作中に出てくる小話の元は、M原敬之の歌『HUNGRY SPIDER』です。
歌詞自体は引用しておりません。
詳しくは07/1/13のmemoにて。















   
My darling butterfly







 気がつけば背に回されている長い腕。近づく唇が、迷いもせずに自分の吐息をつかんで甘く噛んでいく。
 確実に絡みついて、そのくせ風が吹けば千切れそうなほど柔らかい動きが。
(…Ah-han,成る程ねえ)
 やっと満足のいく答えを出して、政宗はククッと喉の奥で笑った。
「伊達サン、なにが可笑しいの?」
 するりと離れた舌が、唇のすぐ側で何事も無かったかのような言葉をつむぐ。
 まるでただ横に座って茶を飲んでいただけの相手にでも話しかけるような、きょとんとした目と気の抜けた声。
 じわじわと侵食する――少し悔しくなるほどに龍の身を煽った熱も、忘れたかのような。
 木の葉の影に似た模様の肩に手をつけば痩躯は簡単に彼の胸から離れ、けれどその長い腕は政宗を捉えたままだ。
 僅かに身を離すには邪魔にもならないほど緩い拘束であるというのに、ひたりと背に吸い付いた手のひらが決して 逃がしてはくれない。
 細い、骨ばった指を持つ、忍の手。
――お前の腕から先は、つくづく良いformだと思ってよ」
「え?え?ほるむって」
 言いながら政宗の手が二の腕を撫でていくので、佐助は慌てた様子で聞き返す。
 その様子に政宗はまた声を立てて笑った。
「形、だけじゃねえけどな。My darling」





 月に照らされた艶やかな笑顔と、優しく辿る指と、楽しそうというよりは愛しげな声と。
(ああ、もう、自惚れちゃうよ俺)
 奥州の城の城主の部屋で、その部屋の主は自分の腕の中。
 腕の環をゆっくりと狭めて、政宗の体がぴたりとくっつくように抱きしめる。
 奥州の殿はまだ佐助の腕に興味があるようで、その動きに合わせて手甲を撫ぜながらすいと体を反転させた。
 後ろから抱きしめる形になったその体をふわり、一瞬抱き上げて膝に乗せる。
 かすかに息を呑む気配がしたが、拒まれなかったので佐助はぎゅッと腕に力をこめそのうなじに鼻先を埋めた。
 雪に咲く紅梅の香が忍の頭の裏を痺れさせる。
「…で?」
 右の耳元で囁けば僅かに身を竦ませるのが、隠しようも無く佐助の胸に響いた。
「竜の旦那は俺の腕から先にしか興味が無いって?」
 忍は自重しているつもりでいるのにこの竜が自惚れさせるから、ついつい“そんな筈は無いでしょ?”と 笑いが含められた声になる。
「どうだかな」
 答える声も笑んだ口元から零れたようで、その手は佐助の黒い篭手を楽しそうに剥ぎ取った。
 夜気に晒された手は暖を求めるように、すぐに政宗の腹の上に舞い戻る。
 烏の爪に似て黒い先の尖った忍の手。しかしこの夜の中では、それを取り去った後の細い指の方がよほど危ないのだと、 歳若い青年はどれだけ分かっているのか。
 鮮やかな青の陣羽織と違う藍色の着物は、決して薄手ではないがはるかに柔らかい。その布越しの手ごたえに佐助が 目を細めるのは、その中の白い体を知っているからで。
 細めた目にひそむ不穏なまでの情欲が、今は政宗から見えない位置にあるためでもあった。
(まったく、人を煽るのが巧いんだから)
 実際半分くらいは分かってやっているに違いないから仕方ない。
 噛み付こうとする口の責任を喰われる相手に被せつつ、佐助は薄い唇を首筋に寄せた。
 が、しかし。
――に似てる」
「は?」
「蜘蛛の糸に似てるよ。お前の腕」
 腕の中で身をよじって佐助の方に顔を向ける、時に婀娜っぽくもある悪戯気な笑顔は今は無邪気なものだ。
 間を外す天然さも可愛くて困る――そう苦笑してから佐助ははたと聞き返した。
「…蜘蛛の糸?」
「Yes」
 にいっと笑って政宗は頷く。
「細くて長くてさ、ふわふわ頼りねえのに絡んだら離れねえの。…腕だけじゃねえけどな」
 なんかこう、全体的に?
 左の目が目蓋を落とし、佐助の口元を眺めている。
「全体的にって…じゃあ俺の体は蜘蛛の巣で、アンタは巣にかかった蝶ちょってなワケで?」
 苦笑すればクスクスと笑い声が返った。
 冗談で意地悪を言っているのではないらしい、真理を見出した子どもの屈託の無さ。
「じゃあ、さ…」
 その子どもの体温を壊さないように抱きすくめて。
――こんな話、知ってるかな」
 獲物を傷つけず捕らえ貪欲に貪る、蜘蛛の気持ちを思った。





 あるところにお腹を空かせた蜘蛛がいました。
 蜘蛛はもう何日も獲物を獲っていませんでした。
 毎晩せっせと張った巣を、昼の前には壊してしまうからです。
 何故かって?
 それは朝露に光る蜘蛛の巣を、綺麗だからと見に来る蝶ちょがいるから。
――蜘蛛は蝶に恋をしていました。
 だから蝶ちょの笑顔のために巣を張って、朝露が乾けばその羽が捕まってしまわないよう、彼の巣を取り払うのです。
 蜘蛛はお腹を空かせていました。
 死にそうなほどに空腹でした。
 そんなある夜、蜘蛛の巣に何かがかかっていました。
 星みたいに光る綺麗な綺麗な粉を散らした、それは彼の恋する蝶でした。





「それで蜘蛛は…どうしたと思う?」
 死の淵で背を押す飢餓。目の前には恋しい獲物。
 抱きしめられた政宗の左目からは、佐助の顔は見えなかった。
 淡々とした語り口と柔らかな声音が優しく響いて、子守唄のように政宗の耳を撫でる。
「蜘蛛、は――
 答えようとした矢先、政宗の体にすうっと夜気が触れた。
 寒さに軽く目を見開く。
 政宗はとっさに背後の忍装束をつかんだ。
 そうして振り向けば、困ったような微笑と――開かれた両の腕。
(蜘蛛は)
 逃がしたのか。愛しい蝶を。
 政宗の唇は知らず震えた。
 白い指が、忍の斑染めから離れていく。





 力を失ったように弛むその指を、佐助は名残惜しいような気持ちで眺めた。
 しかし、次の瞬間。
――あれ?)
 首に回った竜の両腕。捕まって、そのまま仰向けに押し倒される。
「政、宗……さん?」
 ぎゅうぎゅうと締め付ける細い腕に身動きもとれず、視線だけ動かしても月明かりに青みがかった黒髪が 見えるばかり。
 どうしたものかと畳に両腕を投げ出したままでいれば、佐助の耳元で僅かに掠れた声が、呟いた。
「Foolish, silly, stupid, ………my darling Spider」
「…分かんない、よ」
 本当は少しは聞き取れている。
“しりー、まい、だーりん”は政宗が佐助の前でだけ良く口にする組み合わせで、せがんで意味を教えてもらったのだ。
『阿呆な、俺の、…仕方の無い奴』
 しかし今はその声が僅かに震えている事は分かって、佐助は片手で政宗の髪をくしゃりとかき回す。
 腕の力が弛んで、佐助の上に覆いかぶさっていた政宗が、少しだけ身を起こした。
 佐助の耳の上、橙色の髪に手を滑らせてその強い一つ目で覗き込む。
「放すな」
 視線は強く、けれど確かに露を含んで。
――放すなよ?そんなことしたら、蝶が蜘蛛を喰らってやるからな」
 佐助の咽がごくりと鳴った。
「そんな顔でそんな事言うと、食べられちゃうよ?」
「食っちまえばいいじゃねえか」
 それはまさに、先刻彼が口にしかけたその答え。
 紅い唇の端をくっと上げて政宗が笑う。
 夜の中、網は見えない。
 細くて頼りない捕らえて離れない、二人を繋ぐ蜘蛛の巣の糸。
「…困ったもんだね、この蝶は…」

 気づけば佐助の両腕は、蒼い薄羽のその間に、ひたりと絡みついていた。


















「“Spider”は、蜘蛛のことだ」
「へえ、…蝶は?」
「“Butterfly”」
「じゃあ、」

 まい、だーりん、ばたふらい。

「………」
――なんでそんなに真っ赤になるかな、俺の困った蝶ちょさんは」















2007/01/13