金色夢枕








 夕日のさした金の原。
 否、金と呼ぶにはあまりに朱い。
 橙のいろ。
 寂しいような冷たさと、溶かすほどの熱さをまぜた、優しい温さでどこまでも――果てなくつづく。
 少なくとも、それを見つめるひとつの眼には、そう映った。
 独つ眼の主。
 触れれば染まってしまいそうな光る橙のなかで、一人呑まれずに立っている、青。
――青い、青い、鱗に守られた、人のかたちの。
 裸足のしたのやわい草に頬をかすめる金の風に、青竜は微笑んで、まぶたを閉じた。


   ………


 微笑んだ竜の君は、まぶたを開ける気配を見せない。
 もう半刻ほどずっと、まどろみの中だ。
「…ねえ、竜の旦那」
 やわらかな声が呼んでもすやすやと、すこやかな寝息ばかりが返事をする。
――吐息があたるは尾の一ふさ。
 人型をなした狐の佐助の、正体を垣間見せる五つの尾は、赤みがかった橙色だ。
 ひょろりと痩せた若衆姿の、背丈ほどにも長さをもった柔らかな毛なみ。
 そのふさをかいなの中に、まくらに、またニふさは御身の下にしくようにして、最後の一ふさで背からほぞを温めながら。竜の君は佐助の膝を頭に、くるりとその身を丸めている。
――五尾の、力ある妖し狐のその証が、まるでふとん代わりだ。
 秋めいてまだ冷たくはない風が、青い山もみじの天蓋を揺らした。
 細い、白い指が、橙色をすく様に爪を立てる。
 そしてまた、笑う。
 どんな吉兆がその夢に現れたのか、寝具をつとめる佐助には分かりかねた。
――ただこの神の席に並ぶ竜の、そのちからを喰って弱らせたのが己であるという覚えはある。
 狐が人の指で解いた帯。
 濃い紺紫は水にたゆたう様に似て、佐助の背後、眠る竜の腰から脚へと泳いでいた。
 子どものように橙色の柔らかいものを抱きしめ、丸まった背が、青い衿から覗いている。
 ふりつもったばかりの雪の肌に、薄青の鱗が見えた。
 地に立つ時は一分のすきもなく人のかたちをとってみせる竜の君の、こんな無防備な姿は――珍しいのだろう。
 山の連なりへだてた向こうには、白い龍がいるとも聞くが、狐が知る竜はここで眠る彼だけだ。
 いつもはその纏った絹衣の、青にシャラリ、シャラリと透き通った薄片が、竜の身守る鱗である。佐助の指がたどる肌はあくまで白い。
――竜の証しを隠せないほどの、油断。それとも。
 気がつけば、漆黒から琥珀に透ける髪の間、わずかに角さえ覗いて見えた。
 しなって尖る、三日月の半身に似たそれに――触れれば竜はひどく嫌がる。
 けれどこうして疲れに寝入るあいだは隠せない。
 分かっていてゆだねられているのだから、佐助の苦笑いも甘くなった。
「竜の旦那…」
 アンタ、俺様に許しすぎだよ。
 ゆるく折った指の背で、子どもにするように頬をなぜる。
 満月が雲に陰った。
 ざわり、と影が量を増した。
 流れる水や木の蔭や、苔むした大地が含んだ、闇が、しとりと染み出してくる。
――ああ、ほら。言わんこっちゃない。
 ひたひたと蟲のような影の生きもの、その息遣いが近づいて、狐は唇だけを笑みのかたちのまま、冷たく冷たく目を細めた。
 と、するり。
 尾をなでる手つき。
 佐助の目は膝に向く。
 影の蟲の気配にか――こちらも影のものではある、妖し狐の怒気に気づいたか。角も鱗も溶けて消え、金の独つ目ゆるりとひらいて、からかうように笑む口元。
「…動くなよ」
――かしこまりました」
 ため息に、情けなく垂れたのは眉尻、肩、橙色した獣の耳。
 竜の君は狐の尾を抱きなおし、満足げに頬擦りつけた。


   ………


――思い出すのは、満月の夜。
 空はいまだ西の端に淡い紫を残し、満ちた月は東の端にかかるころあい。
 竜の君は狐を待つ。
 狐は、赤みがかった橙の毛並み。
 茜色の夕日のような、甘く熟れた柿の実のような――寂しいような冷たい金に、赤々と燃える炎をまぜた。
 鮮やかな色に触れたくて、竜は狐と約束をした。
『Full moonの――満月の夜に会おうぜ』
 狐は鳶色の目で竜を見上げ、小さく小さくうなずいた。
 何千の年を重ねた竜のひとつ目には、ひどく幼く映る仔狐だった。
 ヒトのかたちをとれば、十かそこらの童の姿。
 まなじりのやわらかく垂れた目で、冷めた風に竜を見る。かと思えば瞳をそらし小さな唇を噛んで、幼い戸惑いを隠してみせたりもする。
――おもしろい仔狐だった。
 ふわふわと柔げな毛並みの尾を思い出し、竜の君の唇は、知らず笑みに染まった。
――妖し狐になどはじめて触れた。
 常には地の深く水湧く水晶の洞穴、時おりは天つ雲の間に身をおく竜の君である。影の生きものには縁がない。
 ゆえに満月の光の外、濃く染まる影の蟲に似た姿には、あどけなく目を見開いた。
 ヒト真似をして口笛をひとつ。
 これも触れてみようかと白い指を伸ばして、仔狐の顔を思い出す。
「…Mannerに反するな」
 つぶやくと、指でそのまま孤を描いた。水の幕がおりるように、更紗か薄絹か、光を透かす帳があらわれる。影はそこで押しとどめられる。
 邪魔は消えたとばかり、竜の君は帳の中――あれは藤の蔦木であったか、そのたわんだ枝に腰掛けて、うつらうつらとしたのは瞬きほど。
 さり、と音が届いて、はたと金の眼を開いた。
 帳の外に、小さな橙色があった。
 童の姿の、頭には獣の耳。腰にはひとふさ、狐の尾。
 不思議そうに見開いた鳶色が、じっと藤の根元を見つめた。
「……」
 小首をかしげ、二歩、三歩と後退る。
「狐?」
 竜の声にも、気づかぬのか。
――佐助、」
 名を呼べば、ぴくり、と尖った耳の先が動いた。
 導かれるように裸の足が、さり、と土を踏む。
 影の蟲を振り払い、振り払い、けれど歩みは光の前で止まる。
 途方にくれた顔をして、仔狐は帳の周りを伝いはじめた。小さく見えた影の生きものも、か細い脚にまとわりつくのは酷く邪魔に見える。
 竜の君は座していた枝からひと飛び、自らかけた帳の縁に膝ついて、眼に見えぬその幕を腕にかき上げた。
――シャラン。
 響いた音に、仔狐が顔を上げる。
 ま、のかたちに開く口。
「よお、狐」
 音を呑みこみ、「竜の旦那」と呼んで狐は駆け寄った。
「ごめん、何でか樹に近づけなくて――
 それからはたと自分の着物の裾と、地に引きずっていた尾を見て、ぱたぱたと手ではたきはじめる。
「いいから早く入れよ」
「だめだよ」
 アンタ、俺様のしっぽもふもふする気でしょう。
 眉根を寄せた難しい顔。
 子の面倒を見るような口調の狐に、竜は堪らず破顔した。
「よく分かってるじゃねェか」
 その顔に、驚いたように口をつぐんだ仔狐を、有無を言わせず引き寄せる。
「ちょ、竜の旦那、汚れる!」
「No problem」
 歌うような声に眼を白黒させるのを、あっさりと抱き上げ、ふわりと腕にかかる橙色に眼を細めた。



――あの小さな狐が、いつからか。
 尾に触れられるのを嫌がるようになり。
 そうかと思ううちに、食らいつくような焦りでもって、竜の肌に触れるようになり。
――今では、どちらが守られているのかも分からない。
 夕日のさした金の原。
 竜を包むは狐の毛並み。
「あれさ、アンタなら何とかなるんじゃない?」
 頬を撫でるは、骨ばったヒトの指。
「What?」
 あやされる童のここちで、竜の君はとろけるようにまぶたを伏せる。
「影の連中。蹴散らしてもキリがない」
「Ah…」
 じわり、こみ上げたものが笑みに変わった。
「……考えといてやる」
「何、その間」 
 指が止まって、いぶかしげな声が降る。
――だって、お前が俺を見つけられなくなるだろう。
 そんな答えは返さない。
 五つの尾を持つ今ならば、たやすく見つけるのやもしれない。
――それもどこか、寂しい。
「ねえ、」
 五本の乾いた指先が、そっと確かめるように耳から顎を辿る。
「また寝ちゃったの…?」
 柔らかい毛並みに顔をうずめ、竜の君はこたえない。
 指が辿ったあとの耳朶に、柔らかいものが触れた。
「政宗、」
 ささやく男の声が、すぐそばにあった。
――こたえることもできずに、強く強く目をつぶる。

 まぶたの裏には金色めいて熱い、橙色が広がっている。

















2012/08/19 らいはさまに捧げます。 『幻想パラレルの狐と竜で狐のしっぽに包まってまったりイチャイチャ』