十月のある日。
 『閃』の中でも北に位置する第三緑地居住区“奥”の、その伊達研究所の周りから金木犀の香りが薄れ始めた頃のこと。
 サスケこと甲斐原理統合5A式ヒューマノイドと、その作り主であるマサムネ・T・ダテ博士は、季節感も華も無いBASARAタワー上層の倉庫にいた。
――否。正確には、倉庫めいた研究室である。
 何に使うのか分からない――だけならまだしも、妙に埃っぽい、ところどころ錆の浮いた、見るからに何世代も前の機械類が並んだ室内。
 長曾我部元親博士がその間を通り抜けて、窓を開けた。銀色の鬣に似た髪が風に揺れる。
 政宗は何となく心配になって、サスケの口にハンカチを押し付けた。
「よっしゃ、もう安心だ――げほがはっ」
 綿埃が舞って元親が咳き込む。それを眺めるダテ博士の眼光鋭い左目と、十歳ほどの子どもの姿に作られたサスケの大きな目は、兄弟のように揃って呆れた半目になった。
「Hey,Dr.チカベ。何で今日はここなんだ」
「何でって」
 元親が紫の眼帯で覆われたのとは逆の、涙ぐんだ右目をきょとんと瞬かせる。
「ここ俺の研究室だぜ?」
「倉庫じゃねぇか」
 確かに自分たちがタワーを出る前はもう少しまともな部屋だったが、と考えて、ダテ博士は口元に手を当てた。
――あの頃はあの頃で、生活感にあふれる散らかり方をしていたものだ。
『奴は最近巣の方に通っているぞ』
 元親の古馴染みである毛利元就がそう言っていたのはつい先日。
『巣って何だ』
『あれは昔から、秘密基地だの要塞だのを好むのだ』
 と、元就は不快気に眉を寄せていた。
 というのも、その秘密基地の次に元親が入り浸っている第二の巣が毛利元就の研究室であり、政宗など元親に会う用は大概元就の部屋で済んでしまうほどなのだから仕方がない。
 物珍しげにきょろきょろと見回していたサスケが、不意に首を傾げた。
「長曾我部さん、モウリさんとこ追い出されちゃったの?」
 ぐっと喉に何か詰まったような顔をする元親に、図星か、と政宗はため息をつく。
「いや、追い出されたっつうか別に俺は何もしてねえんだが」
「何したんだ」
「大したことしてねえって!」
「何かはしたんじゃん」
 サスケがあはは、と笑いながら言うのに、元親は視線をさ迷わせた。
 ばさりと白衣を翻し戸口に寄る。
 そこには短いベルトコンベアを中心にパイプやらなにやらが組み合わされた、何かの機械が置かれていた。
「ありゃあ、三日前のことだ」



 午後三時――ドクター毛利が喉の渇きを覚えて、あるいは日輪の傾きを感じて、仕事の手を止める。
 などという現象について元親は深くは考えず、『何故か知らんが元就が休憩してそうな時間帯』と認識している時刻。
 その午後三時に、長曾我部博士は毛利研究室に足を向けた。
「よう元就!」
 毛利元就はいつものように、この古馴染みを見るなり挨拶代わりに眉をひそめる。
 だがその日その視線が冷たく注がれていたのは、元親ではなく彼の押してきた機械に対してだった。
「何だ、その台車は」
 平たい足場と操作盤を支える柱。下部に小さなタイヤがついて、確かにオプションのついた台車に見えなくも無い。
 そこはまあしょうがねぇな、と元親は鷹揚に笑って、ストッパーを下ろした。
「これはな、トレーニングマシーンだ」
 通常に流通している仕様はもっとすっきりした形状のコンピュータ制御のものが多いのだから、元就の反応が一瞬遅れたのも無理は無いだろう。
「トレーニング…?」
「ああ!」
――スイッチ一つ、ぽちっとな。
 ベルトコンベアが動き出す。
「こうやって上に乗って走れば、室内で運動不足を手軽に解消――
「そのようなことを聞いているのではない。ランニングマシンならば階下のフィットネスジムに何台でもあるであろう。そんなものをわざわざ作って何とする気だ」
 苛々と矢継ぎ早に言う元就に、元親は走りながら答えた。
「お前にやろうと思って」
「…何?」
 ぽん、とマシンから飛び降りる。
「お前部屋にこもってばっかで運動しねえだろ?これ置いてくから使ってやってくれよ」
 元就は胡散臭いものを見る目つきで、長曾我部印のトレーニングマシンを一瞥した。
「いらぬ世話だ。そして邪魔だ」
「そう言わずに見てみろって」
 突き刺すような言葉を気に留めず、元親はボタンやらバーやらがついたパネルを広げる。
「この目盛りがそれぞれ三段階と十二段階で三かける十二の三十六段階変速、こっちのレバーで傾斜角度は四十五度まで三度刻みで調節可能、さらにこの三つのボタンでベルトコンベアが階段状になるから昇降運動も出来てだな、このスイッチで逆回転、ベルトの素材は素材工学最新の耐久性に優れた薄型低反発――
「黙れ」
 ぴたりと挙げられた片手に元親は言葉を止め、カチカチメリメリと鳴っていた操作音も止んだ。
 元就は何とも言えない――常人が見れば兎角不機嫌なだけの表情で、眉間に手を当て僅かにため息をつく。
「貴様の玩具につきあう暇は我には無い。そんなものは捨ておいて茶でも淹れぬか」
 この場合の“淹れぬか”が疑問を装った誘い文句でなく命令であることは明らかだが、そこに言葉ほどの棘が無いことを元親の本能と経験値は嗅ぎ取った。
 単に作ることに熱中してしまった結果だのいらぬ親切だのを押し売りしに来たのではない。この古馴染みがタッチパネルやキーボードによる操作より、こうしたアナログな操作方法の機器を好むことを元親は承知していた。
「おう淹れてやる淹れてやる、だからお前はこいつを試してみろよ」
 と言うわけで元親は大した危機感もなく元就を猫でも扱うようにほいほいと持ち上げて、トレーニングマシンに乗せたのだった。
「貴様、何を勝手な――
――ここで一つ、想像していただきたい。
 ランニングマシンとはその上で人が走るからこそランニングマシンと認識されるのであって、その実態は短いベルトコンベアに類似した代物である。
 ベルトコンベアに乗った者は動かなければ後ろに運ばれ、そのまま落ちる。
 もちろん乗り手はそれを避けようと走るなり降りるなりするものであって、通常は無様に落ちることはない。
 だが、偶然その速度が乗り手に予測できぬほどの値に合わせられていたら。
――乗っているのが運動不足で筋肉もなければ脂肪もない、背丈の割りに細身なドクター毛利だったとしたら。
「スイッチオン!」
 ぽちっと押した瞬間、ベルトコンベアの上から元就の姿が消えた。
 同時にボフッと音がして、白いクッションが現れる。
「…おお!?」
 回転し続けるベルトコンベアの一メートル後ろ、巨大なくらげの様なエアクッションに背中から埋もれるような姿で、元就は滅多に感情を映さないその顔を驚愕に凍りつかせていた。
――落ちるどころか、空中に投げ出されたのだ。
「悪い!設定間違えた!」
「……」
「いやー、しかし早速エアバッグが役に立ったな」
「…今のような速度をいつ使うというのだ」
「慣れりゃ使うようになるさ。まあ元就ももうちょっと運動すりゃなあ」
「ほう」
(ん?)
 声に不穏な響きが混じった。
 白いクッションを膝で押しつぶしながら見上げれば、元就が口元に笑みを浮かべている。
 元親は我知らず青くなった。
(ヤバイ。何か分からんがヤバイ)
「では、貴様が走って見せよ」
「え」
「早く乗れ」
「ハイ…」
 逆らえる隙間などどこを探してもすでに見当たらない。
 元親は空気の抜けたくらげをわきに押しやって、ベルトコンベアに足をかけた。
「スイッチを入れるぞ」
 元就は宣言した。
――ここまでは公正な態度と言わざるを得ない。
 動き出したベルトコンベアに元親はすぐ速度を合わせる。有酸素運動と言うには速すぎるが、ドクター長曾我部はそこにこだわってはいなかった。単に自分が走れる速度を目安に最大値を決めたのである。
 目盛りは最大値の三と、半分の六を差している。
「ど…どうだ、元就!」
 少し息切れがしてきた。
「なるほど」
 元就は一つうなずいて、目盛りをカチカチと動かし始めた。
「う、おおおおお!?」
「確かにまだ走れるようだな」
 目盛りを最大値に引き上げ、元就そう言うと――おもむろにしゃがみこんだ。
 マシンの下部にはタイヤと、元親が部屋に入ってきた時に下ろしたストッパー。
 強いバネのついたそれを、元就の手がバチン、と上げる。
「お、おい…元就さん?」
 立ち上がった元就は、操作パネルに――台車で言えば手押しの部分に手をかけて、口端を笑みに吊り上げた。
「では好きなだけ走ってその腹の贅肉を減らすがよい」
「誰の腹がたるんで――え、お!?」
 元親を乗せたままガラガラと部屋から押し出されるトレーニングマシン。滑らかに続くタワーの廊下。
「さらばだ長曾我部」
 秋の日輪のような涼やかに明るい笑顔で、元就は台車を廊下に蹴り出した。



「マシンから放り出されるより元就の顔が怖くてな…」
 降りられぬまま走っても走っても風景が後ろから流れていくという面白体験は、廊下の端にたどり着くまで続いたそうだ。
 ふうん、と頷きながら政宗を見上げたサスケは、自分の作り主のその尖がった左目が羨望の色を浮かべていることに気づいた。
――おそらく政宗は、走りながら後ろに滑っていく長曾我部さんを、とても見たかったに違いない。
「廊下に誰かいなかったの?」
「ああ…二、三人いた気もするな。みんな飛びのいてたんで怪我人は出てねえけど」
「誰かムービー撮ったりしてなかった?」
「そういう余裕のある奴ぁいなかった」
「残念だなー」
「そうだなあ、三段跳びで窮地を脱した俺の雄姿が残ってねえとは」
 頷きあう元親と政宗本位なサスケの思惑は少々ずれている。
 そのズレに気づかず、あるいは気づいたとしても大して気にしないであろう長曾我部博士は、ふと表情を明るくして件のトレーニングマシンに手を置いた。
「そうだ、お前これ使わねえか?」
「What?」
 政宗の掠れた声が響く。
「青葉エリアまで送ってやるからよ。あの辺、冬になると雪に閉じ込められちまうだろ」
(エアバッグつきのランニングマシンって…)
――他にどんな仕掛けがあるか分かったものではない。
 サスケが半目で機械を眺める上で、政宗も肩をすくめた。
「せっかくだが遠慮しとく。それよりサスケのtestはいつ始めるんだ」
「ん?関節も筋も異常なさそうだしいいんじゃねえか?」
 パリパリと銀毛を掻いて、あ、と長曾我部博士は右目を輝かせる。
「よし、じゃあコイツの上で5A式走らせて見ようぜ」
「Han?あんたのオモチャの試験も兼ねようってか」
 サスケは頭の上で進む会話から視線をそらして、ベルトコンベアの下を覗き込んだ。
(何て言うか、とにかく悪気無い人なんだよねー)
 言葉の割りに政宗の声が不機嫌でも冷たくも無いのは、長曾我部博士のそういった性質を分かっているからだとサスケは思っている。
 さらに言えば付き合いの長さだとか元親の懐の深さだとか、その他のあらゆる美点が政宗の声に温かみを添える要因なのだが――それを直視するとただただ悔しくなることが容易に予想できたので、今は考えないようにした。
「大体よ、そいつだって運動しねえとまずいだろ。何でか最近はよく食うんだって?」
「言われないでも分かってるさ」
 ダテ博士のため息。
 5A式の体は本来そう多くのカロリーを必要としない。
 にもかかわらず、サスケの食い意地は政宗の料理に関する限り、前田家の人間すら凌駕する。
 そしてその政宗が料理好きなのだから、ここに需要と供給が成立してしまうのだ。
 ダテ博士のため息は、どちらかと言うとサスケに料理を作ってやりたい自分自身に向けられている。
(余計なこと言うなあ)
 と、顔を上げれば悪気の無い右目とかちあった。
「太っても知らねーぞ」
「……え」
 しゃがみこんで笑う銀髪は、サスケも嫌いではない。話しかければいつも気安く答えてくれる。
 けれどこの体を作ってくれた多くのドクターと同じく、長曾我部博士はあくまでもダテ博士の協力者であって、サスケとの距離は遠い。その距離があってこそ一番話しやすい部類であることは確かだが――あちらから話しかけてくるのは珍しい。今日は初めてだ。
(その第一声が、それか)
 サスケは調子を崩されて、少し言葉を探した。
「…太らないよ」
 目をさまよわせてぼそっと言うと、元親はパアッと顔を輝かせた。
「いーや太る、絶対太る!」
 何がおかしいのかしゃがんだ膝を叩いて言う長曾我部博士に、「餓鬼かあんた」とサスケの背後で政宗がつぶやく。
 ちなみにいまやBASARAタワー機械工学きっての技術師と謳われる長曾我部元親、現在三十歳のはずである。
「いやな?一昨日お歳暮のカタログサイト見てたら、」
「おせいぼ…?」
「“さすけ豚のハム”ってのがあってだな」
「ぶ…ぶた?」
 豚。
――哺乳網ウシ目イノシシ科、学名 Sus scrofa domesticus、食用として世界的に飼育される他小型のものはペットとして以下略。
「おう、旨いらしい」
――ちなみに目の前の楽しそうな紫眼帯はいまやBASARAタワー機械工学きっての技術師と謳われる長曾我部元親、現在三十歳――あれもう言ったっけ?
「豚って何それ…」
 サスケはうめき声をあげた。
 元親はカラカラと笑い声をあげた。
「いいじゃねえか、豚は頭がよくてきれい好きなんだぞ?」
「何でそんな名前ついてるの」
 嫌そうに言うサスケの頭を大きな手がワシワシとかき混ぜる。
「いやー、お前も太ったらコロコロの仔豚みたいになっちまうかもな」
「やだよ。どうしてそうなるんですかっ」
――仮にもヒトとして作られたからにはブタもウシも目指す気は無い。
「仔豚じゃ食いでがねえけど仕方ねえか」
「食べる気満々!?」
 楽しそうな元親の手を払いのけようとするがうまくいかない。
(手でかいし!力強いし!)
――今更だけど何だろうこの人。
 鳶色の目を半月のようにして見上げた先で、けれど長曾我部博士はサスケを見てはいなかった。
 何とも言えない表情のまま固まった右目の視線は、押さえつけた橙頭のさらに上を向いている。
 サスケは振り向いた。
 スン、と小さく啜り上げる気配。
「おい、政宗」
 心なしか眦の赤い左目の、金色の瞳が慌てたようにそらされて、そっぽを向く。
「何でもない」
「まさむね…?」
 サスケの声に、白衣の肩が微かに揺れた。
「俺、もう、」
 ハスキーヴォイスが果敢なく震える。



「二度と豚肉は食わねえ…」



「…長曾我部さん」
「おう」
「今すぐ前言撤回しないとこの部屋のガラクタが全部スクラップになるから大変だよね?」
「心から申し訳なかった!」







 その後の三日間、元親は眠るたびオレンジの髪をした破壊神の悪夢にうなされ。
 二週間近く、伊達屋敷の食卓に豚肉はおろかハムもベーコンも並ぶことはなく。
 一月あまり、毛利元就は毛利研究室から、甲斐原理統合5A式は伊達研究所から、長曾我部博士を閉め出したという話である。

















U.C.159 Oct.10















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