片春 片花 片便り





 青葉城の庭は未だ白かった。
 日ごとに冷たさが和らぐ奥州の空気に、それでも雪融けは遠い。
 空は濡れ滴るように青く晴れ渡っている。
 そこにぽつり、と墨色の鳥の影。
 天高くから滑り降りる黒翼の下、雪の花びらがひらりと舞った。



「こんにちわー」
 歌うような声に手を止めた。
 門より奥側の、城の中でも広い――庭に面した一間。城主の居室。
 明るい昼の光で文机を照らした中光を弾くように左目を瞬かせたのは、青葉城が主、
伊達政宗である。
「…?」
 聞き覚えのある声に首を傾げる。
 風に似た柔らかい声。影に似た薄い気配。
 鍔眼帯に隠れた分だけ他人の存在には敏い、この右目に気づかせず近づける程の。
 政宗は首を振った。
(No kidding…あいつが庭なんかにいるわけ…)
 パサリ、と髪が揺れる。
「こーんにーちわー」
 サクリ、と雪を踏む音が響く。
 政宗は刀を抱えて立ち上がった。



「あ」
「……」
 白昼夢、と言うなら正にこの光景だ。
 天高くから午刻の日ざしが降りて、雪をかぶる庭は真白く輝いている。
 その中に、秋の果実の色をした毛並み、夏の木の葉になら容易く忍べる斑緑の装束。
 まるで忍ぶ気の無いような、他国の忍びの、戦忍びのその腕の占める――白い花。
「どーも、お久しぶり」
 にこりと微笑む鉢金の下の顔に、政宗は眩しげに目を細めた。
 有り得ない登場の仕方で有り得ない光景、しかも、それが。
(こいつだなんて…出来すぎだろ)
 奥州の竜と呼ばれる青年は、儚くため息をついた。
「…It must be a daydream」
 掠れた呟きが静かな庭に落ちる。
 すると幻――にしては自己主張の激しい、鮮やかな橙色は小首をかしげた。
「今すぐ泥取り?」
「夢じゃねえかって言ってんだよ。お前がこんな所で花抱えてつっ立ってるなんざ有り得ねェ」
「…いや、俺様に言わせれば殺気も無しに刀六本抱えて来る竜の旦那が有り得ない」
 そう言って困り眉の下に笑顔を形作り、木葉の影は白い花咲く枝を抱えなおす。
 どこからとってきたものか、薄い明るい緑の葉に小さな花びらを零れるばかりに乗せた、
ゆきやなぎの枝。
 奥州ではまだ姿を見せるはずもない春の花が、この各国を飛び回っているらしい忍びの手にあるのはさして不思議ではない。上田の辺りはまだ寒気を残している頃だから南へ行ってきたのだろう。武士が戦を休むこの時期に忍びが他国の諜報に駆り出されるのは定石で、故に彼らが南に行くのも北に現れるのも、何ら奇妙な事では無いのだ。そして奥州と甲斐は目下、同盟さえ結んでいる。
 しかし忍びが花を持つ必要が何処にあるか。持っている上に他国の城の奥庭に突如として現れる必要が何処にあるか。
 武田軍真田忍隊が長、猿飛佐助がすることとも思えない。
「斬ってみりゃ夢か本物か分かるかもしれねェな」
 夢ならば醒めるはず。幻ならば消えるはず。
 簡単に斬れるならそれは――
(あいつじゃねえってことだ)
 政宗はすらりと抜刀した。
「え?…うそ、ちょっと待って、冗談でキャアアア!!」



 どうやら本物だったらしい。



 雪の上に散る細かな花びらはそのまま融け入るほどに白い。
 けれど板の間の陽だまりに横たえれば、それはやはり春の風を含んでいるように暖か気だ。
「ごめんなさいちょっと驚かせようと思ったんです出来心だったんです」
 その春の空気を前に烏は肢をつき、橙色の頭を伏せていた。
「でもなあ、竜の旦那がこんなに洒落を解さない人だなんて思わなかったし…」
 佐助はつぶやいて顔を上げ、爪の尖った黒い指で雪柳をいたわり撫ぜるような真似をする。
 彼が竜の三本爪と鎌風から身を挺して庇っただけあって、元より花盛りの枝は溢れる淡雪を残していた。
「うるせェ。書状がある正式な使者なら門から来い。さもなきゃきっちり忍んで来い」
 バサ、と手荒く文を広げ政宗は尊大に言い放つ。
 が、書状に隠れた顔には朱がさしその唇は拗ねたように尖っていた。
「まあ確かに――うっかり近づいたら花束の下に忍び刃、なんてそれこそ洒落にならないか」
 気恥ずかしげな顔色には気づかぬのか、紙一枚の向こうの声は存外に真面目そうだ。
「Shut up…」
 呟く異国語も掠れて消える。
 武田との同盟は去年の秋に纏めたもので、奥州密偵の調べでも互いの情勢に変化は無い。それでなくともこの忍びの仕える主は、独眼竜が暗殺などという方法で討たれる事は望んでいないのだ。
 間違っても罠だなどと思って斬りかかったわけではない。
――いっそ罠かと思えりゃ、冷静でいられたのに)
 ため息を飲み込んで、文に連なる豪快な字に左目を走らせた。

『前略   伊達政宗殿
 日ごと春めき城の庭には桜の花が咲き始めて早三日
 政宗殿にもこの上田の桜をお目にかけ
 その折には手合わせの席など設けたく候
 つきましては御都合の宜しい日時を佐助に言付けられ
 是非とも完全武装の上で御越しくだされ
 草々
       真田幸村 』

「……」
「……、」
 そそっと正座のまま後退ろうとする、その斑緑の襟元に政宗の手が伸びる方が早かった。
「こりゃ花見の誘いか?果たし状か?新手のJokeかこれも洒落か」
 ジャリリと布越しに鎖帷子の金具が軋む。
 額をつき合わせる程近くから射る竜の左目と地を這う声に、伝書烏は冷や汗も隠さぬままに笑顔を作り「あの人は大真面目なんです」と呟いた。
「とりあえず個人的なお手紙だと思って気軽に考えてみてくださいよ。それでも俺が添削したんだ。少しはまともな形になってるでしょ?」
 だからメンチ切らないで欲しいなあ、と両手を降参の形に上げる。
 情けない表情に怒気が引いてゆくのを感じて、政宗はそれはそれでムッとした。
 いつからか、この他国の草に敵意を持てずにいる。
 それが本来どれだけ危険な事か分かっていながら、軽口を叩くのが楽しくて、気安い口を利かれるのが嬉しくて、姿を見ればその珍しい橙色の髪に触ってみたいと――
「竜の旦那?」
 戸惑ったような声に我に返ると、政宗の指は既に橙色に絡まっていた。
「……」
「あのー…伊達さん?」
――どう誤魔化そう。
 右手は未だに忍びの首元を掴んだままで、左手はその頭の上。
「わ!?」
 とりあえず襟首を手前に引いて、佐助の頭をうつむかせた。
「……花びらが、付いてるから」
 とってやるから、動くな。
「はあ、」
 嘘にはならなかった。佐助の赤みがかった橙色の髪には、政宗が散らしたゆきやなぎの花びらが幾枚も絡んでいる。
 指で梳いみても髪の奥に滑り込んでしまう。
 左手を耳の上に添えて、右手の指で薄い淡雪を摘み上げた。
「…あの、自分で出来――
「Shut up」
 きっぱりと言い切り、花ごと飛ばされたらしい一輪を床に落とす。
 忍びの髪はフワフワしているようで固く、炎のような暖か気な色合いにも関わらず冷たい。
 風に吹かれたままのように後ろになびかせた毛先は、日の光に透けて金色にさえ見えた。
 白い花びらが映えて見え、政宗は口元を綻ばせる。
「何で花なんざ持って来やがった」
「え?えーと…南に行ったらこれが群生になってるところがあったから、雪みたいだと思ったらここのこと思い出したんだよね。華道とかやってるくらいだし、何入ってるか分からない食べ物より良いかなあって」
 真田の旦那ともそう話してて。
 大人しく頭を預けたまま、忍びはそう答えた。
 その瞬間、政宗が上機嫌な顔をまた曇らせたのも、うつむいている橙頭には見えないのだろう。
「旦那も最初は団子だ饅頭だって言ってたんだけどさ――痛ッ!髪引っ張らないで!」
「Sorry, それでどうやって散らさずにここまで持ってきた」
「んー、それは企業秘密」
 口調の軽さに情けない笑顔がそれは容易く頭に浮かんで、政宗は音もなくため息をついた。
 この男が刃物でなく花を持っているのを見た時、その事態を疑う裏でそれを喜んでしまったのだ。むしろ、だからこそこれが現実である筈がないと、そう思い込むほどに。
 そうして今も、簡単に咽でも胸でも刺せる位置に身を晒しながら、触れる指がじわりと優しく温まるような思いでいるというのに、この男は。
(真田、真田、真田――Damn it,)
「…ズルイ」
 ぼそり、と呟けば、両手の下の頭が「ええ!?」と揺れた。
 それを押さえ込んで花びらを抜き取り、ペイッと床に叩きつける。
――真田ばっかり便利な脚があるし、信州はともかく甲斐はもう春だろ?片便りって奴さ」
 一方は便りをことづける便があるのに他方には無い、そんな状況を片便りとは確かに呼ぶが。
「…俺、竜の旦那が返事くれるまで待つよ?」
 それに、一方が手紙を出したのに相手がなしのつぶてってのも、片便りでしょ?
 忍びはそう言うが、政宗は眉を寄せるばかりだ。
(こいつが真田のためにしか動かないのが、憎たらしい)
 単に、それが少し、羨ましいのだと。
――言っても何にもならないから、何も言わずに。もうすっかり淡雪の消えた橙色を、名残惜しく指で梳いた。
 何の匂いも無く冷たいばかりかと思っていた髪も、根元は温かみを孕んでいる。
 政宗は知らず、はんなりと微笑を浮かべた。
「All right, 全部取れた」
 指が髪を通り抜けて、佐助が頭を上げる。
 身を離し、政宗は間に横たわったままの雪柳の枝を抱え上げた。
「まずこいつを活けてくる。その後で返事でも何でも書いてやるから、そこで待ってな」
「ありがとー竜の旦那」
 にこ、と忍びは何事も無かったかのように、笑った。
 害の無い笑顔に、それとも自分の目が既に狂っているのかと、政宗が自嘲気味の微笑を浮かべたのは佐助に背を向けた後の事。
 その苦い表情も雪のせた柳の枝の柔らかさにふわりと融ける。
 散らされた幾つもの花が、花びらを欠いた片輪になってしまっていて。
 政宗は忍びの真似をして、詫びるように、その片花を撫ぜる真似をしてみた。



 襖が滑って閉じられるまで、佐助はにこにことしながら手を振っていた。
 白い花を抱えた青い背が、次の間に消え。
 足音が遠ざかって、やっと、その手を額に当てる。
「…参った…」
 先ほどまでのひょうひょうとした態度は何処へやら、黒い手が覆う下苦しげに呟いた。
 顔に血が上って、耳まで赤い。
(近かった、近かった、近すぎた!!)
 ああもう、すんごく良い匂いしたし、首は白いし、笑顔がきれいでどうしよう。
 どうしようもこうしようも、一介の草の者がどうこうできる相手ではないのだと自分を諭すしかない。
「何にも気づいてくれないし…」
 奥州の雛には稀なる華人、風雅に通じる目には花も純粋な贈り物に見えたのだろうか。
(それにしたって男が花を送る意味くらい、分かってくれても良さそうなもんだけど)
 しかしそれを言ってしまえば、桜の花を送りたがった別の若者の気持ちにまで目が向けられそうで、佐助にはそれが怖かった。
 主人の書状を摘み上げて豪快な墨使いにチラリと目をやり、元のように折りたたむ。
 そうしてそれを団扇代わりに、パタパタと顔を扇いだ。
「こっちばっかり春で――嫌になるよ、本当」
 忍びの起こす風に、床に落ちた花びらがふわり、舞い上がる。
 風が淡雪に似た花びらを運ぶ。



 白い庭に舞い込んだ春の花。
 僅かに触れた雪は今、その温さに、融けた。


































2007/04/12 次郎丸さまへ奉げます。 『戦国サスダテで、可愛らしい両片思い』
(07/29 改訂)