剣な声に苦笑した。
「良いけど、お兄さん眠くて死にそうだから何にもできないよ?」
ふざけた声で仄めかしてみても、両手ですがりつくようにされるばかり。
「…ウサギは寂しいと死ぬんだよ」
かすれたハスキーな声がそんな可愛い事を言うと、途端に幼く聞こえるから不思議だ。
などと呑気に考えて、佐助は肩口にある黒髪を撫ぜた。
「伊達先生ウサちゃん?」
「お前だ馬鹿!」
「馬鹿はないでしょう…」
ホワァ、と欠伸をしながら佐助は口の悪い作家の先生を抱き寄せる。
そうかそうか俺がウサギか、と閉じた目の裏で、学生時代の課題を思い出した。
どうしてあんなものを書いたのか、佐助自身も覚えていない。
走り書きされたタイトルは『理壊す罪』とかそんなものだ。思い出すだけで恥ずかしい。
森の理を壊したウサギは死んでいく。
理に従ったオオカミは一生ひとりぼっちだ。
ウサギは寂しいと死ぬのだと彼は言うが、寂しくても死ねないオオカミがどうなるのか佐助は知らない。
何となく抱きしめる腕が強くなった。
これだって、理を壊しているには違いない関係なのだけれど。
『チクショウ、あんなの俺がRewriteしてやる』
年若いオオカミの声が夢うつつに聞こえた。
うん、そうして。
佐助は答えて、青みがかった銀の毛並みに顔をうずめた。赤茶色の髪が揺れる。
小さな部屋の外は、一日中晴れていそうな青空だった。
07/09/12 改定
初出:memo(07/09/10 憂鬱なサスダテ絵本)
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