雨が夏を連れて来ようとしていた。
 温い風を孕んだ灰色の雲が空にうねり、大粒の雫が緑の葉にバラバラと降り付けたかと思えば、晴れ間はカラリと暑いほどの日差しを見せる。
 その、晴れ空の下。
「おおい、幸村!幸村!!あ、そこの女中さん幸村知らない?修練所か!ありがとなっ」
 上田城に駆け込んだ前田慶次が勝手知ったる様で戸を開く。
「幸む――ら!?」
 出迎えたのは紅い槍の切先だった。
「これはこれは、前田慶次殿!!」
 戸を開け放した修練所の、真昼の光で影となった紅の陣羽織。
 目的の人物がそこにいた――は、いいが。
「久しぶりだな、幸村」
 何の悪意も敵意もない様子で繰り出された穂先を、のけぞって避けた姿勢のまま、慶次は冷や汗をかく。
「ちょうど良いところにお出でくださった。それがし手合わせの相手がおらず、鍛錬に物足りないものを感じていたところで――
「うん、分かった、分かったけどさ!手合わせの前に、聞きたいことがあるんだよ」
「それがしに答えられることならば、何なりと!」
「あと、とりあえずこれどけてくれないかな」
「は!これは…失礼つかまつった」
 幸村はさっと槍をあげると、びしりと構えなおす。
「さ、お聞きくだされ!そして手合わせを!」
「うん、じゃ、聞くけど」

 忍びの兄さんが独眼竜と別れたって、ほんと?
 真でござる。

「うそだろ!?」
「真でござる」
 幸村はこっくりとうなずいた。
 紅い鉢巻と尾のような髪が揺れる。
「こうしちゃいらんねえ、行くぞ!夢吉!」
「キィッ」
「お――お待ちくだされ、慶次殿!」
 きびすを返す慶次の背後に、再び刃の気配がせまる。
 とっさにキキ、と床板踏みしめ、ふりむきざまに刀を抜いた。
 ギイン!と音も鮮やかに響かせて、梅鍔の大刀は朱塗りの二槍を受け止める。
「おお、お見事!」
「お見事じゃないだろ、幸村…」
「そうそう、佐助は多分お会いできないだろうと存じまする」
「え、なんでだい?」
「あやつは今、多忙を極めておりますゆえ」
「なんだいそりゃ、独眼竜をほっぽって――!」
「ちなみに政宗殿も大層お忙しいらしく」
「へ?」
「それがし、あとひと月はどちらとも手合わせできぬのです」
 残念そうに首を振る幸村は、あくまで槍を退ける気はないらしい。
――どういうことだ。
 と、慶次は考えた。
 ふたりとも忙しく――忙しいから別れたとでも言うのか。そんな馬鹿な。
『お互いの時間が合わなくて、ついすれ違いがちに』
 ありがちな離婚の理由が前田慶次の頭をよぎる。
 あるいは、『別れてから寂しくて、仕事にのめりこむばかり』――そんな事情なのだろうか。だとしたらお互い寂しくてしょうがないのではないか。そんな悲しい話があってたまるか!
 だいたいなぜ幸村はこんなに落ち着いているのだ。共に戦う大事な仲間、そして真田幸村という存在と運命のように惹かれあっていた好敵手が、――辛い思いをしているというのに。
「そこは問題ありますまい」
「なんでだよ?」
――佐助はそれがしの大事な同胞、政宗殿はなにものにも代えがたい好敵手。なればこそ、信じるが必定」
「…それは、」
「そもそも佐助の様子を見る限り、それがしが余計な心配をする必要もないかと存じまする」
「どういうことだい?」
「さて、どういうことなのやら…」
 大丈夫だと言っておきながら、幸村は心底分からんと言う顔で首をかしげる。
――こっちがさっぱり分からない。
 慶次はハア、とため息をついた。
「じゃあ、俺がつきあうからさ、一献終わったら幸村、知ってること全部教えてくれよ?」
 恋に恋する風来坊、前田慶次。
 そもそも自分が、忍びと竜の婚姻関係についてあれこれ詮索する立場でない――などという事実は、はなから彼の頭にない。
「承知」
 それはどうやら、真田幸村も同じであるらしかった。
「いざ、尋常に!!」



 さて。
 前田慶次が“離婚した”と認識している、真田幸村と縁深いふたり。
 忍びの兄さんこと猿飛佐助と、独眼竜こと伊達政宗は、結婚していた。
 離婚できるということは結婚していたということである。
 男同士である。
 身分違いである。
 別の国で生まれ育っている。
 かろうじて、互いの国は同盟を結んでおり、顔見知りではあった。
 ともあれ、婚姻を結んでいた。
 祝言を挙げてから、十月以上になるはずだった。
――話は、ひと月前に遡る。
 雨が降っていた。
 梅雨のそれではなく、春の花を散らす、雨だった。
 独眼竜が、婿を迎えいれるために使っていた奥向きの部屋の――忍びの手で飾られた桜の花も、吹き込んだ雨風に、散っていく。
 冷たい風と裏腹、寝込んでいた竜の体は、佐助の腕にじわりと染みるような熱さを持っていた。
――お前が望むなら、離縁してもいい、と。
 そう言った独眼竜が、なぜそれを口にする前にこの忍びの身を抱きしめたのか。
――それはきっと、捕まえるためでなく、手放すために、一時つかんでみせるような。
 そんな矛盾したような心持が、佐助にも今は、分かる気がした。
――そんな酷い矛盾がどこからくるのか、それさえも。
 佐助は目を細め、静かに深く、息を吸う。


「離縁してよ、独眼竜」


 強く抱きしめたから、竜の顔は、見えなかった。
 ただ一瞬、凍りつくように、空気にピリリと何かが走って。
 それから、ゆるり、と、佐助の装束から指が解ける気配があった。
「……I see.」
「うん」
「分かった、それじゃ――
 佐助はいっそう強く、逃げ出しそうな体を抱いた。
「で、おりいって話があるんだけど……政宗さん」
 そう軽く続けたつもりで、けれどいつも通りのはずの声に隠し切れない焦りが表れていたのか、その体は一瞬ぴたりと動きを止めて。


「俺と結婚してください」


 ビビビッ!と今度こそ気のせいでなく奔ったのは、竜の雷のようだった。
「…今のは痛かった…」
「お前、お前……何言ってんだっ」
 佐助のうめき声も聞こえぬ様子で、独眼竜は迷彩斑の胸に手をつき顔を上げる。
「へ?いや、だから、結婚」
「たった今離縁しろって言ったじゃねえか!?」
――ああ、なんだか、毛を逆立てた猫を捕まえてるみたいだ。
 毛を逆立てたどころか電気がビリビリの独眼竜様を捕獲しているのだが。
「だからさ、今までのは、言ったら独眼竜がなんかの賭けに負けて、とりあえず祝言あげた流れだったろ?」
――そう、多分あれは、賭けのようなものだった。
 この蒼い竜の隣を誰が占めるのか、誰かに納得させるための。誰かに諦めさせるための。こんな馬鹿げた方法しか取れないくらい大事な、誰かのための。
 決して、竜自身は勝つことのできない、賭けだった。
 佐助はおぼろげながら、そう理解している。
 けれど竜は、理解できぬという顔をした。
「俺が負けた覚えはねえよ」
 そこじゃなくて!と佐助は困った顔で笑ってしまう。
「それが――賭け金の清算が、必要なくなったんでしょう」
 だから、離縁してもいいなんて言い出したんでしょ?
「それは、」
「だったら」
――そういうややこしい事情のためじゃなくて、そうじゃなくて。
 竜の肩に鼻をすりよせれば、香の染みたその身の匂いが流れ込んでくる。いつからか慣れ親しんだその温度で、考えるより先に言葉が零れ落ちた。
「ただ、俺が、次の桜をあんたと見たいから」
「……、」
「星と月と紅葉と雪と、悪いけど俺あんたが一緒じゃないとああいうの全然わかんないし。独眼竜が隣で、きれいな桜だって言ってくれたら、分かったような気になれるってだけだから。あと料理も、あんたが喜んでくれるんでないなら何食べたって全部同じだ。それから、こうやってあんたが熱出したり怪我したりしたらそばにいたいし――
――やめるときも、すこやかなるときも。たとえそれが、今思う以上に大きな覚悟を強いることだとしても。
「もっとしたいこととかあるんだけど、とにかく」
 トン、と、弱々しく、拳が佐助の胸を叩く。
 何かを訴えるように。
 我に返って、佐助は顔を上げた。腕の力を緩めれば、くてん、と佐助の肩に額を預ける丸い頭。
 茶色がかった黒髪に、やわらかい曲線を描く耳朶が、赤く染まって。
「あの、…政宗、さん?」
 できるだけ負担にならないように、唇を寄せてうかがえば、ビクンと腕の中で体が跳ねた。
――しまった。
(熱が、)
 顔を上げた独眼竜は、真赤な顔をして、左目を潤ませて、ヒューヒューと苦しげな息をしていた。
「も、…無理…ッ」
 かすれた声でそんなびっくりするほど艶めいた台詞を吐かれて――無理なのはこっちです本当にごめんなさい。と、胸のうちでつぶやきながら佐助は理性を総動員させる。竜の肩を抱いて仰向けに、首を少しのけぞらせながら、ゆっくりと倒して。
「…ごめん、熱あがっちまったみたいで」
「、…ッ、」
 コホ、ケホ、と細い体は咳をくりかえした。
(そうだ、白湯が)
「飲める?」
 椀を手に取り、唇に近づけようとした瞬間。
 ふっと、腕の中の体が沈んで。
「……っきなり何言い出しやがるこの忍び野郎!!」
 ゴッ!!
――そり返った体勢から反動をつけて繰り出されたのは、紛うかたなき頭突きであった。
「〜〜〜痛ってぇえええ!!って言うか懐かしい!その悪態!!」
「Shut up!からかってんのか!?」
 祝言を挙げてからというもの、独眼竜の口から聞くことのなかった類の言葉と、声。
 佐助は容赦のない痛みに額をおさえながら、ぷはっと笑った。
 はじめて見たときは、ただ戦場で相対するだけの他国の戦馬鹿だったのに。
――いつからだろう、もうよく分からない。ただ。
 口を利くようになったのは、佐助が仕える虎の若子が、この独眼竜の好敵手であるため。
 度々の諜報活動の中わざわざ独眼竜自身に接触したのは、豪放磊落にして緻密な策略を持つ、甲斐の虎の指令があるため。
 一介の忍びが口を利いて許されたのは。独眼竜が独眼竜であるため。
――今、ここにいるのは。あの日、この部屋に踏み入ったのは。はじめて会った戦場で、雷のようにぎらぎら光る、戦馬鹿の狂気じみた笑みを焼き付けられたのは。
 すべて佐助が佐助であるがゆえなのだと、――いくらなんでも分かっている。
「からかっちゃいないさ」
 忍びがクツクツ笑っているものだから、赤いままの竜の顔はいぶかしげだ。
「ねえ、返事は?」
 頭突きのお返しに、コツンと額を合わせれば、金の独眼を見開いたまま唇を震わせる。
「何か質問があるなら答えてあげるし、ひと月くらいなら待ってあげてもいいよ。――まあ、なんか元気そうだけど病人だし」
 噛みしめて、頼りなげにまん丸にしていた目を、すっと細めて。
「ひと月…」
「うん」
 ひと月たったら、卯月の末か、皐月のころ。
 そうすればまた“じゅーんぶいらいど”になるだろう。
 呪文のような言葉が、西洋の六月を示すのだと――その月に結婚した花嫁は幸せになるのだと、言われている。そう教えてくれたのは、祝言を挙げた夜の、佐助の花嫁だ。意外と験なんかかつぐんだね独眼竜、と佐助は笑った覚えがある。
「あの日は、異国で言う六月の末だったんだっけ」
「…覚えてたのか」
「うん。でもそんなに待てないから、一日までには答えがほしいなあ」
 まあ考えといてよ。
 と、なるべく何でもないことのように言って、くしゃりと竜の髪を撫でる。
「今は、早く熱を下げないとね」
 政宗は乱れた髪のままじっと佐助を見て、こっくりとうなずいた。
――子どもみたい。
 けれど、寝床にぱたりと横たわって、白い布に黒髪を散らして、赤い目じりとぼんやり潤んだ目をして――そういう態でいられると、いつまでも子どものように扱ってやれる自信はない。
 いっそ今すぐ頷かせてしまえばよかった。と、“いえす”以外の返事など考えていない佐助である。
――それ以外の返事なら、もう一度口説きなおすだけの話だと思っている。
 だから今は、内掛けをその首もとまで引き上げて、温かいようにとかけてやった。
 コン、と小さな咳が響いて、桜の薄紅がはらりとその内掛けに落ちる。
 さすけ、と小さく唇が動いた。
「ひとつだけ今、言っておきたい」
「うん?」
「お前は俺が、賭けに負けたと言ったがな」
「はいはい」
 まだそこにこだわるか、と佐助は笑いながらうなずいた。
 独眼竜は真剣に、「そうじゃない」とつぶやいて、息を吐く。
「問題は、俺が八百長で――勝っちまったことなんだ」
 佐助は笑顔のまま、固まった。
――それって。
「え、どういう――?」
 と、思わず竜に身を寄せかけて、その動きもびたりと止める。
 部屋に近づく気配があった。
 忍びではないが足音も控えめに、病床の主君に負担をかけない武人の所作で。
「政宗様、失礼いたします…」
 すらり、とふすまが開いた。
 一礼し顔を上げた片倉小舅――とどうしても呼びたくなる、片倉小十郎景綱は、ハッと息を呑んだ。
 佐助は背筋を伸ばして身構える。
 一、裏庭に呼び出される。二、政宗様の熱を上げた咎を問い詰められる。三、斬られる。そんな流れが頭に浮かんだ。
 しかし竜の右目にはどうやら、佐助自体が映っていない様子である。
「Oh,小十郎、見ろよ…」
 見つめているのは、ふわりと笑う主君だけ。
「桜、きれいだろ?」
 はらり、こぼれる花びらが、儚さをそえる。
「政宗様…あなたはこのようなところで死んでよいお方ではございませんぞ…!」
 竜の守役の見開いた両目から、ぼろぼろと涙がこぼれた。
「死なないから!こんな熱くらいで死なないから政宗さんに限って!!ちょっと落ち着こうね片倉の旦那!?」
 佐助は叫んだ。
 竜は――政宗は、腹を抱えて笑っていた。



「何から話したものか……先ごろ政宗殿が風邪を召したのでござるが」
「うん」
「それがしも政宗殿は好敵手、武人として尊敬する方であるとともに部下の細君でもあるという並々ならぬご縁に恵まれた間柄として、見舞いに参じたのでござる」
「そうだよなあ、大した縁だ。で、独眼竜はどうだったんだい?」
「いつも通り気弱なところも見せず――ただ、話す間に少し眩暈を感じられたか、そばに居た片倉殿も気遣わしげな様子でござった」
「そうかあ…」
 鍛錬所の前の白砂が、夏の光で眩く明るい。
 光に向かって並んで座し、幸村は慶次の相槌にも生真面目に頷き返す。
「病み上がりの方に無理は禁物。佐助が忙しい折でもあったので、ご無事な姿を拝見した旨、後で教えてやろうと思っていたのでござるが」
「うんうん」
「佐助のやつ、自分でさっさと見舞いに行ったらしく――任務から帰ってきたと思ったら、なんと奥州と躑躅ヶ崎に寄った後だと言うのでござる」
「へえ!」
「それから色々とよく分からないことを言い出して、ともあれ結論としては」
『しばらく俺様忙しくなるけど、よろしく頼むよ、旦那!』
「…幸村、今いろいろと〜で大事なところすっとばしたろ?」
 もうひと月以上の間、武田軍真田忍隊が長、猿飛佐助は、多忙を極めている。
 と、幸村は語った。
 元より戦のない折も諜報、鍛錬、忍隊の指揮、信玄公と真田幸村の間の往復、真田幸村が言い渡す雑事、真田幸村の鍛錬の相手で暇のない中、のらりくらりと手を抜けるところは手を抜いて(主に真田幸村の雑事)、休息をとったり嫁のもとへ通ったりしていた佐助であった。
 それがおよそひと月前、嫁が風邪をひいたのを見舞って帰ってきてからというもの、ガラリと勤務態度が変わったのである。
「それがしが政宗殿に会った折にはいつもと何ら変わりなかったのだから、後で佐助が見舞った時に何か話でもあったのであろう」
 信玄公によれば、猿飛佐助は躑躅ヶ崎に出向き、いつにない様子で頭を下げ――こう言ったという。
『皐月の某日より、この猿飛佐助、一ヶ月間の有給をいただきたく存じます』
『…して、その訳は?』
『新婚旅行に行ってまいります』
『あい分かった!行って参れ!!』
 そしてその足で上田城に戻ってくると。
『ってな訳で俺様、一ヶ月留守にするから』
『なんと!!』
 そしてその一ヶ月をもぎ取るために、佐助は今、普段の任務の傍らで諜報活動、警護、伝達役の計画を立て、部下の任務を調整し、駆けずり回っているのだった。なお普段の任務の中でも削られるべきところは容赦なく削られている(主に幸村の鍛錬の相手)。
「あやつ――お館さまより上田城を正式に任された暁には、俺が給料を握るのだという事実を忘れているのではあるまいな」
「うん、今の幸村のつぶやきも含めて二、三質問があるんだけどさ」
「なんでござろう」
「新婚旅行って、…その、つまり、独眼竜とかい?」
「無論」
 何を聞くのかとばかりに幸村は怪訝そうな顔をした。
「別れたって言ったじゃん!!」
「うむ。別れたは別れたらしい。それがしにもよく分からんのでござるが」
 猿飛佐助の言によれば、こういうことらしい。
『離縁してもう一回やりなおすんだけど、祝言は挙げちゃってるし、二度も三度もやるのはくーるじゃないって政宗さんが言うから。でも何もないのも寂しいだろ?』
 だから、新婚旅行なのだという。
『そもそもあの城いたらなんにもできないし』
 ぼそ、とうつろな目をして言われると、幸村にはそれ以上何も言えない。
――とにかく、佐助に休息が必要なことだけは、よく分かった。
「…よく分かんないんだけどさ」
「分からぬでござろう」
 うんうんと頷く幸村を見下ろし、慶次は首をかしげた。その肩で夢吉も首をかしげた。
「そういうの、別れたって言うのか?」
「離縁してからもう一月、未だ復縁しておりませぬゆえ」
「うーん、でもさあ」
 つまり別れてなどいないのだと言ってやれば、あるいは慶次は納得するのかもしれない。
――しかし、これが佐助と独眼竜のけじめなのだとすれば、適当な解釈を口にすることは憚られる。
 幸村は思案し、ポンと拳を打った。
「いっそ佐助に直接尋ねられてはいかがでござろう?」
「佐助に?直接?」
 慶次は一瞬ポカンと口をあけ、それから顔を輝かせた。
「そっか!」
 傷心の者の傷をえぐることにさえならない。慶次が聞けば、自分には分からぬ話も噛み砕けるやも知れない――という案だ。
 決して、佐助に丸投げしようという腹ではない。
 幸村は「誰か頼む」と呼んで、通りかかった女中に客人を預けた。
「池の方でお待ちくだされ。幸村が呼んでいると伝えさせましょう」
 猿飛佐助は多忙を極めている、と言った同じ口でそう言うと、慶次もその辺りのことはすっかり忘れた様子で頷いた。
「そうするよ。ありがとなっ」
 手を挙げて礼を言う慶次の肩で、小猿が同じように腕を立てている。
 幸村は汗をぬぐった。
 久しぶりに全力を出していい相手と打ち合って、空と同じように晴れ晴れとした心地である。
――空と、同じように…。
 白砂に立ち、北の空を見上げた。
――はて、また一雨くるか。
 雨と言うより雷を孕んだような黒い雲が、面白いほど一直線に、上田城目指してやってくる。
 幸村は紅の鉢巻をキュ、としめなおした。二槍を握って、門に向かう。
 上田城に向かう山道を、馬が駆けてくる。
――馬上には青い陣羽織の、三日月の前立の、右目には眼帯をした男が。
 開かれた門の前に立ちはだかる、紅を認め、独眼を細めた。
 馬の脚が速度を落とし、息を整えるように門までを歩く。
 独眼竜はその背から降りる。
「お待ち申し上げておりました、政宗殿」
「ああ。先だっての見舞い、礼を言う」
 遠くで雷が鳴った。
 上田城にはまだ日がさしている。
「お聞きしたいことがございます」
 光をのせ、まっすぐに見据える幸村の目に、竜はフッと一瞬だけ、呼吸を整えた。
「What?」
 若き虎は二槍を背に、独眼竜は六爪を腰に。
「貴殿は真に――
 おさめたまま、抜かぬまま、けれど真剣勝負のように向き合った。
「件の、御母堂の文にあったように、前から佐助を好いてくださっていたのですか」
「…………、」
「あ、いえ某、自分の不明を恥じているだけで、決して疑いを持っているわけでは…!」
 勝負は、どうやら竜に分が悪いようだった。
 雷の音が、近づく。
「真田幸村」
「はい」
「あいつ、どこにいる――?」
 いてもたってもいられぬ焦燥のまま、駆けてきた雷鳴。
「庭の、池の方に」
「Thanks,」
 道を譲る真田にうなずいて、馬の背に乗る。
「お前んトコの忍び、ひと月ばかり借りる――いや、」
 政宗はニイ、と笑った。
「猿飛佐助、もらってくぞ」
 幸村はうなずいた。笑っていた。――満足だった。
「二度と手放してくださいますな」
 Ofcourse.と返される異国語。
 その、意味は分からずとも明快な響きを残して、馬の蹄が地を蹴った。
 幸村は青い背中を見送った。


 佐助の嫁を見送った。













   はじめてのプロポーズ。
 













11/08/20