本日は晴天なり。
 二月にしては暖かい日よりの土曜日で、女の子達もコートを脱いで可愛らしい服を見せながら――足取り軽く待ち合わせの場所に向かう、絶好のデート日よりだ。
 そのお天気にぽっかりと浮かぶ白い雲。
 つかめばもふもふと柔らかく弾みそうなその上に、この晴天の仕掛け人がいることは、地上の人々には預かり知らぬ事実である。



 その仕掛け人は――人と呼べるかはさておいて、人間の男の姿をした彼は、酷く陰鬱な顔で雲の上から地上を見下ろしていた。
「やれやれ…」
 赤みがかったオレンジ色の髪に鳶色の目。迷彩柄のポンチョを突き抜けるようにして――鴉のそれのような黒い翼が生えている。
 悪魔か堕天使かと問われそうな姿だが、なにを隠そう彼は歴とした天使である。
 名はミカエルかラファエルかガブリエルか。
――否。名前は猿飛佐助という。
 天国武将お天気担当、蒼天疾駆猿飛佐助。
 ひょろりと細い腕で迷彩柄の膝を抱えて、今にも雨を降らさんばかりの顔だ。
 しかし地上は見事なまでのお天気である。
 それもそのはず、八つ当たりで雨を降らすなどとんでもない。プロの天使である長は仕事に私情を挟まないのだ――とは、部下の天使達の評価。
 その長こと佐助はどんよりと曇った眼で呟いた。
――チョコレートなんて溶ければいいのに」
 風が止んで、気温が僅かに上昇する。
 このまま温かくなれば、確かに地上でチョコレートと呼ばれるカカオと油脂で作られた菓子は柔らかくなってしまうだろう。
 しかしそのチョコレートを溶かすことが彼の仕事と何の関係があるというのか。チョコレートの成分が空気中に甘みをますのか、天界の管理官から使命を受けたのか。
 答えは一つ。
 仕事など関係なく部下達の信頼も果敢なく、佐助はチョコレートに八つ当たりをしているのである。
 二月の第二土曜日、絶好のデート日より。
 街はヴァレンタインデーという日のために浮かれ騒ぐでもなく、ただそういった恒例の社会的な慣習を勿論忘れていませんとも、とばかりに薄紅色の花束と金のリボンと――焦げ茶色のチョコレートで装っている。
 佐助の見張るこの街、と言うよりこの国で、なぜ聖バレンティヌスの命日にチョコレートなのかは彼のあずかり知るところではない。
 ついでに言えば猿飛佐助は天使だがキリスト教の例のそれではないのだ。
 ゆえに佐助がチョコレートを呪うのは、決して宗教的な観念からでもない。
 鳶色の視線の先には、晴れた日ざしでチョコレートのような焦げ茶にも見える黒髪の、若い男がいた。
 前髪で右目の辺りを隠したその青年の、左目は鋭利な刃物を思わせる鋭さ。
 鼻梁の線があまり焼けていない肌にくっきりと形よく出て、薄い唇は皮肉な笑いも無防備な様でも色を感じさせる――その彼に。
「ああ、また」
 女が近づく。チョコレートと思しき包みを渡す。
 青年が拘りなくそれを受け取って、鞄に放り込む。
 佐助だけが歯噛みしている。
 この天使が、あるいは白梟の翼で星空を御する天使のかすがのように、人間で言うところの女の子であるならば。そうすれば話は焼き餅などという可愛い方向にすんなりとすすむのだが――生憎佐助はあからさまに男であった。
 件の青年に包みを渡した女が軽く誘いをかけるのを、彼は目元でだけ笑ってかわした様子。
「なんっであれがもてるかな!」
――男の嫉妬は見苦しいぞ。
 と、佐助の上司が言っていた気もするが、佐助にしてみればこれは嫉妬ではない。
 ただの八つ当たりである。
 そもそも佐助がこの青年を熱心に――暗い情熱でもって眺めているのは、まるきり時間外労働なのだった。
 数週間前、天使たちの管理官である毛利元就は佐助を呼び出すと、自身の司る日輪を背後に鶴のそれに似た翼を広げ、萌葱色を燦然と輝かせながらこう言った。
『地上の人間が雷を起こした』
『はい?』
 単刀直入なその言葉に、佐助は耳を疑った。
 と言うより、話の糸口から入るのではなく糸の束をそのまま投げつけるような話運びに戸惑ったのだと、後に述懐するのだがそれはさておき。
『貴様がその人間を監視するがよい』
 またしても飲み込めない話が塊のまま放り込まれた状態であった。
 流石に口の利き方も考えないわけにいかない中間管理天使の佐助は、
『…と仰いますと?』
 と慇懃にうかがってみた。
 元就の冷ややかな罵倒混じりの命令を要約するとこうだ。
 本来天使でも一部の上級天使にしか扱えない“雷”が、予定もなく局所的に発生した。
 天使の誰にも起こした記憶がなく、前後の様子から推察されるに怪しい人間は一人に絞られる。
 監視が必要だが天界は今未曾有の人手不足で――確かに佐助の直属の上司達も、沖合いの火山を収める手伝いに出払ってしまっている。こんな状況においてぼんやりと下界を見下ろすのが仕事にできるのは猿飛佐助くらいのものであり、実に適任であろう。
 以上。
――そういう訳で、佐助は決して暇ではない温度湿度雨量風向きの管理の他に、人間の監視を任されたのだった。
 そもそも他に事故現場に誰もいなかったからって、天と地と気象に通じている天使にしか操れない雷を人間が発生させたという発想が――
(ええ、何だっけ、フリーダム?)
 佐助は考えて、この異国語を覚えたのが今新たにチョコレートの包みを受け取っている人間の口からだと言う事に気づいた。
(ああ、俺様毒されてるわ)
 そう思いながらまた地上に目を細める。
 チョコレート色の髪に映えるような肌の色。
――上着の下の蒼いシャツが似合って、きっと雷の蒼も似合うだろうという気は、しないでもない。
 苛々しながら、最初に指令を受けた日からずっと彼から目をそらしていないのは。
(お仕事だからね、これ)
 親戚か何か、よくそばに見かけるヤンチャそうな若者と背広にオールバックの男が来る。
 とくに背広の方は四六時中彼と一緒だ。またこいつか、と佐助は目を細める。
――二人が来ると、蒼の似合う彼の鋭い目が、ニイとたわんだ。
 笑った、と思った瞬間、ちらりとこちらを見た気がした。
「…ッ、」
 心臓が飛び跳ねた。
 ドキリ。
 次いで、キリキリ。
――キリキリキリ?
 右側から妙な音がして、佐助はそちらに顔を向けた。
 黄金と梅の紅色をまとった男。
「……何やってるの、前田の旦那」
 高く結い上げてなお垂れる髪を揺れたその背中には、鷹のそれに似た翼が生えている。
 精悍な顔に似つかわしい伸び伸びと鍛えられた腕に、つがえているのは大きな弓と短冊の結ばれた矢。
「いや、あそこに美人さんいるだろ?」
「該当しそうなのが何人かいるね。街中だからね」
「あの目が恋に輝くところが見たくてさ!」
 前田慶次は、いわゆるキューピッドである。
 キューピッドってもっと小さくて白い可愛い羽根が生えててキャッキャウフフした感じじゃないの、という幻想を粉々にする身長百九十p。
 その矢の狙う先を見て、佐助は無意識に懐を探った。
 弓がしなって矢が飛び立つ。
 しかしその先端の紅色のハートはターゲットにたどり着くより早く、射落とされていた。
 カラン、と軽い音は人間達には聞こえないだろう。
 慶次はぱちくりと瞬きをして、自分の撃ったはずの矢が風と花びらになって消えるのを見た。
 自分の矢を落としたもう一本の矢が、木の葉と影になって消えるのに、もう一度瞬きをして。
「何だい?」
 小ぶりなボーガンをかまえた佐助に目を向けた。
「何って、別に」
 佐助はつまらなさそうな顔でぷいと横を向く。
「ふーん」
 慶次はまた新しい矢をつがえた。
 ヒュンッという音が、――二つ重なって、ぶつかってまた落ちる。
「おいおい何のつもり――、」
 慶次は眉を寄せ、はたと口を閉じた。
「そうか…そうだったんだな」
「……何」
 そして得たり、と頷く。
 佐助はじとりと目を伏せて、悟った風のキューピッドを見た。
「悪かったよ、そうとは知らなくてさ」
「何が、俺様は別にね」
 ポンと佐助の肩を叩いた慶次は、新しい矢に結び付けられていた短冊を解いて見せた。
 短冊にはターゲットと結びつける相手の名。
 それはやはり、佐助の見ていた彼に、政宗に似合いの――
「……“小十郎”?」
――確か、これは彼の隣にいる、あのオールバックに頬傷の男の名ではなかったろうか。
「いやあ、言われてみればさっき見つめてたしね。そうならそうと言ってくれればよかったのに」
「え、ちょ、俺何も言ってないし。大体なんで男?」
 佐助が叫ぶと慶次はけろりとした顔で。
「恋は障害があるほうが燃え上がるって言うだろ?」
「だからってわざわざ選ばないでよ…」
「分かってるって。今度は」
 慶次は新たな短冊にささっと書き込んだ。
 『佐助』と言う名を。
――ちょっと待て。
「ようし、当ててやるよ」
 狙った先は佐助が見つめていた政宗の――隣のオールバックの背広姿。
「恋の花をー、咲ーかーせー」
「咲かせるなぁあ!!」
 キリキリと弓矢を番えて放った慶次の矢を、間一髪で佐助が射落とした。
「ははは、照れんなよ」
 突っ込む間もなく三の矢が構えられる。
「ああもう…!」
 佐助もまた三の矢をつかんだ。
――ところでお天気担当猿飛佐助、その矢は一本一本が風の一陣であり雨の一部であり暖かい大気の塊である。
 もはや当初の目的を忘れて弓矢合戦に興じていた佐助と慶次が、それぞれ手に大型手裏剣と大刀を持ち出した、その時。
「貴様等、聞くがよい」
 冷たい声が響いた。
「このように一本の矢で射られても運によって死にはせぬが、三本で射られた場合――
 振り返れば今日も一瞬の狂いもなく日輪の運行を見守った、毛利元就が、三本の矢を弓に番えて立っていた。



――その日、好天に恵まれた二月十四日。恋を祝福するバレンタインデー。
 一部の街では局所的な強風やにわかのお天気雨に見舞われた。
 その街の人間は首を傾げてはみたが、それがあの雲の上の橙頭に黒い翼の天使のせいであることも、その天使がどう責任を取らされたのかも、知る者はいない。

「どうなさいました、政宗様」
「Ah?……馬鹿やってやがる、と思ってな」

――多分、いない。


















09/08/25 改定・掲載
初出:09/03/15発行ペーパー