「伊達ちゃん見ててね〜」
 ひらり、と手を振ると痩躯は窓の枠から一歩踏み出す。
 黒いベストはたちまち夜色に溶けて、白いシャツとオレンジ色の髪が浮かび上がって見えた。
 大きな窓の外、夜の街の上を悠々と歩いていく。
 政宗の左目は散歩するかのような足取りに捉えられて、テーブルに新しい皿が乗せられた事も気づかなかった。
 このリストランテで佐助のパフォーマンスは幾度となく目にしたが、例えばシャンパングラスでお手玉なぞして見せたり料理の皿を一ミリも動かさずにテーブルクロスを抜き取ったり――そんな芸とは訳が違う。
 地上三階の高さ、窓の側から伸びた綱の上を、革靴が踏んでいく。
 黒い脚とエプロンが時折光を遮って浮き上がる影になる。
 店内の照明は落ち着いた色に絞られているから、街の灯りは星秘めた宝石をばらまいたように強く光って見えた。
「……、」
 瞬きする事も出来ない。
 緊張のためか、見惚れているためか。
 見惚れたのは夜の街にか、空を歩く男にか。
 佐助が渡る綱は小さな灯火を吊るして、細く高いポールへ。そこから八方へ伸びている。
 光る雫をのせた蜘蛛の巣だ。
 その中心へ、男の爪先が乗る。
 くるり、と振り向いて両手を広げれば、店の中にはどよめきに似た静かな歓声が湧いた。
 それを背景に聞く、窓ガラスの前。
 軽業師の姿を見るには特一等の席で政宗は息を詰めていた。
 細いポールは金属で出来ているのだろう、それでも風に揺らいでいる。
 オレンジ色の髪も靡いて見えて、その細く軽そうな体が風に攫われてしまうのではないかと。
――目を逸らせば消えてしまうのではないか。
 縋るように見つめる先で、男が口を開いた。
――…』
「What?」
 聞こえない。
 笑顔のまま口の横に手を当てた姿。叫んでいるのかも知れないが、その言葉は風に飛ばされて、硝子を隔てた政宗には届かない。
 パクパクと動く唇に、窓に手を添え目を凝らす。
 その左目の端を、白いカードが過ぎった。
「…あんたか」
 見知ったフロアスタッフの一人が、何事か走り書かれたカードを示している。
 たった今書いたのだろう、佐助よりも紅がかった赤毛の彼の左手には、ペンが握られていた。
 白い四角の中には。

『つきあってください』

「……」
 政宗はその文字に目を走らせ、橙色に視線を戻す。
 男の鳶色の目が――今はどんな色に染まっているのかは見えない、けれど政宗の知る限り明るい色をしたその目が、じいっとこちらを見ている。
 黒い空間に無数に散らばる光の粒を背負って、風に吹かれるウェイターは所在無さ気に見えた。
――あの男を、温かい店内に戻してやらなくては。
 と、その時政宗が妙な使命感を持った理由は、後で考えればいくらでも理由付けられるだろう。
 とにかくそれは自分にしかできない事に思えた。
『見ててね』
 店内の他の客全てを置いてけぼりに、政宗だけに向けられた言葉。
――見てるさ。ちゃんと、見てる。
「I see…」
 つぶやき、こくん、と頷いてみせる。
 全て了承したとばかりに、頭を縦に振る。
 男のいつもは後ろに流されたオレンジの髪は乱れて顔にかかっていて、それでもその下の顔がパアッと輝いたのが見えた気がした。
 革靴が、渡ってきた綱の隣の線を選んで下ろされる。
 戻ってくる男の足取りは行きよりも急いているようで危なっかしい。
 政宗は席を立った。
 赤毛のウェイターが開けた窓の前に立てば、流れ込む冷たい空気。橙頭が駆け込むように窓枠に足をかける。
 冷たく乾いたその手をとった。
 店内に拍手が沸いた。
 軽業師が腕を広げて笑って見せて、パフォーマンスは終了。
 けれど乗せた手は放さずそっと握り、佐助は誰よりも今日のショーを見せたかったであろう相手に囁きかける。
「伊達ちゃん、さっきの、本気?」
――今更何を。
「…Jokeにしたいのか?」
「まさか」
 左目でちらりと視線を流し、唇をニイと吊り上げて笑んでやれば、寒気にあてられてきた男の頬は赤く染まった。
 今更照れるでもないだろうにきゅっと眉を寄せ視線をそらして、給仕の顔を取り繕う。
「……デザートは召し上がりました?お客様」
「デザート?Ah-,」
 言われてみれば新しい皿が出ていたと、やっと思い出して首を振った。
 その手をとったまま元のテーブルに案内して、ウェイターは椅子を引く。
「これは俺からの奢りだから」
 耳元に囁く声は政宗にしか聞こえていないだろう。
 紅のクロスの上、白い円の中には、金の艶を見せる茶色のドルチェ。
 以前食べて気に入ったと言ったような気もするが、よく覚えていたものだと――否。
「なるほど」
 オレンジピールを包んだチョコレートの濃い色に、オレンジ色の頭を見上げた。
 なんと甘ったるい発想か。
「あんた見かけよりromantistだったんだな」
「あんたは思ってた以上にマイペースだねえ」

 今日が何の日か、知らないわけじゃなかったでしょう?

「Oh yes,大道芸人の記念日だ」
 笑う客にウェイターは肩をすくめた。
「それでも良いよ。末永く覚えててくれるなら」

 


   February 14,2008

 


 そのPaceを崩されたなんてことは、末永く内緒にしておこう。











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こんなウェイターはクビです。と二人くらいにご感想いただきました。そりゃそうだ。

08/09/22 掲載
初出:memo(08/03/29)