|
はじめてのお菓子の日。 如月の十四日。 なんで嫁、と聞かれても困る。否、誰か聞いてくれないかなと佐助は密かに思っている。 なんでだろうね!? と。 それはさておき、何でと言うなら佐助には聞きたいことがあった。 「あのさ、旦那」 「What?」 「何か今日、大事な用があるんじゃなかったっけ」 一月ほど前から政宗が言っていたのだ。 如月の十四日は必ず帰ってこい、と。 甲斐の武田軍が真田忍隊の長である佐助だが、何しろ奥州筆頭の婿なので、帰れと言われればそれはこの青葉城のことであった。 「ああ」 青葉城の城主は軽くうなずく。 「今終わった」 「終わった?」 「南蛮船の船長に聞いたんだが 二月十四日は聖バレンチヌスの命日である。本国では恋人や夫婦の間で贈り物をするのだ。日本ではその日このカカオ豆で作ったチョコレイトを好きな男に送ると、気持ちが伝わるという。 流行五百年先取りやでー。自分嘘つかへんよー。 「…ってなわけで、そのバレンチヌスってのは多分縁結びの神様か何かだろうな」 「それは…」 いや、それより。 いやいや商売上手の独眼竜のこと、無用の心配だろう。そこでもなくて。 (…好きな男に送るって、) いやいやいや、だって。 自分がこうして青葉城に来るのも、独眼竜がその相手をするのも、形ばかり挙式して夫婦ということにされているからで、と佐助は考えてはたと気づいた。 安堵すればいいのか、落胆すればいいのか。 「Hey,…どうした?」 「あ、いや」 独眼竜を戦場でしか知らなかった頃、佐助は奥州筆頭が苦手だった。 戦馬鹿筆頭、真田の旦那が惚れ込んだ好敵手。それだけでいいはずなのに妙な雰囲気があって 「あわねぇなら、食ってやるぞ?」 泥団子をさしてそう言うので、佐助はあわてて首を振った。 独眼竜を嫁にしてからというもの、夫婦の営みもそれらしい会話さえもあるはずない中で、佐助なりの不文律があった。 その一つが、嫁の作ったものはすべて食せ、というものである。 「…お返ししなくちゃ」 「Don't be care.とっとけよ」 「夫婦の間で、なんでしょう?」 首を傾げて見せれば、竜の唇は何か言いたげに一瞬開いて、閉じる。 口の回る独眼竜でも言葉にならない想いがあるらしい。幼子のように見えて、それが可愛いと、佐助が思うようになったのも、祝言をあげてからのことだ。 「でも今日すぐあげられるものってなかなか無いから、よければ、…接吻を」 差し上げたいなーなんて。 へらりと笑って言ってみる。 夫婦らしい夜の生活など未だありえないが、新年の儀式的なものと偽って口づけた時は抵抗されなかった。こうして生きているのだからあれは可だったのろう。 冗談だよと言えばいい。それでいい。 笑った佐助に、政宗はわずかに髪を揺らすように、首を傾げた。 はにかむように笑って。 「With pleasure」 手のひらを差し出した。 細かな傷や胼胝の跡がある、骨の健やかに伸びた手のひらを。 未だ冷たい空気に燦々とそそぐ陽光。 それを受けるような白い手のひら。 佐助はここに来てこの竜の、そして己の根本的な勘違いに、気づいた。 「…それで、どうしたって?」 地獄の谷底から這い上がってくるような低音。今にも切りかからんばかりに刀の柄にかかる指。すでに三寸は刃が見えている。 この鬼のような竜の右目が、あの傷だらけのきれいな手を守ってきたのだ。 「…………梅の枝を一本落としてきて、手に乗せて差し上げました」 「紅か。白か」 「白」 「よし」 何が。 などと聞く気も起きない。 「なんで接吻って言葉くらい教えておかなかったんですか、片倉さん」 正月以来、薄々感じてはいたのだが 信じられない気持ちで首をふると片倉小舅、もとい小十郎は、『何を馬鹿なことを』と言わんばかりにため息をついた。 「政宗様にそんな俗世の習慣…必要ねえだろ、婿殿?」 「無いですよねスミマセン切っ先抜かないで」 両手を上げて早口で言う。降参と言うより白刃取り一歩手前の状態だ。 考えて、罪悪感という言葉に行き着いた。 (いつか、謝らなきゃ) 『何て素敵にジャパネスク!』(氷室冴子)へのオマージュでした。
10/04/27
初出:memo(10/02/14) |