満月が杯の酒に映っていた。
 その一杯の月酒を、差し向かいにはさんで、一緒にのぞき込んでいるのは独眼竜。
 伊達政宗。
――何がどうしてこうなったのか。
 と、佐助は月を見つめながら考える。
 佐助の若い主が、伊達政宗に御執心で――それはもう健康的な意味で、この竜を宿命の好敵手と見定めて早数ヶ月。 本人は上田城主でおいそれとは動けないから、その影である佐助が足しげく、書状をたずさえ奥州に通うはめになっている。
――そこまでは、いいとして。
「…月が隠れたら、だぜ?待ったなし一本勝負」
 Are you ready?
「はいはい、泣いちゃっても知らないからねー」
 などと軽口を叩けるのは、城の天辺にいる相手にも気安い顔をしてみせる佐助の性が半分、影の草さえも性悪な笑みで隣に座らせてしまう独眼竜の質が半分。
『Hey,また来やがったのか。暇だな烏』
『無視すりゃいいじゃん暇だね旦那』
 いつからか揶揄と悪ふざけにまみれた言葉を交わすようになったのが、どちらのせいと問われれば――両方のせい、と答えるのは佐助のせめてもの公平さである。(本音を言えば、独眼竜のせいだと思うわけである)
――となると、これも両方のせいになるわけだ。
 雲が月を隠した。
 先手必勝とばかり、政宗の手が佐助の忍装束の首元をつかんで引き寄せる。
 その勢いに逆らわずに距離をつめて、佐助は――竜の唇に唇を、重ねた。



 生まれた国が違い、身分が違い、話し方が違い、あらゆる性質が違い――重なると言えばせいぜい性別くらいなものだと思っていた。
『Well,もうひとつくらいあるだろ。共通点』
『なんでしょうね』
 竜はにやり、と笑って扇子をびしり、佐助の鼻先につきつける。
『性格が悪い』
『ははは、』
 しばき倒すぞこの餓鬼。
――そうそう、年齢は、近いと言えば近い。
 ただどうにも、『真田の旦那の好敵手』という看板があるものだから――二人まとめて自分よりいくつか年下、という認識でいる佐助である。
 しかし例えば、武田の大将や島津の爺様ほどには離れていない。佐助の年齢は本人にも分からないが、同年代と言って差し支えないだろう。
 少なくとも独眼竜にしてみれば、小十郎より年下(に見える)というだけで、年近く思えるようだ。
――この差違が、引き金だった。
(…んだろうねぇ)
 佐助は頭のすみで考えた。
 唇は重なったままで、竜の舌が佐助の口の中を探っている。
「…ん…、」
 鼻から抜けるような声が間近で落ちた。
 息をしようとしてつい、という風情。あるいは作戦かもしれない。
――声色っぽいからなぁ、この人。
 口の中のくすぐったい場所を掠めようとする舌を、舌であやすように絡めとる。
――熱い。
 食らいあうような感覚がそれだけで熱を高める。佐助は自分の膝に手をついて、竜は佐助の装束をつかんで、他は肌にも触れていないのに。
――口づけなんて。
(大したことないって、そういう話だったはずなんだけどな)



 経緯なんて覚えていない。
――まあ大概、たちの悪い戯れの連鎖だ。
 独眼竜は言った。
『女とはkissしたこともねぇような顔しやがって』
『…なんか凄まじい暴言かつ誹謗中傷がまじってない?』
 女とはって、顔って、何それ。
 男相手はあるのかと、はっきり問われればワアワア騒ぐ気もしないが、佐助は何しろ竜曰く性格がよろしくないので。
『そう言う独眼竜のお殿様は、男にも女にも“された”ことしかないような顔してるよね』
『…んだと』
 お互い実はさしたる悪意も腹立ちもないと、分かってはいたのだが、得てして売り言葉に買い言葉とはこうして成り立つ――のかもしれない。
 と、佐助は考えた。
 竜の舌を口の中で遊ばせながら、柔らかい裏側をやわやわとなでる。
 杯が倒れそうなのをどけて、一層近づいた。
――当たり前だが、女としたことはあるし、それはこの竜も同じなのだろう。
 忍びとしての訓練と年期の分やはり、こちらが上手のはず。と、佐助は酒にも酔わない頭で判断して、張り合う気もなかった。
 それなのに、お子さま扱いなどされたつもりもない独眼竜だ。気がついたら勝負だ勝負だという流れになっていて、つきあう気分になったのは――だから、売り言葉に買い言葉。
 そして、引きそこねた線。
 立場も身分もあまりに違いすぎて、線を引く必要すらないと佐助は思っていた。
――だって、間に山も谷も川も、断崖に絶壁すらあるってのに、どうして境界線なんているだろう?
 そんな風に思っていた。
 認識は甘かった。
 薄目を開けてみれば、堅く閉じた左目の長いまつげがふるえている。
 息が足りないのかと、舌を捕らえたままわずかに唇を離した。
 ハァ…、と、吐息がもれる。
 まぶたの下の金の目がそっと開いて、――何だか精巧な細工物を見ている気分にさせられた。
 佐助をちらっと見上げて、細まる。
 竜のひとつ目は雄弁だ。
『このヤロウ』
――うっかり目で笑ってしまったらしい。
 とたんに、竜の体が佐助の方へと傾いだ。
 体ごと預けられた重みで、押し倒される。口づけは深くなる。
 佐助は竜の舌を甘く噛んで、舌を竜の口に滑り込ませた。
 竜の頭が動こうとするのを、顎に手を添えて、止めるでもなく指でなでる。
 竜はわずかに声をもらして、耐えるようにぎゅっと目を閉じた。
 佐助の手はするりと、指に耳を挟んでのぼる。
 懸命に攻め込んでいた竜の舌が勢いをゆるめた。
 じわりと赤らんだ目元をそっとなぜれば、また金色がかいま見える。――少し、濡れ潤んでいる。



 勝負という言葉に反応する佐助ではない。
 ただ、独眼竜の、戦場での狂気を含んだ不敵な顔が、年相応に性悪気な笑みを浮かべるのを知ってしまったから。
――びっくりした顔とか、悔しそうな顔なんかも、見れるものなら見てみたいと、思ってしまったのだ。
『Ruleは細かく決めねぇが、薬だの急所攻撃だのは禁じ手だ』
『信用あるのかないのか分かんないね』
 刃物で首筋をスパッといく可能性は考えないのだろうか、と佐助は胸の内だけでつぶやく。
『とにかく、あんたが卑怯な真似をしたら……。真田が爆発する』
 佐助はへらりと笑った。
『じゃあ独眼竜が反則したら、片倉の旦那が丸禿げになるってことで』
――悪ふざけだ。
 指がまた耳を掠めると、竜の肩がびくん、とすくんだ。
 冷たい髪をすきながら頭の後ろに手を滑らせて、唇を引き寄せる。
 その頭を左右に振って、竜は逆に身を離そうとした。
「…ふぁ、っ」
 舌を解いて、短く息を吸う。
「Wait,もう――
 佐助が放さないから、掠れた声は唇の間近、囁くようになる。
――もう、いいかな。息継ぎ。
 残りの言葉を言わせずに吐息ごと奪う。
 左目が見開かれて、金色が満月になった。
――もうちょっとだけ。
 抱きすくめたまま転がって、竜の体を下にする。声にならない小さな悲鳴。差し挟んだ手で首を反り返らせて、竜の唇の奥深くつながる。
 つながる。
――やばい。
 という声と、(あと少しだけ)という声がせめぎあって、佐助は目を閉じた。
 そっと舌を放す。
 名残惜しいように、柔らかな唇を噛んで軽く吸うと、抱きしめていた腰がわずかに震えた。
 体を起こす。
 腕を解く。
 なるべく見ないように身を離して――けれど間の悪いことに、雲から現れた満月が。
 ゆるり、と動いて乱れた襟を押さえる指。
 うすく開いた唇。
 白い肌をすかして紅く染まった目元。
 溶けたような金の目。
――うわあ。
 煌々と照らし出された竜の姿。
 忍びの身に味わったことのないような熱が、骨を走って頭に到達した。
「ま、」
「……口ん中、」
 じんじんする。
 竜はつぶやき身を起こして、佐助を――切り刻んでやる、という目で見た。
 なぜだか、背筋が凍るような恐ろしさではなく、沸騰するような目眩に襲われて、佐助は手をつき頭を下げた。
「…負けました」
「あ?」
「参りました!」
 半ば涙声で叫ぶ。
 独眼竜は佐助の橙色のつむじを乾かない目でしばらく眺めて。

「…ザマァミロ」

 と、不機嫌につぶやいた。
















10/06/06 改稿・掲載
初出:memo(10/06/04)