彼女の体の細さなんて、初めて見たときから知っていた。
――なのに、抱きしめてみたらあまりに頼りなくて、心臓をつかまれたように喉が震えたのを覚えている。
 手刀をたたきこんだ瞬間まで、いっさい抵抗されなかったのも、今思い出せば不思議だった。
――今、思い出したのは。
(…香りが)
 彼女の、政宗の、その身の甘い香りを嗅いだ気がした。それが最後に別れた時のことを脳裏に再生させたのだろう。
 佐助は軽く身じろいで、――自分が、彼女にしたのと同じように気絶させられたのだと思いだし。
 そして。
――Hey,お目覚めか?未来人」
 少しかすれたハスキーボイスと、甘い香りと、頬にあたる柔らかい感触に。
――!?」
 飛び起きた。
――暗い。
 部屋の中だ。
 かろうじて、窓の外の街灯の光が、そこにいる人を照らし出している。
 細身の、短い髪の、前髪は長く右目を隠して、左だけの目が切れ長の形を、今は丸くして、きょとんと猫のように瞬きした。
「政宗…さん…」
「Exactry」
 名を呼べば、ニイ、と人の悪い笑みを見せる、唇からのぞく牙。
――どうして、ここに。
 部屋はどうやら、夕べも佐助が使った島津の診療所の一室のようだった。
――島津の。
 医師の言葉が頭をよぎった。
「腕は!?」
「What?」
 肩をつかんで、もどかしく両腕を探り出す。
――細い、柔らかい、健やかな温かさ。
 指先までたどり着き、両手でにぎってやっと、佐助は安堵の息をついた。
――無事だ。
「…どこも、怪我は、ない?」
「ねえよ」
 素っ気ない声が、耳に優しい。
――たった一日二日離れていただけなのに。
「あんたこそ、右腕はまだ整備中って聞いたぜ?」
「いいんだよそんなこと、あんたが――
 欠けることなく、無事なら、それだけで。



 もう右目欠けてんだけどな、とか。
 人のこと勝手に小十郎に押しつけたのは誰だったっけなあ、とか。
――腕の一本や二本なくても、餓鬼は産めるんだろうけどな、とか?
 意地の悪い言葉が、政宗の胸に浮かんでは消える。
 ため息ではなく、ただ静かに吸った息を吐いて、政宗はこの手を握りしめたままの男に顔を近づけた。
「島津のおっさんのとこにきた報せのことだな。利き腕なくしたのは、織田の私設警備部の狙撃手だ。ウソかホントか会長の奥方だってよ」
「そう…」
 薄い明かりしかない狭い部屋の、ベッドに腰掛けたまま。
 その近さに初めて気づいたように、猿飛ははたと政宗の手を放した。政宗はその手をつかみ返す。
――誰が逃がすか。
 橙頭に貸していた膝はまだしびれている。部屋の外、通路の端には小十郎が控えているはずだが、今逃げられては不利だと政宗は判じた。
 そんな考えに気づいてか気づかずか、猿飛は目にとまどったような色を浮かべて彼女を見つめている。
「…腕が無事で、ならなんで、ここにいるの」
「お前がいるからだろ」
 政宗の返答に猿飛は息をつき、考える様子で口を開いた。
「あんたが島津の旦那を知るはずないって、思ったんだけど」
「知らなかったさ。ただ――
 真田家でも前田家でもない、政宗が知るはずのない場所だからこそ、この男はここを頼るだろうと思ったのだ。
 男の左手をつかんだまま、その右手に手を重ねる。
――鋼鉄の義手。
 初めて会った夜、この未来人は政宗にその内側の精巧なしくみをさらして見せた。
「あんたの右腕の中、骨にあたる部分に銘があるの、知ってたか?」
 問われて猿飛は、わずかに瞬く。
「銘って――ただの丸に十字じゃなかったっけ」
「ああ。けどな、これだけの義肢を作れる人間なら限られてくるだろ」
 この男がいた世界は33年後。人間の技術革新が止まるのは18年後だと、他ならぬ未来人が証言したのだから、今政宗が立っている世界にその原型をもつ人間がいてもおかしくはない。タイムホールの原型が豊臣の研究所にあったのと同じ理屈だった。
「で、前田の鴛鴦夫婦に聞いたら、島津義弘の名前が出てきたってわけだ」
 前田利家は医療用の機器開発に携わっている。直接のつながりはなくとも、精巧な義肢を作る医師のことは耳に入っていたようだ。
「…それだけで、ここをつきとめられちゃったわけ?」
 猿飛はどこか苦い顔をしている。
――無理もない。いくらこちらが知りもしない場所だからといって、詰めが甘いのだ。
「あんたの腕の内部構造、図にして島津のおっさんにFAXした」
「は」
「こういう腕の橙頭の優男が来たら、身内だから教えてくれっつったら」
『もう来よったが』
 あっさりと答えられたものである。
――猿飛がどう口止めしていたかは知らないが、前田利家の紹介であるという事実と。
 “身内”という言葉がより近しい意味で受け取られたのが勝因だろう。
「ファックスって…あの紙か…」
 一方猿飛は何を思い出してか呆然とつぶやくと、政宗に目を向けた。
「よく、覚えてたね」
「まあな」
 必死で思い出したのだと、すがるような気持ちで探したのだなどとは、言う気になれなくて、彼女は肩をすくめ――ただ、ニヤリとわらう。
「おれから逃げようなんざ、百と三十三年早い」
 男の方は、ハッと短く息をついた気配。自嘲まじりの困ったような笑い顔が、薄明かりに見える気がした。
「…織田の狙撃手は腕ですんでも、あんたは首をとられるんだぜ?」
「それはお前だって一緒だろ、猿飛」
「俺はいいんだよ」
「よくねーよ、阿呆」
 手を手に重ねたまま、その鳶色を見逃さないように、政宗は男の目に目を近づけた。
「…お前を守りたいんだ」
 鳶色に浮かぶ光が、明らかに揺れる。
「それは逆でしょ」
「お前がおれを死なせたくないのはお前の勝手。――おれは猿飛佐助を守りたい」
「ちょっと待って、政宗さん」
 声が焦りを帯びて、暑さのためにか頬に汗が見えた。
 じわり、とうずくような、熱。
――生身の左手首をつかまえる自分の指が、情けなくも震えて、喉が締め上げられるような気さえした。
 それでも。どんなに覚悟がいる言葉でも、男がどんなに困ろうとも、言ってやりたいことが、ある。
「おれ、お前のことが――
 冷たい堅い感触に目を見開く。
 政宗の唇をふさいだのは、政宗の手から逃げ出した、鋼鉄の指だった。
「…駄目」
 その冷たさ堅さと裏腹に、男の声は諦観を含んで、温い。
「ねえ、政宗さん。あんたはすっごく勝手だし、人のこと振り回すし、口が悪くて手も早いけど」
 温くて――ひどく、乾いている。
「本当は、優しくて、懐が広くて、強くて、なのに寂しがり屋で――自分の周りの人間を守らずにはいられない女の子だ」
「…何が言いたい」
 鉄の枷から唇を離して、政宗はつぶやいた。
 男はそっと、手をおろす。
「俺じゃなくても、あの時あそこに他の誰かがいれば、真田の旦那はそいつをあんたのもとに送ったよ。そいつはきっと、必ず、命がけで政宗さんを守る。あんたが危険な目に遭うとき、いつも隣にいる」
 きっと、俺よりずっと、マシなやつだ。
 淡々と、揶揄する風でさえなく、男は続ける。
「そしてあんたもそいつを、守りたいなんて思ったり…惹かれたりしただろうね」
――俺じゃなくても。と。
 その一言がつまり、言いたかったのだろう。
 そして、政宗の気持ちは錯覚なのだ、と。
 いっそそう続けたなら、拳のひとつもくれてやるのに――男はそれきり、口をつぐむ。
「お前じゃない、誰か」
 口にして、政宗も、言葉を続けられなかった。
――つり橋の上で出会った男女は恋に落ちやすいと、誰かが言っていた。
 危険な状況をさしていうなら、政宗がこの男と出会い渡ってきたのはまさにつり橋の上だ。
――もしもそこにいたのが別の男だったとしても。
(それも、こいつより、マシな)
 Ha,と自嘲を含んで笑いが落ちた。
「そいつは――あんたみたいに、ヒトのこと勝手だ勝手だ言いながら、自分は勝手に守りたいもん優先するやつじゃないわけだ」
 そこにいる男にもそのまま聞こえているはずなのに、「そうだよ」と答える声は、ひどく遠くにいるかのように、躊躇いがちに遅れて返る。
「Gentleで、会ったばっかりの女に、見ず知らずの男と子ども作れとも言わない?」
「…うん」
「軽口もたたかないし、目の色も髪の色ももっと落ち着いてて、もっと頼れる男で」
「ああ、」
「それで…」
 声が、震えた。
「…お前じゃない、誰か…」
 政宗が触れた、赤みがかったオレンジの髪も。差し出された白い花も。この両腕をつかんで安堵の吐息をついた喉も。ごめん、と囁いた声も。愛しいほどの身勝手さも。何もかも、何もかも――その誰かは持っていない。
「…そんなやつは嫌だ」
 ひとつきりの左目が溶けだしたように、頬を伝う雫はひどく熱い。
 ぼやけては流れ落ちる視界の中で、鳶色の眼はまん丸に見えるほどに見開かれて、時を切り取ったように固まっている。
 何も考えられなくて、ただ薄明かりに男の顔が少し間抜けて見えたから、政宗は笑った。


「おれはお前じゃなきゃ、嫌だ」


 手を伸ばせば頬に触れるのは、簡単で。
――その口を口でふさぐのも、あまりにたやすかった。
 押しつけることしか知らない唇を、そっと離して、政宗はわずかな隙間に息をつく。
――息を。
――ッ、」
 息も、そのまま、食らいつかれて。

――あとのことはよく覚えていない。

 きつく抱きしめてくる痩躯を、両腕で抱き返してやったことしか、覚えていない。














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11/08/03
初出:memo(11/07/16〜(どうにかしたい)コタミネーター(このタイトル))