警備員のベルトから警備室の鍵を外して中に入り込む。
 門を開くのはカードキーとパスワードだ。
 大門で家康が警備員の気を引き幸村が忍び込む計画だったが、家康とはぐれ風魔が相棒になったため、初っぱなから手荒に警備員を眠らせてしまう結果になった。
――まあ、結果おーらいと政宗どのなら言ってくださるだろう。
 幸村は背中の荷物を下ろす。
 カードキーを差しこむ隙間に、リュックに入れてきた機器の、コードがつながった磁気カードを差し込んだ。
「これはな、電子錠をやぶるのに政宗どのがつかっていた機械なのだ」
「……」
「ぱすわーどを探り当てて扉を開いてくれるすぐれものでな」
 敵陣に押し込むのではなく、忍び入るときに使え。
 そう幸村は教わっている。
「政宗どのはハリガネ一本で簡単なかぎは開けてしまうし、電子錠だって、配線の切り方しだいで開けるのだそうだが――
 ぴ、と小さな音が、探り当てたパスワードを電子錠に入力していく。



「警備室の定時連絡がありません」
「内線は?」
「出ませんね」
 当直室で事務的な声が響き、巡回係の若い警備員がうなずく。
「了解、見てきます」
 明るい部屋から暗い廊下へ。
 患者のうめき声や奇声が響く入院病棟へ行くより、外の様子を見に行く方が楽な仕事だ。
 自販機に足を止め、アイスコーヒーを買って缶を取り出す。
 空調のきいた廊下の端、カードキーをリーダーに通した。
 扉を開けば、夏の夜の蒸し暑さが流れ込んでくる。
 駐車場が広がるはずの扉の外。
 だが、警備員の視界を覆ったのは、銀の鏡だった。
「?」
 そこに映った自分の姿。
 それが一瞬にしてぐにゃりと浮き上がり、自分の写し身になったと思った瞬間。
 トン、と軽く、銀の針が警備員の喉から後頭部までを刺し貫いていた。
 手から落ちた缶を、そっくり同じ手が受け止める。
 閉じかけた扉から、缶コーヒーを手にした警備員が、するりと入り込む。



 巡回の看護師が、復路をたどっている。
 松永医師はあの厳重監視室の患者のもとにまだいるのかどうか、それを男は考えていた。
 噂では、近く松永医師は自分の施設に彼女を引き取ってしまうかもしれない、とのことだ。
 教えてくれた同僚にとってはただの噂話だろうが、男にとっては舌打ちしたい話である。
 くそ、役得だ。
 そう呟きながら通り過ぎようとした階段の手前、用具室の戸に違和感を覚え立ち止まる。
 引き戸がわずかに開いていた。
 清掃員がいない時間帯に患者が吐瀉した際など、小さな掃除に使われるモップやバケツ、ポリ袋くらいしか入っていないスペースだ。
 人が隠れる余裕さえないはず。そう考えながらも看護師は警棒とライトを手に、足で戸をスライドさせた。
 誰もいない。
 カタン、と倒れたのはただのモップだ。
 否。その房の側を残し、柄を折りとられた、モップの残り。
 それを疑問に思う間もなく、階段の角から飛び出した影が、男の襟足をモップの柄で強か殴りつけた。



「何かあったのかね?」
 人気の薄い当直室。
 内線を鳴らし続ける看護師に、松永は近づいた。
「いらしたんですか先生、それがその……門の警備と連絡がとれなくて」
 巡回警備のひとりが様子を見にも行ったはずなのだが、と困惑している女性看護師の離れた机から、当直医が手を振った。
「あの若い人?さっき見ましたよ、いつもの缶コーヒー持って――サボってんじゃない?」
 困るなァ、と看護師はため息をつく。
「松永先生からも一言、」
 その顔が、松永のうしろを見つめたまま、訝しげに眉よせて固まる。
 シャ、と扉がスライドする音。
 振り向いた松永に向かって、何かが飛んできた。
 倒れ込んだ後ろで看護師の悲鳴が響く。
 ぶつかりのしかかってきた荷物は半裸の、顔を見れば入院室を巡回していたはずの若い看護師だ。
 松永はそれを押しのけ――しかし起こそうとした身は鳩尾を踏みつける足に遮られる。
「Good evening,変態ヤブ医」
 患者の寝間着ではなく、丈の合わない看護師の制服。
「これはこれは…」
 感嘆の声とともに見上げた視線の先で、伊達政宗は滅菌された注射器のビニールを、無造作に口で破いた。



「Hold up,ああ、分かりやすく言ってやるか?」
 腕で締め上げた松永の首に、洗剤を吸い上げた注射針を突きつけたまま。
「全員床に伏せろ。余計な真似はするな」
 青い顔をした看護師と当直医がひとり、気絶したままの男がひとり。警備員がいつ帰ってくるか分からないが、他にふたりはいると見るべきか。
「鍵をカウンターに。マスターキーだ。出せ」
 政宗の指示に、医者の方が声もなくうなずいた。
「…お、落ち着きなさい、」
 看護師の女が震える声で呼びかける。
――落ち着いてなければとっくに殺しているだろうに。
 注射器の中身を漏らさぬよう注意を払いながら、政宗は松永を抑える腕にだけ力をこめた。
 だが松永だけはそれを見越しているかのように、軽くため息などついてみせる。
――聡明な卿なら分かっているだろうが、こんなことをしても無駄だよ」
「shut up.」
「どこに逃げ隠れしようと必ず奴に見つかるなら、警備の堅いこの場所で待ち受ける方がいいとは思わんかね」
――散々しらばっくれやがって。
 政宗は舌打ちした。
「鍵だ!」
 医者がそろそろとカウンターに近づき、頭を上げないよう銀のカードキーを上にのせる。
 その頭が、わずかに揺れた。
 人質を投げ出すように放したのは直感だ。
 カードを散らばった文房具ごとひとつかみ、ひったくるのと警報が鳴り響くのが同時だった。
 入ってきたのとは逆の扉から駆け出せば、すでに他の詰め所から駆けつける足音が左右から響きはじめている。
 問診室、外来、通路の端の扉、駐車場直通の――
 院内の地図を頭に描き、あえて奥へと駆ける足を向けた。
 逃がすな!と叫ぶ声。
 走りながら政宗は上着を脱ぎ、ポケットに丸い文鎮を滑り込ませると追っ手の顔めがけてたたきつける。目隠しされた警備員はたたらを踏んで後続とぶつかった。
 彼女の目は最早それさえ見ていない。
 早く、早く、早く。
――幸村)
 タンクトップだけになった肩が、冷房の中にひとすじ流れる生ぬるい温度に触れた。
――外の空気の。
 目を向けた先には警備がひとり。
 破れる。と細めた目を、瞬間、既視感に政宗は見開いた。
 スローモーションの中、男が崩れ落ちる。
 その向こうに立っているのは。
(立ってるのは、)

 血のように紅い髪の――

 目の前が真っ赤になった。
 転げるようにして体の向きを変える。
 逃亡者を追って集まってくる、何も知らない人間たち。
 考えるより早く、政宗は叫んでいた。
「逃げろ!」
 錯乱した患者の言葉と判じられたか、人形の存在に気づくものさえない。だが他に退路もなかった。
 数人がかりで床に引き倒された政宗は獣のように吼えた。
「格子を下ろし通路を封鎖。――そのまま押さえていてくれたまえ」
 カツカツと近づく足音は松永のものだ。
 ガシャン、と重い音が四方から響く。
――無駄だ。
 所詮は人の力しか考慮されていない檻。あの化け物に通用するはずもない。
 それでも政宗は周囲を睨みながら、突破口を探していた。
『誰を犠牲にしてでもあんただけは生き延びろ』
(無茶言うな、馬鹿やろう)
 胸の内で悪態をついた、瞬間。
「オリをやぶれっ政宗どのを助けろ!」
 少年の声が、響いた。
「うばいとれ、風魔!!」



 引きちぎられた鉄柵の向こう、見開いた金の独眼が幸村を凝視している。
――説明はあとだ。
 警棒を竹刀のように構え見回せば、幸村が風魔と入り込んだ裏手の出入り口にも人影が集まりはじめていた。
「早く!」
 幸村の声に応えるかのように、風魔は政宗に大股に近づき、押さえこむ邪魔者たちを無造作に引き剥がす。
 何を!と叫ぶ声は、投げ飛ばされた警備員が床にたたきつけられるその鈍い音に消されていく。
「……」
 無言のまま政宗を担ぎ上げた風魔は、一瞬、幸村とは逆の通路を振り返った。
 幸村もその動きに目を上げ――声を、腹に留める。
 警備員や白衣の影が呻く中に立っている、黒と白のスーツに注射器を構えた、医師。
――その向こう。
 鉄柵の向こうにも人が倒れている。呻きもせず、血にまみれて。
 それに目も向けず歩いてきた、警備員が――柵にズブリ、と頭をのめり込ませる。
 異様な気配に振り返ったスーツの男は、声もなくそれを見つめた。
 警備員はズブズブと体を銀の粘土に変えながら、柵を通り抜け始めた。
「……」
 風魔はすでに幸村の方へ足を向け、駆けだしている。
「こっちだ、風魔――
 手を振る幸村に、「No,」と落ちてくる声。
「そこで曲がれ、駐車場表示の扉に入る」
 風魔の肩の上で、政宗がマスターキーを手にくるりと回した。



 その警備員は――否、銀の粘土でできた人形は、松永を見て、つまらなさそうにつぶやく。
「抹消、不可、人材、ヒサヒデ・マツナガ」
 その顔を、松永医師は――どこかで見た、と思った。
 警備員の顔など一々覚えているはずがない。あれは。
――織田の。
 トン、と肩を突かれた。
 突き抜けた、銀の棘。
「…そこで大人しくしていてください」
 その声は、確かに、あの白い髪の青年のものだった。



 政宗どのの指示に従え。という幸村の言葉で、風魔は方向を変えた。
 職員の通用口を通り地下駐車場へ。蛍光灯の灯りの下足早に歩きながら、政宗は松永から拝借した車のキーを取り出しボタンを押す。
 先に駆けていった幸村が、ライトの光った車を見つけ「ここにござる!」と叫んだ。うわんうわんと声が跳ね返る。
 イイ車に乗りやがって、と舌打ちしながら政宗は足を早めた。その肩を、鉄の手が押す。
「……」
 何故か幸村の言葉に従っているらしい紅赤毛を睨み上げれば、わずかに振り返る仕草で後ろを示してきた。
 遠くなった通用口の、オートロックで閉まっているはずの扉の下から――銀の水がじわじわと染み出している。
 銀の。
 先刻遠目に見た、化け物。
――鍵など通用しないだろうとは思ったが。
「幸村!」
 お前が運転しろ、と車のキーを投げる。
「わ、わかりもうした!」
 飛んできたキーをキャッチして、少年は頷くが早いか車に駆け込む。
 紅赤毛に押されるようにして、政宗も駆けだした。
 背後ではすでに、銀色が人の形をとりはじめている。














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13/08/23
初出:memo