この喉が、云うことを聞かない。
 体は動かない。
 目も開かない。
 耳と鼻は勝手に気配を拾う。
 梢から落ちる雨雫。
 草を踏む音。
 血の匂い。
――その向こうに隠れた、薫り。
「死んだか?」
 …独眼竜。
 呟いたつもりだった。
――無様じゃねぇか、武田の」
 低い声がほろりと降る。
「…酷ぃ…な……誰の、せい、だと」
「あんたが間抜けなだけだろう?」
 声が近づく。
――その声が。
――今は見えない、青が。
(あんたがあんまり……)
――だから。
 呼吸の仕方さえ、忘れてしまった。
「馬鹿だな。忍」
 囁く震えを唇に感じられるほど、その声は近くに。
「…………じゃねぇか」
 笑う口が無邪気につり上がったのが、見える気がした。





 目を開けるとそこは躑躅ヶ崎の見慣れた小部屋で、涼しい空気と明るい空と蝉の鳴き声があって、佐助は己が横たわっていることに気づいた。
 動かない体と、からっぽになったような喉の奥。
 心の臓がなくなってしまったような、奇妙に静かな心地だった。
 これは夢か、あるいは。
――ああ、俺様死んじまったのか。

 ばかだな、しのび。

――馬鹿だよ、本当。
 この喉はとっくの昔に己のいうことなど聞かなくなって、忍びの守る息づかいなど埒外で、あの青い肩にかかる黒髪の、奥の白い肌の、薫りを思い出すだけで。
――首筋に指を絡めて吐息を止めてしまいたいと願うほどに。
 息ができなくなるのは、自分の方だった。
 蝉の鳴き声が草に降りそそぐ。
 風が吹き込んだ。涼しくてわずかに暖かい。
 日差しが明るすぎて、眩しいから、佐助は目を閉じた。

――すまねぇな。旦那。

 もう息をする必要さえ、ない気がした。


 鼓動も聞こえない。


 ただ。



 ドタドタドタ。
――ドタドタドタ?
「佐助ぇえええ!!」
 足音と聞きなれた声と戸を壊す勢いで滑らせる気配。
 佐助はヒッと喉をひきつらせてとび起きた。
 激痛が走った。
「な、な、な、………げほっ」
「おお、目覚めたか、佐助!」
 目も覚めるような真っ赤な陣羽織に鉢巻。
「…真田の旦那」
 そこは躑躅ヶ崎の見慣れた小部屋で、涼しい空気と明るい空と蝉の鳴き声があった。
 痛みとともに、ドクドクと打つ鼓動が全身に響く。
「政宗殿に、助けていただいたのだぞ」
 紅い鉢巻と茶色い尾がひるがえって、まっすぐな視線が振り返る先。
 蒼い陣羽織のまま戸口によりかかるその人が、にやり、と。

『息、してるじゃねぇか』

 無邪気な竜のように、唇をつり上げて、笑った。














10/05/28 掲載
初出:memo(2010/05/13)