銀色雪枕








 ふわりと真白い、雪の華は銀に光る。
 銀色は老木の枝飾る白梅の、その花びらを真白に染める。
――さて、こうして雪に色を抜かれるものか。
 山の獣の誰も彼も、その毛並みで雪にとけこむ。
 妖し狐である佐助も、どうやらその例に外れない。
 炎を内に含むようで、けれど冷たい橙色が、今は綿雪に包まれたよう。
 白銀めいた毛先が伸びて――やわい尾がほわり、ほわり。
「なあ、狐」
 それも、五つ。
「…佐助」
 いつかの仕返しのように、かすれた声が耳元でささやく。
 深い色で佐助の耳朶を撫でながら、その声の主は、猫がねこじゃらしを追うしぐさ。狐の尾に手を伸ばす。
 ヒトのかたちをとった狐の膝に腰かけて、無邪気に指を遊ばせるのは、猫ではない。
「その手はくわないよ、竜の旦那」
 これもヒトの姿をした、竜であった。
――それも、齢何千年とも知れぬ、神列の。
 獣の耳、妖し狐が証の五尾を腰に残した、痩躯の佐助とは違う。
 かたちだけは完全なヒトの、男と見るには細身の体。
 金のつやをのせる黒髪、雪めいた白い肌。
 あつらえて欠けさせたように、右目を隠して、左目には金のまなこ。
 衣は青い。
 あざやかな青は、雪に白く色あせる気配もない。
 むしろ秋までの装いにもう一枚重ね、いっそう深い、冬の夜明けに似た紺青になっていた。
 ふわりと逃げる淡い橙色をつかもうと、指が空を掻く。
 青い袖で、薄片がシャラリ、と音を立てた。
――竜の鱗も銀に輝く。
 水の青、夜の藍、雪影の蒼、瑠璃の紺。
 満ちた月の色が雪に広がり、鱗の青に星屑に似た光をのせている。
 見とれる狐の鳶色の目から、青はするりと抜け出した。
「旦那?」
 呼ぶ声に背を向けて、狐の膝を降りてしまう。
 シャン、と薄片が鳴る。ふわりと衣をあずけるように雪野原に座りこむと、竜の君はツンと横を向いて見せた。
「冷えるよ、竜の旦那」
「冷えてやる」
「手足が赤くなって、ひび割れちゃうよ」
 クツクツと笑いながら、佐助の足も雪を踏む。
「かまわない」
 人型とは言え竜の御身。雪などに負けるはずもない。
――子どもめいた戯れだ。
 分かっていて佐助は逆らえない。
 ひざまずき、その手をとる。
 金色がちらり、狐の顔の、筆で掃いたような紋様を見た。
「目を閉じてみて?」
 一瞬目を細めたので、竜の金の目はとろりと橙色を溶かす。
 そして、
「…ん」
 と小さく応えると、思いがけない素直さでまぶたを下ろした。
 頬に影を落とすようなまつげに、ひらりと雪片が舞い降りる。


   ………


 ほたり、と手が落ちた。
「…佐助?」
 呼べば、獣の唸る声が返った。
 目を開く。
 竜の君の座した雪綿に、溶けいろうとするような淡い橙の、大きな獣が、青を包むようにうずくまっていた。
「Wow,」
 嬉しげに目を見開く竜の顔は、初雪を見る子どものそれに似ている。
 獣は、五つの尾を持つ狐である。
 筆で刷いたような緑色の紋様が、その鼻筋と両目の下にはしっている。
 竜の君は人の指、その毛並みをそっとなで、添うように身を寄せた。
――温かい。
「Thank you,佐助」
 大きな耳のそばで囁くと、狐はにんまりと笑って、ふくらんだ尾で竜の背をなでた。
 ふう……と獣の鼓動に合わせて、温かな背が息をする。
 竜の君が愛しむ、狐の仔は、いつしか妖し狐の若衆に育ち、人型の竜を乗せられるほどになっていた。
 化けた姿でなく獣の身の丈が見たいのだと、竜の言葉は雪のひとひらのように、軽い駄々である。
 五尾の、いつもの赤みがかった橙色が、ふわりと淡雪をまとったようにやさしい色で、温かげにふくふくとふくらんでいるのを見れば――思いきり抱きついてみたい、と願うのは、水が上から下へ流れるように自然なことだ。と竜の君は思っている。
 狐はいつになく抗った。と言っても元より存外、この狐、竜の思うままにはならない。
 昔から、己が影に属するのを気にしてか、妖し狐の群れからもつまはじかれた、金朱の毛色を気にしてか。そこがいいのだと撫でようとする竜神の手を、狼狽してかわし、困ったように笑って誤魔化し、しまいには、俺が貴方に触れたいんだけど、などと指を絡めてくる始末。
 けれど逆らわられるとそれがまた、竜の君には無邪気に楽しい。
「佐助、――佐助、」
 お前、本当にでかくなったなあ。
 毛並みに頬擦りして笑む、竜に、狐は答えない。
 ただ、喉の辺りを鳴らして、言葉なく応えた。
“おかげさまで”
「佐助、」
 お前、温かいな。
“そりゃどうも”
「…佐助」
――冬中こうしていられたらいいのにな。
 口にしなかった願いに気づいたか気づかぬか、狐の尾がゆらりと揺れる。
 黒い空にかかる、月の光を含んで、雪はふりつもるひとひらさえも白く明るい。
 月が満ちている夜だけ会おうと、そう決めたのは竜の言葉だ。
――満月の夜だけ。人のかたちで。
 妖し狐は獣の姿をとることができても、竜の君は神の姿を見せることはできない。
 すべてが竜のためであって、けれど狐は――しかたのない俺様の竜、と笑ってまた甘やかす。
 しんしんと青い背につもる雪を、ふわりと払う尾の柔らかさ。
「さすけ、」
 その尾は変わらぬのに、添うた身がふと毛並みをなくす。
 背と思ったのが生成りの衣にになり、温かな柔らかさがさらりと冷たくなって。
 長い腕に抱え込まれ、頬は気づけば鼓動の響く場所にあった。
「はい、おしまい」
 乾いた五本の指が、竜の鬣の雪を払う。


   ………


――まるで幼子のように呼ぶから、応える言葉が欲しくなった。
 膝に青い身をのせて、抱きしめる、腕が欲しくなった。
 その肌をめでる、唇が欲しくなった。
 竜の君の、その頬を手のひらで包む。白さも、きめ細かさも、冷たさも。
「……ほらやっぱり、雪みたいになっちゃって」
 骨ばった指はこちらも冷たい。手の真中で頬をなで、髪をかきあげるようにしながら、赤みのさした耳をふさぐように押し当てた。
――獣の身と人の身と、この白い肌を温めるにはどちらが都合のよいものか。
 毛皮がなければ己が指先の熱さえ足りない。
 けれど、獣の姿はどうにも獣の性が強くなるようで――背に乗せた甘い香りに、つい牙を立てたくなるのを、いつまで堪えていられたか。
 例えば、絡める指、あわせる唇、抱きしめる腕を受け入れる背、肌を甘噛みしても破らぬ歯、同じかたちで言葉を交わすための声でさえ。
――互いに人の姿でなければ得られないのだから。
 両腕で、雪野原につま先さえも触れぬように、抱き上げる。シャン、と鱗飾りが袖に鳴る。
「軽いよねえ、竜の旦那」
「…Shit,」
 この役割も仔狐のころとは逆になった。それが嬉しくてか、竜の身を腕のなか、ひとりじめにする心地よさか、佐助は知らぬうちにゆるく笑む。
――けれど、もしもまかり間違って俺様が消えることがあったなら、毛皮だけでも剥いで残してもらおう。満月のたびに触れてもらえるように。
 そんなことを言えば竜の君は怒るのだろうか。それでも。
 声も熱も、抱きしめる力も失ったとして、この竜の――政宗の指が、触れる場所に、在りたいと願う。
 妖し狐は強欲だ。
 紋様の下に欲隠す狐の顔を、竜の君はじっとのぞきこんでいる。
 狐の肩に腕をついて、見下ろす眼の金色は、ちょうど隣にのぼる月とよく似ていた。
「佐助、」
「はい」
 呼ばれたからと素直に答えれば、佐助を見つめる満月は、キュウとたわむ。
――お前の軽口がないと、静かだなァ」
「…へえ?」
「Ah,それとも、雪のせいか」
 静かすぎる。
 吐息のような声のかすれた端さえ、狐の耳にはくっきりと。
――嗚呼、だって、こんなに。
 ほろりと零れるいとけなさで、紡ぎあげるような艶やかさで、なんどでもこの竜が佐助にうったえるのがただ――
 その声を、聞かせてくれ。と。そんな小さな望みばかりだから。
「政宗さんは、ずるい」
 牙を立てたくなるのは、人の子の姿でもそうは変わらぬのだ。
「Ah yes,俺はずるいんだ」
 雪綿まとった橙を抱きしめて。
 雪白のくびすじに食らいつかれて。
 冬の竜はふくりと温かく、笑った。

















2012/08/19 らいはさまに捧げます。 『幻想パラレルの狐と竜で狐のしっぽに包まってまったりイチャイチャ』