毎週毎週、水曜日は何だか騒がしい。



 三月十四日、水曜日。午後四時四十五分。
 風魔小太郎の勤めるスーパーマーケット、その名もスーパー日輪は、夕方の混みあう時間帯へカウントダウンを始めている。
 小太郎はレジの混雑に気を配りつつ、風のように客の間をすりぬけ抜かりなく商品を補充する。
 こちらの勤務終了時間もカウントダウン、あと十五分だ。
――そして。
 レジのそばの試食販売コーナー。水色の幟。『White Day』の文字。
――白い顔をした、橙赤毛。
 ひょろりとした体の姿勢をただし、顔色以外はいつも通りに接客をこなしている辺りを小太郎は改めて評価した。さりげなく古馴染であるこの男、へらへらしているばかりに見えて根性はあるのだ。
 試食販売担当の緑エプロン。
 名を猿飛佐助という。
――しかし十五分後、やつは白い灰と化しているかもしれない。
 そのカウントダウンも刻々と刻まれているのだ。
 小太郎は思う。
――猿飛佐助が沈黙すれば、この店の水曜日はずいぶんと静かになるだろう。
 しかし、これで倒れられたら目も当てられない。
 そもそも一体なにがあって、猿飛佐助はあんな顔色になったのか。
 小太郎は一応知っている。
 否。知っている、というより目撃しただけ。
 そして、佐助がこうつぶやくのを聞いただけだ。



『……俺はもう駄目かもしれない……』



 スーパー日輪は閑静な住宅街にある、食料品の充実したスーパーマーケットである。
 エンジュ並木の通りからさんさんと陽光が差し込む店内。
 落ち着いた店構えの落ち着いた雰囲気を支える落ち着いた店員――と言いたいところだが。
 最後のひとつはうなずけない。
 と、風魔小太郎は思っている。
 三月十四日、午前九時三十五分。
――クッキーが、スタンダードだと思うんだよね」
「……」
 真剣な声に、紅赤毛は顔を上げた。
 開店前の、人気のない店内。
 レジに程近い場所、インスタント珈琲の瓶をきっちりと並べていた小太郎は、顔を上げても手を休める事はない。『本日の広告の品』の札の後ろ。お買い得598円の大瓶。首をひねったままサッサッサッと動く手。
 しかし顔を向けたことで一応は“聞いている”と解釈したのだろう、橙頭の猿飛佐助はこちらも試食販売コーナーの商品をさかさかと並べながら、うんうんと頷いている。
「マシュマロとかマカロンってとにかく甘いじゃない?砂糖の塊って感じでさ」
「……」
「マカロンの華やかさは認めるけど俺様の好みじゃないし、好みじゃないもんあげるのはどうかと思うわけ」
「……」
「それにあの人、甘さひかえめ歯ざわりよしのが好きそうな気がする。先月のチョコレートがそうだったしさ」
「……」
 小太郎は返事もせず、並べた商品の個数をチェックする。
 返事をしたところで『知るか』のひと言になるだろう。佐助もその辺りは重々承知している。それでもしゃべっている。
「そういうわけで俺様の選択はこれ。ラングドシャクッキー。こっちの色んな種類のつめあわせも女性受けしそうだから多めに入荷してあるし、昨日も一昨日もよく売れたんだけど」
「……」
 よく売れた、と言うよりよく売った、が実際のところだろう。
 試食販売担当、猿飛佐助。
 ご婦人受けする物腰と押し付けがましさのない声量、セールストークが得意どころだが、この一週間はホワイトデーフェアでターゲットは男性客である。レジに来たお父さんや若者、それもバレンタインのお返しを考えなければならない客を見抜いてさりげなく紙コップのお茶と試食をすすめ、ああホワイトデー忘れてたなあ、コンビニよりはよさそうだなあ、と気づかせるのが佐助のお仕事だ。デパートや洋菓子店でちゃんとしたものを用意していないような層が狙い目なので、クッキーの詰め合わせは選ばずにすむワンセット。他の菓子も種類は多くないが、食いしん坊店長が選んだ名店の菓子ばかりである。女性客にも試食してもらって、お父さんに買ってもらお〜と言わせるのも抜かりない。
 こういう点にかけて、佐助はプロだ。
 そこに小太郎は異論はない。
「やっぱり男の子だから、気に入ったもんをひたすら食べたいだろうと思うね。どう、この推理!」
 どう、も何も佐助が小太郎に掲げて見せるのは、すでにラッピングされ『代済』の付箋が貼られたクッキーの箱である。
「……」
「だよね〜、竜の旦那気に入ってくれりゃいいんだけど」
 竜。
 と、呼ばれる青年。
 チョコレートのつやをのせる黒髪、白い肌、切れ長の左目と眼帯に隠された右目。高そうなスーツと、メルセデスベンツ。
 毎週水曜日にやってくる、妙に目立つ客。
――それがこの、ただでさえよくしゃべる試食販売担当の、落ち着きがなくなる原因だ。
「……」
 だが小太郎にしてみれば、この店の個性的な店員たちが放つ空気に落ち着きがないことなど、あまりにも当然の事実でしかない。
――だから、例え、店の客に個人的に渡すホワイトデーのクッキーを、試食販売ブースに持ち込もうとも。
――例え、その客が男であろうとも。
――例え。
「おい、佐助よォ…」
 通りかかって恐る恐る、試食販売員に声をかけたのは、銀の髪にねじり鉢巻、左眼に眼帯をした――魚介担当の長曾我部元親だ。
「あ、おはようチカちゃん」
「お前、それ、例の水曜日の客にやんのか」
「そうだけど。なに?」
「いや…だってよ、お前、……」
 バレンタインお前がチョコレートやったのに、ホワイトデーもお前が用意するのか。
「そうだけど。なに?」
 まったく同じ返事を繰り返して、橙頭はにこりともしない。
 この件に関してあらゆるツッコミをものともしない佐助に果敢にツッコミ続けている元親だが、さすがに諦めたような唸り声を上げた。
「まあ、それはいい。それはいいとして、ひとつだけ気をつけろよ」
「うん?」
「今日、毛利のやつが来るぞ」
「……は」
 これには小太郎もわずかに動きを止めた。
 この店で毛利と言えば、それすなわち毛利元就のことだ。
「オーナーが?なんで!」
「知るかっ。とにかく来るんだと。変なところ見られるんじゃねえぞ。そいつも店の商品だろ?レシートは」
「あるある、ヘマはしないって……しかし、うっわ、毛利さんかぁ。計算違いだぜこりゃ」
 額を叩いてはああとため息をつく試食販売員は、やっと頭が冷えたようだ。
「ってことは下手にブースから出らんねえし――
 とりあえず、ありがとチカちゃん。
 そう言い残して佐助はせかせかと立ち上がる。
 向かうのはどうやら自動ドアの前の、小さな生花コーナーだ。
 それを見送って元親は、小太郎の方をちらりと見た。
「まあなんだ、今日、無事に済むよう祈ってやろうぜ」
「……」
 小太郎は紅赤毛をゆらし、こっくりとうなずく。
 小太郎は小太郎の仕事をするだけのこと。
 佐助は佐助でいくら頭のネジが緩もうと、客が入る時間に持ち場を放棄する人間ではない。
――そう、だから、例え。
 試食販売員が店の客に惚れこんでそれが男であるにも関わらずバレンタインにはチョコを渡し挙句ホワイトデーのために前日から店員割引でクッキーを購入しラッピングしブースに持ち込み。
 今、小さな花束を水のポットまで借り受けて持ってくるのが見えていても。
「……」
 風魔小太郎は何も言わない。
「さあて、お仕事お仕事っと」
――仕事さえしてくれれば、それでいい。
 こっくりと頷いて、小太郎は台車を押していく。



 うるう年じゃなくてよかった。
 と、猿飛佐助は考える。
――なぜなら、二月が二十八日で終わらなければ、二月十四日と三月十四日が別の曜日になるからだ。
 二月十四日、それはひと月前の水曜日。
 佐助はあの客に、チョコレートを渡した。
 それはもう大慌てで、焦りに焦り、だが佐助の勢いに驚くかの青年――竜の旦那の、きょとんと見開かれた切れ長の左眼、そのあとのはにかんだ顔ときた日には!
 まだ寒い二月の夜に、彼がなぜタクシーを使ってまでこの店に来たのか、佐助は知らない。
 それどころか、未だに名前さえ知らない。
 ゆえに今日この日を目指して、猿飛佐助はひそかに燃えていた。
 店長厳選のホワイトデースイーツからこれぞという菓子を選び、生花コーナーの主に話をつけて小さな花束を用意した。
 生花コーナーの主はふたりいる。
 ひとりは青果担当のかすが嬢だ。金の髪にすらりとスーツを着こなす、どこか北欧風の白い肌。佐助にとっては小太郎と同じくらい古い馴染みの彼女だが、むしろそれゆえに、佐助への風当たりは北風のごとしである。
 スーパー日輪の出入り口に華をそえる生花コーナーは、その彼女の聖域だ。
 というのも元よりこのコーナー、店の向かいにある花屋の出張版だったりする。
 エンジュ並木を挟んですぐ目に入る花屋の名は、“びしゃもんてん”。
――“スーパー日輪”とどちらがマシかと言われたら、そりゃあ比べるまでもなくびしゃもんてんだよね!と答えておかねばかすがに切り裂くような目をされる。下手をうてば青果の重い箱を苦ともしないかの身体能力で、しめあげられる。あいつがこの店で働く動機の九割は向かいの花屋の主なのだ。
 花屋の主は上杉謙信、白い顔になぞめいた微笑を浮かべる性別不明の麗人である。
 この上杉謙信とかすがの領域である生花コーナーに、猿飛佐助が十四日の花束を頼んでおく――それは茨の隙間をくぐりぬけて達成される偉業であると言っても過言ではない。過言かもしれないがとりあえずそれくらい自分を鼓舞しておくに越したことはない。
 針の穴に糸を通すように、タイミングを狙い定め――上杉謙信がいるときに、かすがに頼み込む。ここが重要だ。
 それもかすがが謙信様と打ち合わせをしているときでなく、青果の方に戻らねばと後ろ髪を引かれながら謙信様のそばを離れようとする、このタイミングが望ましい。
 かすが嬢が渋い顔をしようとも必ず上杉氏がとりなしてくれるだろう。
『おまえのためにこのちゅーりっぷもつぼみをひらくでしょう…』
『ああ、謙信様!なんておやさしい…!』
 仕上げに二人の背後で咲く薔薇(目の錯覚)を確認すればまず大丈夫だ。
 この薔薇が精神的に一番きついが、乗り越えるべき難関である。
 このような洗礼を受けまくった後、猿飛佐助はやっと小さな花束を十四日に予約できたのだった。
――そして今日、ブースから出ずにすむようにと専用の金属ポットも借りられたのはラッキーだ。
 かすがの機嫌が最高潮によかったのは天の采配か。聞けば、はやくも謙信様からバレンタインのお返しをいただいたのだそうだ。やっぱりあのバレンタイン休暇は謙信様のためだったか、と深く納得しつつあえてつっこまず、佐助は小太郎のようにかすがの惚気を拝聴したものである。
 上杉氏が選んだのは菓子ではなく香りのよいナチュラルソープ。
 うーん、さすが。と佐助は素直に感心した。石鹸自体より、添え物であるはずの抱えるほどの薔薇の花束に感心した。
 ともあれ昨今ではホワイトデーイコール菓子、とも限らないらしい。
――でも、なあ。
 正直かの水曜日のお客様ときた日には、身に着けるものすべてが佐助の想像の範疇を超えている。
 はじめて会った日の万年筆といい、スーツから靴からタイピンからブランド物どころではなく――多分、あれ、特注品?オーダーメイド?黒髪の辺りからなんかさりげなくいい匂いするし石鹸とか香水とか無理!分かんない!
 と、胸中で叫ぶしかない佐助である。
 だが食べ物や花なら話は別だ。試食コーナーの週代わり店長オススメ食品は、件の青年もいつも興味深そうな顔で口にし、何だかんだと買っていただいている。
 花はと言えば謙信様の見立てなのだからして、間違いない。
 正直花も食べ物もよく分かってはいない佐助だが、自分の周りの人たちのことは分かっている。
――確かに人としてなにやらあまり一般的ではない気はする。しかし品物を見る目は確かだ。
 そういう人間が集まっているのか――集められているのか。
「いらっしゃいませー」
 あくまで平常心を保ちながら、佐助は自動ドアの開く気配に愛想をまきつづける。
 心の中では、件のお客様を待つ浮き足立った熱っぽい気持ちと。
――背中につきささる視線の、氷のような温度。
 このふたつがせめぎあっていた。
――なぜ、今日に限って。
 佐助は心中ため息をつく。
 一見すると、若く、線の細い、眉目秀麗なスーツの青年。
 色素の薄い白い肌、茶色がかった髪を額にさらりと分け、縁の細い眼鏡の奥にはすべてを見通すような眼光がある。
 客には見えず、営業にしては愛想がない、ただの査察にしては身につけるものの雰囲気が高級すぎる、この店のオーナーであると言われれば若すぎる――だが事実、正解はこれ。
 試食販売ブースの後ろに悠然と立ち店内を睥睨するのは、スーパー日輪のオーナーである毛利元就氏だ。
 近所のお客様にもあまり知られておらず、たまにびっくりされる事実。この全国一店舗のみのスーパーマーケット、厳島百貨店の系列なのである。
 毛利元就といえば厳島百貨店の次期総帥、と言うのが大げさなのか佐助には分からないが――なんかそういうイメージだ、ということでスーパー日輪では通っている。すでに実権握ってんじゃねーの、というのがもっぱらの噂だ。なぜかその元就様と古馴染みであるという長曾我部さんが、この話題になるときゅっと口をつぐむものだから、よけいに噂に拍車がかかる。
 少なくともこのスーパーのトップが毛利元就であることは間違いなく、あの怪しげな明智店長を雇ったのもスーパー日輪という命名も氏によることは事実なのだった。
 佐助はけっして背筋を曲げず、愛想笑いもくずさず、背中の方の冷ややかな気配に耐えていた。
 平日午前の穏やかな客の入り。外は春らしい陽光のなか、まだ少し寒さを残した風が吹いているようだ。だが佐助の胸中は常春の熱気と氷の寒風である。遠く刺身ブースにいる長曾我部さんに『助けて』と目配せしてみたが、『悪い無理』という視線が返ってきた。
「いらっしゃいませーっ」
「……」
 せめて誰かその辺の店員(ちょうど小太郎がそこにいる)を捕まえて店の状況を聞いたり店長とともに裏で売り上げとか見ていてくれればいいのに。
――なんであの人、無言でここにいるんだろう。
 今ここで竜の旦那が来たら俺様はどうしたものか、と佐助は心中こめかみを押さえる。
 一、とにかくこっそりと渡す。(こんなことならメッセージカードを用意するんだった)
 二、いっそ堂々と渡す。(クビになったらもう竜の旦那と会えない気がするんだけど)
 三、後で会えないか聞いてみる。(明らかに怪しい。拒否される恐れあり)
 この三つを脳内で弾き出し、佐助はそれぞれについてシュミレーションを開始した。
 そう、そこの自動ドアが開いて――
 春の風がさっと舞い込み、その風で乱れる髪は日の光で金色がかり、軽やかにはねる。それをさりげない仕草で押さえ、左だけの切れ長の目がこちらを見るだろう。
「いらっしゃいませっ」
 佐助が笑いかけると彼はふわりと笑った。
――笑った。
(あれ?)
 気がつけば現実に、青年が立っている。
「あ、」
 見れば見るほど見慣れるはずが、逆にどんどん夢の中の住人のように美化されていく黒曜石のまなざし。
 青みがかった黒いスーツの腕をすっとあげ、旧知の友人に挨拶するように「よう、」と彼は苦笑した。
――やばい超かわいいなにあれ結婚して!
 その時佐助の頭をよぎった言葉はおそらくこんな辺りである。
 だが、佐助自身がその思考を自覚する前に。
「遅い」
 すっと試食販売ブースの横を、不機嫌な低い声が横切った。
 え、と佐助が固まりそらせなくなった視線の先で青年の前に歩みよったのは、毛利元就氏だ。
(…ええ?)
「お前が早いんだろ元就。Happy Birthday!」
「呼び出したのは貴様であろうが。行くぞ」
「あ、おい待てよ、俺――
 掠れた色のあるハスキーヴォイスと落ち着いた美声の、気安げな応酬。
 佐助の水曜日のお客様は、さっさと店の外に出る毛利氏と固まった試食販売員を困ったように見て、軽くため息をつくと、毛利氏を追いかけて踵を返す。
――あ。
 ため息、色っぽい。
 空っぽになった佐助の橙頭の中で、そんな新発見だけがぽつんと残った。



「なあおい、……あいつ、結局どうなったんだ?」
 昼の弁当を前にぼんやりしている猿飛佐助から少し離れて、小太郎に耳打ちしたのは元親である。
「……」
 オーナーが例の客を連れ去った。
 一部始終を見ていた小太郎は、ぼそぼそとそう説明した。
「あ?毛利のやつが?水曜の客を?」
「……」
「なんだそりゃ、俺は聞いたことねえぞ」
「……」
――ああ、で、用意してたもんは渡せてねえわけか」
 こっくり、と小太郎はうなずく。
――だがしかし、渡せていないのだから、オーナーにまずい現場を目撃されたというわけではない。
 つまり何の問題もないのではなかろうか?
「いや、しかし…あの坊ちゃんが毛利の知り合いだったわけだろ?バレンタインのこととかもう知られてるかもしれねえぜ?」
「……」
 なるほど。
 と納得した小太郎の目と鼻の先で、元親の白い顔がさっと青ざめた。
 B級ホラーで幽霊でも見た登場人物のような顔である。
 そう思いながら小太郎が後ろを向くと、はたしてそこには幽霊がいた。
 橙色の髪の幽霊は、ぼんやりと床を見つめ。


「……俺はもう駄目かもしれない……」


 と、つぶやいた。


 確かに、あのオーナーに何もかもが露見したからには、クビは免れないかもしれない。
 だが今更スーパーの試食販売員から無職になったところで、佐助の世渡り力と接客力があれば、なんだかどこででもやっていけそうな気がする。
 古馴染みのそういうところを存外過信している小太郎は、それでも魚介コーナーを動けない元親に代わって試食販売ブースを注意深く周回しつづけた。
――あと十五分。
 試食販売の猿飛さんは、無事に勤務時間を終えようとしている。
――先日のバレンタインはうっかり放っておいたらそのまま夜までブースにいたりしたので、五時にはやつを回収しなければ。
 実は明智店長が佐助に勤務後のこるように言っていたのも、小太郎は遠くから聞き取っていた。
 オーナー毛利元就が、試食販売員の猿飛佐助に話があるのだそうだ。
 佐助にとっては、クビのかかった危機である。
 だからこそ――このままミスをさせず、時間通りにオーナーの前に連れて行くのがやつのためだろう。これ以上立場を悪くさせるわけにはいかない。
 小太郎は混み合いはじめた店内をものともせず、最後の補充を終えた。
「……」
「……」
「……」
「あ。風魔さんおつかれー」
 お前もだよ。
「うん、分かってる分かってる。オーナーがお呼びだあはははは」
 小太郎はこっくりとうなずいて、ふわふわと歩き出す橙頭の後につづいた。――老人介護は慣れているが、灰と化した同年代の面倒など見たことがない。壊れたテレビを殴る時と同じ腕の角度でいいものだろうか。
「……」
「ああ、いいんじゃないか?」
 裏の通路を通りすがったかすがに確認したところ、賛同を得ることができた。
――よし。
 ぐっと拳をにぎりしめる小太郎の前で、佐助がぴたりと足を止める。
――今か?
 小太郎は腕をちょうどいい角度にぐぐっと持ち上げた。が。
「毛利さんって、」
「?」
 ぼそりと落ちた声に腕を止める。
「性格はきつそうだけど、見た目は完璧だよね……」
「……」
 確かにオーナーは、眉目秀麗という言葉がぴったりの端正な顔立ちだ。細身で、背丈は佐助や小太郎より少し低い程度か。
「イギリスの大学出てて、将来も安泰だろうし」
「……」
 厳島百貨店グループのトップが確定している身であるらしいし、むしろその椅子を元に世界に進出する力さえもあるだろう。
「…………竜の旦那と並んでもお似合いで…………」
「……」
――なに言いだした、コイツ。
「さしもの俺様も敵わないかもしれない…」
「……」
「仲良さそうだったし、いや、でもっ」
「……」
「でも……花くらい渡したかった……」
 深く息をつき、振りかえった佐助は小太郎の振り上げた拳を見て。
「あ、ありがと」
 コン、と拳を打ち合わせた。
「そんじゃ、怒られてきまーす」
 なぜか励ましたような形になった小太郎は。
「……」
 拳を広げてひらひらと振って見せた。



――そう、せめて、名前くらいは。
(そっか、毛利さんに聞いちゃえば、分かるんだろうなあ…)
 なんだろう、この無力感。
 手の中の箱と花束を、どこに置いてきたらいいのだろう。ピンクのチューリップ、意外と似合うと思ったのに。
(更衣室によればよかった)
 思いながら、手はすでにドアをノックしている。
 入りなさい、と楽しげな声は店長のものだ。
「失礼します」
 佐助はドアを開けた。
 そう広くはない室内に、長い銀髪をくくり似合わぬエプロンなどつけた店長が立っている。
 そして応接用のソファに、これも場に似合わぬ高級そうなスーツがふたり。
――ふたり?
 まるで双子のように、白い肌、茶色がかった黒髪の細身、けれど正反対な雰囲気で。
 ひとりは濃いグレーのスーツ、虫でも見るような目で佐助を睨んでいる。
 ひとりは青みがかった黒のスーツ、左だけの目を猫のようにらんらんと輝かせて佐助を見ている。
――つまりは、毛利さんと、竜の旦那である。
(竜の…、……!?)
「え、ちょ、なんですかこれ」
 思わず心の声がだだもれた。
 きょどきょどと三人を見回す佐助に、毛利氏の眉間には深くしわがより、その殺気に比例して明智店長は楽しげに唇をつりあげ、水曜日の客は面白いものを見たとばかりに目をぱちぱちとさせた。かわいい!とこれは佐助の心の声である。
「Hey,悪いな。店じゃ迷惑かと思って、毛利にわがまま言った」
 すらりと立ち上がったのは佐助の憧れのお客様だ。
 手に持った紺色の包み、銀のリボンもまるで絵から抜け出てきたような。
――ああ、応接室、もうちょっとがんばって掃除するんだった。
 悔やむ佐助をよそに、ほいとその包みを差し出してくる。
「これ、あんたに」
「え」
「Ah,猿飛っつったか?」
「あ、はい、そうです…けど…」
「この前の礼だ。Valentainの――
 チョコ、くれたろ?と子猫のように小首をかしげる。
――それは、つまり。つまり。つまり。
「あの!」
「What?」
「な、名前を」
 教えてくださいっ。
 佐助の必死さに青年は、きょとんと長い睫を瞬かせ。
「ああ。じゃあ、あんたのもな」
 蒼い、竜の紋様のまきついた、万年筆を取り出した。



「あー、あいつ。有名な食品輸入会社の御曹司だと」
 休憩に入っていたらしい元親が、ゴキュゴキュとイチゴ牛乳を飲み干してそう言った。
「……」
「毛利とは高校ぐらいから知り合いらしいな。名前だけなら俺も聞いたことあったぜ」
「……」
「しっかし、佐助のやつ、えらい落ち込みようだったなあ」
「……」
「あ?大丈夫?……あいつ、首の皮一枚じゃねえのか」
 大丈夫。
 と、小太郎は頷いてみせる。
 何しろあの試食販売員が心配していたのは――
「…クビじゃなくて、失恋?」
「……」
 元親は、なんとも得体の知れないものを口に入れたような妙な顔をした。
「おい、はっきり言っておくが、毛利はそっちのケはねえからな」
 自分に言われても困る。
 小太郎はパタパタと手を振った。
――しかし、「俺はもう駄目かもしれない」とは。
 まるで今までが駄目でなかったような言い草である。
 応接室の方から浮ついた足取りでやってくる、橙頭を風魔小太郎は紅の髪の下から遠く眺めた。
「見てこれ、書いてもらっちゃった。竜の旦那の名前はね」
 伊達政宗、だって!




――毎週毎週、水曜日にやつの頭のネジは弾け飛ぶ。
























試食販売員のSt. W ednes-Day
























「小太郎さん今しつれいなこと考えなかった?」
「……」
「ふーん、まあいいや!なんでも!」