はじめてのお菓子の日。
 



 如月の十四日。
 佐助は嫁に泥団子をもらった。
 泥団子、というのは正確ではなくて、泥団子に似てはいるが菓子なのだそうだ。
 庭に面した縁側に並んで座して、日差しにかざすと、焦げ茶色がもう少し柔らかい色に見えた。
――包みを開いた時はもっと口にするにはアレなものを連想したのだが。
 黙って食べてみろと嫁が言うので、南無三これより大変なもんだって食ってきたはず耐えろ俺、と佐助は心中唱えながら口にいれた。
 結果。
――以外と甘かった。
――ほろりと溶けて、香ばしい苦みがあった。
「南の大陸の豆の粉と、牛の乳で作るんだが」
 俺はこいつが割と好きでな。
 と、異国好きの嫁は男前に笑った。狼を連想させる存外大きな口に覗くのは、竜の牙。
「…うまいか?」
「うん、ありがとう、竜の旦那」
 佐助はへらりと笑った。嫁は満足げにうなずいた。
 泥団子より先に説明が必要そうな事実であったが、佐助の嫁は、奥州筆頭独眼竜伊達政宗その人である。




 なんで嫁、と聞かれても困る。否、誰か聞いてくれないかなと佐助は密かに思っている。
――聞かれたら答えるのに。
 なんでだろうね!?
 と。
 それはさておき、何でと言うなら佐助には聞きたいことがあった。
「あのさ、旦那」
「What?」
「何か今日、大事な用があるんじゃなかったっけ」
 一月ほど前から政宗が言っていたのだ。
 如月の十四日は必ず帰ってこい、と。
 甲斐の武田軍が真田忍隊の長である佐助だが、何しろ奥州筆頭の婿なので、帰れと言われればそれはこの青葉城のことであった。
「ああ」
 青葉城の城主は軽くうなずく。
「今終わった」
「終わった?」
「南蛮船の船長に聞いたんだが――
 二月十四日は聖バレンチヌスの命日である。本国では恋人や夫婦の間で贈り物をするのだ。日本ではその日このカカオ豆で作ったチョコレイトを好きな男に送ると、気持ちが伝わるという。
 流行五百年先取りやでー。自分嘘つかへんよー。
「…ってなわけで、そのバレンチヌスってのは多分縁結びの神様か何かだろうな」
「それは…」
――何とも胡散臭い話だね。
 いや、それより。
――え、で幾らで何箱買わされたの?
 いやいや商売上手の独眼竜のこと、無用の心配だろう。そこでもなくて。
(…好きな男に送るって、)
 いやいやいや、だって。
 自分がこうして青葉城に来るのも、独眼竜がその相手をするのも、形ばかり挙式して夫婦ということにされているからで、と佐助は考えてはたと気づいた。
――異国かぶれの独眼竜だ、単に夫婦の間で贈り物を、という南蛮の習慣に乗ってみただけなのかもしれない。そもそも挙式した時だってじゅーんぶらいどがどうのこうのと異国の習慣について語っていた気がするし、伊達軍の奇抜な装いだって常に流行五百年先取りだ。
――それだけの事かもしれない、いやそうに違いない。そうであったとしたら。
 安堵すればいいのか、落胆すればいいのか。
「Hey,…どうした?」
「あ、いや」
 独眼竜を戦場でしか知らなかった頃、佐助は奥州筆頭が苦手だった。
 戦馬鹿筆頭、真田の旦那が惚れ込んだ好敵手。それだけでいいはずなのに妙な雰囲気があって――認めよう、色気があって、目が合うと落ち着かない。そう思っていた。
――それが、戦以外の時間をともにすればするほど。
「あわねぇなら、食ってやるぞ?」
 泥団子をさしてそう言うので、佐助はあわてて首を振った。
 独眼竜を嫁にしてからというもの、夫婦の営みもそれらしい会話さえもあるはずない中で、佐助なりの不文律があった。
 その一つが、嫁の作ったものはすべて食せ、というものである。
――あるいは、食したい、ということでもある。
「…お返ししなくちゃ」
「Don't be care.とっとけよ」
「夫婦の間で、なんでしょう?」
 首を傾げて見せれば、竜の唇は何か言いたげに一瞬開いて、閉じる。
 口の回る独眼竜でも言葉にならない想いがあるらしい。幼子のように見えて、それが可愛いと、佐助が思うようになったのも、祝言をあげてからのことだ。
「でも今日すぐあげられるものってなかなか無いから、よければ、…接吻を」
 差し上げたいなーなんて。
 へらりと笑って言ってみる。
 夫婦らしい夜の生活など未だありえないが、新年の儀式的なものと偽って口づけた時は抵抗されなかった。こうして生きているのだからあれは可だったのろう。
――もしあの時だけだと拒否されたなら、それはそれで、不幸な勘違いが是正されるわけだ。
 冗談だよと言えばいい。それでいい。
――さあどうだ。
 笑った佐助に、政宗はわずかに髪を揺らすように、首を傾げた。
 はにかむように笑って。
「With pleasure」
 手のひらを差し出した。
 細かな傷や胼胝の跡がある、骨の健やかに伸びた手のひらを。
――どちらかと言えば手の甲の方がしやすいと言うか、手を取れということか。いや。否。
 未だ冷たい空気に燦々とそそぐ陽光。
 それを受けるような白い手のひら。
 佐助はここに来てこの竜の、そして己の根本的な勘違いに、気づいた。



「…それで、どうしたって?」
 地獄の谷底から這い上がってくるような低音。今にも切りかからんばかりに刀の柄にかかる指。すでに三寸は刃が見えている。
――殺気をあびせられるのももう慣れた。
 この鬼のような竜の右目が、あの傷だらけのきれいな手を守ってきたのだ。
「…………梅の枝を一本落としてきて、手に乗せて差し上げました」
「紅か。白か」
「白」
「よし」
 何が。
 などと聞く気も起きない。
「なんで接吻って言葉くらい教えておかなかったんですか、片倉さん」
 正月以来、薄々感じてはいたのだが――あの竜があんなにこの手のことに疎いなんて。
 信じられない気持ちで首をふると片倉小舅、もとい小十郎は、『何を馬鹿なことを』と言わんばかりにため息をついた。
「政宗様にそんな俗世の習慣…必要ねえだろ、婿殿?」
「無いですよねスミマセン切っ先抜かないで」
 両手を上げて早口で言う。降参と言うより白刃取り一歩手前の状態だ。
――正月のことはとりあえず黙っておこう。もともと言うようなことでもないけれど。むしろ何故今日この人に話してしまったのか。
 考えて、罪悪感という言葉に行き着いた。
――あれは試すような真似だった。今は敵ではないのに。竜は自分を信用しているというのに。
(いつか、謝らなきゃ)



――そのいつかというのは勿論、梅の花を手に無邪気に笑っていた人が、接吻という言葉の指す行為とその意味を知る日になるわけだけど。


























『何て素敵にジャパネスク!』(氷室冴子)へのオマージュでした。
10/04/27
初出:memo(10/02/14)