ワルツの曲が小さく響いた。
 サスケはパッと顔を上げた。
「む?」
 きょろきょろと見回すサナダ博士の茶色い頭を尻目に、絨毯に置かれた薄緑のカードに手を伸ばす。
 オルゴールめいた三拍子に合わせて明滅する、淡い葉色の携帯端末。
「もしもし、まさむね?」
『Hello?』
 ハスキーボイスが耳元に響いて、サスケはわけもなくへにゃっと笑う。
『…ってわけで、遅くなったがもうちょいで着くから。幸む…サナダ博士はまだいるか?』
「うん。サナダの旦那、」
「政宗殿か」
 絨毯に胡坐をかいていたユキムラ・G・サナダ博士は、得たりと頷いてサスケの携帯を受け取った。
「風魔は昼すぎに…はい、北条家からの迎えは大道寺殿が。……」
 気づけば窓の向こう、いつのまにやら秋の日も暮れている。
 散乱した本を集めて抱えると、主に散らかした犯人の幸村がその袖を引いた。
「5A式に変わりまする」
 言ってから当の5A式の腕の本に気づいた様子で、橙赤毛の頭に薄緑色を近づける。
「かわりました」
『ん、茶のしたくは帰ってからするから。いい子で待ってな』
 サナダ博士を困らせるなよ、と珍しく釘を刺された。
 はーい、とイイコそのものな返事を返せば短い相槌とともに通信が切れる。
「もうよいか?」
「うん、ありがと旦那ー」
 棚の下の段に大判の図説をつめこんで、受け取った端末は温かい。
 幸村は体温が高いんだ、と政宗が言う声を思い出した。
「土産を楽しみに、とおっしゃっていたな」
 その幸村も政宗の言葉をたどって、片付ける気があるのか無いのか拾った本を適当につめている。
「旦那それ、上下逆」
「む」
 まったくもう、と呆れたような言葉でサスケは笑いながら。
 鮮やかな紅を思い浮かべた。



 ふたを開ければ木箱にいっぱいの、りんご。籾殻をクッションに並んでいる。
「これは見事な…」
「え、これ上の方だけじゃなくて?」
「Yes,底まで全部つまってるぜ」
 玄関に下ろされた六十cm四方の箱を覗きこみ、茶色い頭とオレンジの頭がそろって感嘆の声を上げた。
 自分も同じように驚いたと、思い出して政宗は笑う。
「一冬越せそうだろ?」
 サスケと自分の二人暮しには多いと言ってみたのだが『おらにはもっと多いんだ!頼むからもらってくれねえべか?』と懇願されてつい、『よし任せろ』とうけおってしまった。
「あー、いつきちゃんかぁ」
 サスケがカラカラと笑う。
 BASARAタワーの学舎に登録されている少女の名に、幸村も得たりと頷く。
 口調で分かったのだろう。いつきは第一緑地居住区“陸”の出身だが、生まれはさらに北である。去年最後に5A式と会った時は身長も差があったせいか、無条件で年下と認識されているようだ。
 いつきも5A式を――この少年型のヒューマノイドを、『政宗んとこの子な』と呼んでいる。
 政宗の目から見ればどんぐりの背比べであるのだが。
「今日は謙信がタワーに来ててな。いつきも一緒でcaffe行ったんだ。それでお茶のお礼に、だと」
 いつきが“最北端”と呼ばれる学術市の農学部に出入りしていたところを、タワーの学舎に推薦したのは上杉教授だった。地元を離れ学舎の寮に住むことになった彼女を「よろしくたのみますよ」と政宗に紹介したのもかの教授である。
 中々に愛らしい風貌で地元出身の天才少女――と、それだけが理由ではなさそうだが、件の農学部の顔見知りを初め最北端と“陸”にファンが多いようで、北の農産物には事欠かないらしい。
――今年はりんごが豊作だったようだ。
「となると、最北端で研究栽培されている品種でござるか」
 つやつやした真紅の果実は、幸村の手に納まるといっそう小さく見える。
「いや、あちらさんは品種より栽培法の研究に力を入れてるらしいぜ?こいつは昔ながらの紅玉だ」
 サスケは両手で持って、スン、と匂いをかいだ。芳ばしい香りがしたことだろう。へえ、とつぶやいて鳶茶色の目を丸くする。
「サナダの旦那が持ってきたのとずいぶん違うね」
「What?」
 予想からいささか外れた言葉に、政宗はマフラーを緩める手を止めた。
 左目を向ければ幸村が茶色いぼうぼう頭をかいて、困り顔。
「実は某の方も、実家より“信”のシナノチアキが一箱届いておりましたので、御裾分けにと…」
 キッチンに行けば、紅玉より大ぶりな、爽やかな朱色のりんごが十二個、二列に分かれて並んでいる。
「まさむねに電話で聞いて、偶然だなって思ってたんだけど」
 今日はりんごパーリィだね、とサスケはのん気に笑った。
「責任もって食ってけよ?Dr.サナダ」
 りんごPartyだ、と政宗は不穏に笑った。
「お任せくだされ」
 場違いに真剣な顔で、幸村がうなずいた。



 本日のメニュー。
 夕食はハヤシライス。温野菜のサラダ。中華スープ。りんご(シナノチアキ)。
 夜のお茶のお伴にアプフェルクーヘン(政宗いわく、「りんごをぶち込んだパウンドケーキ」)
――そして明日の朝はオレンジママレードではなく紅玉のジャムとバケットと、シナノチアキになるのだろう。
 ダテ研究所もサナダ研究所も。
「豪勢でござる」
「あんた、普段何食ってんだ?」
 サナダ博士の感嘆交じりの言葉に、ダテ博士は左目をじとりと伏せる。
 その手元ではサリサリと軽やかな音を立てて、りんごの紅い皮が剥かれていた。
 幸村と言葉を交わす間も淀みなく動く銀のナイフ。
 蜜の黄色をほのかに含んだような、紅とは対照的な白い実が姿を現すのに、サスケはうっとりと見とれるように目を細めた。
 Happyな顔してんなぁ、と政宗がつぶやく。
「おれのこと?」
「お前のコト」
 シュンシュンと湯の沸く音がするキッチンは、小窓も開いて外の空気が通っていた。秋の空気はひんやりと冷たいのに、本物の火のためか居間より一段と温かい気がして、サスケは「Happy」を否定しなかった。
 『幸せの七割は温かさでできてるんだ』と真面目な目で言ったのは一昨年の冬の政宗だ。この夏生まれの博士は寒さに弱いので、根拠のそれこそ七割は主観であろう。それが5A式のAIにはきっちりすり込まれてしまっている。
「ほれ、味見」
「あー」
 剥き終わったりんごをサクリと切り分けて、差し出す指に口を開けた。
 政宗は苦笑してサスケの口にりんごを噛ませる。
「雛鳥でござるな」
「Indeed.サスケ、皿とフォーク用意してくれ」
 はーい、と返事をしてサスケは食器棚に向かった。
「Thanks,あと貯蔵庫からデミグラスソースの缶とってきてくれるか?」
「いえっさー」
「某も何か手伝いましょう」
 きびすを返す後ろで幸村の声が聞こえる。
「あんたはそこでくつろいでな、サナダ博士。キッチンで悪いが」
 いやしかし、と生真面目な声。サスケは奥の階段を下りながら一人クスクスと笑った。
――政宗は料理が好きだ。
――おれは政宗が料理をするのが、好き。
 その淀みない手つきも、楽しそうな横顔も。白衣の変わりに黒いエプロンをひっかけて、少しのびた髪を一つにまとめて。作られた料理はきらきらして見える。タワーでいつきと作ったのだという紅玉のジャムは、透明な壜の中、薄紅色が本で見る宝石のようだった。
 もともと何かを作るのが好きなのだろうと思えば、政宗に作られた存在である5A式としては面映ゆい。それほど政宗の料理は何やら温かなもので満ちている。
(今日は、いつきちゃんと…サナダの旦那のおかげだね)
 サスケは缶詰を手にへにゃりと笑った。



「…幸村」
「はい」
「あんた、今日が何の日か覚えてるか?」
 サナダ博士はしばし考え、「りんごの日でござろうか」と真剣な目で答えた。
「曜日で言えばお館様が禁酒される日のはず…」
「何でもかんでも信玄公か!」
 木べらで鍋の縁を叩いて、政宗は頭を振る。
「いや、…本当にハヤシライスでよかったのかと思ってな」
 政宗の言葉に幸村は一瞬きょとんと――十九の自分より幼く思える顔で、瞬いて。
「政宗殿の料理ならば、何でも」
 父親が娘を見るように微笑んだ。
――九つしか離れていないのに。背の高さも頭一つも違わないのに。
「サスケみてえなこと言いやがって」
――言葉だけなら、そこでりんごを摩り下ろしている少年と同じ。
 アップルティのカップを片手に熱心にオーブンを覗き込む姿も、何だか最近どこかで見たような気がした。
 オーブンの中身はアプフェル・クーヘンだ。パイでもよかったがこちらのほうが日保ちする。
――焼きあがったら一本丸ごと幸村に持たせてやろう。
「まさむね、すりおろし終わったよ」
「Okay,かしてくれ」
 ハヤシライスもタワーからの帰りに思いついたメニューだった。
――何しろ美味いりんごが決め手の料理だ。
 鍋に摩り下ろしたりんごを落とし木べらでソースを混ぜていると、「ううむ」と唸る声がした。
「Ah?」
 振り向けば、幸村が鍋を覗き込んでいた。
「いつか政宗殿に馳走になった時、不思議な甘さがあると思ってござったが――りんごとは」
「…食わせたことあったっけか?」
「はい、何年か前に」
 政宗が料理に興味を持ったのは十二、三の頃だった。タワーの部屋に一人で道具をそろえ一人で研究していたが――確かに、一部の気楽な知り合いには味見、時には毒見させたような気がしないでもない。
 幸村は大真面目な顔で、元親は気のいい笑顔で、何でも「うまい」と言う二人だったから、政宗は嬉しくてもたやすく喜んで見せたりはしなかった。
――自分は言われるまで、すっかり忘れていたのに。
「こんなに美味いものがあったかと某、感動いたしました」
 だから、ハヤシライスがよいのでござる。
「そりゃあ…」
 政宗は急にキッチンに熱がこもっているのを感じた。オーブンやコンロや、あちらもこちらも熱を放っているせいだ。――きっとそうだ。熱いのは。
「それなら、いいんだ」
 焦げないように木べらをせわしく動かす。
 赤ワインと牛肉の匂いが香ばしい。
「頬っぺたがりんごのようだ」
 ぼそり、と幸村の声が響いた。
「ああ?」
 政宗はギロリ、とその顔をにらみ上げる。
「いや、政宗殿ではなく」
 5A式が。
 サナダ博士がそっと示すほうを見れば、橙頭はオーブンの方に顔を向けたまま。
「すねてなんかないんだからねっ」
 と、叫んだ。



――少なくとも、拗ねずにいられればいいのに、とは思っている。
 例えば、サスケが知らない政宗の小さなころを、真田や毛利や、色んな人が知っていること。
 例えば、政宗が熱中するようなエネルギーだの人体の器官だのの研究がサスケには少ししか分からないこと。
 例えば、サスケが――5A式が、食べ物を本当に『美味しい』と思うことすら、タワーの学者からは疑問視されているということ。
 5A式は、成長しない。
 正確に言えば骨格が通常の十歳児のようには育たないだけで、有機体の多い体は代謝に糖分を必要とするし、ある程度は脂肪として蓄えられる――と、政宗に聞いている。
 だが同年代(って言っていいのか分からないけど、まあいつきちゃんくらい?)の育ち盛りの少年少女に比べれば、必要とするカロリーは圧倒的に少なくなるのだそうだ。
 体を与えられた最初の頃は、5A式は食事というものに興味がなくて――もしくは、与えられる情報量の大きさに目を回してそれどころではなかったような気もするのだが、日に二回、少量のお粥のようなものを食べていた記憶だけはある。
――その食事法がタワーに名高い医学博士、ドクター織田の指示によるものだと知り、かの迫力凄まじい視線を思い出して何となく消化に悪い気分になったことは、ここでは余談。
 多分今もその程度の食事で事足りるのだろうが、政宗と同じような食事を取るのがサスケの日常だ。
――政宗が作った料理を政宗と一緒に食べる。と、ついパクパクと食べてしまう。
 そのことでダテ博士がしばしば頭を抱えていることも、サスケは知っていた。料理が好きな政宗にしてみれば、あれこれ食わせてやりたいし、おやつに菓子も作ってやりたい、というのが本音らしい。だが食べすぎは害になるから心配だ、というのもまた本音。
 いつだったかタワーの長曾我部博士に「太るぞ」と揶揄されたが――まったくもって大きなお世話だ。
――この体は少しの食物しか必要としない。
 だから、渇いた舌に水が甘いように、そんな風に食物を『美味しい』とは確かに感じていないのかもしれない。サナダ博士の『美味い』とは違うのかもしれない。
(でも、でも、でもさ?)
「おいしそう…」
 こんがりと焼きあがったアプフェル・クーヘンを前に、そう思うのは事実なのだ。少なくともサスケにとっては。
 そして、サスケの言葉を疑わない政宗は、今日も満足げに笑った。
「機嫌はなおったかい?」
 今度は意地悪そうな笑み。尖がった左目と右目の革の眼帯、にやりと吊り上った唇に覗く牙は絵本に出てくる狼さんのようで、それはそれは人の悪い顔になる。
「だから、すねてなんかないってば」
 顔が熱くなって声が小さくなるのは、からかわれたせいか、子ども扱いされたせいか。
「あー、そうだったそうだった」
――ぽかぽかするのはきっと夕飯の後だから、あと、キッチンが熱いからだ。
 政宗が優しく目を細めるのに頷いて、シュンシュンと蒸気を吐くケトルの取っ手をミトンでつかむ。
 サスケの手には少し大きい深緑と銀色のミトン。政宗は色違いの紺色を両手にはめて、細長いケーキの型をトントンと叩いた。
 金網の上にケーキが乗って、香ばしいバターと甘酸っぱいりんごの匂いが広がる。
 ハヤシライスを満ち足りるまで食べたのはほんの二時間前だというのに、サスケはいそいそと紅茶をいれにかかった。



「確かに、空腹は最高の調味料――という言葉もある」
 銀色のフォークでケーキを切って、幸村は一口頬張った。
 政宗はミルクティの白いカップを口元で止める。
――よく噛んでしみじみと味わってくれるのはいいが、続きはどうした。
「…、体が必要とする成分を美味いと感じるのは味覚の一側面だ、と昔どなたかに聞いたような…」
「明智じゃねえの?」
 そういう分野もやってたはずだ、とタワー随一の変わり者の名前を出して、政宗は続きをうながした。明智の名に一瞬固まっていた幸村は――こいつはあの医学博士が苦手なのだ――気を取り直してきょとんとしているサスケに向き直る。
「一側面であってそれが全てではない。だが存外5A式にも当てはまるのではないかと某は思う」
「どういうこと?旦那」
 サスケはケーキをごくんを飲み込んで、瞬きをした。
――あ。欠片つけてやがる。
 その頬の当たりを眺めてふと気のそれた政宗の耳に、意外な言葉が飛び込んだ。
「飢えているのだろう」
「What's?」
 ぱっと顔を向けたダテ博士にたじろぎもせず、サナダ博士はりんごのケーキにフォークを立てる。
「政宗殿の料理に飢えている。体でなく、ここが」
 とん、と自らの茶色い頭を指すのは左の人差し指。
 真面目な顔を和らげて、黒い両目は今度は政宗のほうに向いた。
「政宗殿とタワーからここに移り住んで半年、5A式は某の家ではさほど食しませぬ。某の食事には気を使ってくれるが――実際5A式はそう多くのカロリーと栄養素を必要とはしていないのでござる」
 ただ、政宗の作るものだけをこんなにも必要としているのだ、と。まっすぐな目は時折ひどく雄弁だ。
 サスケはぽかんと口を開けている。
「だからお前には、政宗殿の作るものは確かに美味いのだろうと、思うぞ」
 うんうんと自分の言葉に頷きながら、サナダ博士はミルクティを一口飲んだ。
 二口三口でケーキの皿はすでに空になっている。秋のつる草の模様に小鳥が啄ばみそうな欠片だけが散っていた。
「幸村」
「はい」
「もう一切れいくか?」
「是非!」
 犬だったらパタパタと振られる尾が見えただろう。輝く目で幸村は頷いた。
 九つしか違わない。九つも年上のはずの男。
――ちょうど今日で、二十八になったはずだ。本人が覚えているかは疑わしいが。
 ケーキにキャンドルを立ててお祝いする年でもない。たまたま政宗が留守にする日でサスケが一人になってしまうからと来てくれた。
 ソファを立ってキッチンに足を向けた政宗の背後で、サスケがごにょごにょと何か言う。からからと幸村の笑い声が響いて――声を上げて笑うのは何とも珍しいことだ。
「お前は好きなだけ、拗ねたり怒ったりわがままを言ったりすれば良いのだ。まあ我慢したいと言うなら止めはせぬが」
 それにまたサスケが、ええ、とも、うへえ、ともつかない声を上げる。
「旦那ってば他人事だと思って!」
(同感だ)
 と政宗は心中うなずいた。サスケが拗ねたり怒ったりわがままを言ったりしたとして、頭を痛めるのは幸村でなく政宗だろう。
 あるいは慶次かもしれない。
――そう言えば最近、元親の姿を見ていない。
 少なくとも幸村は困らないに違いない、と政宗は思った。政宗の知る限り、幸村はサスケの行動に驚かされることはあっても振り回されたり頭を抱えたりしていたことはついぞないのだから。
 アプフェル・クーヘンに包丁を入れる。
 さくり、という感触は色よく焼けた焦げ目と、甘酸っぱさの詰まったりんごの果実。
 その香りに政宗は左目を閉じて。

 鮮やかな紅と、木の葉の緑と。  秋の夜の長さを思った。















U.C.159 Nov.06















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